第42話「肩凝」



 いつの日にか報道されていた連続通り魔殺人事件の加害者が逃げ出した件について新しい情報が公開された。しかしそれは残念ながら喜ばしい情報というわけではなく、むしろ悲しい情報だった。


 マスメディアが言うには慎司が住む家付近に出没したらしい。


 近くに通り魔がいるのかと思うとおちおち外へもでられない。


「しばらくは家に待機しようか」

「それがいいかもしれないわね。下手に外へ出て遭遇する確率を上げる必要はないもの」

「日用品に関しては僕が買ってくるから涼音ちゃんは絶対に外へは出ないでね」

「私も一緒に行ったらダメ?」

「だめ。涼音ちゃんの命は僕の命よりも大事だし、僕だけなら逃げ切れる自信があるから大丈夫だよ」

「逃げ切れる自信?」

「こう見えて、足は速い方なのです」


 足が速いことをカミングアウトした慎司。

 基本的に足の速い人ほど、自分で足の速さを自慢する人は少ないのだが、慎司はその考えに至っていなかった。しかも、残念ながら慎司の自信の源となっている短距離走のタイムは今から三年ほど前の中学生の時のものになる。それから運動でもしていればまだそのタイムは維持できているかもしれないが、デスクワークが増えて身体を動かさなくなったため、きっと今はその自慢のタイムを出すことなどできないだろう。


 涼音はそれを薄々感じていながらも水は刺さないように、とあえて何も言わなかった。


「じゃあ、お任せするわ。代わりに家の守りは任せてね」

「念のために家にはオートロックと網膜認証をするようにプログラムした機械を玄関につけておくから。あ、それと近くに防犯カメラをつけてインターホンから覗けるようにしてあるから、出る前には必ず確認してね」

「ここって賃貸よね?」

「そうだよ?」

「それなのに、こんな改造していいの?」

「大家さんに話してみたら、好きにしていいよって言われたから大丈夫だと思う。ここの大家さんとは住む前から仲良くしてもらっているから僕がプログラム組むのが好きなことも知ってるんだ。よく褒めてくれるよ」

「そうなのね......。旦那様ってすごいのね」


 感嘆しているような、すごすぎて呆れているような、そんな称賛を送られる。


「あはは。ありがと」

「旦那様に作れないものはないのかしら」

「作れないものはいっぱいあるよ〜。でも時間と労力さえあればいつかは作れると信じてるけどね」

「む、無理しないでね」

「ありがと。翔先輩も身体にストレスだけはかけるなよっていつも言うからそこには気をつけてるんだけど、最近肩が......」

「よしよしどれどれ、この可愛い新妻ちゃんが旦那様の凝りを解してしんぜよう」


 急に元気になった涼音がくるりと慎司の背後に回り込み、慎司の肩を少し揉んで確認する。

 慎司の肩凝りの原因はおそらくパソコン作業だろう。涼音が見ている時にはいつもパソコンと睨めっこをしていて、目にも止まらぬ速さでタイピングしていることが多かった。

 休憩を撮るように言ってもなかなかしないのでついに身体が悲鳴を上げてしまったのだろう。


 翔が気を使うのも頷けると言うものだ。


「お客さん〜、だいぶ凝ってますね〜」

「そうですか?最近凝りが酷くて」

「ご職業は?」

「プログラマーです、一応」

「パソコンを使うのかな?」

「そうですね、一日中パソコンと向き合ってることもあります」

「独身ですか?」

「いえ、可愛いお嫁さんがいます」

「仕事中はお嫁さんは何をしているのかな?」

「本を読んだり、家事をしてくれたり、いろいろです」


 涼音がすっかりマッサージ師になりきり、慎司もそれに乗ってお客さんになり切っていた。会話をしているのは実のお嫁さんなのにも関わらず、話はいつしかお嫁さんの話へと移り変わっていた。


「嫁さんのことは大事かな?」

「世界の何よりも大事ですよ」

「その割には最近、お嫁さんに対してそっけなくないかい?」

「そ、そうですか?」


 途端に雲行きが怪しくなっていった。そろそろ雨が降りそうだ。


「お嫁さんも旦那さんが仕事をしているってわかってるから邪魔しちゃ悪いと思ってあえて言ってないだけで実はものすごく寂しい思いをしているのかもしれないよ?」

「さ、寂しいですか?」

「私は寂しいって言ってるように聞こえるわ」

「どうしたらご機嫌を直してくれますかね?」

「そうですね〜、甘やかしてあげたら喜んでくれるのではないでしょうか」

「甘やかす......。マッサージ師さんはどんなことをされると甘えてるなぁって思いますか?」

「え、あ、ん〜そうですねぇ......。抱きしめられたりちゅーされたりしたら流石のクールなお嫁さんでも嬉しくなるんじゃないですかねぇ」

「わかりました、これが終わったら早速してあげたいと思います」


 慎司が勢いよくそういうと涼音はうっと息を詰まらせた後、こくりと頷いた。それはもうマッサージ師のそれではなくただ恋する乙女、可愛らしい新妻のそれだった。


 入念にツボを刺激され、快感とともに眠気まで襲って来るのだが、慎司は肩が軽くなったのを感じ、効果があったことを涼音に報告した。


「ありがとう、涼音ちゃん!これでまた仕事できるよ」

「仕事はほどほどに......」

「ごめん、嘘。甘やかすって言ったから」


 油断させておいて慎司は涼音を抱きしめた。

 ぶわっと一瞬で顔が赤くなった涼音を見て、慎司は嬉しくなった。

 そしてとことんまでに、涼音がギブアップを宣言するまで甘やかした。

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