第41話「朝」
慎司は二日酔いのように激しい頭痛を感じて目を覚ました。慎司はまだ未成年なので酒を飲んだことはないのだが、今の頭痛の正体に近づけて表現するとすれば二日酔い、だろう。
ふわぁ、と大きな欠伸を一つこぼしたのちに、ふと、自分が何の服も着ていないということに気がついた。そしてふと視線を横にすると、そこには同じように何の服も着ていない涼音の姿があった。シングルベッドより少し大きいぐらいのベッドに二人が寝ているといういつもの慎司ならば考えられない事態に少し頭がこんがらがりそうになる。
しかし、兎にも角にも何か服を着て、朝ご飯の用意をしなければ。
慎司は涼音が起きてしまわないようにゆっくりと布団から離れて、近くに落ちていた下着をまとめて洗濯カゴに放り込んだ。慎司は服を取り出して、それをはき、涼音の服については何を着るのかわからないので、とりあえず上下が同じの下着と慎司のファッションセンス皆無の上下の服を掛け布団の上に置いておいた。
慎司は水を沸かしながら、昨日のことについて考えていた。
今まで感じることのなかった「女の子」の感触。それに涼音の今までにみたことのない表情。さらには今までに感じたことのない快感。
その全てが存在していた濃い夜だった、というのを慎司はいやがおうにも思い出さざるを得なかった。
「あっ、やばばば......」
沸かしていた水が溢れそうになっていたので慎司は慌てて、火を止めて、コップに注ぐ。朝一は白湯を飲む方が健康にいい、と言われているらしいが、慎司はまだまだこれからを生きる若者である。そのために白湯よりもコーヒーを好んでいる。今日も頭をスッキリさせるという名目でコーヒーを飲んでいた。
一線を超える、というのは一体どういうことなのか。
ふとそんな質問が脳裏に浮かんだ。実体験を経てからもよくわからない、というのが本音だ。前後で何か考え方が変わったわけでもなく、超人的な力を得た訳もない。何も変わらない日常がそこにはあって、慎司はそれに合わせるように生活している。
ずずず、とコーヒーを啜ってもなかなか自分を納得させられるような説は湧いてこなかった。
「お、おはよーございます」
「あ、涼音ちゃん、おはよ〜」
「服、新しいの用意してくれてありがと」
「どういたしまして。ついでだったから、気にしないで。それより、朝ごはんできてるから顔洗って、食べてね」
「うん......。そうする」
涼音はふわぁ、と大きな欠伸をしたのちに洗面所へと消えていった。慎司の言うことをしっかりと守って、顔を洗いにいったのだろう。
下着も置いていたのだが、その点については触れられなかった。慎司は少しだけではあるが、下着のことについて一言、二言、小言を言われるのではないか、と不安に思っていたのだが、特にそのようなことはなく何事もなかったかのように接しられた。
これが一線を超えた効果なのだろうか。
確かに、今日以前の涼音ならば多少の恥じらいや、やんわりと断りを入れてきそうな気がする。
「慎司く〜ん、ごめん、タオル取って〜」
「あ、ごめん、忘れてた」
慎司は洗ってそのままだったタオルの存在を思い出し、慌てて涼音の元に届けた。
「全然気づかなくて......。顔洗ってタオル探したらなかった」
「昨日するつもりだったんだけど、すっかり忘れてて......。もう洗ってはいたから汚くはないよ」
「ありがと」
涼音がタオルで自分の顔を拭き、ぷはっと息を漏らす。そこでスイッチが入ったのか、涼音は先ほどまでの眠気が強そうな表情から一変していつもの勝気な表情になった。
その変貌の瞬間を目の当たりにしてしまった慎司は、心が特にどくんと跳ねたのを感じた。
どきどきと心臓の音がうるさい。
「じゃ、じゃあ僕は戻ってるね」
そう言って逃げ出すように背を向けた瞬間に、慎司の背中にぽすん、と衝撃が加わった。
それを涼音が後ろから抱きついてきた、という事実に気づくまで、数秒を要した。
気づいた時に危うく声が漏れそうになってしまったが、なんとか抑えた。
「私から逃げないで」
「逃げてないよ」
「うそ。ちょっと逃げ腰になってるでしょ。......それとも昨日の今日でどんな顔していいのかわからない?」
「......」
慎司は答えなかった。しかしその答えなかったと言う行為自体がそうである、と自供しているに等しい。
「私は昨日のこと、後悔したくないよ。だからね、私から逃げないで」
「涼音ちゃんも僕から逃げない?」
「どうして私が逃げるのよ」
「どうしてって......。何となく?」
「私は絶対に逃げないわ。たとえもしも旦那様が私のお願いを無視して逃げてしまったとしたら全力で追いかけて捕まえてしまうぐらいに」
慎司が後ろを振り返る。
すると涼音と視線が交差する。
そこで涼音がにっと笑みを浮かべてくるので慎司はそれにつられてくすっと微笑した。
ぎゅっと抱きしめられる。
それは自然と嫌な気持ちは一つとしてなく、むしろ涼音に包まれているようなそんな錯覚さえあった。
「ありがと。大好きだよ」
「どういたしまして。こちらこそありがと。大好き」
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