過去・3
黒いワンボックスタイプの車内で、昼休み中の会社員にしては眼光鋭くフロントガラスの向こう側の世界を見つめる男が一人。
「……クッソ」
苦虫を噛み潰すような表情を見てしまった運転席の優男が不安げな表情を見せる。後部座席には更に5人乗っているのだが、会社員の集団にしては皆ちぐはぐな服装をしていた。
「オカノ、ワシぁ前々からお前に今日は外れてええ言うとったよな?」
刑事ドラマによく出てくるような年長者風の男がオカノと呼ばれた男を嗜める。
「オカノさん、タバコ切らしてるなら……ボクので良ければ…」
優男も乗じて嗜める。
「班長。家の事は妻に任せたんですわ。俺、あん場におっても役立たずじゃし、仕事しとらにゃあ不安でたまらんので……」
少しだけ倒していたシートを起こしながらオカノは後部座席の声に答える。
そして隣の優男には頭を少しだけ彼に向け、タバコを銜え火を付けるポーズをしつつ軽く微笑む。
「チョビ。俺は
「…!!チョビって……もうそのあだ名止めて下さいよ。ボクだってけ……ふグッ!!?」
「顔下向けとれ!お前、確か奴等に面割れとるよな??」
力加減はされたものの、オカノが放った裏拳はチョビのみぞおちにクリーンヒットする。
「かもうの止めとけ、暴力
「そうか、了解した。後は作戦通りで進めてくれ。チョビ、お前はワシらが出たら車を指示した地点に停めて、撮影頼む」
「えっ班長までチョビって、酷くないですか……」
テレビで期ごとに仰々しく放映される警察ドキュメントのような足どりで一斉に車外へ出て行く男達。
ただし、チョビは除く。
***
彼らが仕事から開放されたのは、その日をちょうど超えた頃だった。
一番仕事をしていない筈の若い刑事だけ机に上半身を委ねてうなだれている。
「おぅ、寝るなら仮眠室行って寝てこいよ。中途半端な姿勢じゃと車の運転キツうなるで」
暴力刑事ことオカノは新人の椅子に軽くひざ蹴りを入れる。
「……いや、寝てないっす」
新人は涙と鼻水が一緒になった赤ら顔で今にも消え入るような声で応える。
怪訝そうな表情で新人の手元からいつの間にか落ちていたスマートフォンを彼の机に置くと隣の机の椅子を拝借し後輩の横に腰掛けた。
「オカノさん、ボク……刑事失格かもしれないっす」
「おぅ何じゃ、いきなり?」
「大学でお世話になった教授とご家族が……僕と同い年のお嬢さんも含めて全員、殺されたそうなん……です」
更に涙と鼻水まみれになる新人。見るに見かねてあたりの机を見回し、置き去りにされてた女性物のハンカチを拝借し新人に手渡す。
「そうか……で、チョビ。犯人は?」
一瞬にして涙と粘液まみれになったハンカチを返そうとするチョビ。それを俺のじゃないから……と頭を横に振り両の手で押し返すような仕草をしながら少しだけ後ろへのけぞる。チョビはまたハンカチで顔全体をこすりながらゆっくりと話しだす。
「それが判ってたら刑事辞めてでも犯人殺してますよ。でも……犯人、近所のオフィスビルで退去時の掃除を委託されていた作業員にも襲いかかってて、作業員がモップの柄で腹を強く突いたみたいなんですが、犯人はびくともせずそのまま作業員の手に噛み付いたそうで。」
「シャブ中か。アグレッシブな奴じゃのぉ」
オリンピックの影響か、周辺国の経済悪化のしわ寄せなのか、覚醒剤や合成麻薬による事件や事故がここ2年ほどで彼らの所轄でも倍増していた。オカノは”またか”といった表情で天井を見上げる。
「駆けつけた制服が取り押さえてる最中に頭を強打してから動かなくなった……って」
「……事故か」
「はい。でも話はここで終わりじゃないんです」
「?」
「その後、噛まれた作業員は病院で治療を受けて、軽症だからと家戻そうとしたらしいんですが……その……その人と犯人に噛まれた制服もほぼ同時に暴れだして、作業員は自分の奥さん、噛み殺して。そこの家の子が今、行方不明だって」
「はァ?」
ありえないだろとオカノの顔には出ているがチョビはそのまま話し続ける。
「ボクだってそんな状況飲み込めないっすよ。誰でもいいからどうしてそんな非現実的なことが」
「……ゾンビ」
「ぞん……び?」
会話がひと時止まる。
「冗談言わないでくださいよ。ゾンビなんてこの世に存在するわけ無いじゃないですか!?」
恩人の死をそんな冗談事で片付けられてたまるかという感情をむき出しに先輩へ突っかかるチョビ。
「
突然の抗議にしまった、反射的に口が滑った、とバツが悪そうにオカノは目線を床に落とすと、軽く握った拳の人差し指の背で眉間をグリグリと押す。
「……ですよね」
チョビは再び頭を下げて鼻水をすすりはじめる。
「兎に角、お前早う
「あっ、そうだ。娘さ……」
「しゃーなーよ。俺が
帰り支度を済ませてあったオカノは後輩の言葉に自分勝手な思い込みを押し付け、さっさと部屋から手を振りながら出ていった。
***
「……ただいま……っと」
真っ暗な玄関に響く声。
誰も居なくてもどうしても”ただいま”だけは何故かキッチリ言ってしまう。
前髪を後ろへかき上げ、そのまま首を揉むとリビングにあるテレビが点けっぱなしになっていることに気がつく。
”カミさんに叱られる”と一瞬脳裏をよぎったが、そのカミさんはここ1ヶ月ほど娘と一緒に病院だということに安堵した。
””どうです??!見てください、このボリューム!!””
””ナイト・オブ・ザ・リビングデッドから始まり、ゾンビ映画界のレジェンド、ジョージ・A・ロメロ監督のゾンビ三部作は勿論のこと、日本国内の民放局が独自に編集した吹替バージョンを全て網羅、さ・ら・に、リブート版ゾンビ三部作に新旧クレイジーズ、ロンドンゾンビ紀行、28日後、ダイアリー・オブ・ザ・デッド、ゾンビランドシリーズ…などなど配給元の枠を超え厳選されたゾンビ映画の名作50本の他に! 各映画の見どころや撮影ウラ話などを網羅した解説書、そして!……ジョージ・A・ロメロ監督の幻の映画の資料集が付いた『ゾンビ映画クロニクル』スペシャルBOXセット!!今から1時間、1時間オペレーターを増員して販売させていただきます!!……そして今回特別にアメリカではトップのホラーフィギアメーカーの……””
見る人が見たらそれらには需要があるのか?と問いたくなる内容のセットがこれまた信じられない価格で売られているのをぼんやり見つつオカノはまたつぶやく。
「ゾンビ……か」
TVは消されることなく、オカノは年季の入った寝床のようになっているソファーに帰ってきたままの服で横たわると一瞬にしてまるで泥のように眠りに落ちていった。
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