第7話 戦争を知らない子供たち:ジローズ

次の日、休み時間は隣の席のコマツと、ユースケと情報交換した。昼休みは屋上前の階段の踊り場や、体育館前の階段でケイも一緒に話をした。僕たちはふたりに「未来ノート」を見せて、彼らの知らない情報を共有した。


2010年でシステムエンジニアをしていたユースケは、スティーブ・ジョブズが他界したことや、ビル・ゲイツがパンデエミックに加担してワクチンでビジネスをしていることに驚いていた。他にもインターネットとクラウドの進化、GAFAが巨大な権力を握っていることに、喜んだり残念そうにしていた。


1998年のケイ、2005年のコマツは、スマートフォンの存在すら知らず、「おまえらの話は人間の会話とは思えねえ」とコマツは言った。


「しかし、未来の話が、こんなにがっかりするものとは思わなかったなあ」とユースケが言う。

「そうなんだ。僕が最初にここに来た時、1973年の日本の未来は素晴らしいものだとして映っていることに、感動したり困惑したりしたよ」

「今日よりも明日の方が絶対にいい日になるって、信じていたって言ってたよね」

「こんなオレでも、ニッポンは世界に誇れる強い国だと信じていたぜ」

「うん。日本人は優秀だから世界を牽引する国になっていると思ってたよ」


「それも、みんな幻想だったんだよ」と呟くと、コマツが

「ちくしょー、悔しいぜー!」と叫んだ。



それから、毎日5人は集まり情報交換に励んだ。「未来ノート」はルーズリーフの形に変え、それぞれに得意分野の情報を書き込んだ。ケイは「あたしの情報なんて、ファッションのヘアスタイルのことだけよ」と言ったが、女性独自の視点で、これから先の未来のことを共有したいから、どんな些細なことでもいいから書いてくれよ、とお願いした。コマツは、僕たちの知らない闇社会のことをびっしり書き込んで、全員が目を丸くした。


週末の日曜日、僕たちは駅前で集合し、京浜急行で3駅先のクボタのアパートに向かった。コマツは赤のスイングトップではなく、ライダースの革ジャンにスリムのブラックジーンズで、つま先の尖ったブーツを履いていた。ユースケはボタンダウンにチノパン、UCLAのスタジアムジャンパーを来ていた。ふたりとも中学生よりも大人びた雰囲気で、それは中身がオッサンなのだから当然だと思った。


アパートというよりは、家族向けのハイツのようなクボタの家。玄関のドアをノックすると、「おう、よく来たな、まあ上がれ」と笑顔で迎えてくれる。いつものことだが、あまり表情を変えないクボタの笑顔には、いつも癒される。


クボタのアパートは、2DKの広さで、ダイニングも少し広い。きっとこの先、ムツコ先生との新居になるのではないかと、少しニヤついてしまう。


「先生、今日はムツコは来ねえのかよ」

とコマツが、コタツの前に座って言う。


「おまえ、人の婚約者を呼び捨てにするんじゃない!」とクボタが笑う。奴は中学三年が終わったあとに、保健室のサトウ・ムツコ先生と結婚する。来年の春に行った3年九組の同窓会で、全員が知ることになるのだ。


「ムツコって、サトウ先生のこと?」と喘息を患って、保健室の常連になっているケイが聞く。

「おう、来年の春に結婚するんだぜ、カンジは知ってた?」

「うん、引っ越してからコバシに手紙で教えてもらったよ」とコタツに潜り込んで言う。ケイは横に座ってニコニコしている。


「夕方、こっちに来てメシ作ってくれるから、おまえらも食べて帰れ」とクボタはポケットからハイライトを取り出して、コタツの上に出すと同時に、コマツもショートホープを机の上に置く。


