第16話 卒業写真:荒井由実
卒業式前日の3月15日。いよいよ謝恩会の日がやってきた。この日は3年生以外は半ドンになり、午前中は3年生は全部ホームルームになり、各クラスごとに謝恩会的なことをやっていた。実際の過去では、ここでコマツとタガワとマスオカがキャロルを演奏するのだが、カンジは既に関西に転校していた。
教室の机を全部後ろに下げて、椅子を円状に並べて、各自が3年生の思い出について語るという、和やかなイベントだったが、最後にみんなで『オール・マイ・ラビング』を合唱し、その様子をクボタがカメラを構えて撮影していた。
3時間ぶっとおしのホームルームが終わると、3年生は体育館に集合になる。入り口に生徒会とPTAのおばちゃんたちが、生徒に助六弁当と煎餅やラムネやフィンガーチョコなどの菓子が入ったビニール袋を渡し、ファンタオレンジとグレープとコカコーラの缶がテーブルの上に並んでいた。
舞台前から、会議室のテーブルと椅子がランダムに配置されており、生徒は自由に座ってよいことになっている。さらに体育館の壁には、各クラスの写真が貼り出され、文化祭で作った『私の将来』という9組の出し物も貼ってあった。面白かったのは、3年生の担任教師の若い頃の写真が貼られており、クボタが三輪車にん乗っている写真や、ロン毛でヒゲを生やしたヒッピーの大学生の写真で、みんなは笑い転げた。
生徒たちが揃うと、教務主任のハットリ先生が「それでは昭和48年度、日野中学の謝恩会を始めます」と短い挨拶をしたあと、生徒会長のタキザワが「それでは謝恩会を始めまーす。この会は3年生が、これまでお世話になった先生方に感謝の気持ちを表す会です。この会のすべての企画や出し物は生徒がすべて考えたものですー。それでは、最後まで楽しんでくださいー」と言った。
生徒たちは教師を取り囲み、弁当を広げて話に花を咲かせている。カンジとケイとユースケとササイは、その様子を見ながら会場を歩き回った。「俺さ、子供が楽しそうにしているのを見ると、涙が出そうになるよ」と4人の子供の親であるユースケが
呟く。「そうかー、おれのとこは子供がいなかったしなー」「あたしも…」とケイが寂しそうに言った。
「でも、この世界でサワキも子供作ればいいじゃん」とササイが言うと、ケイはカンジの腕に手を回して「はーい」と笑った。「そういうことかよ、まあ森園も頑張って励めよ」とササイが言うとユースケが爆笑した。
ユースケとササイはそれぞれの部活の島へ合流した、さらに歩くとコマツの地元の不良グループのテーブルがあり、ワキサカが「さわき?」と言うと、「ワキサカくん、久しぶり」と笑った。再びこの世界で、3人と遊ぶことはなかったけど、彼らの顔を見るだけで、暖かい屋上の日差しを思い出すことができた。
5人で弁当を食べていると、そこにタガワとマスオカも合流し、しばらくしてトモコとササイもやってきた。カンジの横に座ったトモコが「あー、もう気持ち悪いー」と吐き捨てるように言った。「何かあったのか?」とカンジが聞く。
「わたしたちが、2年の時の仲間と話してたら、カンマキがやってきたのよ」
『カンマキ』という言葉を聞いて、ケイとコマツがトモコを見た。この5人はカンマキが2年生の担任をしている際の、白川京子の事件をカンジとケイから聞いていた。数日前に技術室で情報交換している際に、カンジは全てを話した。2年でカンマキのクラスだったトモコや、奴が顧問をしている部活のササイは怒りを露わにしていた。
中でもクボタは動揺しており「このことは絶対に他言無用だぞ」と念を押した。結局、カンマキが起こした事件で、奴は3年生の担任から外れて特別学級を受け持つことになり、その欠員にクボタがこの学校に赴任してきたのだ。むろん、この事件のことは白川京子本人と家族、そして一部の教員しか知らされていない。教師たちはまず生徒の中で噂が広まることを最優先にしていたからだ。
まさか、カンジがここから25年後に白川京子と再開し、不倫をして本人の口からその事件を聞いたなんて、誰も想像すらつかないだろう。そんな偶然さえなければ、本当にあの事件は藪の中になっているはずだった。
「でも、あたしがこの世界に来たのは11月だったから、昨年の夏は、あいつと一緒に映画を見たり、アパートに呼ばれて酒の相手をさせられているのよね。そう考えると、腹が立ってくるわ」遠巻きにカンマキが生徒たちと話をしているのを見ながら、ケイが言った。
「あの事件のことは、この学校では誰も知らないと思っているのよ」
「厚顔無恥とは、あいつのことだな」とササイが言うと
「じゃ、オレがいっちょ『お礼参り』しておこうか」とコマツが言ったので
「よせよ、明日で卒業だぜ。どうせあいつはこの先ろくな人生を送らないさ」とカンジが吐き捨てるように言った。
