第39話「就寝前」
家に帰れば少しは落ち着くだろうという思い込みは甘かったというしかないだろう。慎司は涼音と手を繋いでいた方の手をじっと見つめてそれからため息を吐いた。
もう離れてしまっているのに、微かに残る涼音の手の感触。もう少し繋いでいたかったな、と思うがそれをなかなか言い出せない自分への呆れ。
涼音が来てから日数は経っているし、今までにも手を繋いだことはあるはずなのに、初めて感じるこの感触。
「何か辛いことでもあったの?」
涼音がごろり、と寝そべっていた身体を器用に回転させながら慎司の方を向いた。もしかするとため息を聞かれていたのかもしれない。慎司はそこに注意を払いつつ、
「辛いことはないよ。......もしかするとカルマ先輩とサウナで対決してたからそれで疲れたのかも」
「男の子はいつまで経っても......」
「面目次第もございません」
「どうする?もう寝る?」
慎司が謝ると涼音は少し呆れたような、しかしそれでも見放してはいないようなそんな笑みを浮かべると、もう寝るか、と尋ねてきた。
疲れているのならば寝るべきだろう。身体に無理をさせてしまうとそれこそ明日からの仕事に支障が出たり、健康が悪くなったりして辛いことになってしまう。しかし、それはそうであるとわかっていたとしても、感情だけで言えばまだ寝たくなかった。
脳裏にずっと焼き付いているのはカルマとの温泉での会話。あの時に夫婦とは何かを延々と語っていたカルマ。慎司は半ば惚気だとして聞き流していたが、年齢のせいか、どうしても「そういうこと」の話には耳を傾けざるを得なかった。
「ま、まだ起きてる」
「どうしたの?いつもならすぐに寝るのに」
「どうしてだと思う?」
「逆に聞く......?......わからない」
慎司でさえよくわかっていないのに、涼音がわかるはずもなく。
困惑した涼音が慎司に困ったような表情を見せて答えを教えてくれと願っているのがありありとわかる。慎司は誤魔化すように照れ笑いを浮かべた。
「な、何よ〜」
「涼音ちゃんも寝る?」
「ん〜私はもう少し起きてるかな。もう少しでこの敵を倒せそうだから」
「......そのモンスター、あと三回進化するけど」
「え」
ネタバレよ!!と涼音が大声を突然あげたので、慎司はたまらず両耳を塞いだ。
慎司がネタバレをしてしまったせいか、それとも三回進化すると聞いて今からするのは不可能だと思ったのか、涼音はゲームを閉じて、むくりと立ち上がった。
「明日旦那様には宝玉を二つ集めてもらうからね」
「......が、頑張ります」
「よろしい。......じゃあ、私も旦那様に盛大なネタバレを食らってしまったことだし寝ようかな」
「ご、ごめんなさい」
「冗談よ、もう怒ってないわ。それに、私も人前で裸になったり、美人な桜花さんとずっと一緒に話してて結構疲れてるから」
「涼音ちゃんも美人さんだけど」
「......」
慎司はなんの飾り気もなく日常会話のようにさらりと涼音を褒めた。それもそのはず、今の慎司には涼音を褒めてやろうという気はさらさらなかったのだ。だから、涼音が顔を赤くさせてしまい俯いている理由など、知らなかったのである。
「大丈夫?涼音ちゃんものぼせちゃった?」
涼音は言葉では返さず、ふるふると首を横に振って否定した。慎司はそっか、と一言こぼして、涼音の頭を優しく撫でた。
それから何事もなかったかのようにくるりと背を向けた。慎司にとっては本当に何事も起きていないと思っているので当たり前の行動だったのかもしれない。しかし、涼音にとっては連続のダブルパンチを喰らってしまったような、そんな気持ちでいた。
慎司が寝室に一人で向かおうとするのを寝巻きの裾をぎゅっと握って止める。慎司は自分の歩きの進みが悪いことに気がついてから、涼音が裾を掴んでいるのを理解した。
どうしてだろう、という疑問を持ちつつも、振り返って涼音と視線を合わせる。
「......寝室まで連れて行って」
「今から行くよ」
「......運んで」
「は、運ぶ?涼音ちゃんを、僕が?」
「うん」
「......わかった。じゃあもう少し寄ってきて」
涼音が素直に従って慎司の方へと近づく。慎司はやったことないから、不安だな、などと思いながらも涼音の足の部分と首の部分に手を回して勢いよく持ち上げた。
俗にいうお姫様抱っこという抱き方である。
「こ、これでいいのかな」
「う、うん。あってるわよ」
見様見真似だったのだが、うまく行ったようだ。
涼音が慎司の腕の中ですっぽりと埋まっている。足先や頭は出ているとはいえ、それでも身体のほとんどを慎司が支えているのだと思うと、こんなにも女の子は軽いのか、という新しい発見をした。
しかもいつにも増して顔が近い。涼音も願ったのは自分だが、あまり慎司に体重をかけたくないようで慎司の首周りにひしっとしがみついているため、もはや触れ合いそうなほどに顔が接近していた。
「ど、どうですか?」
「......慎司くんが私のことを重いと思ってないか心配」
「軽いよ。ちゃんと食べてる?って聞きたいぐらい」
「食べてるわよ。旦那様が一番知ってるでしょ」
「そうだね。いっぱい食べてるもんね」
「余計なことを言うお口はここかしら」
「いでで......」
慎司がからかうと涼音は慎司の頬をむぎゅーと摘んだ。
慎司は抵抗しようにも両腕が涼音を支えることで精一杯なためにその涼音の行為に反応できるだけの手がなかった。腕が四本あればいいのにな、と心から願った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます