予期し得ない戦闘の準備

 出動した警務署から送られた報告は、早朝の中隊本部に緊張をもたらした。

 報告の内容は次のようなものであった。

『詳細不明敵対集団(以下、襲撃者集団と呼称)は、付近の村を回り住民を殺害のうえ略奪を行う。

 派遣された警務部隊(長耳族エルフ三名、警衛人形ゴーレム一体)はこれと交戦。

 襲撃者集団に軽微なる被害を与えるも全員公死こうしす。

 襲撃者集団は北進を開始、エルムの森に入る』

 襲撃者集団は略奪してヒト国に引き返すのではなく、そのまま北進した。

 普段確認される賊ならば、とっくにヒト国へ引き返すはずだ。なにも好き好んで魔族が跋扈する魔王国の領内に留まる必要がない。

 これにより確定した情報は一つ。この集団はいつもの賊とは違う、れっきとした侵攻者であるということである。

「エルムの森を抜けるには二日三日かかります。森を抜ければ、ここの目と鼻の先です」

 副長のロベルト中尉は地図を指差しながら言った。森を抜けた襲撃者一行が、ここを襲う可能性があるのだ。

「しかし上から何とも言われていない以上、戦闘計画をたてて実行するという『ちゃんとした戦闘』は行えません。ですが──」

「部隊が襲撃を受けたことによる突発的な戦闘は自衛戦闘として定義され、魔王陛下とその議会が定めたる軍法には抵触しない」

「ええ、その通りです。大尉殿」

 エルビス大尉はまたしても黙考を始めた。


 ヤーゼフが飛び帰ってきてから、明らかにその回数は増えている。

 灰皿にそびえる細葉巻の山は、彼がその頭脳を酷使していることを物語っていた。

「ロベルト中尉、一応戦闘計画をたてろ。決裁のサインは書くなよ。上から軍令がきた時点で決裁し、計画を有効にする」

ロベルトはああ、なるほどと頷いた後了解した。

「シルヴィウス中尉、"起こるかもしれない"戦闘に備え、衛隊兵站へいたん部より物資をもぎ取ってこい。理由は、そうだな。『頻発する野盗に対する警備態勢の強化』とでも言い訳しておけ」

「具体的なご注文は?」

「グレナデスに使った分の医薬品、あれば射撃術式の弾数補充術薬、あとは──メシだな」


 軍隊とは国家機関、である前に人間の集団である。

 そのシステムを機能させるには動く歯車の腹が満たされていることが大前提。腹を空かせた兵隊など何の役にも立たない。

 ありがたいことにそれを理解してくれていた魔王国軍監部は、一八〇〇年代に入ってすぐに当時の魔王の主導のもと、軍制改革に乗り出した。

 そして真っ先に着手したのが糧食りょうしょく、もとい食べ物である。

 そして、それまでのビスケット──固いわ味はしないわ嚥下するのに多量の水が必要なブツ。別名石板──に変わる主食に選ばれたのがこのイモパン。書類上の正式名称で言えば、一八〇四年式第一種主食だ。

 小麦粉に増量の為の芋粉いもこを混入し焼き上げたこのパンは腹持ちが良く、もしも穀倉地帯が主戦場となった場合でも小麦の使用量を減らせるため量産態勢の安定性が向上するという、まさに新世紀の到来を思わせる新たな軍用主食!となるはずであった。

 賢明な読者諸氏はもうお気づきかもしれない。

 そう、味である。

 上質とはいえない小麦粉の、それでも微かに残っていた甘味を、混入してきた芋粉が完全に殺してしまっていた。

 育ちの良い表現をするならば、「濃いめの乳酒にゅうしゅで流し込めば、なんとかなるかもしれない」。

 培ってきた語彙をかなぐり捨てて表現するならば、「こんなクソ不味いモン食って戦争できるか!」である。

 軍監部は正しく問題を認識していた。そして起こした行動も間違ってはいなかった。

 しかし、結果はこれである。この話は「問題を正しく捉えていても、対応を間違えれば元も子もない」という教訓と共に、何事もなければ今年も入ってくるであろう士官学校の少尉候補生連中の頭脳に刻み込まれるのだ。


