魔物日誌<モンスターレポート>その裏の物語

ネア・イル・エマストル

 朝起きて、館の主人の不在を確認する。

 居ないことが当たり前のあの常識無しだが、油断はできない。


 もう一人、館の執事が居るはずなのだが、ここで普通に毎日暮らしている私ですら滅多に姿を見ることがないのでそこは気にしない。

 何時か気が向いたら、あちらから姿を見せるだろうから。


 風の噂で、というか、烏の知らせで、あの常識無しが弟子を取ったと言う事を知らされた。

 烏の気遣いさまさまである。


 ―公式試合、もうそんな時期ですか。


 この館の庭は、精霊と魔力であふれ、季節感と言う物を更々感じさせない。

 その庭の手入れをする私も、正直なところ、やや世間ずれし始めていることには間違いないのだけれども。


 ―あの常識無しのことです。恐らく、何も考えていないのでしょうね。


 私はいつも通りの日課をこなす。

 一人分の軽めの朝食、庭の手入れ、部屋の手入れ、自身の手入れ、剣の手入れ。

 本来、部屋の片付けやら風呂掃除などは執事の仕事な気もするのだが、「彼女」の執事たる仕事は別にある。

 簡単に言えば、この家の全般の家事は私の仕事だった。

 と言っても、そのほとんどは、自分のためだけになってしまっているのだが。


 ―そう言えば、キースが前に帰ってきたのは、何時でしたっけ。


 思い出そうとしてそれがどうでも良い事だと、我ながら気付く。

 時間の概念が今一つ欠けるここの暮らしの中で、それは正直なところ大きな問題ではないのだから。


 ―流石に今夜は客人がありそうですね。


 久しぶりに食材の確認をするため、食堂へ向かう。

 塩漬け肉、新鮮なままの卵と野菜に果物。滅多に開けることのない、酒。

 小さな客人をもてなすには十二分の量がそこには備蓄されていた。

 ひとまず、食料は安心。


 もう一つ別の予感がしたので、湯を沸かし始めた頃。

 その客人が、珍しく館を訪れた。


「ネア、いる?」

「これは、ルアン・ルー。お久しぶりです。」


 むくれた顔をした、この世界でも稀有な精霊使いであり、キースの数少ない友人、知りたがり屋のルアン・ルーと謳われる客人がそこに現れた。


「あの物持ちのこと、聴いていて?」

「物持ち、ですか?詳しくは知りませんが、エルゼヴォーダが…」

「ああ、もう、それ!それよ!」

「それ、ですか。」


 私は含み笑いを隠しつつ、ルアン・ルーの好きな薬草茶を入れる。

 乾燥した果物と、甘みのある薬草で抽出するそれは、栄誉あるこの精霊使いから『星霜の静寂』の名を頂いていた。


「ネアは、エルゼヴォーダについてちゃんと知っているの?」

「はい、キースからの説明ですが。」


 キースの弟子を意味する言葉、と賢者省および勇者省の一部の者は理解しているが、実際、そこにはもう一つ深い意味がある。


「継承者、よ。継承者。キースの乗りの良さにも程があるとは思わなくて?」


 淹れたばかりのお茶を飲みつつ、ルアン・ルーは苛立ちを隠せずにいる。

 弟子がそのまま継承者になる、というそんな軽い意味ではなく、大賢者であるが故の特性を受け継ぐ器に足ると認めたという意味合いらしく。

 私が知っている限り、エルゼヴォーダの名をもらったのは、今日の子で二人目だった気がしたのですが。


「そうですね。私もまだ噂でしか知らないので、宜しければ教えて頂けますか?」


 失礼のないよう下座の席に腰かけ、ルアン・ルーが一息つくのを待つ。


「ネアには教えてあげるわ。キースもまだあれを見極められていないのよ。」


 面白いから、キースには黙っておいてねと念押しまでされて続けた言葉は、こんなことだった。


「あの物持ち、魔傷ましょう持ちよ。間違いないわ。」

「魔傷、ですか。」

「ええ。じゃなければ、この子たちがここまで怯えたりするもんですか。」


 ルアン・ルー曰く、魔傷にはいくつかあるとのこと。

 一つは、強力な魔力で傷付けられた為に体内の魔力の流れが途切れて、そこから魔力が流れ出てしまうもの。

 これは軽傷にあたり、それなりの治療で何とかなるということ。

 一つは、そのまま外部の魔力に浸食され続け、自身の魔力自体が失われてしまうもの。

 所謂重症。それなりの力をもった者が治療にあたる必要があり、下手をすると命に係わるということ。

 一つは、その傷がそのまま相手の身体から新たに芽吹き、呪いにも似た別の効力を発揮するもの。

 致命傷ではあるが、目立たず、何より本人の自覚がないままに命が削られて行くというところが厄介なのだとか。


「古い魔傷ね。とは言え、古いだけの傷なんて、私からしたら大したこともないのだけれど。」


 ただあのキースには、それすらも見えて居ないと彼女は言う。


「可能性はありますね。何と言ってもキースには、残念ながら一般常識がありませんし。」

「そうなのよね。私達も大概だけど、キースはそれ以上に規格外だもの。」


 大賢者に敬意を払いつつも、どこか見下す私達。


「ルアン・ルー、お茶のお替りは?」

「頂いてから帰るわ。何だかソワソワするのよ。公式試合のせいかもしれないけれど。」


 精霊使いルアン・ルーは、その特性故に常に精霊からのお節介を焼かれる立場にある。

 ようは、私には見えない所からも、多大な情報を常に与えられ続けている、と言う事であるらしい。


「今年は豊作なようね。」

「なるほど。」


 つまり、勇者や賢者に近い素質を持った者が複数人、残っていると言う事なのであろう。


「と言いつつ、興味はないようですね。」


 私は微笑む。


「そうなの。困ったことね。」


 ルアン・ルーも、とびきりの笑顔を返してくれた。

 彼女にとっての興味、それは、あの大賢者キースフリーその人だけ。


 薄紫色のしとやかな花のような髪色と、鮮やかな橙色と森の緑をそのまま映した瞳。

 この少女の美しさを分からない者は、恐らくそうはいないでしょうね。

 少女、と言っても、確かルアン・ルーは私より年上の筈なのだけれども。


「ありがとう。ごちそう様。私は帰るわ。」

「どうぞまたいらしてください。主の居ない館は、寂しいものですから。」


 ルアン・ルーは再び、温かな笑みを私に向けると、光の中へ消えて行った。


 ―しかし、、ですか。


 ルアン・ルーの嫉妬心はまだまだ可愛いものの、その名を持つ者が今後巻き込まれるであろう騒動は容易に想像が付く。

 私は食器を片付けつつ、間違いなく今夜あたり訪れるであろう館の主とその客人を迎える準備を始めるのだった。



 ―-

 ◆ネア・イル・エマストル

 大賢者アルシュインド邸の『庭師』。高身長筋肉質胸板厚めの女子。

 黒髪長髪姫カットで、透明感のある黄褐色の瞳を持つ。右眼は眼帯で覆われている。

 大賢者キースに雇われているようだが、基本的に丁寧な上から口調。

 青銀製の片手剣を愛用。

 刺突用の細見の剣だが、両刃が付いており、モノを切り刻むにも使えるらしい。

 ルアン・ルーに認められた仲。


 ◆ルアン・ルー

 世界でも稀有な本物の精霊使いの少女。いや、幼女か。

 薄紫色の髪に、緑とオレンジを割り入れたようなに色の瞳を持つ。

 精霊力の影響で成長速度が遅いが、実際は相当な大人。

 大賢者キースフリーにしか興味がない。


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