初めての野外作戦
言われるがままに歩いて行ったその先には、大きな円錐上の建物が繋がっていた。
中央とは打って変わって、柔らかな雰囲気を持つ木材と積み上げられた石で作られたその建物が、所謂、冒険者組合と呼ばれる<暁の月>、その本部のようだった。
黒い封蝋の、その羊皮紙を握りしめる僕に気付いたのだろうか、奥で羊皮紙の束をまとめていた女性が、不意に声を掛けて来た。
「賢者省より、伝言賜っております。ルクさん、ですね。」
「あ、はい。宜しくお願いします。」
僕は促されるままに、その席に座った。
キースから預かった羊皮紙を彼女に渡す。
「かしこまりました。ではこちらで案内役のお手配をさせて頂きます。少々お待ちください。」
「ありがとうございます。」
僕がここまでくる間に、賢者省からは既に伝言が届いていたのだろうか。
ただいまの僕が考えてもきっとあの、大賢者キースの考えには及ばないだろう。
それに、あの笑顔はきっと何か別の思惑があってのことだろうからと、僕は深く息を吸った。
その場所は、中央通路のあの荘厳な遠さまではいかずとも高い天井があり、その天井には暖かな明かりが灯されていた。
今はまだ大きな窓から差し込む陽の光の中、その存在は目立たなかったが、その橙色の光はこの空間を優しく彩っていた。
僕はキースから預かった手帳を取り出す。
一瞬、表紙の刻印が蒼く光ったような気がした。
僕はざわつく心を抑え、その一枚をめくる。
するとそこには、先程までなかった文字が姿を現していた。
『課題の一つ目。スライム。』
そう、書かれていた。
「え、スライム?」
僕は驚きを隠せず、そう声に出していた。
「はい、そうです。スライムと伺いました。貴方が、ルクさんですね?」
僕の対面に座ったその女性が、僕に声を掛ける。
「初めまして。セーラム・トリリアです。魔導部魔動力学整備士見習いになります。今回、賢者省からご指名賜りました。宜しくお願いします。」
「ありがとうございます、その、ルクです。ルク・エルゼヴォーダ…。」
先程の精霊使い、ルアン・ルーとのやり取りを思い出した僕は、語尾に力を失っていた。
「私のことは、セーラムで結構です。私もルクさんとお呼びします。」
「はい。」
「遠方から遥々いらしたそうですね。」
真新しい保護用の厚みのある眼鏡を頭に掛け、明るい赤毛と同じ用に明るい茶色の瞳。
同じく真新しい革装備、革の前掛け。いかにも整備技師のようなセーラムは、僕より年下のようだったが、目の下に隈を作っており、青白い顔をしていた。
「じゃぁ、早速行きましょう。時間は有限ですから。」
「あ、はい。行くって何処に?」
「何処って…ああ、だから私が案内する訳です。外です。」
「外。」
「はい、外です。」
セーラムはそう言うと、勢いよく席を立った。
僕は慌てて彼女に続く。
「あの、外って。」
「中に魔物が居る訳ないじゃないですか。」
「まぁ、そうなのかもしれないけど…。」
僕は言われるがままに彼女の後ろを歩いて行った。
渦高く聳える城壁、それが独立自治区たるゼノス・アルンと外界を分ける境界線。
その境界線沿いの細い通路を抜けると、そこには、平原が広がっていた。
僕は再び、その境界線の外へ出たのだ。
「こんな場所があったんだ。」
セーラム曰く、組合からの直通経路の一つ、なのだそうだ。
ただ、その平原。
目の前に広く広がる、緑豊かな美しいその草原の、その光景に、僕は驚きを隠せなかった。
そこには確かに、僕の知らない世界があった。
というか、居るのだ。
何というか、居るのだ。
何だろう、まず、何であんなものがこんな街の近くの、草原に居るんだろうか。
と言うか、まさか、あれがスライムなのか?
