第9話「一目惚れ」
「ちょっと待ってッ!!」
慎司は自分でも驚くほどに大きな声で涼音を呼び止めた。あまりの大きさに涼音の肩がぴくりと動いた。
涼音はゆっくりと振り返る。その視線の先には当たり前だが、満身創痍の状態で立っている慎司がいた。
「安静にしておいた方がいいよ」
「それはそうなんだけど......きみにどうしても伝えたいことがあって」
「伝えたいこと?」
涼音は首を傾げながら訊ねる。
慎司は頭がずきずきと痛みを訴えてくるのを退けながら、今までずっと考えてきた言葉を紡ごうとする。
「僕は今日も本当はつまらない一日を過ごすはずだったんだ」
日々の生活に苦労しないためにせっせと働くだけの何の楽しみもない日常。今日もその日常の一ページに数えられるはずだったのに、実際は涼音のせいというかお陰というかはともかく、とても色鮮やかなものになっていた。
「でもきみが僕に助けを求めてくれたから、今日はとても楽しい一日に変わったんだ」
「......キミが本当に助けてくれるかどうかはわからなかったけどね」
涼音はぽつりと呟く。その言葉は距離の関係か慎司には届かない。
「もう頭の中がぐちゃぐちゃになってきたからはっきりいうね」
あれこれと頭で考えていると、いつの間にか考えていたものが霧散して結局何が言いたいのかわからなくなってしまう。慎司は玉砕覚悟で自分の率直な気持ちを涼音に伝えることを決めた。
「僕はきみのことが好きです」
「え?」
「お互いに顔と名前を知っているだけで、今日のことだってデートとして区切っていいのかはわからないけど......。だからこそ、僕と付き合ってくれませんか?」
慎司は呼び止めた時と同じくらいに大きな声を出したかと思うと、勢いよく頭を下げて手を差し出した。もしも慎司の気持ちに了承の気持ちがあるのならばこの手をとって欲しいという暗示である。
慎司は自分で言い切ってから、涼音が返答をしてくれるまでの間を物凄く長く感じていた。実際はそこまで長くはなかっただろうが、それでも体感では十分ほど、この体勢のままを維持しているような気持ちでいた。
手を取ってくれないのならば、それはそれで振られたのだ、とはっきりすることができる。慎司の見立てではおそらくは振られてしまうだろうと思っていたためか、一種の悟りを開いたような面持ちでいた。
しかしそれは心の中の話であり、本当は手を取ってくれないのならば一言、断りを口にするか、今からでも逃げ出して欲しかった。
涼音はそんな慎司の期待を裏切るかのように何をするわけでもなく、ただその場に佇んでいた。慎司には涼音が何をしているのかまではわからないが、足音がしないことと、涼音の発する雰囲気がまだ近くにあることからその場に佇んでいると予想していた。
「顔を上げてくれ」
一言。涼音は慎司に声をかけた。慎司はとりあえず、その言葉に従って、顔を上げる。開けた視界には一目惚れをした涼音の表情がよく見えた。しかも今までよりも近い。
涼音が慎司に近づいていたので、慎司が顔を上げたことによって触れ合うほどにまで顔が近づいていたのだ。
そのことに気づいた瞬間に慎司はばっと顔を赤くさせて、二歩ほど後ろに後退り、深呼吸をした。
その慎司の様子を見て涼音がくすりと笑う。
「別に確かめる気はなかったが、どうやら本当に私のことを好きになってくれたらしい」
「そんな嫌な嘘は吐かないよ」
「世の中には相手を傷つけても何とも思わない人もいるんだよ?......まぁ、キミの場合はありえないだろうけどね」
「え?」
「キミばかりが今日を楽しんでいたわけじゃない。私だってキミにエスコートしてもらったデートは楽しかったし、キミの人柄の良さだって時間がない割には見極めたつもりだ」
「それは......どうも」
「だいたい好きでもない人と......」
「ん?何か言った?」
「別に」
涼音は今日の慎司との仮デートに関してはだいぶ、ご満悦のようだ。慎司は逸る気持ちをぐっと抑えて、涼音の話に耳を傾ける。
「告白は嬉しい。けど残念だが私はその申し出を受けられない」
「受けられないってどういう......」
「そのままの意味だよ。私といれば必ずキミは不幸になる。断言しよう。絶対だ。だからその気持ちは次に会うだろう素敵な人に言ってあげて欲しい」
慎司は胸が締め付けられるのを感じた。それは告白を断られてしまったことに対してではなく、絶対に不幸になってしまう、という言葉に対してだった。その言葉にだけは涼音の本当の気持ちが載せられているような気がしてならなかった。
しかし、慎司はどうしてもそうは思えなかった。
「絶対に不幸になる未来なんてない」
「......」
「きみがどんな根拠を持って不幸になると言っているのかは知らないけど、僕は例え不幸になったとしてもきみの隣にいたい。そして、その不幸が起こらないように僕が全力で頑張るし、もし起こってしまったとしてもきみを僕が絶対に守ってみせる」
「......キミはなかなかに強情だな」
「知らなかった?僕は一度決めるととことんまでやってしまうんだ」
「それは少し意味合いが違う気がするけど......」
涼音はくるりと慎司に背を向けた。ここで、慎司は今の演説で完全にやらかしてしまったのか、そして完全に振られてしまったのかと一瞬、絶望したが、少し歩いて涼音は慎司の方を向く。
「そうだな......」
「......?」
「私と結婚してくれるなら、付き合ってあげるよ」
「もちろん!!喜んで!」
慎司はここで涼音の言葉の意味を深くは理解することなく、反射神経で返事をしたことを誇りに思った。
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