冒険者組合<暁の月>

新しい世界

「初めまして、君が噂のルク少年だね。」


 遥か天を仰ぐように高いその建物の中央。

 正確には廊下らしいのだが、四方へつながるその通路の中央には大きな水場が設えてあった。

 その水場には、翼の生えた魔物のような生き物の彫像があり、空間に負けじと存在感を示していた。

 荘厳とも思える背景を前に立つ男が二人。

 赤と白、対極な空気を醸し出しつつも、どこか同類に見える二人の男が立っていた。


 僕はその、赤い男に手を差し出された。


「はじめまして、その、ルク、です。ルク・エルゼヴォーダ。」


 不安になりつつも、隣の白い男・大賢者キースを横目に、その手を握り返す。

 しかし、噂って一体何のことだろう。


「私は、ゲルトルード・ヴォン・ウルゲンルーデル。このゼノス・アルンの地族の一人だ。」


 キースに負けず劣らずの、すらりとした身のこなしと見上げるくらいの身長。

 膝下まで伸びる真っ赤な立ち襟の上着。いたるところに金糸の刺繍が施されてはいるが、ある種の幾何学的な模様は華美というよりも計算された様式美を見せていた。

 そして、柔らかい生地とドレープで仕上げられた真っ白な内着は、交互に滑らかな紐状の織物で合わせられ、ほぼ胸の下にまで届く幅広い黒革が、赤と白の世界をその胴で引き締めていた。

 赤い上着の胸には、黒い羽根飾りが仰々しく収まっている。


「しかし、エルゼヴォーダとは!」


 ウルゲンルーデル卿は、声高々に笑った。


「いろいろ丁度良いと思って、ね。」


 キースもそれに笑顔で答える。

 勿論、僕にはそれが何の意味だかはさっぱり分からないままだ。


「あの知りたがりが地団駄を踏む様子が目に浮かぶな。」

「いやぁ、私としてはそれを狙った訳じゃないんだけど。」


 大人二人のやり取りに置いて行かれる僕。


「ああぁ、ごめんよ、ルク。エルゼヴォーダってのは、私の弟子くらいの意味なんだけどね。」


 キースはそう微笑む。


「永くその名を名乗った者が居ない。だからこそ、彼に憧れる者はその名前を欲しがるということさ。」


 ウルゲンルーデル卿は、僕に目配せをした。

 色白の、青みがかった透明な肌に真っ黒な髪。その髪を一つ、後ろで結びあげている。

 その鋭い目つきに端正な顔立ち、その顎には、髪に負けない程の艶やかな髭が生やされていた。


「そういう、名前なんですね。」


 僕は今一つ得心が行かずに首を傾げた。


「しかし君は…大変興味深い存在だな。キースの弟子でないのなら、私が奪う所だよ。」

「残念ながら、ルクは私のものだからね。誰にも渡さないよ。」


 今一つ状況が掴めない僕を他所に、楽しそうな二人がそこに居た。


「あの、ウルゲンルーデル卿…」


 と僕がある疑問を口にしようとしたとその時。


「キース!」


 遠くから、甲高い女性の声が聞こえた。

 だがほんの束の間、声が聞こえたと思ったら、僕の真横にその人は立って居た。

 光の粒を身体にまとったような、白装束の少女。


「やぁ、ルアン・ルー。元気だったかい?」


 キースは優しく声を掛けた。


「で、何なのコレ。」


 その少女、ルアン・ルーは僕を見ないまま、その左指を僕に向けた。

 どうやら、彼女が言う「コレ」とは、僕の事らしい。

 ウルゲンルーデル卿は、目を細め、口に手を当てて笑いを必死でこらえているようだった。


「ルク、彼女はルアン・ルー。ほら、挨拶して。」

「あ、はい。」


 状況が呑み込めないままの僕だったが、言われるがままに頭を下げた。


「初めまして。僕はルク・エルゼヴォー…」

「はああぁつ!?」


 彼女の罵声で、僕の言葉は途中で遮られた。

 そしてようやく、僕に向き直ったルアン・ルー。

 穏やかな暖かい季節に咲く、あの薄紫の慎ましやかな花のような髪色に、その夕暮れを映した湖の、鮮やかな橙色に混ざることなく差し込む深い緑色をそのまま映したかのような瞳。

