第27話「交錯」



 慎司がどれだけ涼音に訊ねても何を言ったのかは教えてくれなかった。慎司があまりにもしつこいので涼音が「しつこい」とバッサリ言い切ったので慎司は潔く諦めた。確認すると決して慎司に対する悪口ではないということなのでそれがわかっただけでもよしとしようというのが慎司の気持ちの落ち着けどころとなった。


 時間が過ぎるのは早いもので慎司が会話を止めると誰も何も話していない無音の世界が広がる。涼音も普段とは違ってツッコミの仕事を多くこなしていたので疲れてしまったのか、少し目元がとろんとして今にも眠たそうな表情をしていた。


 ちらりと時計を確認すると、ちょうど日を超えるところだった。いつも寝ている時間ではあるので、涼音が眠たくなるのもわかるのだが、どうしてか慎司はまだ眠気に襲われていない。


 その理由はいくつかあるのだろうが、一番はやはり緊張したからだろう。いや、過去形にしてはいけないのかもしれない。自分の意識の外、つまりは無意識領域ではまだ圭子の家で一晩眠るという行為に緊張しているのかもしれなかった。挨拶自体に失敗はないだろうと予測していたが、涼音の保護者と会う、ということが慎司に気を張らせる要因となった。実際にはとてもいい人で、涼音のことを一番に考えているような慎司の理想とする保護者だった。たまにマシンガントークとズケズケとモノを言ってしまうのが傷ではあるが。


「旦那様はまだ元気そうね。私はもう......眠たい」

「確かにまだ眠たくはないかな。でも涼音ちゃんが寝るなら電気は消すよ」

「私も、まだ頑張る、わ」

「そんな今にも寝そうな感じで言われても......」


 こっくり、こっくりと船を漕ぎ、航海に出ようとしている涼音が態度とは違うことを口にする。慎司はベッドの上に適当に置いておいたドライヤーを片付け、涼音の元に戻ると、涼音の身体を軽く押した。


 その力にされるがままで涼音の身体はベッドに横たわる。


「眠たい時は眠るのが一番だよ。僕も疲れたけど、涼音ちゃんの方が僕よりも全然疲れたでしょ?」

「そうでもない、わ」

「はいはい」

「も〜ちゃんと聞いてよー」

「聞いてるよ〜。はい、目、閉じて」


 涼音は慎司に言われた通りにゆっくりと目を閉じた。慎司はまさかいう通りにされるとは思わず、少し慌てた。


 慎司は電気を消した。一瞬にして暗闇に変わり、視界が失われる。慎司はあえて暗闇の中でぎゅっと目を閉じ、暗闇に慣れさせる。すると、ぼんやりと輪郭のみがわかる程度には目が暗闇に慣れたようだ。


 その間に涼音は寝てしまったようで、すやすやと気持ちの良さそうな寝息を立てている。確かにこの布団はとても上質なもので、普段の慎司ならば到底お目にかかれない品物である。その上質な布団で寝るのだから、寝にくい、や身体の一部分が痛い、などというような庶民的な問題はないのだろう。


「旦那様も、寝ないの?」

「僕は別の場所で寝るよ。いくら夫婦だと入っても涼音ちゃんの実家だからね......」

「私も圭子も気にしないわ。......一緒に寝よ」


 涼音は目を閉じたままでまるで寝言を言っているかのような言い草だった。しかし、それにしては文言がはっきりとしていて、慎司に語りかけているような気もする。

 慎司は初め、理性に従って耐えていたのだが、どうしても可愛いお嫁さんからの「一緒に寝よ」には抗えず、いそいそと涼音が寝ているベッドの端の方に入れさせてもらった。


「は、入ったよ?」

「......遠い」

「こ、これ以上は流石に......」

「どうして?」

「どうしてって」

「私達は夫婦。なら大丈夫」

「......」


 一緒に寝る程度なら、ませたカップルは平気でしているだろう。慎司は女性経験がないので、夫婦しかできないものなのかと盛大な勘違いをした。

 しかし、そうは言っても慎司達は大事なお付き合い、という行為を飛ばして夫婦になったいわば少し特殊な事例だ。それを普通の人達と同じようにひとまとまりにしてもいいのだろうか。いや、それは少し違う気がする。


 慎司はそう結論付けたかと思うと、ギリギリになって涼音に背を向けて、その場で羊の数を数え始めた。


 それは今の慎司にできる精一杯の自己抑制だったのかもしれない。


 慎司が羊を今何匹まで数えたっけ、となるほど時間が経過した。

 その間に残念ながら、慎司に眠気は舞い降りてこなかった。涼音の声もなくなり、完全に沈黙が雰囲気を支配していた。


(そろそろ寝ないと、明日がもたなくなる)


 慎司は焦燥感を覚えていた。しかし、寝ることに対して、焦燥感を覚えれば覚えるほど、寝にくくなるのは人間の性質である。

 ずっとこのままの体制を維持するのもしんどくなってきていたので慎司はくるりと一回転をした。涼音はもう寝ているのだから、涼音の方を向いたところで、平気だろう、と思ったからだ。


 しかし、その期待は完全に裏切られた。


 慎司が寝返りを打った途端に視界に飛び込んで来たのはもう少し遠くにいると思っていた涼音の姿だった。涼音はもうあと少し近ければ触れてしまっているぐらいに近づいていた。背中を向けて涼音を見られないという状況を逆手に取ったようだ。別に涼音と作戦を立てて大戦をしていたわけではないが、慎司が一本取られたと思うのも仕方のないことだろう。


 目を丸くさせた慎司は完全に眠気が覚めてしまった。

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