ベルマーリ駐竜所の戦闘

 ヤーゼフは厩舎に入るとすぐに、自分の飛竜を落ち着かせた。

 先程の爆発で、パニックには至ってはないものの飛竜は混乱している。この状態で手綱を扱うのは危ない。

「どうどう、よしよし」

 飛竜は鼻息は荒いものの、その瞳を見るに理性は失っていないようだった。

「大丈夫だ、落ち着け」

「行けるか?行けるな?」

くら着けるぞ」

 各人が自分の飛竜と向き合い、準備を進める。

「持ってきました!」

 ヘルゼルを含めた数人が兵舍から装備と銃杖を取ってきた。

「ありがとう。君の飛竜は大丈夫だよ、鞍も着けた」

「ありがとうございます」

 分担しての準備の結果、比較的早い時間で飛竜の用意が済んだ。

 豚脂灯籠ラードランプの淡い光に照らされたエルビスは、気付かれないよう隠れて深呼吸をしていた。

「各員傾注。小隊ごとに上がれ。上がった者は上空を旋回し待機。中隊が揃ったら、銃杖による射撃を基幹として対応する。夜間の飛行だ。簡易的な灯籠術式でいいから、自分の位置を示し続けろ。気を抜くなよ、ぶつかるぞ」

 大尉の説明が終わり、兵たちは竜の手綱を引いて厩舎から出る。

 上空では先に上がったロベルト中尉が旋回していた。

 月明かりでぼんやりとは辺りを見回せるものの、不安はつきまとう。そもそも、飛竜がきちんと飛んでくれるかどうかも心配だった。

 エルビスを先頭に、中隊は離陸を開始した。飛竜はドスンドスンと足音をたてて数リーグ走ると、竜翼をはためかせながらそれなりの高さまで跳躍する。

 そこから滑空するように急降下し、地面スレスレでようやく上昇を開始するのだ。

 この飛竜独特の飛びかたに、以前のヤーゼフはなかなか慣れなかった。

 翼に風を受けるための急降下の際の、あの内臓が持ち上がる感覚が好ましく思えなかったのだ。

 今でこそ慣れで抑え込んでいるものの、こうして空に飛び込む度に「飛竜はなんとも不思議な飛び立ちかたをするものだ」と考えているのだ。

 しかし今回はそんなことを考える余裕は許されなかった。

 ヤーゼフは飛竜が無事飛んでくれたと一息吐く間も無く地上を見下ろして、初めて事の重大さを痛感する。

 本部詰所の消火にあたっていたはずの本部附隊、一個分隊十六名の歩兵はその数を半減させていた。

 鎧に身を固めた影が歩兵の撃った術式を盾で受け止め、外套をはためかせた影がその剣で腕ごと銃杖を切り落とす。

 この状況を引き起こしたのは、間違いなくあれらのようだ。

 二つの影により、次々と歩兵は数を減らしている。今この瞬間だって、誰かの四肢や首が月夜に跳ねているのだ。

「なんだよこれ、こんなの──」

昨日と一緒じゃないか。

 ヤーゼフはその言葉を口にできなかった。

 お腹のあたりからきつい酸味を帯びた空気がせりあがってくる気配がしたからだった。

 ヤーゼフは理由を考えた。やはり、魔族が殺されているからではなかった。

 ヤーゼフは顔を見知った者を失うことに恐怖しているのだが、その答えを彼はついに考えつかなかった。

 ふと後ろを振り向く。ヘルゼルが昇ってきており、その後ろでは最後の騎竜兵が飛び立つところだった。

 その飛竜に、影が近づいていた。

 はやい。

 影は跳躍し、飛竜をよじ登り、騎乗している兵を突き落とした。

 飛竜は少しよろけたが、そのまま空に昇ってくる。

 雲の生んだ暗がりから抜け、月明かりがその影を照らした。

 その正体を知ったヤーゼフは、今度こそ怒鳴るのを我慢できなかった。

 あぶみにかけた足と手綱を握る手に力が籠る。

「貴様らか!貴様らがこれの発端か!ヒトめ!猿人の成れ果てめ!」

 影の一つ、その正体は、昼間と同じように括った銅色の髪を揺らし、面倒そうに眉間にしわを寄せている。

 ただ、違いが一つ。

 彼女はその口角を微かに上げていた。


 飛竜騎兵という兵科は歴史が浅い。

 この二〇年目立った戦争が起こらなかったせいで、戦闘の経験など無きに等しい。

 まして、騎竜兵同士の戦闘など、他国に生息する飛竜が調教に適していないこともあり、まったく想定されていなかった。

 想定されていないということは、それに関する教育がなされないということ。

 現に、第一騎竜兵中隊の士官全員が、飛竜騎兵との戦い方を知らない。

「上からくるぞ!」

 知らないが故に。

 とっさのことで、対応にもたついたが故に。

「おい、避けろ!右、いや左だ!」

 兵が、竜が、大地に還る。

「当たらない、当たらない──」

 放たれる光弾の隙間をぬって飛ぶその飛竜は、とても綺麗だった。


 半時間しか経っていない。

 それなのに、ヤーゼフは数時間ほど経ったように感じる。

 すでに四騎の騎竜兵が、月光を反射する槍斧に落とされている。

 それに加え、先程から地上より放たれる鋭弾術式もヤーゼフたちの精神を磨り減らしていた。

「散開しろ!集まれば下から当てられるぞ!」

 エルビスを筆頭とした士官連中が喉を酷似するが、部隊の統制は完全に崩壊していた。

 ヤーゼフは歯を噛み締めた。

 だから、夜になど戦いたくなかったのだ。と心中に叫ぶが、胃の痛みは収まらなかった。

 灯籠術式の灯りだけが闇夜に浮かび、そのいくつかは地に落ちていく。もう取り返しはつかない。ヤーゼフの左隣を飛んでいるであろう、ロベルトが苛立ちを多量に含んだ声で疑問を叫んだ。

