第6話 12月の雨の日:はっぴいえんど
次の日からも、僕たちは毎日図書室で受験勉強をした。僕の方は前回ノートを完成させていたこともあり、今回の期末テストには自信があった。ケイも猛烈なスピートで中学三年生の学習を吸収し「クラスで一番にはなれないかもしれないけど、本当の過去よりもいい成績を残せるような気がする」と言っていた。
それとは別に、これから先のことを考えた僕たちのノートもどんどん成長していった。僕たちはそれを「未来ノート」と呼んで、お互いに記憶を手繰りながら書き込んでいった。最初はオイルショック、ソビエト崩壊、バブル経済、天皇崩御、阪神大震災、ウインドウズ95、携帯電話という大雑把な項目だけを書き、その前後を思い出しながら、これから先に起こる出来事を書き加えて行った。一種の連想ゲームのように。
例えば、ソビエト崩壊のメモの後には、ベルリンの壁崩壊、天安門事件、イラク戦争、EU統合、香港返還と書き加えた。しかしながら四十一歳でこっちの世界に来たケイは、僕とは二十年の差がある。彼女は1999年以降の世界を知らない。
例えば、ケイは携帯電話が普及している世界は知っているが、その後にスマートフォンが普及し、誰もが365日24時間インターネットに繋がっている世界を知らない。もちろん9.11同時多発テロや、東日本大震災、福島原発メルトダウン、東京オリンピックのことを話すと、目を丸くして興味深く聞いていた。
「なんだかオリンピック以外は、深刻なことばかりなのね」
「いや、オリンピックも思った以上に盛り上がっていないんだよ」
「そうなの?」
「うん、ものすごくお金がかかるから国民の多くは喜んでいないみたいに見えていたな」
「そうなんだー、なんだか未来を知っているって、もっと楽しいことのような気がしていたけど、色々聞いていると、これから生きていくのは大変なのね」
「確かにそうだね。僕もこっちの世界に来て思ったのは、未来は輝かしいものであり、明日は今日よりもいい日になるってみんなが信じていることが素晴らしいと思ったよ」
「あ、わたしも同じことを感じたわ」
「でもさ、悪いことばかりじゃないし、これから先まだ何年もある。僕がやってきた47年後の世界までには1万7千日もあるんだぜ」
「そうね、確かに毎日を一生懸命生きていけば、絶対に幸せに近づけると思うわ」
「だろ? それに悪いことが起きる時は、予測ができるからね。そのためにこのノートを完成させていけばいいんだよ」
「さすがはカンジね。素敵よ」と頬にキスをされ、僕たちは笑った。まだ1973年は幸福な時代なのだ。この時代から1年1年を大切に生きていきたいと思った。
そして二学期の期末テスト。特訓の効果があったのか、回答には自信があった。なにしろ二週間前は学年一の優等生だったのだ。学校からの帰り道でケイも、今回の試験は自信があると微笑んでいた。試験の翌日は休校になり、僕たちは象さん公園でこれからのことを話し、日曜日も一緒に過ごした。
週明けの月曜日。朝のホームルームでクボタがニコニコした顔で入ってきた。
「おまえら、試験よく頑張ったな。答案はそれぞれ担当の先生から帰ってくるが、全ての採点は終わっているので、いつものクラスのベスト5だけを発表するぞー」
今回も楽勝でトップだと思っていたのだが、クボタの発表で腰を抜かしそうになった。今回の採点の一位は、なんとユースケで、僕は二位に甘んじてしまった。そしてそれより驚くべきは、五位にコマツの名前があったのだ。
「二学期になってからのコマツの努力はすごいな。みんな拍手してやってくれ。そして二位になった森園はもっとすごい。拍手!」と言って、教室中に笑顔と拍手が充満するが、僕の耳には何も聞こえず、数ヶ月前に感じた不安が再び蘇ってきた。
僕の名前が出た時、みんなが後ろを振り返った。その中でユースケと目が合い、奴は親指を立てた。そして横のコマツを見ると、照れ臭そうに笑っていたが、目があうとユースケと同じように親指を立てた。
終日落ち着かない気持ちで授業を受けた。もちろんユースケとコマツのことだ。正しい歴史では、ユースケの成績は上の中くらいで、もともと頭はよかった。だが四十七年後の僕を追い抜くような成績であることに疑問を感じていた。もっと不思議なのはコマツだ。奴はこのクラスでワースト3に入るような劣等生で、数日前にはクボタから「このままだとコマツは高校にいけないから、森園が勉強を教えてやってくれ」と言われたのだ。そんな奴がいきなり成績上位になるということは考えられない。考えられる理由があるとするならば、ひとつしかない。それは僕やケイと同じように未来から転送されてきたということだ。