 不味い食事は士気に重大な支障をきたすという全ての魔王国軍士官が頭を抱える問題を、やはりヤーゼフも承知していた。

 ヤーゼフ自身、グレナデスという同僚が死んで、その上不味い食事で気分と雰囲気最悪な部隊を以て"予期し得なかった"戦闘を行うのは是非とも遠慮したい。

 よって、「エルムの森の浅い所で森兎もりうさぎでもなんでも狩ってこい」というエルビス大尉の命令には賛成していた。

 もっとも、ヤーゼフが駆り出されたのは、彼が中隊の本部附ほんぶつき兵站管理官──食糧や術薬といった物資の管理や施設の修繕といった兵站分野の担当者──だという理由によるものだ。

「そういえば、ヘルゼル。きみ、料理が得意なんだってな」

 ヤーゼフは自分が森に行くと決まったとたんに随伴を申請したヘルゼル一等兵に話しかけた。つい昨日、同期の友人が死んだばかりの彼は、言語化し難い不安からか、頼れる人物に着いていきたいようだった。

 部下から信用されているのはいいのだが、ヘルゼルの精神状態には注意しなければならない。

 うまく持ち直してくれると良いのだが。

 そう思って会話を試みているのだ。

「ええ、実家が街で酒場をしていまして。それなりに心得はあります」

 素直に返事が来たことにヤーゼフは安堵した。少なくとも、ヘルゼルは何も話せないほど沈んではなかった。

 それならば十分に立ち直れる。いや、この瞬間でさえ彼は前を向こうともがいているのかもしれない。

 なんだ、わりかし心配ないのかもしれないな。そう思ったヤーゼフは微かに頬を弛ませた。

「じゃあ、森兎はどう料理するのかね」

「そうですね。余計なことせず、岩塩と香草で焼き上げるとかどうです?イモパンを染み出た脂に浸せば、なかなかいけるかもしれません」

「ほう。今が張り詰めた状況でなければ、いいボトルを開けたくなるな」

「中尉殿、いいものをお持ちで?」

「ああ。自慢の一本だ。四七年モノでね、いつか何かの記念に開けようと、少尉候補生の頃買ったものだ。酒屋の主人曰く、先王陛下の即位年のものらしい」

 部下と円滑な関係を築けていることにヤーゼフは気分を良くした。

 やはり良い組織は良い人間関係からだ。

 もちろん、グレナデスの死を悼んでいないわけではない。ヤーゼフもヘルゼルも、人間として一人の若者の死を惜しく思っていた。

 しかし軍人としての彼らは違う。ヤーゼフは自分の精神が部下の死に引っ張られて合理的な判断ができなくなる可能性を危惧し、故意に意識を切り離している。

 それは士官として、得難い才能だ。

 一方のヘルゼルが、それなりに精神の安定を保っているという事実は驚くべきことであった。

 今の状況で錯乱しても、良いことなど無いということを感じ取っているのだろうか。あるいは、穏やかな時間の流れを感じさせるこの森が、精神に作用しているのだろうか。

 とにかく、こいつはいいな。とヤーゼフは思った。この兵を育ててみたくなった。この少年がどこまで行けるのか見てみたいという、どこか身勝手な欲望を覚えてしまうほどに。

 そういえば、とヤーゼフは思い出した。

「僕は昔、教師になりたかったのだったな」

ぼそりと呟いたそれは、流れるそよ風に掻き消された。

 春の陽射しが木々の枝で構築された屋根を突き抜け、二人を照らしている。

 ゆっくりと流れているように感じる空間は、敵の気配をも消していた。

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