「コマツ、教師の前ではちっとは遠慮しろ」とクボタが言うのもおかまいなしに、ユースケと僕も、ポケットからセブンスターを取り出した。


「おまえら、コーヒーでいいか」とクボタが立ち上がり、ケイが「あたしも手伝います」とキッチンに向かい、インスタントコーヒーとクリープと砂糖と、コーヒーカップと象印の魔法瓶を持って戻ってきた。



「さてと、今日はこれからのことを話し合いたいと思ってな」

「先生、その前にこれを見てよ」と『未来ノート』のバインダーを取り出して、机の上に置いた。


クボタはコーヒーを啜りながら、未来ノートを1ページずつ丁寧に読み始めた。最初の頃は「ほう」とか「ふーん」とか、時々笑顔を見せていたが、ページが進むに連れて食い入るように読み、険しい顔になっていった。そして最後に「ふぅー」と大きなため息をついて、僕たちを見た。


「これは全て本当に起こること、ということか」

「予言でも占いでも小説でもないです」とユースケが言う。

「お先真っ暗、って感じだよな」とコマツが煙を吐きながら言った。


「一番遠い未来から来た僕から言わせてもらうよ。確かに事実だけを列挙すると、日本の未来は暗いことばかりだ。そしてそれは、もっと劣悪になっていく可能性がある。特に2020年のパンデミックは、日本だけじゃなくて世界が深刻な危機を迎えると思うんだ」

「パンデミックってなんだよ」

「いわゆる疫病の蔓延ってやつだ。中国の細菌研究所から漏れたとされているけど、本当は意図して蔓延させたんじゃないか、って説もある」

「そんな! なんのためにそんなことするんだ」

「世界の人口を減らすため、という説もあるが本当のことは分からない」

「きっとショッカーの仕業だぜ」とコマツが笑ったが、みんなは僕の話に集中している。


「そのパンデミックが意図的に起こされたとしたら、その黒幕はユダヤ系の国際金融資本かもしれない、って説もあるよ」

「フリーメイソンってやつか?」とクボタが口を挟んだ。

「それって都市伝説とか陰謀論じゃねえの」とユースケが言う。


「まあ、その説は正しいかもしれないが、僕は否定もできないと思っているよ。今回のことはロスチャイルド、ジョージ・ソロス、ビル・ゲイツ、そしてアメリカの民主党が組一緒になって、中国共産党と組んだかもしれない、ってね。まあ、そんなことを人前で言うと『頭がおかしい』とか『電波系』とか言われるので、黙っているけど」

「どうして、そこにビル・ゲイツが加わっているんだ」とクボタが聞く。

「ゲイツは、2008年にマイクロフトの会長職をおりて、ワクチンと予防接種のための財団を作ったんですよ。今回のパンデミックとワクチンの関係で、話が出来すぎているってことで疑われているみたい。本人は慈善活動家って自称しているので、本当はいい人なのかもしれないですけど」


「どうして、そんな噂が拡散するのかしらね」

「ひとつは、中国共産党が巨大な力を持って、世界の覇権を握ろうとしているのが、大きいのかもしれないね」

「そんなに中国が大きな国になるのか」とクボタが興味津々で聞いていたので、近年のウイグル人弾圧や、香港問題、一帯一路、台湾と尖閣諸島などの話をすると、目を丸くしていた。


「中国って、日本よりも後進国だと思っていたわ」

「ああ、みんなそう思っていた」

「三角の傘をかぶって畑を耕して、せいぜい自転車が贅沢品みたいな」

「コンピュータやネットワークも日本よりも進化しているし、その技術を使って国民を完全にコントロールしているんだ」

「なんか、SFの小説みたいだな…なんだっけ?」とユースケが天井を見上げる。

「ジョージ・オーウェルの『1984』だろ」

「あ、それそれ」

「なんだよ、それ」とコマツがユースケを見た。

「古い海外の小説でさ、独裁国家が市民の思想や言葉や結婚とかを管理して、当局は街中や家の中にもマイクをしかけて、会話を全部監視しているんだ。造反する市民は当局に逮捕されて、尋問や拷問を受けるんだよ」

