森での邂逅

 草かげから、毛皮と肉の塊が顔を出した。

 ヤーゼフの構える銃杖は、おおむねそれを捉えている。

 これで六羽目。騎竜兵中隊十二名、一人減って十一名の腹を満たすならば、それで十分なはずだった。

 可食部位を減らさないように射撃術式の威力を抑える。

 ヤーゼフは呼吸を止め、静かに術式を発動させた。

 放たれた光弾は、森兎の僅かに手前の位置に土柱を生み出した。

 しくじったか。

 そう思ったヤーゼフが確認すると、しかし森兎は倒れている。首元には、矢が突き立たっていた。

「は?」

 近隣の猟師だろうか。いや違う。矢の矢羽根がコリスドリのものだ。

 そしてコリスドリは魔王国には生息していない。もっと南の鳥だ。

 すなわち、この矢はヒト国で作られたものである。

 ヤーゼフは眼だけを動かし、矢が飛んできたであろう方向を見る。人影があった。

「中尉殿」

 状況を飲み込めてないのか、困惑を滲ませた声を発するヘルゼルを無視して人影に銃杖を向ける。

 あちらも気づいたようで、弓を引く音が微かに聞こえた。

「誰だ!」

 人影は十中八九敵だ。それでも、術式を発動せず銃杖を撃たずにすむ可能性を信じて声をかけてみる。

 しかしその返答はとても穏やかとは形容できなかった。

 ひゅんという音。一瞬後にはトンという音。

 見れば、二人のすぐ近くの樹木に矢が刺さっていた。

 ヤーゼフは即座に判断する。あれは敵だ。

 射撃術式により銃杖から放たれる光弾を、人影はひらりひらりと避けていた。

 足場の悪い森の中であれほどの動きができるのか。

 敵の身のこなし、そのうまさにヤーゼフは感心していた。と同時に命令を発する。

「ヘルゼル、退くぞ」

「は、はい!」

 ちくしょう、またか。昨日も似たような目に遭った気がするぞ。二日続けてこんな目に遭うとは、そろそろ僕の運も尽きてきたか。ヤーゼフは心中にそう愚痴りながら盛大に顔をしかめる。

「一応確認すべきだよなあ」

 ヤーゼフは開けた場所に出ると、足を止めて振り向いた。

「どうしたんです、中尉殿。追い付かれますよ!」

「交戦規定に従い、問い合わせようと思ってな」

まったく、いつもこうだ。

 規則、規定、決まりごと。

 戦争って、つまるところそういうもんだよな。

 そう考え腹を括ったヤーゼフは、士官学校で習ったヒト国公用語で呼び掛けた。

「貴殿らは何者か!如何なる理由にて我等が領域を侵犯せりや!」

 記憶を頼りに叫んだのは古びた野戦条約に基づく呼び掛け文。

 埃を被っているような規定文でも、覚えておくと役に立つときがくるものだ。

「なーいっとうが?アルザスことばしゃべーや!」

 そう返しながら出てきたのは、短弓を携えた細身の若者。

 かついだ槍斧をみるに、昨日粘体族スライムの青年を両断していたあのヒトだろう。

 間違いない、こいつは昨日の襲撃者、その一人だ。

「中尉殿、わかりました?」

「いや、訛りが酷くて聞き取れん」

 括った髪を揺らしながら面倒そうに顔をしかめるヒトを睨みつつ、ヤーゼフは静かに術式を構築する。

 穏やかな森に緊張感が流れ込む。

 それが数秒だったのか、数分だったのか。いくばくかの時の流れの後、ヒトの若者、体つきをよく観察すれば、女性だろうか。彼女は問いかけてきた。

「な、あーたら。フェルグスっちゅう魔族知らんけ?」

「フェルグス?」

 器用に固有名詞だけを聞き取ったヘルゼルが首をかしげる。

 その名を持つ魔族は何人か心当たりがあるが、ヒト国の住民と接点がある人物をヤーゼフは知らなかった。ヤーゼフは相手に伝わるよう、多少くだけたヒト国公用語で返す。

「知らないな。それがヒト国に侵入した賊で、うちの警務署が目をつけているんなら記録があるかも。問い合わせてみるといい」

 もちろん問い合わせるには王都にあるヒト国大使館の発行した証書がなければいけないが。

「あーたら、そん見てくれは警官じゃないんかね」

「違うね」

 ヤーゼフの頬に冷や汗の筋ができていた。

 当然だ。ただでさえ訛りのきついヒト語を聞き取り、くだけたかんじを意識したヒト語で返さなければならない。

 そんな芸当ができるまでに他言語を習うのはせいぜい外務院勤めの役人くらいだろう。

 少なくとも、士官学校で行われる言語教育は他国士官とのやり取りや公文書の読み取りに使うお堅いことばつかいを身につけるものであり、決してこんなくだけたことばつかいは習わない。

 自分たちに訊いても仕方ないことを悟ったのか、彼女は手に持った森兎を投げて寄越した。

「ま、えいわ。私らはあーたらの王さん討ち取りにきたんで、ここでやり合うこともないやろ。これやるわ。しかし会ったのが私で良かったなあ──」

 彼女は終始変えなかったその面倒そうにしかめた顔を向け言った。

「──あいつに見つかっとったら、あーたら殺されとったで」

 黒と緑に染まっている森に姿を消す彼女の背にそれとなく向けた銃杖の先を、ヤーゼフは彼女が見えなくなるまで動かせなかった。


「何を話してたのかはわかりませんでしたが、逃がして良かったんです?」

 投げて寄越された森兎の血抜きを行っているヘルゼルは、銃杖から手を放さないヤーゼフに尋ねた。

「ここ、少し開けてるだろう。使いにくいとはいえ、あの槍斧を振り回されては僕らは終わりだったよ。僕らには銃杖一丁と大振りの山刀が二本しかなかったからね。白兵戦にならなくてよかった」

 ヤーゼフはいつも通りの声色で話したつもりだったが、緊張はヘルゼルに伝染しているらしい。ヘルゼルは頷くことしかしなかった。

 これはいけないな、とヤーゼフは反省する。士官の精神状態が部隊にどれだけ影響するのか、ヤーゼフは十分に学習してきたつもりだった。まだまだ経験が足りないようだ。ヤーゼフは苦笑した。

「本部には?」

「当然報告する。なにより、奴らはこの森を抜けるのにあと一日二日はかからなければならないはずだ」

それがもうこんなところまで抜けてきている。

 実に不思議で納得のいかないことではあるが、時間がないのは事実である。ヤーゼフは深呼吸を行ったあと、若干重く感じる腰を上げた。

「帰投するぞ、ヘルゼル。中隊の奴らにはやく肉を食わせてやろう」

「はい、中尉殿」 

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