第23話「豪邸」


 慎司が涼音に手綱を握られて訪れた場所はそこまで遠くない場所だった。新幹線に乗っているため、結構な距離も体感ではそこまでかかっていないのではないか、と思ってしまうだけだろうが、そんなことはどうでもいいと考えられるほどに目前に広がる豪邸に慎司は目を丸くさせるしかなかった。


 豪邸、邸宅、洋館、大使館。


 それらである、と言われても納得してしまいそうなほどに大きな家だった。失礼かもしれないが、慎司は自分の背景と涼音のこれまでの人生を重ねてしまっているところが少なからずあったので、もしやここまで豪華な暮らしをしているとは思っていなかった。


 門の前でなかなか入れずに立ちすくんでいると涼音がぐいっと手を引っ張ってくる。涼音にとっては勝手しったる自分の家なのかもしれないが、庶民も庶民の慎司は財閥でも持っていなければ建てられないであろう建物に堂々と入れるほどの度胸は持ち合わせていないのだ。

 慎司は引っ張ってくる涼音とは反対の力をかけて自分の身体が進むのを防いだ。


 しかし、勘違いして欲しくないのは慎司は挨拶が嫌だから渋っているわけではないのだ。虫のいい話ではあるが、どこか小さなレストランで、とか密談に向いている店でとかの方がまだマシな気がした。


「旦那様は挨拶したくないの?」

「......したいけど、もうちょっと心の準備が」

「大丈夫よ。ケイコも慎司くんのことは好意的に見てくれているし、きっと快く受け入れてくれるわ」

「そうだといいんだけど......」

「心配なら私がずっと手を握っててあげるから、ね?」


 涼音が今度は優しく慎司の手を握る。慎司は涼音に甘えるようにされるがままだ。涼音が「ケイコ」と呼んでいる人に認めてもらえるかも大事な焦点ではあるのだが、慎司の頭の中のほとんどは豪邸に暮らしていた涼音が慎司の住んでいる部屋に住んでいると言う事実だった。


 もしや慎司の知らないところで相当なストレスを与えてしまっているのではないか。自分ではそこそこの広さの部屋を借りていると思っているのだが、まだまだ庶民の範疇なので涼音には何か我慢させてしまっているのではないだろうか、と不安だった。


「......涼音ちゃん。僕の今の顔ってどんな感じかな」

「そうね......。元々色白だからわかりにくいけど、結構緊張してる?ん〜それとも何か不安なことでも考えてるのかしら」

「夫として相応しい顔ってどんなのかな」

「そのままでいいんじゃない?」


 涼音はあっけからん、と言い放った。その言葉は慎司には考えられない言葉で、取り繕おうと躍起になっていた慎司には恥ずかしさが込み上げてくる。


 門をくぐり、大庭園を通る。メイドさんもいるにはいるらしいのだが、慎司がうだうだしているうちに涼音ちゃんが下がらせたらしい。だからもうすでに「ケイコ」には涼音とその夫が来ていると言うことが伝わっているはずだ。


 慎司は涼音の次の言葉を待つ。


「私は旦那様の上部の姿をケイコに見せたいわけじゃないの。普段の姿を見てもらってそれで「私の旦那様です」って紹介したい」

「緊張で普通じゃないけどね」

「それでもいいのよ。私のことをとっても大事に思ってくれてるからこそ、真っ青になるぐらいまで緊張してくれているのだろうし。まぁでも、ケイコと話した瞬間に緊張はなくなるでしょうけどね」

「それって気絶しちゃうってこと?!」

「そ、そんなわけないでしょ?ケイコのコミュ力は異常なのよ。旦那様も気をつけておいた方がいいわ」


 ひらひらと舞う蝶や圧倒的存在感を放つ薔薇など、ちらりと目を向ければ感動する風景なのにも関わらず、緊張で頭がいっぱいなのか、涼音の顔しか見ずにいつの間にか玄関までたどり着いていた。

 涼音は特に気にする様子もなく、平然とインターホンを鳴らす。すると、返事がなかったのだが、何かが家の中からドタドタと大きな音を立てて近づいてくる気配がした。

 ドアを蹴破ってくるのか、と身構えたのだが次の瞬間にはどっし〜ん!とこれまた大きな音がした。


 慎司は不安になって涼音に視線を向けると、涼音はまたか、とでも言うようにはぁ、とため息をこぼしていた。


 表情を察するに、これは今日だけではないらしく、どちらかというと日常茶飯事的に起こることらしい。


「どちら様ですか」

「緋山涼音と旦那様の葦原慎司くんです」

「どうぞ」


 メイド服を着た女性が恭しく涼音に頭を下げる。慎司にも客人として頭を下げているのかもしれないが、手を繋いで一緒に行動しているので厳密にどちらと言われるとわからなかった。


「ケイコがいるところはわかっているから、早速行きましょうか」

「そ、そそそうだね」

「大丈夫。旦那様なら大丈夫よ。私を信じて」


 じっと純粋な視線を向けられる。心の不安なところや、醜いところ、見せたくないところまでじっと全てを見られているような気分だ。

 しかし、それでいてその視線は慎司の心を安心させてくれる。


「よし、行こう!」


 涼音に連れられて巨大な迷路で迷ってしまったような体験をしたのちに、それらしき扉の前に出くわした。涼音曰く「私は迷ってない」とのことだ。

 慎司は頭がぐるぐると回ってしまい、うまく思考が回らない。涼音に引かれるままに部屋に入った。


 そこには一人の女性がいた。白髪をお団子にして簪を刺していて、その服装はその年齢に似合わず、ジャージ姿だった。


「......ジャージ?」

「待っていたよ、慎司くん!!」

「ケイコめ......。旦那様をお前の術に嵌めるな」

「術なんて人聞きの悪い......。私はあなたが一目惚れした慎司くんと楽しくお話がしたいだけなのに」

「う、うるさいっ!!」


 涼音が顔を真っ赤にさせて慎司の背中に隠れた。慎司はその二人の会話についていけずににこにこと笑みを浮かべることしかできなかった。

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