「戦争中の日本って、そんな感じだったんでしょ?」とケイが聞いた。

「まあ、国民の思想を統一するって意味では、それに近いね。小説では市民の会話をマイクで監視していて、市民は指導者の演説を聞いて、忠誠を誓う。実際に中国では街中に監視カメラがあって、国民は全員データベース化されていて、政治も一党独裁だからね」


「なんか、あたしたちの知らないところで世界はすごいことになっていたのね」とケイが言うと、クボタが「いや、知らないというか気が付いてなかったんだろうな。中国は文化大革命や天安門事件とかの例もある」


「ある意味、日本は戦争に負けて平和な国になったと思っていたけど、隣の国では、長い時間かけて、世界の覇権を握ろうと思っているんだろう。その意識の違いが、日本と全然異なるんだ」とクボタが続けて言った。


重たい空気が5人を押しつぶしそうになっている。

クボタは「少し休憩しようか」と立ち上がり、煙だらけの部屋の窓を少し開けた。「ポットのお湯がないから、沸かしてくるね。先生、台所借ります」とケイが、コーヒーカップを集めて、台所に向かった。


「おお、すまんな」そう言って、再びハイライトに火をつけて「森園、澤木さんっていい子じゃないか」とクボタが笑う。

「そうなんっすよ。最初に出会わせたのは、俺ですからね。森園、感謝しろよ」

「ああ、ユースケありがとうな」と言いながら、この半年間の出来事を思い出していた、修学旅行の新幹線や、ひと夏の経験のこと。コマツと一緒だった屋上と、遠足と高校の学園祭。そして、バイクで死んでしまうコマツが目の前で生きていることを、心の中で神様に感謝した。


コマツはショートホープを手にして、僕の顔をじっと見ている。

「ほんとだぜ、森園。おまえ絶対に澤木を離すなよ」

「おう、もちろんだ」

「絶対に離すな、わかったな。おまえら別れたら、オレはお前を半殺しにするからな」と願力の強い視線を送ってきたので、すこしびびった。



ケイがお湯を沸かし、二杯目のコーヒーを配った。


「そういえばさ」とユースケが僕に向かって言う。

「おまえ、二学期が終わると関西に引っ越すんじゃなかったっけ?」

「ああ、それなんだけど、親父に聞いても「そんな話はない」って言うんだ。もしかしたら、二回目の過去は、微妙に何かが違うのかもしれない」

「そうか!よかったな澤木」とコマツが、ケイに向かって言った。

「うん」とケイが小さく頷いた。本当はもっとみんなの前で大喜びするのかと思っていたのに意外だった。

「澤木も、ずっと安心して森園と一緒にいろよな!」

「そうだけ、ありがとうコマツくん」とケイがコマツを見て、少し笑った。



「これからの未来の話は、これからももっと教えてもらうとして、今日集まってもらったのは、これから、俺たちが何をしていくべきかを話し合いたいと思ってな」とクボタが口を開く。


「でな、俺は、このあいだ澤木さんが『今を楽しんで、新しい未来を作りたい』と言った言葉のことをずっと考えていたんだ。この世界に再びやってきて、俺は何をしていけばいいのかずっと悩んでいた。」


「確かに、僕ら最初にやってきた時『歴史を変えてはいけない』って思って、すごく悩みました。でも、歴史に抗って生きても、大きな意味では歴史そのものは変わらないんじゃないか、って思っているんです」

「というか、ぼくたちがこの世界で急に成績があがったこと自体、すでに歴史を変えているしな」

「オレが西校に進学するってこと自体、大事件だかんな。まるっきり違う未来に進んでいくんじゃねえかな」とコマツは考え込んでいた。


「つまり、この世界にいる限り、絶対に最初の人生のようにはいかないってことだ。おまえたちも、意識的に最初の人生を準えようにも、絶対にできないと思う」

「そうなんですよ、みんなそれぞれに生きてきた人生経験や知見がある。それらを隠そうにも必ず滲み出てくると思うんだ。てゆうか、そもそも隠す必要なんてないんじゃんないかと思う」