「なんだって、あれは竜上で槍斧なんか振り回せているんだ?」

 竜の上はものを振り回すのに向いていない。はためく翼が邪魔で、武器が届く範囲に敵は寄ってこれないのだ。

 だから飛竜騎兵はサーベルや騎乗槍ではなく短縮した銃杖を友とする。銃杖による射撃ならば、邪魔な翼もさほど問題なくなる。

 ならばあのヒトはどうしているのか。

 その技術に、ヤーゼフらは驚嘆するしかなかった。

 彼女は騎竜兵とのすれ違いざまに飛竜ごときりもみに回転し上下が逆さまになるよう飛んで、彼女からみて頭上方向に槍斧を突いたり振るったりしていた。

 なるほど、飛竜の上方向ならば翼のはためきが邪魔することもない。

 しかし、それは空論だ。実現するのは難しい。

 しかし彼女は、飛竜がほとんどいない土地で育ったヒトの身でそれをこなしていた。

「あれこそ、バケモノというのじゃないか」

 ヤーゼフの呟きは風に流れた。

「ロベルト中尉!」

「はい、なんです」

「シルヴィウス中尉と一緒に残存騎竜兵をなんとか集めて後退しろ」

「そいつは無茶ですよ、大尉殿。部隊の統制は崩壊しています。生半可な拡声術式じゃ聞こえやしないでしょうし、なによりこの暗さじゃ、衛隊司令部にだってたどり着けるかどうかあやし──」

「あ」

「え」

 一瞬。ロベルトは頭上から落ちてきた飛竜と衝突した。

 なにかが潰れたり、折れたりする嫌な音を撒き散らしながら、肉の塊は地に叩きつけられる。

 灯籠術式により自身の位置を示していたのだが、落ちてくるものはそれを気にしてはくれなかったのだ。

 夜空に舞う術式の光の数は少ない。

 時折射撃術式の光弾が明後日の方向に飛んでいくが、それがなにかに当たることはなかった。

 ヤーゼフは血の気が引いた。脳に送られる血液が減少し、頭痛と目眩を起こす。

 ああ、このまま意識を失えば楽だろうな。

「ヤーゼフ」

「はい」

 虚ろになりかけた理性でヤーゼフは答えた。

「貴様、そこの生き残りを連れて撤退しろ」

エルビスはヤーゼフの後ろを必死に付いて飛んでいるヘルゼルを指差し言った。

「中隊長はいかがされるので」

「俺か?そうだな。飛竜を乗っ取った奴の方は立ち向かっても駄目そうだから、地上の術師にちょっかいをかける」

「僕が行った方がよろしいのでは」

「いいよ。俺が行くから」

「指揮官義務を放棄しないでください」

「──この際だから言うが、俺はもう駄目だよ。士官として駄目だ。こんな状況とはいえ、魔王陛下よりお預りしている部隊だって磨り潰してしまった。それに、きっとこれからろくでもないことが起きる。俺はそれに耐えられない。魔王陛下に報いることができない。それに、知っているだろう?俺がやけに深呼吸を繰り返していたこと」

 な?だから駄目なのさ。とエルビスは言って、冷たい夜の空気を吸う。

 少し口角を上げたその笑顔は、周りの惨状も相まって、どこか神秘的に思えた。

「命令だ、シルヴィウス中尉。残存兵を率いて後退しろ」

「──どうやっても撤回しませんか」

「しないよ」

 二人の飛竜の間を竜とそれにへばりついた死体が落ちていった。

 ヤーゼフはいよいよ目眩がひどくなり、吐き気すら覚えてきた。

「了解しました。残存兵を率いて、衛隊司令部まで後退します」

「よろしい」

 ヤーゼフは不安と苛立ちをごちゃ混ぜにした感情により思考の明度と気分の高低をめちゃめちゃにしながら、エルビスと同じにしていた竜の進路を変える。

「ヘルゼル!生きてるな?」

「はい、なんとか」

 それでも付いてきてくれているヘルゼルに、ああ、ついてきてくれるんだとヤーゼフは安心感を覚えた。

 灯籠術式の出力を最大にして、同時に拡声術式を構築する。

 奴らにはわからないであろう、魔王国公用語をありったけの声量で叫んだ。

「中隊残存兵集結!後退するぞ!」

 その声と光に惹かれる虫のように、灯りを灯したボロボロの騎竜兵が四、五騎寄ってくる。

 それ以外に飛竜が飛んでないことを確認すると、ヤーゼフは北に進路をとった。

「逃がすか!」

加速を始める一瞬の隙をついて、ヤーゼフの脇腹を槍斧の先が裂いた。

「いっ、たいなもう!」

 創部に熱に似た痛みを覚えながら、ヤーゼフは竜を駆った。

 土産の射撃術式も忘れずに放つ。

 術式には当たらなかったが、飛竜の全速をさすがにあの槍兵も捉えられなかったようだ。

 空域を離脱するとき、最後にちらりと後ろを向けば、地上に向かい突進する灯りが見えた。

 びゅうびゅうと耳元を吹き抜ける風が、やけにうるさかった。

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