第29話「早朝」
慎司が目を覚ましたのは隣でごそごそと動いている気配を察したからであった。蜃気楼の中にいるような感覚からだんだんと視界が明瞭になっていく。そこに映ったのはいつもとは違う天井だった。
「知らない天井だ......」
慎司は小さく呟いた。それは誰にも聞かれていない独り言で、ただなんてことはない。行ってみたかっただけだ。しかし、言葉を発せばそれだけで意識は完全に覚醒した。
慎司は昨日、圭子に押されに押されて断れずに一晩寝かせてもらうことになったのだ。
圭子の粋な計らいで何故か慎司と涼音は一緒の布団で寝ることになった。シングルベッドではなくダブルベッドだったので狭くもなく、広々と寝られたのだが、正直慎司はあまり寝た気がしていなかった。
どうしても人に抱きつかれたまま寝るという経験がないせいか、どうしても睡眠の質が落ちてしまったようで、寝不足のような感覚があった。
「おはよう」
「あ、旦那様起きた?おはよ〜」
とりあえず起きたことを報告する。おそらく涼音がもぞもぞと動いていたのを察して起きたのだろうと予想していた慎司は天井を見続けながら挨拶をした。涼音からはまだ寝ぼけているような声色で返答がなされた。
まだ寝ようとしているのかな、と思った慎司が涼音の方に顔を向けると、その瞬間にギョッとして、慎司は毛布の中にくるまった。
それはなぜか。
ヒントは男性の好きなもの。
しかし朝から拝むのは本当に心臓に悪い。
慎司が見た光景は寝巻きを脱ぎかけ途中だった涼音の霰もない姿だった。服は完全に脱げてはいないが、ほとんど脱げていると言っても遜色はないほどで、許された男しか見てはいけない部分もはっきりとその目で見てしまっていた。しかも寝る時には胸が苦しくなるからなのか、下着を身に付けていなかった
ある誰かが、性欲が高まる姿というのは全裸でも服を完全に着こなしている姿でもなく、微妙に着崩している姿だ、と言っていたのをふと思い出した。
「ふ、服っ!」
「今から着替えるからちょっと待ってね。......はっ!」
「ひぃいっ?!」
「......旦那様、もしかして。見た?」
「み、見てません!!断じて何も見てません!!」
「本当に?じゃあ今からその布団を剥がすからちょっと顔を見せてもらえるかな?」
「ちょっ......今だけは熱が出たみたいだからあと数分だけ待って!!そうしたらすぐに治るから」
「治る」
「......」
慎司はすぐに己の言葉の選択を後悔した。しかしもう後戻りはできないのだ。涼音にはがされまいと慎司は力を込めて布団の中に閉じこもる。
「怒ってるわけじゃないの。私が旦那様がいるのを忘れててここで着替えようとしたのが行けなかったから。でも......恥ずかしいけど、そんなことされると避けられているみたいで嫌なの」
「涼音ちゃん......」
「だから教えて。......見た?」
「......み、見ました」
「よ、よろしい」
何がよろしいのだろうか。
慎司はそっと布団の中から涼音の表情を窺うとりんごのように真っ赤になっていた。
慎司はその様子を見たあと、自分の頬に手を当てた。そして熱が引いてもう赤くないだろうということを確信すると、むくりと起き上がった。
まさか起き上がるとは思っていなかった涼音がぱちくりとその丸い瞳を瞬かせる。
「多分、これからも見ると思います」
「ず、随分とはっきりいうわね......」
「正直でいた方が仲良しの夫婦でいられるかな、と」
「そ、そうだな。いい心がけだと思う」
涼音は恥ずかしそうに返答した。もうすっかり着替えているのにも関わらず、掛け布団を集めて、そこへと顔を埋めていた。
「涼音ちゃんも言いたいことがあったら言ってね」
「お、おう」
慎司はそういうとベッドから降りて、徐に寝巻きを脱ぎ始めた。その瞬間に涼音が「ひゃあ」と可愛らしい悲鳴をあげる。
慎司は振り返って涼音の方を見る。
「ごめん、嫌なら布団に被ってて」
慎司としてはこのまま圭子の元に寝巻きで行くのは少し失礼だと考えていた。かといって、どこかで着替えるにしてもどこが更衣室なのかもわからないし、そもそも使っていいのかさえわからない。
だったら今後、再び見られる可能性があるので涼音の前で着替えてもいいかなと心の中で割り切ったのだ。涼音はその準備ができていなかったようで、一瞬だけ布団に隠れたものの、慎司の姿をばっちりと覗き込んでいた。
慎司が下着を履いていたのもあってか、それ以上の大ごとにはならなかった。
「着替え終わったよ。ごめんね、ちょっと我慢させて」
「いいわよ、私も同じようなものだったわけだし。見られたのはちょっとだけ私の方が損かもしれないけど」
「ご、ごめんなさい」
「でも旦那様の身体付きが良かったのは見られたからこれでおあいこということにしといてあげるわ」
「あ、ありがとう」
慎司はこの時、筋トレをしていて良かったと心の底から思った。
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