第14話 オール・マイ・ラヴィング:ザ・ビートルズ

カンジ、コマツ、ユースケ、ササイ、そしてケイがコバシを取り囲んだ。ここで色々と話をするのは、キタニやバンドのメンバーもいるので、詳しい話は明日クボタを交えて行うことにした。ユースケが小声で「おれたちも全員コバシと同じなんだぜ」と耳元で囁くと、コバシトモコは目をまん丸にして全員の顔を眺めていた。


3月5日。前日の公立の入試結果のせいか、朝からクラス内はザワザワしている。彼らは昼休みにクボタの管理する技術室に集まり、そこでコバシとの情報を共有した。


ササイカツオは2021年、62歳でやってきた。大学卒業後は大手の銀行員として、定年退職後も延長雇用で働いていた。いつものように出勤前に目を冷ますと、そこはササイ家の二段ベッドの中だった。


コバシトモコは1998年、40歳でやってきた。中学時代から公言していた通りに、日大芸術学部の放送学科に進学し、卒業後はFMラジオ局に勤務した。彼女もササイと同じく通勤前に目を覚ますと15歳になっていた。


それぞれが、この先に起きる出来事を説明すると、24年後からやってきたコバシは興味津々で「で、結局ノストラダムスの大予言は外れたのね」とほっとした顔をしていた。


「確かにノストラダムスは外れたけど、聖書の預言に近い世界はやってくるぜ」とササイが言う。

「あー、確かに。『ヨハネの黙示録もくしろく』や『日月神示ひつきしんじ』とか」とカンジが続く。

「なんだ、おまえ結構詳しいな」

「まー、そいうの好きなんで」と笑った。

「そういう怪しい終末論って、いつの時代にもあるんじゃね」

「うん、でも世界的な疫病の蔓延とか、中国共産党の台頭は、預言に近いぞ」

「さらにアメリカの不正選挙での民主主義の崩壊と、国際金融資本の悪巧みとかも、全部繋がっているような気がする」とササイが、憂鬱そうな顔で言った。


「確かに現実としては、ササイの言う通りの世界になっている。でも、俺が思うに、人々の心の中にあるのが『希望』ではなく『絶望』であることが、最も深刻なことだと思うんだ」

「みんな、この世界にやってきて感じていると思うけど、この時代は『今日より明日はもっといい日になる』と信じていなかった?」

「確かにそうね。未来にはたくさんの夢と希望があった」

「うん、ここに来て、こんなにも生きているのが楽しいと感じるもんな」

「なんとか、ならないもんかねぇ」とコマツが腕組みをして呟く。

「あたしたちができることがあればいいのにね」

「せっかく、未来から来た人間がこんなにも揃っているんだからな」とクボタが真剣な顔をして呟いた。


「それはそうと、おまえら西高合格おめでとう、よくやったな」

彼らはお互いに顔を見合わせて、照れ臭そうに笑った。

「高校に入ってからも、ずっと先生と連絡しますよ、俺、考えていることがあるんです」とササイが言った。

「おう、楽しみにしてるぞー」

「あ、先生、お願いがあるんですけど、近いうちに技術室を貸してください。9組全員で謝恩会用にお揃いのTシャツ作りをやりたいんです」

「構わんぞ、放課後は空いているから自由に使えー」



3月9日。普段は土曜日で半ドンだが3年9組だけは、全員が弁当を持って登校した。放課後に全員が技術室に集まって弁当を食べる。「あたし9組じゃないのに、いいの?」とケイが不安そうな顔をしていたが「文句言う奴がいたら、オレがぶっとばしてやるよ」とカンジよりも先にコマツが息巻いていた。


弁当が終わると、体操服のジャージの上下に着替え、床にビニールシートを敷き詰め、その上に黒色の半袖Tシャツを並べる。Tシャツは全部Lサイズで発注。制服の上から着るので、ぶかっとしたものでよいのだ。サエキのお母さんから購入したTシャツの代金は、クボタが「卒業祝いだ」と全額出してくれた。


Tシャツの上に白ペンキを筆に付けて、ジャクソン・ポロックのアクション・ペインティングのように描いて見本を見せた。他にも技術室には黄色や赤のペンキもあったので、それらを使って自由に描かせた。


「さすがだな、学校の先生でもしていたのか?」とササイが聞いた。

「うん、美大と専門学校の非常勤講師をしていたよ」

「それにしても、中学生が熱中している姿を見れるって幸福だよな」と、3人の子供を育てたユースケが言う。見た目は同じ15歳なのに、かれらにしてみれば、息子や娘のような同級生なのだ。


面のペイントが終わったTシャツを技術室の木工机の上に並べて乾かし、次に背中に、大きな筆で『9』という文字を描いた。


「こんな感じで全部に、この文字を入れてくれ。終わったら、最後はどれでもいいので自分のTシャツにして、想い想いのデザインをしてくれればいいよ。友達に寄せ書きしてもらうのもいいしさ」と言うと、ユースケは『9』の数字の上に、『 YOU-SUKE』と自分の名前を野球のユニフォームのように描いた。