確かに授業中は、かつてのコマツのように机に突っ伏して寝ることもなく、熱心にノートを取っていた。信じられない光景に思わずコマツをじっと見ていると「なんだ、どうした?」と僕を見て笑った。休み時間に「コマツすげーな」と言うと「おまえの方がすげーじゃねえか」と返されてしまい、本当のことを聞きそびれてしまう。
放課後、ケイが廊下で僕を待っていた。終始ニコニコ笑顔なので、きっと試験の結果が良かったのだろう。「聞いて、聞いてカンジ。あたしクラスでトップになっちゃった」と興奮している。
「カンジもまたトップになった?」
「いや、僕は二番だったよ」と言うと、ケイの顔が曇った。
「え、どうして? なんで?」
「うん、詳しく話すよ」と、鞄を持って図書室に向かった。
いつものように、図書室で向かい合って今日の出来事を伝えた。ケイも驚きを隠せず「うーん」と考え込んでいる。周囲に迷惑をかけないように筆談でやりとりをして出た結論は、ユースケもコマツも僕たちのように未来から転送されたのかも知れない、ということだ。
『でも不思議なのは、僕とケイは、君の今際の際の願いと、オカンが複雑に関与していただろ。ユースケやコマツには関係ないことだよな』とノートに書いてケイに見せた。『確かにそうね』とケイが僕のノートに書き込む。
『もしユースケやコマツも転送されてきたのなら、僕たちに共通するものは何だろう?』『分からないよな。分からないものは分からない。でも現実にそうだとしたら、それはこの世界の事実なんだよ』と書き加えた。ケイは困ったような顔で考え込んでいる。
「よっ!おふたりさん、相変わらず仲がいいねえー」
聞き覚えのある声とセリフに驚いて振り返ると、コマツとユースケが笑いながら立っていた。
「バカ、おめえ、ここは図書室だぞ。でっかい声出すんじゃねえよ」とユースケがコマツの肩を突っつく。「すまん、すまん」とコマツは笑いながら「森園、ちょっと顔貸してくれよ」と顎しゃくる。成績は優秀でも相変わらず言動は不良のままだ。
「あたしも一緒に行く」とケイが言う。コマツは困った顔をしてユースケを見る。
「だって、あたしもカンジと一緒に来たんだよ」
僕たちはコマツとユースケに連れられて図書室を出た。彼らは右側の美術室の方に向かって歩き出す。
「どこへ行くのか教えてくれてもいいだろう?」
「あ、すまん。技術室だよ。クボタから森園を連れてきてくれと言われてさ」とユースケが答える。「しかし一緒に来る…ってどうゆうことなんだよ」とコマツが独り言のようにぶつぶつ言いながら歩く。
図書室の一番端、美術室の隣に技術室がある。横開きのドアを開けると、六台の木工用作業台が並び、一番奥の作業台にクボタが座りタバコを吸っていた。教室に入るとコマツがガチャガチャと鍵を回し、ユースケがカーテンを引いた。窓から差し込む夕日で、煙の姿がはっきり見えている。クボタは吸っていたハイライトを缶詰の空き缶でもみ消して、こっちを見た。
「その女子は誰だ?」とクボタが僕とケイを交互に見る。「八組の澤木です」とケイが答えるのと同時に、ユースケが「森園の彼女っすよ」と言った。「なんで森園の彼女が?」とクボタが言うのと同時に、コマツが「彼女、森園と一緒に来たって言ってるんだよ」とケイの方を向いて言った。
「一緒に来た?」とクボタが目を丸くして僕たちを見る。「お手手つないで一緒に来たのかい?」とコマツが笑いながら技術室の丸椅子に座る。
「そうじゃない。ただ話すと長くなるから、まずはみんなのことを教えてください。三人とも過去の世界からやってきたんでしょ」と、ケイと一緒に丸椅子に座ると、三人は顔を見合わせ、再び僕とケイを見た。
「そうか…やっぱりな」とクボタは小さなため息をつく。
「オレは2005年。47歳の誕生日の翌日だ」とコマツが言う。
「ぼくは2010年で52歳。朝の通勤時間で飛ばされたよ」ユースケがそう言うと、コマツが「先生も俺と同じ2005年からだってよ、なんと歳は60歳のお爺ちゃんだぜ」とクボタの顔を見て笑う。
「僕は62歳だぜ、先生よりもお爺ちゃんだよ」と言うと、みんな笑うのを止めてこっちを見た。「ろ、62歳って…」コマツが絶句する。「2020年よね、カンジ」とケイが微笑んだ。「澤木も一緒に来たのか?」とユースケ聞くと、「ううん、あたし41歳の1998年。最初に来たのはね」
「最初に来た?」
「そう、今回で僕たちは二回めなんだ」
「なんだよそれ! 詳しく話せ」とコマツが興奮して身を乗り出してきた。
僕たちは、半年前からの出来事を全部話した。それは47年前の出来事と異なり、ふたりはより親密になっていたこと。学校の成績ではトップクラスになったこと。そしてコマツと屋上でいつも一緒だったこと。ササイとの喧嘩のこと、そしてコマツの交通事故と葬式。もちろんふたりの夏の初体験のことは秘密だ。
