第2話「葦原慎司」



「暇になってしまった......。今日はどこで時間を潰せばいいのやら」


 誰に聞かせると言うわけもなく、ただ一人、愚痴を溢す慎司は堪らず空を見上げた。その空はまさに晴天で雲ひとつなく、慎司は天にも見放されたような気がして、大きなため息を吐いた。


 葦原慎司は最近、起業した18歳の好青年である。会社は順調といえば順調ではあるが正直なところ、あまり芳しくないと言うのが現状であった。しかしそれでも付き合いのある会社や昔からお世話になった人達のおかげで何とかやってきている。


 俗に言うフリーランスというやつだ。


 だから、自由にできるといえば聞こえがいいが、自分で仕事を勝ち取らなければ生きていけないのもまた自分に課せられた試練である。今日はその勝ち取るべき仕事の打ち合わせだった。もう少し長く時間を要するものだと思っていたのだが、案外打ち合わせすべき部分がすぐに終わってしまったため、慎司は手持ち無沙汰な平日の昼間を過ごすことになった。


 渋谷ほどの大きなものではないが、スクランブル交差点を渡り、地下鉄に乗るために駅のホームへと移動しようとすると、ふと、待ち合わせ場所として人気なところで一人の女の子と数人の男性が何やら険悪なムードで話しているのを見かけた。


 慎司は初め、そのまま通り過ぎようとした。慎司も仕事を始めたとはいえ、まだ18歳。自分よりも体格のいい、それに強面の男性複数人と会話したいとは思わない。一日本国民として何事もなく平穏無事に過ごせればそれでいい、できれば厄介ごとには関わりたくはない。


 しかし、そんな慎司の儚い望みはあっさりと潰えた。


「......(じー)」


 迷惑そうに男性達の話を受け流していた彼女が明らかに慎司の方を見つめていたのである。慎司はまさか自分に視線が向けられているとは思わず、きょろきょろと辺りを見渡す。慎司が少女の視界の延長線上にいるから視線を向けられているのではないだろうかと思い、その先を見ようとするも、その先は単なる壁であり、もう言い訳のしようもなく慎司を見ているとしかいえないようだった。


「おい、にいちゃん。俺らに何か用か?」


 少女の視線の先に慎司がいることを見抜いた男性の一人が慎司に近づいてくる。近づいてくるとその体格の差は遠目で見ていたよりも確実にはっきりとしてくる。きっとこの男性には逆立ちで勝負をしてもらっても勝てそうにないだろう。慎司は「何でもないです、ごめんなさい、失礼します」という三連続の謝罪構文で逃げようとしたのだが、少女の期待の眼差しがどうにも頭から離れない。


「......あ、あなた方は何をしようとされているのでしょうか」

「あ?見てわかんねぇのかよ。ナンパだよ」

「......あぁ、ナンパ」


 そう相槌を打つと「兄ちゃんもナンパぐらいやってんだろ」と言われてしまった。生まれてこの方、女性を口説く目的で女性と接したことはないし、恋人の一人もいなかった慎司にとってははっきり言って完全に縁のなかったことなのだが、そうとは知らない男性は「だから手を引けよ、わかんだろ」と言外に伝えてくる。


「......僕の彼女をナンパ、ですか?」

「あぁそうだ......って、え?」

「聞こえませんでしたか?僕の彼女だと言ったんです」

「はぁっ?!でもさっきまでこいつは彼氏なんていないって......」


 慎司の言うことと彼女のいうことが支離滅裂で頭が混乱してしまったらしい男性は頭を捻りながら、仲間の元へと戻っていった。それで納得してもらえるとは思ってもいなかったので慎司はその男性を騙してしまったことに対して少し心が痛んだ。

 それと入れ違いになるようにして駆けてきたのは一人の可憐な少女だった。


 赤色の髪にカラメルの瞳、ガーリーなレースワンピをさらりと纏い、その上からライダースジャケットを羽織っている。その立ち振る舞いは自分をどう見せれば一番好印象に持たれるかをわかっているかのようで、慎司は彼女の姿から目が離せなくなった。


「も〜遅いよ。代わりにパフェ食べさせてもらうからね?」

「う、うん。いいよ」


 少女が自然に慎司の手を握る。その感触に慎司が変な声を上げそうになってしまうが、そうなっては演技が無駄になってしまう、と刹那に思い返し、ぐっと我慢する。

 慎司がぎこちなく返すと少女は慎司にのみ聞こえるように小さな声を発した。


「私の名前は涼音。しばらく付き合ってくれると助かる」

「わかった。......涼音ちゃん、でいいのかな」

「呼び方は任せるよ」


 少女の名前は涼音、というらしい。呼び方の確認をすると、涼音はそれで話を一旦区切った。慎司は自分の名前をまだ涼音に伝えていない、と気づき名乗ろうとしたが、その瞬間に先程の男達がこちらに近づいてくるのを察したので、ぐっと黙った。


「じゃあ、僕達はこれからで、デートなので失礼します」

「お、おいっ!」


 呼び止められたように感じたが無視をした。涼音の手を引き、人混みの中に混ざる。とはいえ、涼音はとても整った顔立ちをしていて、髪の色も相まって目立つことこの上ない。まるで竹取物語のかぐや姫のようだった。


「まだ付けてきてるな」

「え?」

「あの男達は私達が即興で作られた偽カップルだと思っているようだ。実際そうだから仕方がないが、少し面倒だな......」

「あの......僕でよければ付き合うけど」

「キミにも迷惑がかかってしまう」

「それは気にしなくていいよ。どうせ今日は暇になってたし。きみが僕ではダメだと思うなら諦めるけど」


 その時の慎司の想いは涼音を助けたいという思いの方が強かったのか、それとももう少し涼音と一緒にいたいという自分の欲を満たすためか正直よくわかっていなかった。しかし、そのどちらでも涼音にとっては協力してくるという点においてはメリットになるはずだ。


「......今日一日だけ、私に付き合ってくれますか?」

「喜んで」


 涼音が少し恥じらいを持ちながらも訊ねてくる。慎司の答えはもちろん、肯定である。


「では、とりあえず、あそこに入ろうか」

「あ、待って。先に名前を......」

「ん?キミの名前は慎司だろう?」

「どうして......?」

「さて、ね。では行こうか」


 慎司は自分の名前を今までで名乗ったかな、と頭を捻らせたが言っていないような気がした。

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