 幼い印象を受けるが、彼女の気配はそれとは違い、その器から溢れんばかりの強さを感じていた。

 見れば、確かに眩い光が、彼女の周りには光の粒子が飛び交っていた。


「何であんたが、エルゼヴォーダなのよ!在りえないでしょ!」


 外見の印象とは程遠い、その声と口調。

 彼女の左指は、僕を指したままだ。


「ちょっと、キース。何よこの、物持ちが良いだけの子供。」


 物持ちが良いだけの子供、とは僕のことなんだろうけども、それが何を意味しているのかが分からない。


「見てよ。この子たちだって近付きたがらないじゃない。何でこんな子がエルゼヴォーダなのよ。」


 彼女の姿を護るように、纏うように動く光の粒は、明らかに僕を避けていた。

 近付こうとはしなかったのだ。


「まぁまぁ、確かに精霊には嫌われるだろうけど、ルクには飛び切りの才能が眠っている。私が言うんだから、間違いないとは思わないかい。ルアン・ルー。」

「精霊…?」


 僕がそう聴くと、ルアン・ルーは、これまたあからさまに嫌悪の表情を僕に向けた。


「ねぇ、ちょっとキース。この子、精霊すら知らないのよ。どこの田舎の生まれなのよ。」

「そんなに彼に嚙みつかないであげてよ、ルー。いろいろ君にしか頼めないこともこの先出てくるだろうから。彼のことを、少し知っておいて欲しい。」


 キースの言葉に、一瞬目を細めた彼女だったが、その目尻は軽く僕を睨みつけていた。


「分かったわよ。キースの頼みなら聴くわ。この子の為じゃなく、貴方のために。」


 彼女は溜息を付くと、再び僕に向き直った。


「私は貴方をエルゼヴォーダとは認めないけど、キースに頼まれた分だけは認めるわ。それ以外は私に話しかけないで頂戴。いいわね?」


 正直を言えば、何故、初対面の女性にこんなことを言われるのか、その理由が分からなかった。

 恐らく彼女は、キースの弟子になりたくても成れない事情があるのではないか、もしくは僕が理解できない何かが隠されているような、そんな思いが僕には過っていた。


「いいわね?!返事くらいしなさいよ、この物持ち!」


 彼女に気圧された僕は、とりあえず頷いた。


「はぁ。じゃぁ、キース、私は行くわ。そしてウルゲンルーデル卿、ご機嫌よう。」


 ウルゲンルーデル卿は空いている反対側の手を軽く上げ、その挨拶を返す。

 ルアン・ルー、彼女は再び僕を睨み、こう言った。


「精霊のご加護がありますように。」


 僕がその意味を考える刹那、彼女が纏っていた光は更に膨らみ、そのまま消えた。


「あの…どういう意味なんでしょうか…。」


 僕がその疑問を口にした途端、ウルゲンルーデル卿は堪えていたものを全て吐き出すかのように笑い出した。


「いやぁ、ルク少年は随分と嫌われたねぇ。」

「私としては、仲良くして欲しいと、心の底から思っているんだけども。難しいところだね。」


 いろいろ気に掛かる事があるが、僕は一つずつその疑問を解決することにした。


「彼女は、もしかして、精霊使いなんですか?」

「そう、この世界でも稀有な存在。ルアン・ルーは本物の精霊使いだよ。」


 精霊については、話だけは聞いていたが、ああやって目にしたのは初めてのことだった。


「ルク少年。君の故郷では、精霊を使役していなかったのかな。」


 ウルゲンルーデル卿が優しい声音で僕に問う。


「はい。そもそも居なかったと言いますか。見たことはないんです。」


 ふむ、とウルゲンルーデル卿はその漆黒の髭を撫でる。


「ルクの場合はそれだけじゃないんだけどね。気になってるだろ、物持ち、って言葉。」

「はい。」

「それはね、何らかの才能を強く持ってる者のこと。そして精霊は物持ちを嫌うんだ。」

「反発し合うとか、そう言うことですか?」

「いや。この世界の精霊はね、皆、お節介なんだよ。」


 だからこそ、何も持たない者、持たざる者を手伝いたがる。

