第16話「服」


 慎司達は服を買いに来た。それはもちろん慎司の、ではなく涼音の服だ。涼音は最小限のものしか持ってきていなかったので、外へ出るときの服はもちろん、寝巻きすら足りていない状況だ。慎司のを貸してあげることで昨日は何とかなったが、いつまでも貸したままでいるわけにはいかないだろう。仮住まいをしていたり、数日泊まりに来ているだけならばそれでもいいかもしれないが、これからお互いに不満がなければ一緒にずっと住むことになるのだ。涼音の分の服はしっかりと揃えるべきだろう。


 服だけではなく、その他の日用品も買わなければならない、と思った慎司は朝食を食べてから、涼音に一言言って近くのコンビニにより、歯ブラシなどの必要なものは買い揃えた。

 女性だから赤色などの暖色を好むのかと思って買ってしまい、それを涼音に見せる寸前でそういえば、好きな色は聞いていなかったな、と思い返したのだが、涼音は「ありがとう」と微笑み文句も言わずに受け取ってくれた。


 慎司が涼音のためだと思って勝手に行動したことなのに礼を言われてとても嬉しかった。今日一番の思い出ができた。


「旦那様はどれが似合うと思う?」

「僕は服の種類にはあんまり詳しくないから......。涼音ちゃんに似合っているかどうかならわかるけど」

「こっちとこっちならどっちがいいと思う?」

「どっちも捨てがたいなぁ......。どっちも可愛いよ」


 慎司が涼音の要望に応えるために一生懸命になり、つい口走ってしまったことに気づかない。言われた涼音はぴたりと行動を止めて、瞳を瞬かせるが、慎司の全く気づいていないような様子にこほんと軽く咳払いをして涼音が一人で感じていた場の空気を戻す。


「ここでの買い物が終わったら、旦那様は少し待っててくれない?」

「いいけど、どうしたの?」

「あの......下着を買いに行きたいから」

「あ〜......。そうだよね。僕が一緒にいると買い難いよね」

「嫌だって言うわけじゃなくて......ただ恥ずかしいだけだから」


 恥じらいながらも慎司を傷つけていないかを心配してくれている涼音はまだ売り物の持っていた服に顔を埋めた。

 まだ買っていなかったので、慎司は止めようとしたのだが、時すでに遅く、心の中でどちらも買うしかないな、と諦めた。しかしとはいえ、どちらを選ぶのかと言う選択を迫られていたなら選べなかっただろうと思うので、どちらも買って、涼音の気分によっては両方の姿を見られる、というメリットができるだけで良かったと言うことにしておこう。


 慎司はなかなか離れようとしない涼音をしっかりと監視しながら、店員さんを呼んだ。

 そして、涼音に聞こえないように先ほど、涼音が持っていた服、と今現在に顔を埋めている服を買いたい、という趣旨を伝える。店員さんは慎司の話を聞くとすぐににこやかな笑みを浮かべて、奥の在庫を調べてくれた。

 慎司としては今、涼音が持っているものを買い取る形で良かったのだが、有無を言わせぬにこやかな笑みに水をさせず、されるがままに新品の誰も触っていない服を買った。


「次行くよ」

「まだ買ってない」

「もう買っちゃった」

「え?」


 驚いた涼音が慎司の方を見つめると、彼の手にはこの店のロゴが入った紙袋があった。紙袋の中には涼音が迷っていた服のどちらもが入っている。


「どっちを買ってくれたの?」


 瞬間的に慎司が先程の間に何をしてくれたのかを理解した涼音が慎司に問う。慎司は恥ずかしそうにはにかみながら空いている方の手で後頭部をポリポリとかいた。


「どっちにも決められなかったから、どっちも買っちゃった」

「......ありがと」

「いえいえ。涼音ちゃんにはどっちも似合うと思うよ」

「慎司くんが来て欲しい方を明日着てあげる」


 慎司はぐっと言葉に詰まった。それは簡単に決めていいことではない。今の気分で決めてしまい、明日が逆の気分だったならばそれはせっかくの機会を無駄にしたことになる。別にこれからずっと暮らしていくつもりなので明日だけではないだろうがそれでも一番近いチャンスを棒に振るわけにはいかなかった。


「ちょ、ちょっと待って。じっくり考えさせて」

「旦那様はもしかして優柔不断?」

「大事だと思ったことには優柔不断かもしれない。大したことないことに関してはすぐに決められるんだけどね」

「旦那様にとっては明日の私の服装は大事なことなのね」

「そ、そうだね」


 確かめるように呟く涼音に相槌を打ちながら、明日はどちらの方を着て欲しいのか、自問自答をする。しかし、今この瞬間に決めても仕方がないので、慎司は明日の朝に涼音よりも早く起きて、悩むことにしようと決めた。


「明日いうことにする」

「慎司くんからあり得ないほどの熱意を感じるけど、わかったわ」


 涼音が慎司を冷静に分析した。

 慎司は無性に涼音と手を繋ぎたくなった。しかし、いきなり繋ごうとするのはがっついているようで良く無いだろう。何かいい方法はないものかと考えるものの、何一ついい考えは浮かばない。

 仕方がないのでこの気持ちをはっきり言おうとしたその時、ぎゅっと柔らかなものが慎司の手を包んだ。


「手を繋ぎたいのなら、好きに繋いでいいよ?」

「な、なんでわかったの?」

「繋ぎたそうな顔をしていたから、かな」

「そんな顔に出てた?恥ずかしいな......」

「手を繋いだ時に「ふわぁ?!」って顔してたから確信できたんだけどね」

「も〜」


 慎司は握り返した。涼音の手の温度が伝わってくる。きっと涼音には同じように慎司の手の温度が伝わっているはずだ。お互いが触れ合って、心が満たされていくのを感じた。


「でも、私から手を繋いでおいて申し訳ないけど......。もう着いたからそこで待ってて」

「そ、そんな......」

「戻ってきたらまた繋いであげるから」


 満たされる前に離れてしまった。慎司は名残惜しそうに涼音の背中を見送った。ただ下着を買いに行っただけなので、全然すぐに帰ってくるのだが、その慎司の姿はもう帰ってこない人を見送る人そのものだった。


 下着屋に手を振っているということで他の客から不審者だと間違えられそうになった。

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