第3話「緋山涼音」
「ごめんね、奢らせてしまって」
「大丈夫だよ。これでも稼いでいるから」
ささやかな嘘を吐く。
慎司達はナンパ男達からの追跡を逃れるために、とあるカフェに来ていた。追跡を逃れるというのは物理的に距離を遠くするのではない。慎司も初めはそちらの方かと思っていたのだが、涼音が「カフェに入ろう」と言った時点で、これは慎司が本当の彼氏であるぞ、ということを見せつけるのだろうと思い至った。
会って間もないのに、カップルのように振る舞えるのかと言われると、慎司としては女性経験がないので、無理だと言いたいところだが、涼音に「私に合わせてくれればいいから」と言われてしまえば、振る舞えるような気がしてくる。
涼音は慎司の目前の椅子に座り、ちゅーっとストローで飲み物を吸っている。「極甘ストレベリーホイップクリーム」とかいう名前だった気がする。慎司もたまに見かけたことはあるが、実際に美味しそうに飲んでいる人を見たのは初めてだった。
「そういえばスーツ姿だもんね。すっかり社会人だ」
「まだ一年目の新人だけどね。しかも自営業だから......」
「いいじゃないか、自分でしたいことを仕事にするんだから。頑張って」
「あ、ありがとう」
「少し話を戻すが、一年目ということは22歳?」
「いや、18歳だよ」
「驚いた。まさか私と二つしか離れていないとは」
「16歳?」
慎司が訊ねると涼音はこくりと頷いた。年下だろうという予測は立っていたが、まさか二つも年下だとは思わなかった。
涼音も慎司がまさか18歳だとは思っていなかったのか、そのことを聞いた後もその丸くなった瞳は元に戻ってはいなかった。
「キミは何を頼んだの?」
「僕はブラックコーヒーだよ。頭をシャキッとさせたくて」
「とても苦そうね」
「慣れればどうってことないよ。ちょっと飲んでみる?」
はい、とて渡せば涼音はそのカップをじっと見つめていた。何も混ぜていないので、模様などはないはずなのだが、何を見ているのだろう、と慎司が疑問に思ったところで、涼音は覚悟を決めたのかずずっ......と音を鳴らしながらおそる恐る恐る飲む。
その瞬間に綺麗な顔がコーヒーの苦味によってきゅっとしぼめられ、面白い表情になっていた。その変貌に慎司はくすっと笑ってしまう。
「うぇえ......苦い」
「ははは。甘そうなものを飲んだ後すぐだから余計かもね」
「ちょっと......笑わないでよ」
「ごめんごめん」
涼音からコーヒーを受けとる。慎司がカップに口をつけ、コーヒーを飲むと涼音が何かに気づいたように「あっ」と声を漏らした。その瞳はカップとどうやら慎司の唇を見ているような気がする。慎司は何のことか分からず、ぽかんと頭の中が真っ白になっていた。
「どうかした?」
「いや、何でもないわ」
「そう?」
慎司が訊ねて見ても涼音が何も話してくれないので、慎司はそれ以上聞くことは諦めた。自分がした行動が何やら涼音の目に止まったということだけはわかるのだが、その先がどうにもよく分からない。涼音が言いたくないのならば、深く訊ねない方がいいのだろう。
「少し、飲んでみる?」
無言になるのかと思いきや、今度は涼音が自分の飲んでいた飲み物を差し出してきた。もう名前は忘れてしまったが、とても甘そうな見た目に慎司はそれだけでお腹一杯に感じてしまう。しかし、涼音の善意を無下にするわけにもいかない。慎司は「ありがとう」と柔かに微笑み、それを受け取った。
鼻に届いたのはイチゴの匂い。いや、正確には生クリームで覆われたイチゴの匂いだ。甘そうなことこの上ない。慎司はさぁ飲もうと覚悟を決めたところで別の壁に激突した。
問題はどうやって飲もうかということだ。慎司のはカップであるのに対して、涼音のはストローなのである。これは明らかに間接キスというものではないのだろうか。ちらりと涼音を見ると彼女は全く気づいていない様子で慎司が味わうのを今か今かと笑みを浮かべながら待っている。
これは伝えた方がいいのだろうか。「これって......間接キスになる、よ?」と。しかし、それを相手が全く気にしていなかった場合、恥ずかしいのはこちらであり、自意識過剰だと思われてしまうのではないだろうか。
涼音が未だに飲もうとしない慎司を不思議に思ったのか「どうしたの?」と訊ねてくる。
「何でもないよ」
「あ、全部はダメだからね。一口だけだよ」
「わ、わかってる」
慎司はもうどうにでもなれ、と思い、ちゅ〜とストローで吸った。
いちごとクリームと何か他にも色々と入っていて、味が混雑しているような感じだったような気がする。慎司はこれが間接キスだと思うとどうしても緊張してしまい、味はもうよく分からなくなっていた。
「お、美味しいよ」
「そう?イチゴの味が弱い気がするなぁ〜と私的には思ってるんだけど」
「......一番上にイチゴが丸まま乗ってるから、弱い人はこれを食べてってことかな」
「かもしれないわね」
そう言って何事もないかのようにちゅ〜とストローに口をつけて吸う涼音に慎司は先ほどまで自分が口をつけていたところに涼音が口をつけている、と思ってしまい、顔が瞬間的に熱くなった。
「このいちご、食べてしまおうかしら」
「美味しく食べれるならそれが一番だよ」
「そうね〜。でも私、これあんまり好きじゃないかも」
好きじゃないんかい。
慎司は心の中でツッコミを入れた。
「あ、この後は服を見に行きましょうか」
「服?」
「いつまでもスーツ姿だとデートにならないでしょう?」
「確かに」
涼音はこの関係を一時的とはいえ、デートだと思ってくれていることに慎司はとても嬉しいと感じた。
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