第5話 学園天国:フィンガー5

次の日、あたりまえだが普通に学校に行った。こっちの世界では四日後の世界だが、僕にしてみれば昨日の出来事なのだから。黒板の横には「期末テスト」の日程が書かれていた、二週間後の29、30の二日間になっている。


授業の方は、なにひとつ問題がなかった。なぜなら前回こっちの世界に居た昨日までは、教科書に載っている部分はほぼ予習をしてしまっていたからだ。ただし周りの連中は、中身が入れ替わって生成優秀は同級生とは思っていない。このままテストまで昔のふりをするのも無理があると思い、前回のように休み時間になっても、ノートを整理したり教科書を読み返していたりした。


当然、同級生の男子には様子が変だと映ったのだろう、何人かが僕のところにやってきて「おまえ急に勉強したりして、どうした?」と聞かれる。幸い、この時期でもあるし「期末テストのため」とか「高校入試のため」という言い訳を口にすると、首を傾げながらも納得していた。


机に向かって周囲を見ていると、昨日までとは微妙に違う空気が流れていた。大喧嘩をしたササイは、ニコニコと話しかけてくるし、その喧嘩がきっかけで気まずい雰囲気になっていたユースケや、カメダ、ヤマシタも昔と変わらずに接してくる。僕たちの秘密に気がつき、いつもこちらを観察するようにしていたコバシトモコの視線も感じない。隣に座っているコマツもあまり不機嫌そうではない。つまり、僕が知っている中学三年生の二学期の後半そのままなのだ。


半年後に高校受験という、ちょっと不安なイベントが控えているものの、この時期はそれぞれの部活も終わっていて、クラスの中には以前よりも強い結束感みたいなものを感じる。結束感というと大袈裟だが、居心地がよいのだ。


一昨日までは、僕以外に話し相手がいなかったコマツの席に、マスオカとタガワがやってきて、キャロルやビートルズの話をしている。部活一筋のスポーツバカだったタガワはベースギターを買ったらしく、3人でバンドを結成しようとしているみたいだ。実際に正しい過去では、この3人は本当にキャロルを演奏するバンドを組んだようで、僕が転校したあとの、クラスのお別れ会で『ファンキー・モンキー・ベイビー』と『ルイジアンナ』を演奏したらしい。


そのことは、大阪に引っ越したあとのコバシトモコの手紙で知った。しかし残念ながらアンプが一台だったせいか、ドラムがハイハットとスネアしかなかったせいか、演奏が下手だったせいか、イマイチ盛り上がりに欠けたそうだ。


そして、全校生徒が参加する体育館での謝恩会では、陸上部のカサハラが中心になったバンドが人気を博した。ドラムにハットリを入れ、さらにギターにコバシアツシを加えたロックバンドで大いに盛り上がったらしい。


隣の席のコマツが、こっちを向いて「おい、森園も一緒にバンドやろうぜ、おまえもエレキ買えよ」と言われたが、「親から受験勉強しろってうるさいだよな。すまんな」と答えた。実は昨日まで、部屋にはグレコのレスポールがあったことは言えなかった。


授業が終わって下校時間になる。この時期の3年生は部活も終わっており、先輩顔して部活のコーチをする以外の連中は、さっさと家に帰る。きっとコマツやタガワたちも家に帰ってバンドの練習をしているのだろう。


ササイとユースケが「おう、森園、一緒に帰ろうぜ」と誘ってきた。

「すまん、学校に残って勉強するよ」とノートと教科書を手にすると

「なんだよ、急にガリ勉になっちまったな」と笑う。

そこに同じように、ノートと教科書を持ったケイがクラスの入り口に立っていたので、彼らは僕とケイの顔をお互いに見て、ニヤニヤと微笑んだ。

「なんだよ、そういうことかよ、まっ、なかよくやんな」と笑って出て行った。

「船木も、森園と仲良くやれよー」とササイが声をかけたので、ケイは俯いて恥ずかしそうにしていた。


その時のケイの仕草が、昨日までの行動的な15歳とは違っていて、元の引っ込み思案でおとなしい中学生に戻っていて驚いた。昨日のことが嘘のようにさえ思えてくる。もちろん、これはケイが計算した演技なのだろうけど、すごい演技力だ。


「あら、ケイちゃん」

廊下に立ってるケイを、帰り支度をしていたヤマデラとキタニが見つけた。

「どうしたの?一緒に帰らない?」

「え、あの、図書室で受験勉強しようと思って」とケイが言うと、ふたりが一斉に僕の方を見て微笑んだ。

「ははーん。図書室でデートってわけね」とキタニがニコニコ笑って言う。

「いーわねー、なかよくやってね」とヤマデラが僕に向かって言った。

「そんなんじゃねえよ」

「いーの、いーの。仲良くしなさいよー」と笑いながらふたりは出ていった。


ノートと教科書を手にして、胸ポケットにシャープペンシルを刺してケイに近寄った。

「おまえ、たいした演技力だなー、昔のケイに戻ってるもんな」

「あたりまえでしょ。ここからは気づかれないようにしないとね」と昨晩と同じ口調で、不敵な笑いを浮かべて、僕の胸をコンコンと叩いた。


図書室は、このクラスの一番の一階にあった。この時期になってくると、男女が一緒に歩いていても、それを興味深く見るような同級生は少ない。僕たちは廊下を歩き、階段を降りた。


