ベルマーリ駐竜所の襲撃

 中隊本部の端に位置する兵舍、その一階の食堂は、戦場と化していた。

 自らの使命に歓喜を見出だした彼らは眼前の敵を殲滅すべく、ひたすらに手を動かす。

 兵はまるでこれが世界を救う為の戦いであるかのような覇気を放っている。

 まさに、一騎当千の戦士である。

 そんな彼等を率いる士官連中も、かろうじて理性を保つものの、やはり興奮しているようだ。

 間違いなく、部隊は士気に溢れていた。

 耳に聴くは、じゅうじゅうという音。

 鼻に香るは、芳ばしい匂い。

 それは、紛れもない幸せの象徴。

 その名を、兎肉という。

 兎は古くより、よくない獣として扱われた。故に、その肉を食すことはお貴族さまの道楽とされてきたのだ。

 なにより、兎を初めて神に不逞を働いた動物として扱った教会が、衆民の兎食としょくを赦すはずがなかった。

 しかし人間、美味しいものには弱いのだ。前世紀に教会権力の失墜が起こってから街の食卓に兎肉が並ぶのには、さほど時間を要さなかった。

 教会権力の低迷を招くことになる宗教改革を引き起こしたといわれる東の僧に感謝しつつ、ヤーゼフは絶妙に塩の効いた兎肉を頬張った。

 若干の獣臭はニンニクが相殺している。

 ヘルゼルの腕は見事だなと考えながら、もう一口。

 正直なところ、ヤーゼフはその手を止めることができなかった。

「それで、そのヒトの槍兵は確かに言ったのか?──畏れ多くも、『魔王陛下を討ち取る』と」

 上官からの質問には、さすがにヤーゼフも手を止めざるを得なかった。

「ええ、はい。その通りです、大尉殿」

 ヤーゼフは酒分アルコールを抜いた葡萄酒で口を湿らせると、話を続けた。

「確かに『あなたたちの王』と『殺す』という単語を聞き取りました。前後の文脈を考慮しても、間違いないかと」

 まあ、あの訛りのひどいヒト語を聞き取るのには苦労しました。と続け、ヤーゼフは食事を再開した。

 若干早食いな気がするのは、料理が美味なのもあるが、いつ来るかわからない襲撃に備えたいという軍人的本能がそうさせているのだった。

「来ると思うか、襲撃」

「まあ来るでしょう。畏れ多くも魔王陛下の討伐が目的ならば、村は無視して、こそこそと王都まで進めばよかった。戦闘回数が少ない方が、奴らには効率が良いでしょうから」

「しかしそうしなかった」

「はい。いちいち殺して回るとこ見ると、一行は魔族の虐殺も目的としていると思われます。そんな奴らがここを見逃さないはずがありません」

 しかし疑問は残っていた。なぜ四人だけなのか。

 ヒト国は外征軍でも率いて殴り込んでくれば良いものを、たった四人しか送らなかった。

 軍の動員を避けたかったのか、あるいは──

「──あの四人で十分なのか」

わからないことだらけだ。

 捕虜の一人でも捕れば違うのだろうが、ヤーゼフは森での邂逅を思い出し、首を振った。

 あの状況で奴を捕虜にとるなど、不可能だった。無理なことを後悔しても仕方がない。

 ヤーゼフはエルビスに話を振った。

「奴ら、どうやってエルムの森を踏破したんでしょう」

 口にしたのは、疑問の一つ。奴らがあの森を抜けるには、最低でもあと一日二日待たなければならないはずだった。

「それが不思議だな。行軍距離を縮める術式でも使えるというなら、王都へ至るのも時間の問題だよ」

「ヒト国固有の術式に、そんなのありましたかね?」

「それが聞き覚えないんだよなあ──」

と、エルビスは動きを止め、またもや思案を始めた。

 指先で空中にくるくると螺旋を描く。

 顔をしかめて、ぼそりと呟いた。

「──妖精茸の円陣」

 溢れた言葉にヤーゼフは目を丸くした。しかし、すぐに否定の言葉を発する。

「ありえませんよ、そんなの。おとぎ話じゃないのですから。」

「そうだよなあ」

 エルビスは机に突っ伏した。普段はこういう人ではなかったのだが、やはり疲れているのだろうか。

「それで、その襲撃はいつごろでしょうかね」

その問いに、エルビスは突っ伏したまま即答する。

「少なくとも明日、日が昇ってからだな」

「まあ、そうでしょうね」

 夜間の戦闘は効率が悪い。

 視界不良での指揮は困難だし、飛竜の飛行も安全とは言い難い。

 つまり、今来られたら困るのだ。

「どうします?相手に夜の戦闘はしんどいという軍事的常識が通用しなかったら」

「常識もなにも、武器を振るい戦う者ならば理解して当然のことだろう。闇討ちとかあるが、あれは例外だな」

 まったくもって、そのとおりだ。と二人は顔を突き合わせて笑った。

 ヤーゼフは少々焦っているように見えたエルビス大尉を心配していたが、今の彼を見る限り、当分は大丈夫なのかもしれない。

 ああ、本当に。──今来られたら困るな。

 ヤーゼフは酒分抜き葡萄酒を一気飲みし、その硝子酒器グラスを机に音を立てて置く──


 どん。


 食堂の全員が動きを止めた。

 音の正体がヤーゼフによるものではないことは明白だ。

 何故なら、兵舍の隣、昨日ヤーゼフが駆け込んだ本部詰所の屋根が真上に吹き飛び、これから起こる事のために用意した未決裁の戦闘計画書や今月分の給与明細などがまるで天使の羽のようにひらひらと舞い落ちてくるところを、みんなが目にしていたからだ。

 誰かがフォークを落とした音が、やけによく聴こえた。

「ホーフェン曹長そうちょう!」

 エルビスが怒鳴った。沈黙に支配されていた食堂の空気が、一気に張り詰める。

 呼ばれた下士官、壮年の土精族ドワーフは手を挙げて答えた。

「大尉殿、ここにおります!」

「本部附隊つきたいは詰所の消火に当たれ!」

「了解」

 ドスドスと走るホーフェンは本部附隊の歩兵十数名とともに兵舍を飛び出した。

「誰でも良い、空に上がって状況の確認を」

「私が行きます」

 ロベルト中尉も飛び出した。

「残りは飛竜の用意だ。焦るなよ。この暗さだ、混乱すれば部隊統制は崩壊するぞ。それに焦燥しょうそうは飛竜によくない」

 エルビスが命令を言い終えたところで、勇気ある一人の兵が沈黙を破り質問する。

「中隊長、なにが始まるんです?」

 深呼吸の後、心底不服そうな顔でエルビスは吐き捨てた。

「まったく嫌なことだが、恐らく襲撃だ。なあ諸君。我々は何とも不運な役回りだな?」

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