 なので「普通の人」であればあるこそ、普通に精霊を使うことが出来る、という僕が知らなかった世界の常識。

 僕は初めてそれを知ったのだった。


「そのお節介を焼けない程の力を持ったものは、彼らに嫌われてしまう。それだけの話さ。」

「…よく、分かりません。」


 僕はそのままを口にした。


「ルク。君、術式見えてただろう?あれって才能なんだよ。普通はない。」

「そうなんですね。」


 僕にとってのかつての日常は、どうやら、ここでは当たり前ではない、ということだった。

 そしてその、誰もが、当たり前に、平等に精霊の加護を受けられる中で、精霊使いという名前を冠する者は極めて稀な存在であるということ。

 彼らのお節介だけに頼らない、精霊の使役と関係の構築が可能なのだという。


「ある意味、挨拶みたいなものなんだけども、だからね、その、気にしないで欲しいんだ、その…」

「その?」


 言葉を上手く繋げないでいるキースに代わって、ウルゲンルーデル卿が説明をしてくれた。


「ルク少年よ、そういう物持ちに精霊は絶対に寄りつかない。そう言う者に対して『精霊のご加護がありますように』というのは、つまり、一種の嫌味みたいなものだ。だからそう、あの少女のことは、許してあげてくれないか。」


 再び僕の手を取って、その赤に近い瞳をしたウルゲンルーデル卿が柔らかな口調で教えてくれた。


「はい。」


 要領を得ないままの僕だったが、流れのままに返事をした。

 ルアン・ルー、世界でも稀な本物の精霊使いというその存在に、僕が嫌味を言われたらしいということは理解できたのだけれども。


「正直なところ、精霊の加護が使えないのは多少不便かもしれないけど、ルクなら問題ないと僕は信じている。という事で、早速、調査に行ってみよう!」


 キースは、懐から革張りの、掌ほどの手帳を取り出し、僕の手に乗せた。


「調査、ですか?」

「そう、調査。修行と言い換えてもいいかな。今日このウルゲンルーデル卿を紹介したのも、いろいろ彼のツテを利用させてもらうからだよ。」


 その手帳は、恐らく高価な獣皮紙(じゅうひし)で作られているのであろう、黒く、雨に濡れたようにしっとりとした光沢を放っていた。

 表紙に魔術式らしい刻印があり、中は滑らかな白い皮でまとめられていた。


「利用ねぇ。」


 ウルゲンルーデル卿がわざとらしく肩を竦める。


「まぁまぁ、もちろん、借りは作らないよ。」


 それは楽しみだ、とその人は軽く微笑んだ。


「ルク、まず君にお願いしたいのは、この自由都市周辺の魔物の調査だ。」

「魔物の、調査ですか。」

「うん、そう。賢者への道は意外と地道で地味な処から始まる。出来るかい?」

「はい、分かりました。」


 今僕が出来ることは、恐らく、キースの言う通り、地道で地味な魔物の調査からなのだろう。

 僕が、僕自身当たり前だと思っていたことと、そうでない事を知るためにも、もしかしたらこれは必要な事なのかもしれない。

 何より、大賢者様が必要と言うのであれば、それは恐らく、意味のあることに違いなかった。


「宜しい。じゃぁ、まずはこの廊下伝いに真っすぐ、中庭を通ったその先に組合がある。そこでこれを渡して。あとはあっちで説明してくれるから。」


 キースは再びその懐に手を入れると、黒い蝋で封をされた羊皮紙を取り出した。


「この自治区の冒険者組合、暁の月。もし困ったことがあったら、僕の紹介って言えば大丈夫だから。」

「分かりました。」

「うん。今回は試験的な意味もある。難しい事はないよ。期限は明日朝まで。出来るかい?」

「はい。やれるだけのことをやってみます。」


 僕は二人に頭を下げ、言われるがままにその通路を駆け抜けた。

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