クボタは大きく頷いて続ける。「ただな…」

「どんな理由か分からんけど、ここにこうして来てしまった以上、何か意味のあることをやりたいと感じているんだ」

「確かに。ぼくひとりじゃなくて、5人も同じ経験をした人間が、こうして集まっていることが、本当に偶然なのかと思ったりするな」とユースケが言った。

「役目というか、役割のようなものが、俺たちにあるのかも知れんな」

「うーん。そんな神がかったことは分かんないですけど、この状況を無駄に使ってはいけないような気がするんです」


「あのさ…」

「この世界に来て思ったのは、ここはみんな『明日は今日よりも素晴らしい』って思って生きてたじゃん。というか今もみんなそう思ってるよね。でも、僕が言ったように未来はどんどん悪くなっていて、みんな『昔はよかった』って思う人ばかりになるんだよ」

「でさ、出来るなら、50年たっても『明日は素晴らしい日になる』って希望が持てるような国になればいいと思っているんだ」

「けど、そんな大それたことは、たった五人では不可能だと思う。だけど、少しでも、そういう役に立てるようなことができないかな…ってずっと思っているんだ」


そう言うと「おう!賛成!」とコマツが大きな声をあげた。

「確かに、俺たちにしかできないことがあるとしたら、それかも知れないな」とクボタが腕を組んで大きく頷く。


「あたしね…」

「あたし、この世界に来て、願っていることはひとつだけなんです。それはね…『幸せになりたい』ってこと。あたしはいまカンジと一緒で最高に幸せなんです。その幸せがいつまでも続くために、一生懸命にお金を稼ぎたいと思っています」

「そうなんだよ、まずは、みんなが幸せになること。次にお金を準備すること、そして未来のために自分たちが出来ることを探したいと思うんだ」


「確かに資金は必要だな。それも中途半端な金じゃなくてまとまった資金がいる。でも、これから先のことを知っているぼくたちならできそうな気がするな」とユースケが呟いた。

「よし!じゃあ、まずか金儲けだ!みんなでバイトすっか」とコマツが言うと、みんなが笑った。



「ただいまー」と玄関のドアが開いて、ムツコ先生が大きな紙袋をふたつ抱えて帰ってきた。「お邪魔してますー」とみんなが玄関を見る。ケイは立ち上がると玄関に向かってムツコ先生に挨拶している。「まあ、澤木さん、いらっしゃい」と紙袋を台所のテーブルに置いて「今日は八宝菜にしますからね」と言うと、コマツが「ヒャッホー」と叫ぶ。ケイは「あたしも手伝います」と言って、紙袋から野菜を取り出すのを手伝っている。


コマツは台所に聞こえないような小声でクボタに言った。

「センセ、オレたちのことはムツコには言ったのか?」

「いや、まだだ。こんな信じられないようなことを言うのには、すごく勇気がいる。どうやって本当のことを伝えようか、毎日悩んでいるんだ」

「なんだよー、センセらしくねーなー」


「いや、分かりますよ。僕も本当のことをケイに伝えるのに半年かかりました。というか彼女も未来から来ていたので、最後の気持ちは楽だったけど、半年間は苦悩の日々でしたよ」

「そうだろ…」とクボタが僕の目を見て、訴えるような目をして言った。


「でもよ、女房に隠し事すると、ろくなことねえぜ」

「その通り。正直に白状すると、めっちゃ楽になりますよ」

「本当っすよ。なんせ家の中で一番偉いのは、女房ですからね」


とユースケが言うと「おまえら中学生の会話とは思えないな」とクボタが大笑いした。確かにここに座っているのは、全員オッサンだった。

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