第38話「介抱」
幸いにもカルマが車で来ていたので、桜花はカルマによって運ばれることになった。一応、親友のお嫁さんということで慎司は何もないだろうとは思っていたものの、何か間違いがあったらいけないので念押しとして「真っ直ぐ送ってあげてくださいよ」と釘を刺すと。
「いいか、慎司。人間には必ず誰しもが触れてはいけない部分というのがある。翔は明らかに間違ったことをどんな手段を使っても通そうとしてくる人間と、自分の嫁、つまりは桜花ちゃんのことだが、に手を出そうとするやつは誰であろうと許さない。だから俺は何も心配されなくてもちゃんと真っ直ぐに家に送り届ける」
普段のカルマからは想像もつかないほどに真面目な顔で諭された。しかし次の瞬間には「この絵面だけでも相当にやばいよなぁ」といつもの調子に戻っていた。
「まさか桜花さんに会ってたなんて知らなかったよ」
「たまたまね。私が綺麗な人だなってじっと見ていたら、それが桜花さんだったの」
「......あんまり人をじっと見ない方がいいと思うな」
「......そうね、そこは反省してるわ」
涼音自身、誰かから不躾に見られることを極端に嫌っている。それは自分の肌や、顔にあまり自信がないから、というわけではなく、自分は見せ物ではない、と考えているからだ。もしも自分がマネキンだったならばそれは見られるのが仕事なので、見られることが辛くても仕事としてこなさなければならないのだが、人間は見られるのが仕事ではない。芸能人は確かにそうかもしれないが、涼音は当たり前だが芸能人ではない。
自分が他の女性よりも少なからず綺麗な容姿をしていることは自覚しているし、それなりに見られることも覚悟の上であるが、それでもじっと見られるのは好きではない。
どうせ見られるのなら、全てを許せる人にしか見せたくはない。
ちらりと慎司の表情を伺うと、少し険しそうだった。眉間に皺が寄ってしまっている。
「どうしたの?何か困りごと?」
「困りごとと言えば困りごとなんだけど......。別にわざわざ解決しなくてもいいというか」
慎司は口元をぐにゅぐにゅさせながら言葉を紡ぐ。
それは先ほどまでのカルマとの会話のせいであった。奇しくも、というよりは涼音達の会話の方が珍しかったのかもしれないが、サウナで耐久をしているときに慎司もカルマと行為についての話になっていたのだ。
それのきっかけはカルマの娘自慢なのだが、それは置いておこう。
男がリードするものだと言われてもどうリードしていいのかわからない。
もしも下手くそで笑われてしまったらどうしよう。
涼音にはそんな気が一切なかったのに、自分だけがっついているように思われたらどうしよう。
そんな不安ばかり抱えて、サウナをでた。
「それは困りごとなの?」
「う〜ん、どうだろう」
「気になるわね」
「......何を聞いても引かない?」
「......うん、引かないわ」
変な空白の時間にたまらなく不安を覚えた慎司。しかし、その返答には答えなければならないだろう。
「......涼音ちゃんはさ、その......夫婦とかカップルがしていることをしてみたいと思ったりする?」
「それは......ま、まぁ」
場所は違っていても同じ内容の会話を先ほどまでしていたからか、主語がなくても自然と会話が成り立っている。
「......い、今も?」
「......なくはない、かなぁ。こ、これ以上は何を聞かれても答えないからねっ」
涼音が恥ずかしそうに頬を染める。
慎司がそれに苦笑してするりと手を絡ませる。今は手を繋ぎたくなかったのか、解こうとしてくる涼音に対して、絶対に解かれないようにぐっと力を入れていると、やがて諦めたのか、涼音の方からもギュッとにぎり返してくれた。
「涼音ちゃんの手、とってもあったかいね」
「だから、手を繋ぎたくなかったのに......」
「どうして?」
「バレるから」
「何が?」
「答えないって言った」
「多分、緊張してるんだと思う。どう?あたってる?」
「.......ばか」
繋いでいない方の手でぽかぽかと殴られる。
思考を読むな、とも言われた。しかし、これぐらいならば読まなくてもわかってしまうのだ。それを正直に話すと、今度は正直に話すな、と怒られた。
「ちょっと遠回りして帰る?」
「......帰りたくない」
「う〜ん、それは困ったなぁ」
「慎司くんがいじめてくるから帰りたくない」
「わわっ、ごめん。もう言わないし、今日はしないから」
「きょ、今日はしないからとか言わないっ!!」
「ご、ごめん!!」
慎司は謝ってばかりだったが、その表情はとても朗らかで楽しそうだった。
「......ちょっと遠回りして帰る」
「わ、わかった」
「慎司くんも緊張してる?」
「そ、そりゃするよ。僕は手を繋ぐだけでも緊張してるのに」
「そっか。よかった」
にひっと笑う涼音は星空に煌めいてとても美しく見えた。
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