「流石、探さずとも居ますね。知名度高い最弱の魔物、初心者の味方。と言っても倒す対象ではありますが。」
セーラムはそうサラリと言いのけた。
「待って、セーラム。つまり、その、あれが…。」
「そうですよ?スライムですけど。まさか、ルクさんの実家ってスライム知らないぐらい田舎なんですか!?」
僕の故郷が恐るべき田舎という話はもう、ここに来て嫌と言う程思い知ったので、もう気にしないことに決めていた。
だけれども、やはり、今僕たちの、ほぼほぼ目の前で跳ね回っている、まるで水玉のようなぽよぽよした魔物が、スライムということなのだ。
「セーラム、あの…あの見た目以外のスライムって、君は知っている?」
僕は素直に思ったことを彼女にぶつけてみた。
「もちろんですよ。突起物が生えた奴とか色違いとか、この地域ではいませんが、中には流動型の鉱物のような個体も居るそうですよ。って、ルクさん、冗談じゃなくスライム知らないんですか…?」
彼女はいささか憐憫の情が織り交ざった複雑な目線を僕に向ける。
「いや、その、ちょっと僕が知っていたそれとは、大分違うみたいで…あの、良かったら、倒し方を教えてくれないかな?」
その問いを聴いたセーラムは、口をぽかんと開けたまま僕を見つめていた。
「待ってください、ルクさん。ええと、その、私がアレを倒せばいい、と言う事でしょうか。」
「はい、お願いします。」
セーラムはゆっくりと瞬きすると、深くため息を吐いた。
「分かりました。」
そう言うとセーラムは、腰に下げていた木刀を右手に持つと、そのまま前に歩きだした。
草原には相変わらず、水色のぽよぽよした物体が跳ね回っているばかりで、彼女に気を取られるようなものは存在しなかった。
彼女がその木刀を振り上げたその瞬間、その時に初めて間近で草を食べていた個体が反応したように見えた。
「えい。」
そこまで無感情な掛け声もないだろうという淡々とした声で、セーラムはそのまま木刀を持つ腕を高く上げると、スライムと呼ばれる物体の頂点目指して重力のままに振り下ろした。
するとそのまま、弾けるような音と共に、粘着質の液体が飛び散る。
「はい、倒しましたよ。」
木刀についた粘着物質を振り払うと、セーラムはうんざりした顔を僕に向けた。
「あ、うん、ありがとう。」
「で、拾わないんですか?」
「何を?」
セーラムは僕にまた背を向けると、先ほど木刀を振り下ろしたその場所にしゃがみ込んだ。
そして何かを拾い上げると、僕にその腕を差し出した。
「分かりますか?魔石片です。これはちょっと他の金属が混ざってしまってますが、これがこの魔物の価値になります。」
僕が彼女に慌てて駆け寄ると、セーラムは立ち上がり、その小さな魔石片を僕の掌に置いた。
小指の爪ほどもないその魔石片は、彼女の言う通り、この辺の鉱物が混ざってしまったのか、少し黄色みを帯びていた。
「って言うか、ルクさん、本当にスライム知らなかったんですね…驚きました…。」
「そうだね、知らなかったかな。」
僕がそう言うと、セーラムは突然吹き出し、笑い始めた。
「ちょっと笑わせないでください。流石にそれは地族のお坊ちゃんですらありえない話ですよ。ま、でも、大賢者の秘蔵っ子っていう話は本当なんですね。疑ってしまってすいませんでした。」
何だろう、その、秘蔵っ子と言うのは。
しかもあの大賢者キースの、と言うのは、僕が知っている彼の印象と相まって、そう簡単に腑に落ちるものでは無くなり始めていた。
「今の一撃で倒せて、この収入があるなら、これは便利な狩場だって認識でいいのかな?」
「いえ、ここは<暁の月>の管理区域です。要は初心者広場ですよ。なので、通常は入場料が取られます。」
「じゃ、これは。」
僕は手のひらの上の小さな魔石片をつまみ上げた。
「それはお土産ってことで。お持ち帰りください、初めてのスライム討伐の記念品でございますよ、お坊ちゃま。」
セーラムは一通り笑って満足したのか、さっぱりした顔をした。
「ごめん、セーラム。僕はもうちょっと調べたいことがあるから、いいかな。」
そう言うと彼女は明らかに怪訝そうな顔を再び僕に向ける。
「スライムを、ですか?」
「うん。」
「分かりました。今日は大賢者からの依頼ですので、この広場は私達二人の貸し切りです。と言っても、公募試合期間にここを使うという者もいませんけれども。私は先に組合に戻ってます。」
「ありがとう、セーラム。」
肩を竦めて、僕に微笑んでくれた。
「あ、木刀、使いますか?」
「それは大丈夫。」
そう言って彼女は振り向くと、右手を挙げて横に何度も振っていた。
彼女なりの挨拶、と言う事なんだろう。
「さて…。」
僕がやることは、決まっていた。
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