「うわー、やっぱりオレは死ぬのかよー」とコマツが頭を抱えて叫んだ。奴は32年後にヤクザになっており、歌舞伎町の路上で、三人の鉄砲玉にメッタ刺しにされ、救急車のなかで意識不明になった。
システムエンジニアだったユースケは、朝の山手線のホームから押されて、落ちそうになったOLを助けようとして代わりに自分が転落してから記憶がない。気がつくと校庭でサッカーをしていた下級生のボールが頭に当たって倒れていたと言っていた。
クボタ先生は仕事帰りの車で、信号無視してきた白のセダンに衝突され、気がつくと32年前の自分のアパートの前で、小学生の自転車に体当たりされて、アスファルトで頭を打っていた。
この世界にやってきたのは、ユースケとクボタが同時期の五月。コマツは夏休みの最終日だったという。そして彼らは僕たちが体験した過去は知らないと言っていた。
「で、二回めというのは、どういうことだ?」とクボタが聞く。僕たちは久良岐公園の出来事を話し、その翌日が二週間前になっていたと言った。
「なるほどな」とユースケが言って考え込んだ。
「つまり森園たちが来た理由は、おまえのおふくろさんと澤木が関係しているわけだろ、けどぼくたち三人は、それとは全く関係ない理由なわけじゃん、これは何が要因なのかね」
「ユースケ、僕もこっちに来た時は散々理由を考えた。でも考えたところで何も変わらない。最初に来た理由も、本当にオカンとケイが関わっているかどうかも、今となっては分からないと思うんだ」そういうとケイは大きく頷いた。
「今はなぜこうなったとか、もうどうでもいい。最初は歴史に抗って生きることは、これから先の未来に何か悪い影響を与えるかもしれない…なんてビビっていんだけどさ」みんなは黙って聞いている。「大事なのは『いま』を全力で生きることだと思う。62年生きてきた俺は、いま15歳だけど、あえて昔の道を進まなくてもよいと思っているんだ」
「あたしとカンジは決めたの。ふたりで今を楽しんで、ここから先の未来は今までにない新たしい未来を作りたいって」
ケイの言葉に全員が黙って考え込んだ。
沈黙を破って、クボタが腕組みをしながらこう言った。
「確かに澤木さんの言うことは正しいかもしれないな。俺たちは自分たちの手で未来を作っても、何も問題ないんじゃないかと思ったよ」
「下校時間になりました。学校に残っているものは、ただちに下校してください」と、アナウンスがあり『夕焼け小焼け』の音楽が流れた。クボタが続けて言う。
「これから、この先のことを5人で相談したい。週末の日曜日、俺のアパートに来てくれないか」全員が深く頷いて、立ち上がり技術室を後にした。
教室を出て、ケイと一緒に裏門の方に向かうと、同じ方向のユースケに「あれ、カンジどこいくの?」と言われる。すっかりふたりで帰ることが習慣になっている僕たちには、当たり前の行為だったのだが、2週間前の僕しかしらないユースケには不思議な光景なのかもしれない。
「なんだよ、おまえら、そういう関係なの」とケイと同じ方向のコマツが笑い、結局ユースケも遠回りして一緒に帰ることになった。すっかり正体をカミングアウトした安心からから、ケイが腕を組んでくる。
「くそ、いちゃいちゃしやがって、羨ましいじゃねーか」とコマツが笑う。「だって、あたしたちは熟年カップルですからねー」と、いきなり僕の頬にキスした。「なんか、むかつくなあ」とユースケがコマツを顔を見合わせて笑った。
帰り道、4人はそれぞれ来た世界のことを話した。ケイは美容師になって独立してお店を持っていることを、ここで初めて聞いた。ユースケはシステム・インテグレーション会社の開発部長で、日本のコンピュータ業界は国に守られていないのでダメだと嘆いていた。コマツは、長距離トラックの運転手をしていたが、徐々に裏社会に足を踏み入れ、歌舞伎町の水商売を相手にヤクザをしていると言っていた。
一番ウケたのは、デザイナーをしながら今でも音楽を作っている僕で、みんなは「一度聞かせてくれよ」と興味津々だった。この世界はケイと一緒に文化祭の日に、コマツにピアノを聞かせた体験はないのだと、少し寂しかった。
コマツは、この世界にやってきて、すぐにクボタに正体を見破られ、2回目の中学生をやるなら、勉強に打ち込んでみろと言われ、その気になって勉強したら成績がどんどん上がったことを喜んでいた。
「オレは、またヤクザになって刺し殺されるのはごめんだから、この世界でカタギになって幸せになりてえよ」としみじみ語り、僕とユースケに、これからの進路を相談するからよろしくな…と頭を下げた。
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