過去・1−2 :受刑者 74***番の日記より

受刑者 74***番の日記より (一部抜粋)


2014年 8月A日

 ここに来てもう半年になる。

 私がまだ未成年だからだろうか。大人の受刑者を一度も見たことがない。

 運動の時間もおそらく早いかおそい時間に取らされている。食事も刑務官の人がいつも私を見ている以外は一人。部屋に戻って自由時間になると本が渡される。

 だけど意外とたいくつではない。


2014年 8月N日

 たい捕されてからというもの、給食のような食事だけど3食きちんと出されるのがうれしい。

 あの家にいた頃は母親の気分次第で食事が出されたけど、親どもが食べるものとは全然違ったものを出されていたからだ。

 ある時なんて2日ぶりに給食以外で食事が出たと思ったら、味付けはうすい塩だけで、炒めたのかどうかわからないけど油っぽいチャーハンのような物を出された。

 その中に茶色い破片がいくつも入っていたけど、空腹でほとんど食べ終わった頃に髪の毛のような細い物と虫の足のような物が出てきた。

 ゴキブリを潰したやつに匂いをごまかすために古い揚げ油をまぜただけの残飯を食べさせられたんだ。

 それ以外にもくさった肉や傷んで捨てるしかないような野菜や料理で出た普通なら食べない食材のゴミクズをゆでただけのスープでりをおこして、学校では保健室とトイレの往復、家ではトイレを汚すという理由で私の一番最初のきおくがある頃から家のトイレは使わせてもらえなかったので、近所にあった公園のトイレへ古い新聞を片手に腹痛と戦いながら向かうという日が何日か続いた事もあったりもした。

 二人分の焼き魚の骨と皮、うまく食べられなくてお皿にこびりついた魚の破片、誰がどう見ても食べ終わった焼き魚の皿を出されて、骨だけは固くてどうやっても食べられないからと残すと、母親に『全部食べないと皿が片付かないから食え』と骨を全部口の中に押し込まれ、吐き出そうとすると押し倒されて口を全体重を使ってふさがれた。骨がのどに詰まって死にそうになったので、最後には母親はあわてて吐き出させてくれたけど、口をふさがれていた間ずっと暴れていたせいで魚の骨と自分の歯で口とその奥を血だらけにしてしまった。

 それを父親が見て『子供なら骨ぐらいちゃんとかんで食え』と骨がまだのどに刺さっているのに鼻血が出るまでビンタされる。

 血で手が汚れると、逆ギレして今度は何度も何度もけられてふまれた。

 母親は止めに入ったら自分も殴られることを知っていたから、父親の後ろでまるで他人のように食後のタバコをふかしていた。

 父親は暴力、母親は私が居ないかのように父親と自分の食事だけしか用意しないことが日常になっていて、小学校に入ってからは学校の身体測定で平均より体重が軽すぎると言われて担任の先生と知らない大人が一緒に来るたびに『娘は食が細くて普通の子より食べられない』とか『食べさせてはいるけれど、お腹が弱くて吐いたりりをする。治すために病院に通っている』と平気な顔でウソをついていた。


 私が大ケガをしても高い熱を出しても病院には一度も連れて行かなかったくせに。



2015年 3月G日

 これのどこが『成人と同等の刑罰』なんだろう。無期ちょう役っていうらしいけどこれから何年もほとんどの時間を一人で過ごさなければならいのは頭がおかしくなりそうだ。

 なぜ大人の受刑者と一緒にされないのか、刑務官に何度か理由を聞いたが全員無言だった。


 理由は何となく分かる。自分がやったことが年齢に比べ、だからだ。


 14になる前日に父親を殺し、母親に『奴はだ、我が子とは思えない』『で地獄へ送り返してほしい』なんて裁判の中でテレビから別の部屋で中継した状態で言われるほどの事をしたから、当たり前といえば当たり前だ。


 中学を卒業しないままたい捕されて刑務所に入ったからか、裁判をしている時から中学校で習うものごとの勉強をしている。刑務所に移ってきてからも刑務作業というものの代わりに勉強をしている。今もそうだ。

 勉強を教えに来ている人達、制服は刑務官の物だけど実際は本物の教師だろう。刑務官はかた苦しくて偉そうでとにかく嫌ながするけど、あの人たちは外にいた頃感じていた人々の、普通のがする。勉強も分からない所はていねいに教えてくれている

 今度、現代社会を教えに来る人にそのあたりのことをなんとなく聞いてみよう。



2015年 5月S日

 小学校の運動会はキライだった。体育大好きだけど、一番早く走って一着を取るのが運動会ではないか?と毎回思ってた。

 ダントツで一番早く走っていたのに、先生に

『ストップ!ストップ!!みんなが来るまで待ちなさい!』

 と怒られる。玉入れも不思議と数が同じ数か1~2個しか違わない事が多かった。


 一番いやだったのはお昼ご飯の時間だった。皆は家族でお弁当を囲み楽しそうに食べていたけど、私だけは教室に帰って水道の水を飲み、残りの時間は学級文庫を読んでいるというのが3年間続いたからだ。

