第9話 十五の夜:尾崎豊

1973年12月31日。第24回NHK紅白歌合戦は紅組の勝ちで終わった時間に家を出て、学校に向かった。正門の前にはすでに多くのクラスメイトが集まっていた。すでに除夜の鐘は鳴っており、大晦日の夜を実感する。


ケイは、久良岐公園と同じトレンチコートを来ており、首にはマフラーを二つ巻いていた。「ワンピースじゃなくてごめんね」と僕の横に立って小声で言う。「だって、僕だって、こんなダサい格好だぜ」と笑ってみせた。


彼女は、赤と紺のシマシマのセーターにジーンズ。僕は紺色のダッフルコートの下は、茶色のタートルネックにジーンズだった。「寒いからさ、防寒第一だよ。僕なんて靴下二枚履いてきたぜ」と言うと、「あら、あたしもよ」とケイは笑った。


中学を出発して、桜道から鎌倉街道を南下して江ノ島を目指す。47年前の僕とケイにとっては、中学最後の思い出の一夜だ。当時の僕たちも、ふたり一緒に並んで歩いたが、言葉数少なく何を話したのか記憶がない。毎日のように長電話をするような間柄だったが、こうして実際に会うと何も喋れないダメなカップルだったのだ。


だが、この半年間の出来事で。ケイと僕は手を繋いで歩き、時折彼女の方から、腕を組んできたりする。後ろを歩いていたコバシトモコとサエキが「いーわねー、あなたたちお似合いよ」と冷やかす。


「あー、わたしも彼氏が欲しいなあ」とサエキが言うと、

「あんたにはポールがいるじゃない」とコバシが、懐かしいやりとりをしていて、笑ってしまった。


今回のメンツは、ユースケ、ササイ、カメダ、ヤマタ、キタニ、ヤマデラ、コバシ、サエキ、そしてコマツ。コマツは一緒にバンドをやっているマスオカとタガワにも声をかけ、総勢13人の大所帯で鎌倉街道を歩いた。


それぞれ2人から4人くらいのグループになり、そのグループも時々メンバーが代わり、夜通し3年生の思い出に浸っていた。時々はコマツとユースケがやってきたが、その時の話題は、これからの計画についての内容なので、僕たちはみんなから離れて最後尾で、ヒソヒソと話をした。


この当時は、まだ自動販売機が少なく、さらに暖かい缶コーヒーの販売機はポッカから第一号機が出たところなので、僕たちは各自、暖かいお茶や、ミルクと砂糖入りのコーヒーや、ミルクティなどの水筒を持参した。1時間に一回くらい、公園や広場を見つけて休憩し、女子はカバンにフィンガーチョコやブルボンレーズンサンドなどのお菓子を持参してきた。それはまるで、ちょっとしたピクニック気分で、15歳の少年少女の背中には羽が生えているようだった。


途中でケイとコマツと3人になることがあり、数日前のケイの高校時代の悲しい初体験のことを思い出したが、ふたりは何事もなかったかのように笑って話をしている。僕も、そのことを思い出すと、せっかくの深夜のハイキングが台無しになりそうな気がして、頭の中から、その出来事を削除した。



一緒に歩いているコマツに、前々から考えていたことを話した。

「あのさ、僕、コマツのバンドに入れてくれないか?」

「えー、本当かよ!」

「きゃー、カンジの歌が聴けるのねー」

「そんなに、騒ぐなよ。実は目的があって、バンドをやろうと思ったんだ」と声を潜めると、ふたりは僕を真ん中に体を近づけてきた。


「以前、クボタが僕たち5人以外にも、未来から来た奴がいるかも知れない、って言っていただろ。僕さ、そいつらを見つけ出す方法を考えんだよ」ふたりは黙って聞いている。


「バンドを作って、卒業式前の謝恩会のステージに出ようと思う」

「おおお!やったぜ!カンジが入れば最強だぜ」

「すごいすごい!」

「ちょっと落ち着けよ」とふたりをたしなめる。


「そのステージで、1曲だけ未来の曲をやってみるんだ」

「ほう」

「そうすれば、未来から来た奴らは僕らに接触してくると思う」

「なるほど、それはいいアイディアね」

「いいじゃん、それ。何の曲やる? 矢沢のトラベリンバスってのはどうだ?」とコマツがウキウキして楽しそうに話す。


「その曲は、僕に任せてくれないか。僕大学時代から、ずっとバンドやってきたから、色々と慣れているしさ、それと、できたら僕がバンマスやりたい。最後に参加した分際で生意気だけどさ」

「いーぜ、大歓迎だぜ、色々教えてくれよ」とコマツのウキウキは、止まらず前を歩いていたタガワとマスオカに向かって小走りに駆け寄って行った。


ケイは腕に手を回し、おっぱいを二の腕に押し付けて言う。「嬉しいよカンジ。あたしのお願いを聞いてくれたのね」

「おう、まかせといてくれ!」と少しおどけてケイの体に腕を押し付ける。

「でも、大丈夫? あの3人の演奏って、けっこう大変よ」

「大丈夫だよ、僕もアマチュアバンドからずっとやってきたからさ。上手に聞かせるコツを知っているんだ」

「さすがね、あたしのカンジは最高だわ」と嬉しそうに言った。


中学の正門から江ノ島までの3時間半、僕たちは途中2回休憩して、大船駅を通過し県道を歩いて、早朝5時前に江ノ島に到着した。早朝なのに初日の出を見に来た人たちで、けっこう賑わっている。僕たちは弁天橋は渡らずに、東側の砂浜のある堤防に集まった。堤防に一列に座って、僕たちはお茶やコーヒーを飲みながら、お菓子を回して日の出を待つ。


「ねえ」と隣のケイが少し小声で言った。

「明後日の1月2日」と言われてどきりとする。

「待ってるからね。家族は午前中から出発するから、お昼になれば大丈夫」

そう言われて、暑い夏の彼女の家を思い出した。そして、コマツが言ったケイの悲しい初体験のことが頭の中で映像になって再生される。


「うん、もちろん行くよ」と小さく答えると

「あたし、2回目の処女喪失なのよ…」と悪戯っぽい目で僕を見た。

本当は三度目の初体験のはずなのに、悲しい思い出は彼女の中で封印しているだろうと思うと、胸が苦しくなり切ない気持ちになった。


「また、ドキドキしてきたよ」…とやっと言葉を出すと

「誰もいなかったら、ここでキスしたいわ」と彼女が耳に口を近づけて言う。

「ぼくだって同じだよ」と彼女の耳元で囁き、ふっと息を吹きかけると「いやん」と言ったので、隣のユースケが「おまえら、なにやってんだよ」と笑う。


あたりが少しずつ明るくなってくる。腰掛けていたみんなは、堤防の上に立ち上がった。東の山の境界線が少しずつ確認できるようになり、放射状の光が見え始める。しばらくするとオレンジ色の半円が顔を出し、周囲のひとたちが「おー」とか「わー」とか言って、拍手している人もいる。


62年間生きてきて、こんなにも美しい初日の出を見たのは初めてかもしれない。空高く照っている太陽は、いつもはじっとしているものだが、この瞬間はほんの短時間で、まん丸の太陽に変化し、言葉にできない感動が全身を駆け巡る。


隣を見ると、ケイの顔にオレンジ色の片光が、美しいコントラストを描いている。

そして、その後ろには光を浴びて輝く見事な富士山があった。

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