「どうだった? 改めてこっちの世界の初日は」

「前ほど緊張しなかったわ、もともと大人しい女の子だったから、黙っていればよいしね」

「僕たちにしてみれば、たった1日なのに、随分クラスの雰囲気が変わっていたよね」

「そう?うちのクラスはあまり変化なかったなー、カンジのクラスは前に来た時に事件が多かったのよ」

「確かに。ササイと喧嘩したり、クラスの中で弾かれたり、コバシトモコに気づかれたりとかね…。色々あったもんな」


「コマツくんはどうだった?」

「普通だよ。前ほど、やさぐれていなかったよ」


そう言うと、ケイは声をあげて笑った。

「でも、前みたいにコマツと一緒に屋上でタバコ吸ったり、遠足行って弁当食ったり、高校の文化祭でバンド見たりしたのが、この世界の歴史に残っていないのは、少し寂しいな」

「何言ってるのよ、あたしたちの記憶に残っているわ。それでいいじゃない」

「確かにそうだ、俺たちだけの記憶だもんな」

「そうよ、何年かして昔を思い出して、ふたりで笑えるなんて素敵じゃない」

「なんか、おまえ急にすごいこと言うなあ」

「急にじゃないよ、これが41年生きてきた、あたしの本当の考えなんだよ」

「そりゃそうだ」と時間軸がぐちゃぐちゃになっている今を俯瞰で眺めて、笑いがこみ上げてきた。


図書室は一階の校舎の北の端。僕はこの中学校で一度も足を踏み入れたことがない。図書室のドアを開けると、右側に受付のカウンターがあり、そこに生徒が2人座っていた。


「こんにちわー」と声をかけた女子がかれらを見て「あっ!先輩」と声をあげた。彼女は部活の後輩である二年生のクミコのクラスメイト。二学期の夏休みの全校登校日に、カンジにラブレターをよこした時の取り巻きのひとりだ。


妙に気まずい雰囲気が流れ、クミコのクラスメイトが「図書カード持ってますか?」と訪ねた。元図書委員だったケイは「いい、今日は本借りないから」と言って、少し不機嫌そうに、受付から一番離れた大きな机の方に歩いて行った。


「だれよ、あれ」と椅子に座ったケイが小声ながらも不機嫌そうに言う。

「部活のクミコのクラスメイトさ」

「あ、カンジを好きな女の子ね」

「いや、まあ」

「ふーん、こっちの世界でもモテモテなのね。よろしいわねー」と嫌味たっぷりに言われてしまった。


机の上にノートを置き、横に座っているケイにこう言った。

「どう、中学三年生の勉強は?」

「うん。だいたいは理解できているけど、まだ成績優秀とは言えないかも」

「じゃさ、僕が勉強のやり方を教えようか?」

「なんだか上から目線なのが、気になるんですけど。でもカンジは前に学年で一番になっているもんね。先生、よろしくお願いします」

「よせよ、照れくさいよ」というと、ケイはにっこり笑った。


「まず教科書を最初から最後まで全部読むこと。それも一回だけじゃなく何度も何度も」

「わかりました、先生」とケイが悪戯っぽく笑う

「そのあと、ノートを開いて、何も見ないで教科書の中で重要なところを思い出しメモするんだ。そのあとまた教科書を開いて、最初から全部読む。そしてさらにノートにメモを残す」

「ふーん、効果ありそうね。どこで教わったの?」

「いや、自分で考えたんだ。勉強の基本は教科書を何度も読むことだって、ホームページで読んだんだよ。そうして、ノートを全部埋めたら、答え合わせをして、また別のノートに要点だけを書き出していく。そうやっていくうちに、ノートはすごく純度の高い情報になるから、段階的に成長させていけばいいんだよ」

「さすがはカンジね」と二人で声を出して笑ってしまったので、受付の二年生がこっちにやってきた。


「あのー、すみません。もう少し静かにしてもらえませんかー」と申し訳なさそうに言った。「悪い、悪い」と声を出さずに片手を挙げて謝った。


僕たちは、隣同士に座ってそれぞれ教科書を読み、ノートを取っていた。昨日までの僕なら全教科完璧なノートがあったのだが、今日からすべてゼロスタートだ。しかも、この時代に僕が使っていたノートは落書きだらけで全く使い物にならない。しかし、それは苦痛ではなく、さらに完璧なノートを作り上げる工程が楽しかった。


隣で、ケイもカリカリとノートに細かい文字を書き込んでいた。時々髪の毛のいい匂いがする。昨日とはちょっと匂いが変わっている。


僕はノートの裏表紙に「いい匂いがするね」と書き込んで、指をトントンと叩いて、ノートを見せた。ケイはそのノートを引き寄せて「昨晩あれからシャンプーとコンディショナーを買いに言ったの」と書き込んだ。さらにそこに「前と同じ匂いがして嬉しいよ」と書き込むと、ケイは僕の顔を見て、嬉しそうに微笑んだ。


