第15話「朝食」


 涼音が何故か会話をしてくれなくなったので、慎司もこれといって話を繋げることができずに黙っていると、いつの間にか本当に寝てしまったらしく、気がつけば涼音は深い睡眠へと誘われていた。


 慎司は隣で美少女が寝ているという事実にどうしても脳が興奮状態を抑えられず、風呂の後に充分に時間を空けてから布団に入ってごろごろとしていたのだが、どうしても寝られなかった。


 不眠である。


 しかしその割には寝ている涼音の顔を見ないという紳士ぶりを発揮している。いや、この場合はヘタレぶりといった方がいいのだろうか。


 気がつけば朝になっていて、今日は休みで本当に良かったな、と慎司は心の中で安堵した。慎司は自営業者なので休みは自分の都合で変えられるのだが、それは一人で仕事をする時の場合であり、誰かと会議があるなどというときは変えることができない。慎司はそのことを心配して、そして安堵していたのだ。


「朝飯でも作るか」


 朝はそこまで凝った料理は作らない。基本的に食パンと目玉焼き、それに野菜ジュースというのが慎司のスタイルだ。涼音が朝ごはんを食べる人なのか、それとも食べない人なのかはわからないが、それでも一応、作っておこう、と慎司は思い立って二人分の食パンを焼き始めた。


 その焼いている間に顔を洗う。寝てないせいか、目元には隈ができていて、涼音が起きたらまずそこを聞かれるに違いない。素直に寝てないといえばいいのだが、それで涼音が何か責任感を感じてしまうといけないと思い、何か他に別のいい方法がないかを頭の中で模索するも何もいい結果が出なかった。

 慎司がとりあえず、何とかなるだろう、と根拠のない自信を抱き、涼音を起こそうと寝室の扉に手をかけようとした途端にその扉が開いた。


「おはよぉ〜」

「うん。おはよう。昨晩はよく眠れた?」

「う〜ん。ぐっすり〜」


 まだ寝ぼけているのか、瞼をこすりながら語尾を伸ばす涼音。


「顔洗っておいでよ。スッキリするよ」

「うん。どこ?」

「突き当たりを左」

「ん〜」


 涼音が顔を洗っている間にテーブルにさっと並べる。慎司は飲み物として自分にはモーニングコーヒーを、涼音にはホットミルクを出した。


「朝ごはんができてる......」

「うん、もしかして朝は食べない人だった?」

「ううん。食べるよ。......どうしたの、その目元。隈になってるよ、もしかして昨日寝られなかった?」

「涼音さんのせいじゃないから気にしないで。......悪夢でも見てたのかな」


 咄嗟に嘘を吐く。涼音も悪夢だといわれてしまったので、それ以上のことはいえなくなったのか「疲れてるのかもね。今日は寝る?」と心配してくれた。確かに寝れていない分、昼間に寝たいという気持ちがないわけではないが、風邪を引いているわけでもないし、体内時間が狂ってしまうのは避けたいので欲求に従って寝ることはできない。


 慎司は「大丈夫。今日のうちにしておきたいこともあるから」と気を張った。


「やっておきたいこと?」

「涼音さんの服を買いに......。今日の寝巻きだって僕ので大きさが全然違うから、やっぱり身体に合ったサイズの服を着るべきだと思うんだ」

「それはそうかもしれないわね......。でも私の服はいつでもいいのよ?それより旦那様の健康の方が大事だわ」

「今日は早めに寝ることにするよ」


 朝起きてすぐに寝ることについて話しているという事実におかしさを覚えて笑ってしまいそうになるが、元はと言えば慎司がしっかりと睡眠を取れていないという自己管理不足が原因なので、涼音に心配してもらっている今、笑うわけにはいかない。

 慎司の提案に涼音は不承不承だが、納得してくれたようで、ずずず、とホットミルクを一口飲むと、はっと息を吐いた。


「旦那様って昨日の夜から「涼音さん」って呼んでるわよね?」

「ま、まぁ確かに」

「別に責めているわけではないの。お互いに苗字は「葦原」になったんだから呼び方も決めないといけないわね」

「う、うん。そうだね」

「ということで、慎司くん」

「......」


 物凄いこしょばゆかった。

 出会った時から通じて計算すると名前で呼ばれるよりも「旦那様」と呼ばれる方が多かったので、それに慣れそうになっていたのだが、その名前呼びは新鮮でしっかり意識を保っていないと沸騰したやかんになってしまうところだった。


「僕は何て呼べばいいの?涼音ちゃん?」

「な、ななな何で「ちゃん」付けなのよぉ!!」

「......だってその方が可愛いから」


 慎司が率直な想いを伝えると、涼音は立ち上がったまま微動だにせず固まった。慎司は一旦、コーヒーを飲み、心を落ち着けてからこれは一体どうしたものか、と考える。勢いでいってしまった感は否めないが、それでも慎司の心の中の想いという意味では変わらない。だから慎司としてはそれに対しての反応が欲しいのだが、涼音は固まってしまっている。ひらひらと手を目前で振ってみても意味をなさなかった。


「だってその方が......」

「聞こえてるから!!......慎司くんが呼びたいならど〜ぞ」

「あ、ありがとう!涼音ちゃん」

「......」

「どうしたの涼音ちゃん?もうお腹いっぱいになっちゃった?」

「......」

「涼音ちゃん、出発は十時くらいでいいかな」

「......」

「お〜い、涼音ちゃん?」

「そ、そそそんなにいきなり一気に呼ばないで!!わ、わわ私パンクしちゃう」


 両手を頬に当てて、その赤みを隠そうとしている涼音に慎司はさらなる追い討ちをかけようとしたが、それに気づいた涼音が慎司の口を塞いできた。

 そうしてつばえている途中に慎司はふと、昨日の仮彼氏をしている時にも初めて名前を聞いたときに「涼音ちゃん」と呼んだのになぁ、と思った。

 きっと夫とそうでない人では感じ方が違うのだろうと、そう解釈することにした。

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