第17話「宮村學」


 ショッピングモールであらかたの必要物品は買い揃えることができたその日の夜。慎司の部屋に一人の訪問者が訪れようとしていた。


 彼の名前は宮村學。齢、18歳。


 慎司と同い年である彼は頭脳明晰で運動能力も抜群、スタイルも良く、品行方正で生徒会長も務める他に求めるものはないのではないか、と思いたくなるような好青年である。

 その彼が今にも泣きそうな表情で慎司の部屋のインターホンを連打している。


 インターホンを連打してくるのは恐らくは悪戯なのだろうと思っていた慎司は相手にすることなく放置していたのだが、いつまで経っても鳴り止まないので少し鬱陶しくなった涼音がインターホンの画面を覗いたら、今にも泣きそうなイケメンがいたので慌てて慎司に伝えたのである。


 涼音との約束があるので、泊めてやる気はないが、このままドアの前で泣きつかれても色々と面倒だし、大家さんから小言を言われる可能性もあるので、涼音に了承をもらって家の中に入れた。と言っても玄関までだが。


「シンジぃいいいッ!!」

「どうしたの?またいじめられたの?」

「俺は一度もいじめられたことはない!!......と、とりあえず上がらせて」

「う〜ん」

「え、何?来客中?......俺、もしかしなくてもお邪魔だった感じ?」


 學の視線が足元にまで落ちる。するとそこには当然、涼音の靴が置いていた。

 明らかに慎司の靴ではないし、他の男だとしたらサイズが小さすぎる。學はそこまで考えた後に最も考えていなかった可能性に至り、わなわなと震え出した。


「まぁでも上がっていきなよ。泣きそうだったってことは今回も何か面倒事を抱えているんでしょ?」

「でも......。デート中なら申し訳なさすぎるというか」

「大丈夫。もう結婚してるから」

「あ、そうなの?なら大丈夫か。......はい?」


 學が何やらいいたそうにしていたが、特に相手にすることなく「どうぞ」と慎司は彼を通す。學が部屋に上がると、そこには目を疑うような美少女が座っていた。


 これから銭湯に向かおうとしていたのでまだ風呂には入っていない。残念ながら學が来てしまった以上は今日の銭湯はお預けになりそうだった。そのことを視線だけで涼音に伝えると、その意図が伝わったのか、用意していたものを隅の方に置いて學に「いらっしゃい」と声をかけた。


「こ、こここんばんわ」

「旦那様のお知り合い?」

「......そ、そそそそうです」

「この人は宮村學。近くの高校で生徒会長をしてる。頭が良くて全国模試では常にトップにいる秀才だよ」


 慎司は緊張で言葉がうまく話せない學に代わって簡単に自己紹介を済ませる。高校生というのは学校終わりで家に帰っていないのか、制服姿なので信用できるはずだ。後は見てくれと会話で判断するしかないが。


「私の夫がお世話になってます。妻の涼音です」


 ぺこりと頭を下げる涼音。

 慎司は涼音の口から「妻」という言葉が聞けるとは思わず感動していた。


「シンジ。......いつの間に」

「いや、まぁこれが色々あってね?昨日知り合って、昨日結婚した」

「そっか、それはおめでとうだな。......え、うん?何?」

「この人はノリツッコミ専門なの?」

「かもしれないね〜」


 學は慎司が怒涛の勢いで矢継ぎ早に撃ってくる情報の矢を処理しきれずにフリーズした。頭脳明晰でもキャパシティオーバーという事態が起こったのだ。


「それで、今日は一体どうしたの?テスト?」

「テストは自分の力でも何とかできる。......また確認テストは作ってくれるとありがたいけど」

「わかった。範囲を事前に教えてくれたら作ってあげるよ」


 その時、涼音が「え?」という表情で慎司を見ていた。慎司はその視線には気づいていたが、あえて気づかないふりをしておいた。

 普通、18歳で働いているという事実が目前にあったとしたら、可哀想なほどに勉強ができなかったのだな、と思ってしまいがちになる。だが、慎司はその枠には収まらない、特別枠の人間だ。勉強は人並み以上にできる。というよりもこの秀才だと言った學でさえ足元程度にしかなり得ないほどに多くの知識を持っている。


 中学時代から知り合いである學はそれを知っていて、自分ではどうしても無理になってしまった時にこうして慎司の家に訪ねてくることがしばしばあった。


「今日「は」というか、今日「も」知恵を借りに来た」

「テストじゃなければ......生徒会がらみかな?」

「そうなんだよぉ。来週から生徒会主体で球技大会をすることになったんだが、運営を生徒会に丸投げで教師陣も何一つ手を貸してくれないらしいんだ」

「......それは学校行事なの?」

「いや、生徒の発案だ。だから生徒だけでさせるつもりらしい」

「生徒会がやりません、と言えば済む話な気がするけどそうもいかないんでしょ?」

「生徒発案だから生徒の怒りをかうことになる。だが、生徒会の人数は昨年の決定で6人までとなっているからどうしても手が回らない」


 學がここまで追い詰められるのも珍しい。いつもは問題があっても飄々としているのに、今回はそれすらも取り繕う余裕がないらしい。

 涼音は慎司と學の会話をじっと聞いていた。そう面白い話ではないと思うのだが、やはり学校のことになると気になるのかもしれない。

 慎司も訳があって高校には通っていないのだが、涼音も同じように何か理由があって高校に行っていないのかもしれない。その理由を知りたいとは思わないが今後、學に学校の話をしに来てもらってもいいかもしれない、とは思った。


「随分と粛清されたね。......前任の生徒会長が好きなことやりすぎたからかな」

「十中八九、そうだろうな」

「なら、生徒会だけで回すのは諦めるべきじゃないかな」

「けど、ならどうすればいい?」

「委員会でも設立すればいいんじゃない?大会運営委員会、みたいな題名で」

「そうか、それで生徒会の仕事を程よく回していけば......」


 學の泣きそうだった顔はその面影が完全になくなったように晴れやかだった。學は一度、思考が絡まるとそこから抜け出せなくなってしまう典型的なタイプなので、こうした簡単な解決策さえ、追い詰められると出なくなってしまうのだ。


「わかった。ありがとう」

「どういたしまして。じゃあ......」

「それとは別件で、実は親と喧嘩しててさ......。一晩だけ、泊めてくれない?」

「え」


 慎司は両手を合わせて頼み込んでくる學を見ながら固まった。

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