 残りの3年間は学校へ行くふりだけして運動会には参加しなかった。

 参加していないというのがバレると母親は教師にはいい顔をして『来年は参加させます』と言い、様子を見に来た教師が帰った後『親に恥をかかせるな、学校へはちゃんと行けって言っただろうが!!』と毎回怒り狂い、新聞紙を木の棒のような固さまで折りたたんだ物でみぞおちや背中、頭を殴られたり、風呂場へ連れて行かれて服のままたまっている風呂の水に顔を上半身ごと沈めるんじゃないかという勢いで何度も沈められることもあった。母親は運動会の時、給食が出ないことを知っていたけど、6年間ずっと弁当は作ることはなく、二人共とも運動会には一度も来なかった。


 中学では本物の競争になったけど、1回しか参加できていない。

 けれど、楽しかった。

 親という名前の鬼共から完全に離れ、集中できたからかもしれない。

 1位を取った爽快感は最高だった。



2016年 10月H日

 私宛に手紙が来た。

 差出人は知らない人だった。

 中身は検閲されているので渡される前に『面会は絶対に受けないように。手紙の返事も、事件のことについては』と言われたので、どこかの新聞か雑誌、またはテレビの取材なのかもしれない。


 まだ世間は私のことを覚えているのか。

 出所したら誰の迷惑にもならないところで死のう。



2017年12月24日

 ここのところの食事を半分以上残すこと、不眠を指摘される。

 食欲は無いし、眠れないのは事実だ。刑務官に指摘される筋合いなど無い。

 原因は

『薄汚いマスコミ共ががこぞって貴女の事について無いことばかりを書いている。真実は愛する君とボクだけが知っているんだよ。』

『監獄に囚われたボクのお姫様よ、囚われの身から開放される時が来たら、ボクの馬車で迎えに行くからそれまで待っていて』

 と、私のファンだという文章からして気味の悪い男からの手紙で知った。

 そんな情報が検閲をすり抜けたのは、長ったらしい上に吐き気を催すような文章だらけの手紙の最後に、謎を解くヒントが描かれ文字遊びパズルが隠されており、それを解き内容を知った。

 興味本位でパズルを解くんじゃなかったとかなり凹む。


 少なくても月に数通、多い時は月に50通以上も自称ルポライターやテレビや新聞、週刊誌の記者から取材依頼の手紙ばかり来ればどんな人でもきっとウンザリする。刑務官の言う通り全て断っているというのにと言われたら、誰だって死にたくなるのは当然だろう。



2018年5月S日

 4ヶ月前、医療刑務所へ連れて行かれ、診察を受けた結果、ストレスによる抑うつ状態だと診断された。

 刑務所には暫らく戻らず、ここで投薬と作業療法という治療法で様子を見て、その後、少し回復したら同じような病気で入院している人達とグループカウンセリングというものを受けた。

 UFOがなんとか、ここは地球じゃないと言い出す人、話の中で泣き出して俯いた途端、いきなり暴れだす人、話を振られても無言の人……色々いたが全員何らかの罪で刑務所に居ると思うと刑期中に精神を壊す人が居ても可笑しくはないんだと確認できただけでも良かった。

 いつまでとは言えないが、あなたの年齢なら治らない事はないと言った医者の言葉が、どうしても信用できない。なにがあろうとも私は私だ。



2018年7月R日

 刑務作業中に喧嘩が始まった。

 理由はよくわからないが、最初は2人だけの口喧嘩から始まり、応援の刑務官たちが全員を拘束した頃には9人に膨らんでいた。

 私は見ていて怖くなり、作業室の喧嘩が見えない死角へと逃げこんだ。


 喧嘩の張本人を含む全員が懲罰房とのこと。

 そして私も持ち場から離れたという理由で懲罰房へ。



2018年9月X日

 新しく入ってきた人から不思議な話を聞いた。

 なんでも、事故や病気などで身体が動かなくなった人達が日本の医学研究者の治療で徐々に身体が動かせるようになっている、と外の世界のテレビや雑誌などで大々的に取り上げられているそうだ。

 そんな事本当に起きるのだろうか。それともiPS細胞技術かなにかの応用なのだろうか。



2019年1月Y日

 朝から明らかに刑務官達が騒がしい。

 夜中に別棟で大規模な暴動が起きたらしい。刑務所しかも女子刑務所で暴動だなんて、ここはいつからそんなに治安の悪い刑務所になったんだ。

 しかし、武器もない状態で刑務官に飛びかかって噛みつくなんて凄まじい女も居るもんだ。



2020年1月Z日

 朝、突然、君に特赦が下りたと刑務官から伝えられる。

 懲罰も3年前の喧嘩騷ぎの時にトラウマが原因で持ち場から少し離れてしまった以外に無かったので、模範囚として特赦が決まったのではないか、と、刑務所に入って初めて私の担当になり、先日、やっと依願退職が決まったという刑務官が話してくれた。

 作業所で顔を合わせるくらいしか面識のない、大人しそうでなぜ刑務所に入ったのか分からない人達、旦那か恋人、恋敵でも刺し殺したような人達にさえも特赦が出ているようで、今日は皆、浮かれていた。


 でも、

 何かがおかしい。何かが。



2020年7月18日

 あと2日でこの刑務所ともオサラバになる。

 初公判の時は死刑か一生刑務所だと思ってたのに、まさか逮捕から裁判を経て刑務所へ送られ、7年で出られるとは。

 通常なら定期的に保護司という人に会わなければならないみたいだけど、それも今回は無いという。


 それならあの日、果たせなかったことを成し遂げたら、誰にも見つからない場所で命を絶とうじゃないか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る