ふたりで、勉強をスタートさせて1時間くらい経過しただろうか。僕はもう一冊のノートを取り出して、ケイに見せた。昨晩書き始めたケイと生きていくための人生の計画を書き込んだノートを。


ノートには「変化とニーズ」「ビジネスアイデア」「ToDo」という項目があり、まだまだ書きかけだったけど、ケイは食い入るようにそのノートを凝視していた。そして自分のノートの裏表紙に「すごい!さすがはカンジね」と書き込んだ。


僕は自分のノートの裏表紙に「このノートをふたりで完成させていこうよ」と書き、ケイは「賛成、これが完璧になれば絶対に幸せに近づくね」と書いた見せた。

「とにかく未来に起こる出来事だから、正確には覚えてないだろうけど」

「うん、ふたりで力を合わせて書き記していけば、思い出せるよ」

「でしょ?メモでもなんでもいいから、この先に起こることを思い出していこうね」

「うん。楽しそう!」

と、図書室の端っこで僕たちは筆談をしながら、これから始まるふたりの未来に胸躍らせた。


キンコンカンとベルが鳴り「下校時間になりました。学校に残っているものは、ただちに下校してください」と校内放送が流れた。二年生の図書委員が「図書室閉めまーす」と、こっちに向かって言った。周りを見ると僕たち以外に生徒はいなかった。まどのそとはすっかり日が落ちている。11月の午後五時は真っ暗なのである。

教室に戻り、カバンを手にして一緒に下駄箱で靴に履き替え、裏門から学校を出た。一昨日までと同じように、ふたりでケイの家を目指して下校した。


「コマツと言えばさあ、今日奴らと一緒にバンドやろうって言われたよ」

「あら、誰と?」

「部活のタガワと、京都駅で写真取ってくれたマスオカさ」

「ふーん、タガワ君って音楽やるんだー」

「俺もびっくりしたよ」

「うーん、でも気乗りしないんだなー、これが」

「そういえばさ、彼らはクラスの謝恩会でキャロルを演奏してたわ」

「知ってる。引っ越してからコバシの手紙に書いてあった」

「正直言うと、彼らと一緒にやらない方がいいかもね」とケイは少し苦笑いをしていた。よほど三人の演奏がショボかったのだろう。


「だろ、謝恩会は目立つしさ、大人しく観ているよ」

「だめよ。カンジも出なさいよ」

「え、だってメンバーいないし」

「一人でやればいいじゃない。あたしカンジが歌ってくれた曲、大好きなんだよ」

そう言われて、すごく嬉しかったが、卒業式の謝恩会のステージに上がるのは正直嫌だった。嫌だったというか、これまでたくさんのライブでステージに上がってきた経験から、浮いてしまうような気がするからだ。


「ね。謝恩会には出てね。あたしのためにもう一度歌ってよ」

「う、うん」と返答したものの、気乗りがしなかった。ステージに上がるとなると、それなりに構成とか練習とかを考える余裕が、今はなかったのである。さらに練習するにも、現時点ではフォークギター一本しか持っていないことも気になっていた。


笹上四丁目の牛乳屋の角を曲がった。もうすぐケイの家が見えてくる。

「あのさ」

「なあに」

「ケイの3回目の初体験はいつにする?」

「やあねえ、そんなこと考えていたの?」

「だって、僕たちもう4ヶ月くらい禁欲してるんだぜ」

「ばかね。それはタイミングが合えばできることなのよ」

「そのタイミングっていつだよ、ケイはしたくないの?」

「そんなことあたしの口からは言えない…でも」


「でも?」

「来年のお正月、毎年2日はお父さんの実家にお年始にいくのよ」

「キタ!1月2日かー」

「やあね。その日に年始に行くっていっただけでしょ」と言いながら、ウキウキしている僕を観てケイは口で手を抑えて笑った。

「よし!1月2日だな。それまで勉強がんばるぞ」

「もう、何言ってんのよー」とケイは笑い続けている。

「それにしても、ケイの本当の初体験っていつだったの?」と聞くと、彼女は笑うのを止めて一瞬顔を強張らせて僕を見た。


「やだ!」

「え?」

「言いたくない!」


と強い目力で僕を見た。そのまま繋いでいた手を離して、自宅の方へ駆け抜けていった。そのまま立ち止まり、唖然としている僕の方を振り返って「アッカンベー」をした。


「言いたくないの! じゃあね」と前を向いて、そのまま自宅の玄関まで走り抜けて言った。僕は何か大変なことを聞いてしまったのかと心配になったが、玄関の門をあけてこっちを振り向き「また明日ねー」と満面の笑顔で手を振ったので、少し安心した。


帰り道、ケイが初体験のことを言いたがらないことが少し気になったが、考えてみればほとんどの女性が、過去の男性体験を話したがらないのは当然のことだと思った。とはいえ、そういうことを想像するのが悲しい男の下衆な習性なのである。彼女は女子校に通っていたから、初体験が遅かったのかな、などと思いを巡らせて帰路についた。

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