第2話 大賢者

 前を向いたら空だったので、下を向いたら地面だろう。

 そう思い下を向いたら、地面処の騒ぎじゃなかった。

 自由都市、そう、この独立自治区が一望できる高さだった。


「はい、ようこそ~。ゼノス・アルン独立自治区へ。改めて聴くけど、君は公募試合に参加するために来たんだよね?」


 僕はその白い男の衣に半ば包まれるような形で、空に浮いていた。


「はい。」

「ふむ。つまり『勇者』になるために、ってことだよね?」


 2年に一度、この自由都市で行われる公募試合。

 それは『勇者』になる権利を得るための御前試合のことだ。この場合の御前、は、そのまんま『勇者』を意味する。

 つまり現役の、世界の英雄の象徴、その最高職である『勇者』の後継者、その候補を公募する。

 身内の血が濃くなり過ぎないようにと、先々代の『勇者』が定めた催しなのだそうだ。


 僕はその『勇者』を目指して、はるばるこの自由都市にやって来た。


「見ての通り、この空には今、君と僕しかいない。だから単刀直入に聴くんだけど…」


 胡坐をかくように浮いているその白い男は、再び僕の眼を見た。

 碧、という色はきっとこの眼のことを言うんだろう。

 良く見ればその碧の瞳には金色の楔のような模様が入っていた。


「君は『勇者』になって何がしたいの?」


 それは唐突な質問だった。

 僕は正直なところ、割と必死に『勇者』にならなきゃいけないと思ってきたけれど、それは昔の約束の話。

 世界を変えよう、世界を良くしたいと思ったことが始まりだった。


「世界を、良くしたいって、思ったんです。」


 僕はそのまま答えた。


「了解了解。良い答えだね。じゃ、君、勇者じゃなくて賢者にならない?」


 白い男は満面の笑みで僕に問う。


「え、あの、その、賢者ってそもそも何ですか?」


 僕は『勇者』のことは教わっていたけれど、賢者については何も知らなかった。

 知らされていなかった。


「うわぁ…分かっていたけど割と凹むなぁ…。いいかい、賢者って言うのはこの世界で勇者に並ぶ唯一の存在なんだよ。」


 分かりやすくだらりと肩を落としたその、白い男、自称『賢者』は語り始めた。


「仕方ないことではあるよ。世界の秩序を守り、魔王を倒す宿命を背負う『勇者』ってそいうのが、一般的な認識だからね。」


 そう、一般的、とやたら力を込めて言った。


「じゃ、改めて自己紹介。この自治区を収める二省が最高技術部の長。賢者省筆頭で現大賢者。キースフリー・カラムクルス・ディム・ルゼヴォード・ナザーグルズ・クルヌンド・デンダリアム・ナ・アルシュインド。宜しく。」


 僕の眼のまえに彼の腕が出され、僕はそのままの勢いで固い握手を交わした。

 この自由都市の仕組みを未だ分かり兼ねている僕だったが、この男が偉い立場である、ということはその名前の長さからも直ぐに分かった。


「長くて面倒だから、キースでいい。」

「はい。僕の名前は…」

「待って。」


 大賢者キースフリーは、僕の言葉を遮った。


「いいかい。君の名前はルク。忘れないでくれ。君が羊皮紙に書いた名前、あれ、古代文字なんだよね。自覚ないかもだけど。」


 古代文字しかない僕の故郷って、どれだけ辺境だったんだろうか。

 ここに来てから見た文字の数々は、何というか、書き崩されていれ、逆に僕には読みにくいと思っていたんだけれど、確かに、それらが進化した形だったのかもしれなかった。


「あれって、本来書くだけでも相当に大変なはずなんだよね。だから君には飛び切りの才能が眠ってるって私は思う訳だ。」

「でも、僕が知っている発音と、その、少し離れている気がするんですが。」


 僕の名前は少なくとも、ルクという音ではない。

 それは間違いない事実だと思うのだが、ここに来て僕は自信を失いつつあった。

 正直、僕は僕自身が思っていた以上の辺境の田舎生まれらしく、いろいろと、その、言葉以外でも間違いが多いようなのだ。


「そうだね。実際は違う。だからこちらの言葉に私が翻訳した。ルクって呼び名は嫌かい?」


 大賢者キースフリーはその右手を僕の肩に置いた。

 その手は、白い絹の手袋越しではあったけど、温かかった。


「いえ、別に嫌ではないです。」

「じゃ、ルクね。決まり。」


 そのまま僕の肩は音が出るほどに勢いよく叩かれた。


「まぁ、そだね。ただのルクでもここでは困るから、ルク・エルゼヴォーダって名乗ると良いよ。」

「ルク・エルゼヴォーダ?」

「そ。ま、細かいことは後でね。」


 良く笑う人、そういう印象を持たずには居られない人だ。

 余裕のある人間は良く笑う、という事だから、きっとこの大賢者という人は、そういう人なんだろうと僕は勝手に思い始めていた。


「ってことで、君、私の弟子でいいよね?ルク、僕の眼が間違いないなら、君は勇者を超える大賢者になれるよ!」


 自由都市に来て分かったことだが、僕は意外とこの世界の常識を知らない。

 だから正直、この人が言ってることが何を意味しているのか理解出来ない。

 ただ、僕の肩に置かれたその手の温かさと、余裕溢れるその笑顔を、何となく、何となく信じても良いのかな、と僕は思い始めた。


「あの、大賢者になれば、世界を変えることは出来ますか?」


 僕は僕の本分を忘れた訳じゃない。

 僕は世界を変えるため、世界を良くするためにここに居るんだ。


「もちろんだとも。」


 現大賢者、キースこと、キースフリー・カラムクルス・ディム・ルゼヴォード・ナザーグルズ・クルヌンド・デンダリアム・ナ・アルシュインドは、とても楽しそうに笑っていた。

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