その視線に気が付いたのか、カンマキがこっちを向いて「おい、森園、コバシ、澤木、おまえらもこっちに来い」と言われたので、ガン無視をして立ち上がると、ケイもカンジの腕に手を回し、カンマキに見せつけるように体を押し付けてきた。「そろそろステージの打ち合わせでもやろうぜ」とコマツとタガワとマスオカに声をかけて席を離れた。
「それでは、これから各クラスの出し物をやりますー」とマイクを通して生徒会長のタキザワがアナウンスした。トップバッターの1組は、フォークギター2本とピアノの演奏で、クラス全員の合唱を披露した。歌は赤い鳥の『翼をください』とジローズの『戦争を知らない子供たち』という当時の中学生にとっての定番ソングだ。
続いて2組が、ピアノとギターとリコーダー、そして吹奏楽部のイソガイがコントラバスを弾き、パッフェルベルの『カノン』を演奏。3組は舞台の上に10人分の座布団を並べて『笑点』の大喜利をやり、生徒の笑いを誘った。そして4組のフォークソングが始まる頃に、バンドメンバーとケイは教室に戻った。他にもトモコやサエキやユースケ達も一緒に付いてきた。
メンバーは予め決めておいた黒のスリムジーンズに黒のバスケットシューズ、そしてお揃いの白のTシャツに着替えた。コマツはいつもの先の尖った黒のショートブーツを履いた。
ケイが家から、鏡とドライヤーを持ってきて、メンバーの髪の毛をセットする。自宅から持ってきた洗濯のりを水で薄め、指とコームを使って逆毛のツンツンヘアしてドライヤーで固める。さすがは本職の美容師だと感心する。その様子を見ていたトモコやサエキが「きゃー、かっこいいー」とか「かわいいー」と褒めたので、他のメンバーもやる気になったようだ。
ケイが「一応、化粧道具を持ってきたけど、女の人用だから使えるかな」という。さらに小さな声で「この時代のアイシャドウって種類が少なくてさー」と愚痴ったので、カンジは文房具屋で買ってきた黒の『ダーマトグラフ』を見せた。ダーマトグラフとは芯にワックスを練りこんだ色鉛筆で、くるくると巻かれた紙を剥がして芯を出す画材である。
「大学のバンドの時は、これ一本でメイクしてたんだぜ」と小声でケイに微笑んで、鏡を見ながら『スージー&バンシーズ』のスージー・スーのように目の周りを真っ黒に描いた。さらにケイに持ってきてもらった羽の長いイヤリングと、カラフルなスカーフをヘッドバンドのようにぐるぐると巻いた。
「きゃー、かっこいいじゃーん」と女子が大喜びしている。カンジとケイは手分けして、他のメンバーのアイメイクをしてやり、コマツの唇も黒く塗ってやった。「さて、最後の仕上げだ」とカンジはハサミを取り出し。自分のTシャツの襟ぐりをジョキジョキと鎖骨が見えるくらいに切り落とした。
「おまえらもやれよ」とタガワのTシャツの袖をジョキジョキ切り落とし、ノースリーブにした。さらにコマツとマスオカは、この上に革ジャンを着るらしいので、コマツのTシャツの裾をヘソが見えるくらいに切り落とし、マスオカの襟も、縦に15センチほど切れ目を入れた。
「いやーん、かっこいいー」とトモコがはしゃいで、「マスオカくん、カメラ持ってる?」と聞くと、自慢のニコンF4を取り出し、写真を撮ろうとしたので「あほ、それだとお前が写らないだろ」とユースケにカメラを渡して、シャッターを切ってもらった。全員が楽器を手にして、思い切り格好を付けた中学3年生がフィルムに収まった。
「わたしたちも一緒に撮ってー」とみんなが、お揃いの黒いTシャツに着替え始める。「てゆうか、クボタに撮ってもらおうぜ、誰か体育館に行って、クボタや他の奴らも呼んでこいよ。これが俺たちの卒業写真だぜ」
しばらくして、体育館から残りの9組のメンバーとクボタが戻ってきた。みんなバンドの出で立ちを見て、ぎょっと驚いたが、すぐにTシャツに着替えて、記念写真の撮影になった。クボタがカメラを向けると、教室のあちこちで、思い思いのポーズをとった同級生が、最高の笑顔で笑っていた。
「じゃ、みんな並べー、最後に全員で撮るぞー」と言うと「それじゃ、先生が写らねえじゃん」とコマツが言うと「あたしが撮るよー」とケイがクボタの所に行き、カメラを受け取った。
体育館に戻ると、7組が変な寸劇をやっていた。次の出番になっている8組のケイは、Tシャツを脱いで急いで舞台袖に走っていった。バンドメンバーは目立たないように上手の裏ドアから舞台袖に入った。7組の芝居が終わると、8組がステージにあがり、交代でクラスメイトが揃いのTシャツで入ってきた。
8組はピアノ演奏で『あの素晴らしい愛をもう一度』やベッツイ&クリスの『白い色は恋人の色』を歌っていた。そこに次の出番のカサハラバンドも楽器を持って入ってきた。かれらはお揃いのTシャツのクラスメイトに圧倒され、さらに髪の毛を逆立てて化粧までしている9組バンドを見て絶句した。
カサハラは派手なサテンのジャケットとパンタロン、花柄のシャツをきていたが、圧倒的に存在感は9組がロックだった。アキラが「森園かっこいいじゃん」と言ったので「パンクだろ?」と答えると、またしても不思議そうな顔をした。カサハラは、なんだか悔しそうな顔をして、バンドメンバーを凝視していた。
