チイサナセカイ・3

「合計で931円になりますー」

「ええっとぉ電子決済?で」

「かしこまりましたー」


 会計を済ませコンビニを出る二人。他人が端から見ると小さな孫と買い物に来た祖父の二人連れにしか見えない。


「……だいじょうぶかな?」

「大丈夫大丈夫。もしもお母さんが怒るなら、おじさんがちゃんと謝ってひよりちゃんを怒らないでほしい!ってしっかりお願いするから」

「おじさん、そこまでしくれるの?」

「ん、そうだよ。おじさんはたとえお母さんとひよりちゃんの間柄だとしても、必要以上に子どもを叱ったり、いじめる大人は大っ嫌いなんだ。」

「陽々璃のお父さんみたい」

「あれ?ひよりちゃん、お父さんは?」


 てっきり気の強い底意地の悪い妻に虐げられて、我が子さえも守れないヘタレな父が居るものだと思っていた老人は歩を止め、少女に聞き返した。


「お父さんとは……もう会っちゃいけないんだ、ってけいさつの人とべんごし?っていう人に言われたの。お父さんとは、もう3年くらい会ってない。」

「弁護士……そうだったのか。ごめんね。悪い事、聞いちゃって」


 老人はこの少女の家庭事情が年に数度は報道される子供の虐待死や保護者遺棄致死事件なりかねかい環境だと察すると、早く警察官が居るかもしれない公園に連れて行かねばと気が急いた。少女の手をしっかり握ると公園への回り道を早急に踏破しようとつい足を早めてしまった。


「おじさん!手をつないだままじゃ陽々璃、転んじゃう!」

「!!あ、すまない……ひよりちゃん、ちょっとだけ急ごうか。」

「うん」


 本当に転んでいないか少女を確認すると、老人は陽々璃の早足の速度に合わせて歩を進める。

 公園に着いたのはコンビニを出て15分ほど過ぎた頃だった。

 その頃には公園で先程まで壁のように立ちはだかっていた野次馬たちの一部が椅子やブランコの柵など座れる場所をほぼ占拠してしまっていた。公園に残った半数以上の野次馬たちはスマートフォンで何かを伝えようと必死に文字を打ち込むことに集中していた。


「座ってご飯食べれそうな所、無いね」

「そうだね。さっき、道を開けてくれなかった人たちが公園に来ちゃったんだね」


 陽々璃はキョロキョロと空いている椅子か座れそうな場所が無いかを探す。

 老人は待機している公園内で怪我人の救護と救急車の到着を待っていると思われる警官たちを探し出そうとしていた。


「あれ?!お父さん!!!」


 陽々璃は急に大声を上げると先ほど野次馬たちで塞がれていた公園出入り口の方へと走って行ってしまった。


「ひよりちゃん!待つんだ!」


 今まで連れていた少女の発する大声に驚き、振り返った老人は陽々璃の後を追うように走っていく。

 そこにはたまたま現場を通りかかっていた看護師を名乗る女性に負傷した腕を止血帯法と圧迫法によって止血されている最中の青ざめた顔で座り込む警察官と、左手小指下の部分を怪我をしたのか、そこを血の滲んだタオルで押さえつつももう一人の警官に何やら怒鳴っている作業服を着た大柄の男が見えた。


「お父さん!!会いたかった!!!」

「ひ…陽々璃?!陽々璃なのか?」


 父と呼んだ大男の腰元へ陽々璃が抱きつく。

 面会を禁じられた親子の久々に再会した瞬間だった。


「でもなんで、陽々璃。お前ここに……」

「あのね、陽々璃、この近所に住んでるの。それでね、お母さんと一緒なの嫌だから外に出て……」

「すみません、この子は……旦那さんのお子さん?」


 先程まで辰吾に怒鳴られっぱなしだった警官が久々に再開できた親子の話をぶった切る。


「おう、俺の娘。鹿又 陽々璃だ」


 それに合わせて陽々璃は口を一文字にして警官を睨むように2回頷く。

 辰吾が数年前に陽々璃の母である友梨佳へのDVと公務執行妨害で逮捕・起訴され、今は仮釈放中で保護観察の身だということを立川の警官たちはこの時点では全く知らないようだった。