「あたしの背中も『9』って描くの?」とケイが聞いたので、彼女のTシャツの背中に『9』を書き込んだあと、『-1』を書き加えると、嬉しそうに笑った。


カンジとコマツとタガワとマスオカの4人だけは、クラスメイトの黒Tシャツとは逆の、白Tに黒でペイントした。カンジはケイに『9』の文字を描いてもらっていた。午後の日差しが差し込むペンキ臭い技術室で、担任のクボタは、嬉しそうに生徒のTシャツ作りを眺めて、持参したカメラで写真を撮っていた。



コマツとケイとカンジの3人での帰り道。この頃はすっかり3人で下校していた。というよりも、学校内でもバンドの練習でも、かれらはいつも3人一緒にいた。


「明日の昼によ、楽器屋に付き合ってくれよ」

「え、なんか買うの?」

「おう、お袋に入学祝いに何かくれと言ったら、カネくれてさ。そろそろあの質屋のギターにも引退してもらって、まともなギターを買おうかなと思ってよ」

「いいじゃん、俺もおかんに小遣い弾んでもらったから、秘密兵器を買おうかなと思っていたところなんだ」

「秘密兵器ってなあに」

「まあ。それは明日のお楽しみってことで」


翌日かれらは、横浜ヤマハの楽器の森の中にいた。それまでのコマツのギターは質流れ品で、シルエットはギブソンSGなのだが、ピックガードにスカジャンの刺繍のような虎のイラストが描かれており、変なアームまで付いているという、見事なパチモンだ。


コマツにグレコEG300というギブソンSGのコピーモデルを薦めた。ケイはカンジと同じチェリーサンバーストのレスポールを薦めていたが「お揃いのギターなんて、フォークグループみてえで気持ち悪いだろ」と一蹴した。


カンジもMXRの『Distortion+』と『Phase 90』というエフェクターを手に取った。本当はディストーションではなくディマジオのピックアップに交換し、さらフェイザーではなく、フランジャーが欲しかったのだが、まだこの時代には発売されていなかった。


アンプのコーナーで試し弾きを申し出ると、店員がカンジのことを覚えていて「やあ、レスポールの状態はどうだい?」と聞かれた。コマツのSGにエフェクターを二台繋いで弾くと、ふたりは目を丸くして「かっこいいー!」と叫んで、コマツも『Distortion+』を購入すると言った。


会計になってカンジが店員に「もうちょっと負けて」と値切りの交渉をする。「今月はレスポールもアンプも買ったやんか、だからもうちょっと負けてよー」と頑張るが、5000円しか値切れなかったので「ほな、このシールド2本おまけしてよ」と5メートルシールドを2本差し出すと、「かなわんなー」と変な大阪弁を使って店員は苦笑いしていた。


「さすが関西人ね、楽器を値切るとは思わなかったわ」

「あほか、大阪ではタクシーでも値切るんやで」

「まじかよ、おそるべし関西人だな」とふたりは笑った。


せっかく横浜まで出たので、国鉄で石川町まで乗り、中華街で豚まんと中華ちまきを買って山下公園まで歩いた。3人でベンチに座り、コカコーラを飲みながら豚まんに噛り付いた。コマツは豚まんを咥えたまま、ビニールケースからエレキを取り出し、嬉しそうに弾いている。


「ねえカンジ、こうして海を見ていると思い出しちゃうね」

「ああ、遠足の三浦海岸か?」

「うん。それもあるけど、コマツくんのお葬式の日」

「なんだそれ、縁起でもねえな」とコマツが笑った。


かれらは遠足の三浦海岸で3人で将来の夢を語ったことや。西高の文化祭でキャロルやディープ・パープルで踊ったことをコマツに話した。そして葬式の出棺で、校歌で遺体が車に乗せられたのに怒りを覚え、ふたりは三浦海岸にやってきて、コマツを忍んだのだと説明した。


「そんなことがあったのか、ありがとうな」

「でね、その時にコマツくんのお兄さんが、あのギターをカンジにくれて、それを持って三浦海岸に行ったのよ」

「うん。遠足と違って、真っ黒な海で怖かったな」

「で、あたしがコマツくんのために歌って…ってお願いしたの」

「へえ、森園ありがとうな」

「ちょっとギター貸して」とカンジがエレキを受け取り、チューニングをした。

「あの時のアンプを通さないエレキは悲しい音がしていたよな」とケイを見ると、小さく頷いてこう言った。


「ねえ、コマツくん、その歌ってなんだと思う?」

「え、なんだろう?」

「Close your eyes and I'll kiss you…」

と、カンジが『オール・マイ・ラビング』口ずさんだ。


「まじか、ちくちょー、泣けるじゃねえか」

「Remember I’ll always be true…」とカンジが続けて歌う。


9月の遠足のような、優しい日差しが3人に降り注ぎ、通りすがりの外人が拍手してくれた。

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