第35話「響谷桜花」


 涼音はきょろきょろと辺りを見回した。案の定ではあるが、脱衣所には多くの女性がおり、どうしても人目が気になってしまう。涼音には誰にも言いたくない秘密がある。しかもそれはつい最近に少し話題になってしまったことと深く関連しているので、できれば誰にも知られることなくゆっくりとした時間を過ごしたい。


 そこまで考えて涼音は何だか、芸能人みたいだな、と思った。彼らは顔を売り出して活動をしているので、どうしてもプライベートでは素顔を晒して歩くことはできない。プライベート時であっても人に声をかけられたいという人がいれば別だが、プライベートぐらいは静かに暮らしたい、と思っている人にとってはその願望は難しいといわざるを得ない。


 前向きに考えてみると何だか楽しくなってきたな。


 涼音はそんな風に思いながら服を脱いでいく。絹のように真っ白な肌が惜しむことなく外界に見せつけられている。その姿は異性が見れば興奮して鼻血を出してしまうのは必然であろうというほどであった。

 現に、同性であっても綺麗だ、ということで人目を引いてしまった様で裸体をじろじろとみられていると思うとどうしても恥ずかしくなり、少し小走りになりながら大浴場の方へと急いだ。


 そこはまさに天国であった。


 大きなお風呂というものはこんなにも開放感に溢れているのか、と涼音は圧巻されてしまった。どうしようもなく、ワクワク感が込み上げてきて、ジャンピングダイブを決めようかと思ってしまったほどだったが、そんなことをしているのは当たり前だが誰もいない。小さい女の子ですらも大人しく、母親に手を引かれている。


 涼音はその様子を見て、グッと堪えた。


 そして、足先からそろりそろりと入っていく。


「あ〜極楽極楽」


 おっとつい口が滑ってしまった。

 慌てて取り繕おうとするが、思っていたよりも反響はしていないようで、聞こえた人は見た感じではいないようだ。涼音は安堵のため息を吐いた。


 まだ16歳の少女である自分が、おばあちゃんのようなことを言ってしまうだなんて、思いもしなかった。それだけの魔力が温泉にはあるのか、と温泉に対して、警戒レベルを少し引き上げた。


 涼音は初め、ぼんやりと上部を眺めていたのだが、やがて飽きてきたので人間観察をすることにした。自分は湯船にどっぷりと浸かっているのでみられる心配はない。だからこそ、堂々をじっくりと拝むことにしよう。


 とはいえ、涼音が観察するところは男性がつい目を追ってしまうような箇所ではない。


(あの人、おっぱい大きい!!)


 案外、同じなのかもしれない。


 涼音は時折、頬を赤く染めながらもそれでも人間観察を決行していた。

 しばらく経ってからだろうか、涼音は一人の女性に釘付けになった。


 運命の人、というのは少し語弊があるし、それはシンジのことなので譲れないのだが、一人の美しい女性に目が奪われた。

 茶髪の髪をたなびせて歩く姿はどこかの王女様のようでもあり、そのシミひとつない肌は16歳の涼音といい勝負だろう。


 あ、と涼音が心で声を漏らす。それは視線があったように感じたからだった。その人はそれきり、特に気にした様子もなく、髪をまとめ始めたのだが、涼音は明らかにみられたことを確信して、場所を移動させようと思っていた。


 しかし、今までジロジロと見過ぎていたせいか視線が全て集まっているような気がしてならない。そこまで悪いことはしていないはずなのに。しっかりと女性なのに。


 涼音は焦って、心の中で必死に弁明するも、それが相手に伝わるわけもなく、一人で緊張状態に陥っていた。


「大丈夫ですか?」


 声をかけられて、肩を触られた。


 涼音は本来ならばすぐに反応して払い除ける、もしくは声をあげてしまうのだが、なぜか今回だけは素直に従来の反応が出てこなかった。それはその人の顔を見たからかもしれない。


 その人は先ほどまでジロジロと見ていたあの美しい人だったのだ。


 声は透き通るほど、綺麗で聴く人の心を癒してくれる。肩に触れている手は涼音の身体の部位のどこと比べても勝ってしまうだろうと思えるほどに、柔らかくて優しい手だ。


 遠目から見ている限りでは心が全く落ち着かないような危険な感じがしていたものの、いざ話しかけられてみると安らぎを与えてくれる人なのだということに気づいた。


「だ、大丈夫です」

「ならいいのですけど。私に何か話したいことでもありましたか?」

「え?」

「だってじっと見ていたでしょう?だから私も少し気になりまして」

「あ、え、あの......」

「それにあなたがとっても可愛いのでつい目が離せなくなってしまいました」


 ふふっと微笑む姿はまるで天使のようだった。

 天使が、裸体で自分の前に座っている......。そう考えただけで涼音の頭は真っ白になろうとしていた。


「じろじろ見て、ごめんなさい。あの、私、葦原涼音と言います」

「ご丁寧にありがとうございます。私は響谷桜花といいます」

「え」

「はい?」

「い、いえ、何でもないです」


 ここで、まさか翔のお嫁さんに会うことになるとは涼音は思ってもいなかった。それに初対面がお互いに全裸というのも変で涼音は心の中で笑ってしまった。


「よろしくお願いしますね、涼音さん」

「呼び捨てでいいですよ。桜花さん」

「呼び捨ては......私の性格上、難しいので涼音ちゃん、と呼ばせてください」

「わかりました」


 何となくだが、とても良好な関係が築けそうな気がした。

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