「ってことは……マズイな。陽々璃、友梨佳のヤツはどうしてる?」

「母さんなら家で寝てる。起こすとビンタされるから、こっそり抜け出してきたの」

「あんの阿婆擦れ……うっ!!」

「あっ、カマタさん?傷口をしっかり圧迫して!もうちょっと手首と肘を高く上げておかないと、余計出血しますよ!?カマタさんの傷はまだ軽症も軽症ですからね。もう少し、我慢しててください!」


 失血が酷いのか顔面蒼白になっている警官と娘の虐待がまだ続いていた事が許せず赤鬼のような表情と顔色になる辰吾。両者とも救急車を待つ身であることには変わりがないが、救急車が来る前に辰吾は虐待母の棲家へ乗り込まんばかりに気力と体力が有り余っていた。

 その赤鬼にコンビニの袋を手に下げた老人が怖ず怖ずと近づいてくる。


「あ……あの、ひよりちゃんの、お父さんですね?」

「ん、そうだけど。アンタは?」

「この子が困り果てているのを見かねて助けた、ただの通りすがりです。お父さん、こんなもので良ければ後でひよりちゃんと一緒に食べてあげてください」

「す、すんません。陽々璃がお世話になったようで。陽々璃、ちゃんとお礼は言ったのか?」

「ちゃんとお礼したよ!ここに来る途中でご飯一緒に食べようってコンビニでサンドイッチとジュース買ってくれたの。おじさん、本当にありがとう。お父さんにも会えたし、今日の陽々璃はラッキー1000%です!」

「俺からもお礼させてください。陽々璃、お父ちゃんのズボンの右ポッケからお財布出して。ええっと……」

「おじさんが払ってくれたお金は、931円」

「そうか。陽々璃お前、コンビニの支払額覚えてるなんて記憶力凄いな」

「娘さん、将来お医者さんになりたいそうですよ」

「ははっ、そうなのか?陽々璃。財布に1000円札あるだろ?それをおじさんにお渡ししてきなさい」

「いや、お金は受け取れな……」

「娘を助けてくれた恩人に不義理なことはしたくないタチでして。さっき変な奴に手ぇ噛まれちまって、情けねぇ事に両手がこんなでして。自分でお渡し出来ないのが申し訳ないんですが、どうか、受け取ってやってください」


 言葉はやや乱暴だが、中身は昔の辰吾を知る者からしたら全くの別人と言える真面目な男になっていた。老人は再度断るが陽々璃の困った顔を見てこれ以上この子を困らせてしまうわけには、と1000円を受け取った。

 その間に救急車のサイレンがどんどん近づいてくる。


「そろそろ救急車が来そうですな。これで一安心だ。陽々璃ちゃん、お父さん、これからもお元気で」


 老人は深々と一礼するとその場を立ち去った。


『あんないい人なのに、なぜ虐待をする母親と子供が同居になるんだ?……いや、これ以上は私のような者が立ち入る話ではないな』


 息子と妻に先立たれ、一人住まう一軒家へと戻ることにした老人は、自分のしたことは正解だったのか、心の中で” 敢えて答えを出さない ”という選択をした。


 将来を案じ我が子を厳しくしつけてきた結果、自分が入れと命令した国立大学の受験に2度失敗し、それをなじった翌朝、息子は自らの部屋で首を吊り自殺してしまった。

 妻は息子に誘われたかのように彼の死からたった半年で病に倒れ、その1年後に息を引き取って以来、生き残ってしまった自分の事を戒めながら生きてきた老人は、辰吾と陽々璃が短い間だけでも幸せでいてほしいと願った。

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