8組の合唱が終わると、コマツが「みんな行くぜ!」と叫び。クラスメイトが壇上に登る。黒のTシャツを着た35人が舞台の最前列に一列になり、客席に背中を向けた。後ろでセッティングに入ったカンジたちを見えないよう遮り、壇上には『9』の手書き文字が並んだ。。
「緊張する?」とカンジがタガワに聞くと、「ぜんぜん、もうワクワクして早くやりたいぜ」と笑った。ステージに背を向けたクラスメイトたちがバンドメンバーの動きをニコニコしながら見ている。学級委員のキタニがセンターマイクに近づいた。
「先生方、PTAのみなさん、ご父兄のみなさん。3年間ありがとうございましたそれでは9組の合唱をやります」と言うと、カンジがタガワにアイコンタクトして、いきなり「ダツツ!ダツツ!ダツ!ダツツ!ダツツ!ダツ!ダツ!ダツ!」とボンゾのイントロを叩き出すと、クラスメイトが中央から真っ二つに割れて、舞台の両袖に分かれた。
「It’s been a long time since I rock and rolled,」チェリーサンバーストのレスポールをかき鳴らして、カンジが叫ぶ。コマツもタガワも正確な八分音符でリフを決める。2人はタガワと向き合ってビートを確認しながら、演奏している。
突然現れた、異様なメイクと髪型の4人が爆音で演奏し、ほぼ全員が椅子から立ち上がった。客席後方にいたワキサカとテラオカが舞台下まで走ってきて、西高の文化祭の時のように、コマツに声援を送りながら踊り始めた。もちろん舞台の上のクラスメイトもリズムに合わせて踊っている。
「It’s been a long time, been a long time」とカンジが歌うと、クラス全員が「・ローンリー, ローンリー, ローンリー, ローンリー, ローンリー・タイム!」と大声で叫び、最後のエンディングのドラムソロをタガワが決めると、間髪入れずに、カンジがビングマフを踏んで『ジャンピン・ジャック・フラッシュ』のリフを弾く。この時代にはまだ発売されていない、ストーンズの『ラブ・ユー・ライブ』のイントロ抜きバージョンだ。
「But it's alright now In fact it's a gas , but it's alright」に続いて全員が
「I'm Jumping Jack Flash It's a gas , gas , gas !」と叫ぶ。
エンディングで全員がジャンプを決めると、タガワが「ワンツー」とカウントを入れてコマツが『D7』を鳴らした。3曲めはコマツのリードボーカルで『ルイジアンナ』を歌う。初めて聞いた頃の比べると、コマツは格段に歌が上手くなっている。
カンジとタガワは1本のマイクを挟んで、ポールとジョージのように「Oh ルイジアンナ、Oh 恋しい」とコーラスを入れると、全員がぴょんぴょん跳ねながら「もう一度 踊って、もう一度 キスして、お願いだから!」と叫んでいる。
「あーまーいー唇、震わせてぇーー」と歌い終わると、コマツはカンジ見て合図を送る。タガワがバスドラを「ドン、ドン、ドン、ドン」と四つ打ちを踏むと、体育館に大きな手拍子が起きた。
「それじゃ、9組最後の曲になっちゃいましたー」とカンジがMCを入れる。
「最後に、3年生の先生方に拍手してくれー」と言うと、会場が大きな拍手を起きた。「さらにPTAのみなさんや、関係者のみなさんにも拍手!」
「そして、最後にこいつに盛大な拍手を頼むぜ、ベイビー、俺たち9組の担任のクボタショーゾー!」とクボタを指さすと、全員から大きな拍手が起き、クボタは恥ずかしそうに立ち上がった。
「それじゃ、最後にありったけの僕たちの愛を送ります」と言うと、バスドラが止み、カンジはクラスの全員に向かってタイミングを整えた。
「Close your eyes and I'll kiss you. Tomorrow I'll miss you」と歌い始めると、全員が体育館のマイクを囲んで『オール・マイ・ラヴィング』を歌う。客席を見ると、クボタも立ち上がって手拍子をしながら歌っている。ササイとユースケが舞台下で歌っているケイに手を伸ばして、舞台に引き上げた。
コマツの葬式の日に、真っ黒な海に向かって歌った曲を、こうしてコマツと一緒に演奏していることに、胸がいっぱいになって2コーラス目からは、歌えなくなってしまった。それを察したのか、メンバーやクラスメイトがさらに大きな声をあげてビートルズを合唱した。みんな笑顔だった。カラッカラの笑顔で大声で歌っていた。
「All my loving I will send to you」とラストを歌い切り「みんなありがとうー!愛してまーす」とカンジが叫び、体育館には大きな拍手が起きた。みんなはビートルズのように礼儀正しく頭を下げてステージを降りた。
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