第19話「添寝」
慎司が風呂から上がると、涼音はもう眠たくなってしまったのか、リビングにはいなかった。寝室に布団を敷いて寝ているのかもしれない。あまり大きな声は出すべきではないな、と注意しつつ、じっと見上げてくる學を同じようにじっと見返した。
「さっきまで起きてたんだけどな」
「眠くなったんだろうね。誰かさんが突然きたせいで気を張っていたようだったし」
「わ、悪かった。......けど、高校の話とかすると喜んでくれたからそれでチャラにしてくれ、いやしてください」
「はぁ......。涼音ちゃんがいいよって言ったらね」
「多分、許してくれるはず」
學は祈るような動作をしながらも声色は全然大丈夫そうな感じだった。慎司が風呂に入っている間に高校の話をして心の距離を縮めたのかもしれない。それは大変良いことであるのだが、心のどこかで學と涼音が二人きりで仲睦まじく話している様子を想像するとちくりと心に小さな針が刺さってしまったような感覚があった。
慎司は學に風呂を勧めたのだが、制服なのにも関わらずもう既に風呂には入っているらしい。それも慎司達が行こうと画策していた温泉に入ってきたらしい。學が「疑わしいなら俺の身体でも匂ってみろ」と腕を出してくるので、そこまでするのなら嘘をついているわけではないのだろう判断することにした。
「それで?親と喧嘩したって?」
「実はそうなんだ。シンジも見たことあるだろ、俺の親が面倒だってことは」
「面倒かどうかは僕にはわからないけど、今回はどんなことで喧嘩したの?」
「色々だよ。成績のことか、生活のこととか、進路のこととか。俺の言うことは全部両親には許し難いことばかりだったみたいで何も聞いてもらえなかった」
「成績落ちたの?」
「成績はトップだよ。常に一位だし、点数も平均98だから」
「ならなんで?」
慎司がそう訊ねると學はじっと慎司を見つめた。その視線はまるで本当にその意味がわかっていないのか、と問うてくるようなそんな感じの視線だった。しかし、高校進学せずに働くことを選択した慎司にとって高校生の悩みがわかるはずもない。言葉の重さや表情からその当人にとっては何よりも深刻な問題なのだろうとはわかるし、だからこそ、昔の良きライバルで友人の悩みぐらいは聞いてやりたいと思っている。
「慎司だよ。「きっとシンジくんなら満点だったわよ」とか「シンジくんなら〜」ってずっと比べられるんだ」
「僕はもう學にテストでは勝てないなぁ」
「それはどうかわからないだろ、現に俺にテスト作ってくれてるし」
「テストを作るのと解くのは全く違うよ。作るのは参考書とか教科書とか見て出そうなところから考えられるけど、解くのは全部暗記しとかないといけないからね」
「まぁ、兎に角。俺は両親の中でとてつもなく美化された慎司の架空の成績と比べられるのが嫌だ。俺の行きたい大学を否定されるのが嫌だ」
慎司からみると學はとても恵まれているように思える。不自由なく勉強ができて、将来を心の底から心配してくれる両親がいて、それによって今のように衝突してしまうことはあるが、それでも無限大の可能性が開けているようでとても羨ましい。
慎司もできれば進学したかった。とある事情から高校入試は蹴ることになったのだ。今となって後悔しているわけではないが、その未来も歩んでみたかったと言うのは本音だ。
「架空の僕に勝つのは無理そうなの?」
「結構きっぱりきくなぁ。......俺はやろうと思えばなんだってできる男だぜ?」
學が自信ありげに胸を張る。その自信家こそが學を學とたらしめる要因の一つである。決して悪い意味ではなく、いい意味で。
慎司の激励ですっかりやる気になってしまったらしい學は「あ〜何かスッキリした」といってソファに横になった。もう勝手知ったる慎司の家なので、もとよりソファで眠る気満々だったのだ。
慎司も今日だけは、と許した手前、これ以上寝ることについてとやかく言うつもりはない。ただ今後、もう泣きついてこないようになって欲しいだけだ。
(両親と喧嘩か......)
慎司はぽつりと心の中で呟いた。きっと學がいなかったら言葉に出してしまっていただろう。
そしてすぐにぶんぶんと首を横に振った。先程の言葉に惹かれてしまっているらしい。確かに心の奥底ではどれだけそれを願ったことか数知れないが、どれだけ願ったところで叶うはずもない願いだと言うように諦めたはずだった。
諦めの悪い人間だな、としみじみ自分のことを判断する。どれだけ自分で諦めよう、ケジメをつけようと思ったところで、ついふとした瞬間にそれを思い出してしまい、今のようなどうしようもできないが、何かしないと心が休まらないと言うような変な感情に支配されるのだ。
「お嫁さんには言わないのか?」
「......何を?」
「どうして慎司が高校生をせずに頑張って働いているのか、だよ」
「僕がそれを話したところで過去は変わらないしどうにもならない。少し言い方は悪いかもしれないけど、涼音ちゃんが僕の話を聞いたところで他人事だし、何もできないから」
「何もできないってことはないんじゃないか?結婚するぐらいなんだから心の支えにはなっているんだろ?男だから溜め込まないといけない、女だから好きなことを言える、って訳じゃない」
「話して楽になると思う?」
「少なくても慎司は楽になると思う。お嫁さんに半分背負ってもらう形になるだろうからな。......そんな不満そうな目で見るな」
「涼音ちゃんには何も背負わせたくない」
それは慎司の自分に決めた約束でもあった。涼音には絶対に自分の負の歴史を教えない、と。負の歴史、というと慎司がヤンキーだったとか、誤解されるかもしれないが、決してそうではなく、ただとある暗い過去がある、と言うだけだ。
學はそうかよ、とだけいい、あとは何も話さなくなった。
慎司もそれ以上に學に言葉はかけなかった。慎司はおやすみ、とも言わずに寝室の扉に手をかけて、入った。
そして、扉を音が鳴らないように閉めた後に、ぴたりと固まった。
(え、どうしよ)
もう頭の回っていない慎司はおろおろとするしかなかった。
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