第4話 人生が二度あれば:井上陽水

なんども通った彼女の家からの帰り道。歩きながら、今日話したことを回想していた。なによりも気になっているのが、父の転勤命令が出ていないかも知れないと言うこと。このまま横浜で高校に進学できるのだろうかということ。

ケイを家まで送り、別れ際に「おうちに帰ったら、引越しの話がなくなっているか、それとなく聞いておいてね」と言われたことを思い出す。


本当に、このまま横浜に住み高校進学するとしたら、この先の未来はどうなるのだろうと考えた。あの男子校時代の友達とは、一生会うことがないのだろうかと考えると、少し寂しい気持ちになった。それよりも青春時代を過ごした大阪の街で生活することがないのかと思うと、そっちの方が喪失感が大きかった

しかし、この世界に来るまで十分に大阪で青春を過ごしてきた。こうしている今も、大阪の街並みや地下鉄や地下街のことを思い出せるし、言葉も大阪弁が普通にスラスラ出てくる。この先、大阪に行くことがあるとしても、きっとすぐに大阪の空気に溶け込むことができるだろう。


それより、二度目の人生なのだから、横浜に住み、そして東京の空気の中で青春を過ごすのもよいと思った。むしろその方がワクワクしてしまう。前回、この世界で過ごした半年は、中学時代の思い出を作り直すための旅のようなものだった。でも今日からは、未来を作っていく冒険の旅なんじゃないかと思いはじめていた。


それにしても、一晩経っただけで、あんなにもケイが変化しているとは思わなかった。変化したのではなく、四十一歳の経験豊富な熟女に戻っただけなのだろうけど、見ている僕にしてみれば外見が中学生のままなので、すごい違和感を感じる。

実際に僕の知っているケイは、中学三年生の二学期の終わりまでだ。年が明けて三学期になっても僕は彼女に手紙を送らなかった。なぜか筆が進まず、もし手紙のやりとりをしたとしても、大阪と横浜という距離感に絶望して、前に進むことをやめてしまった。

中学の同級生が、関西に越したあとも「ケイが心配しているぞ」とか「ケイが怒っているぞ」なんて教えてくれたが、それでも僕は彼女と連絡を取らなかった。僕の初恋は転校で終わり、中学三年の大晦日の夜の思い出をずっと大切にすればよいと女々しいことを考えていたのだ。

そんなことを思い出していると、あの時のことを彼女に謝罪したいと思う気持ちが、とても大きくなってきた。でも、四十六年も経ったいま、謝ったところで何も変わらない。ならば、これからの人生を、彼女を幸せにしていくことが、四十六年前の謝罪なんだと思った。


「あとちょっとでご飯やからねー」

と帰るなり、おかんが言った。弟と妹はテレビの前で「サザエさん」を見ていた。親父はテーブルに座って日本酒を飲んでいた。

「おう、それまでの間、勉強しとくよ」

「勉強、おやまあ珍しいわね」

「来年は高校受験やからな」

「そうね、ちゃんと高校行けるように頑張ってね」


そう言われて、部屋に戻った。さっそくカバンから教科書とノートを取り出す。前回と同じ落書きだらけの教科書とノートを見て、改めて呆れかえってしまった。まったく受験勉強など眼中にない、幼稚な中学生のノートがそこにあった。


さっそく前回と同じやり方で、教科書を読み返す。つい昨日までは、教科書にメモなどが書き込まれていた教科書には、相変わらずサイボーグ004と002と鉄人28号が書き込んであり、夏目漱石はサングラスをかけていた。


それでも、昨日まではクラスで一番の成績だったこともあり、勉強のカンを取り戻すのに時間はかからなかった。昨晩から今日までの間に1ヶ月進んだだけなので、全部を理解するのに3日もかからないだろうと思った。


ざっと全ての教科書を読み返し、いけそうな感じがしたので、引き出しから新しくノートを取り出した。ここには今日からケイと生きていくための人生の計画を書き込んでいこうと思ったのだ。


まずタイトルに「変化とニーズ」と書き込み、この先の時代がどう変わっていくのか、何が流行するのか、そして人々は何を求めていくのかを書いていくつもりだ。さらに「ビジネスアイデア」という項目には、この先にどんなビジネスをすれば金儲けができるかを書くつもり。そして「ToDo」では、具体的にふたりがしなくてはならないことを列記するつもりだ。


タイトルだけを見ているだけで、ワクワクしてくる。色々なことを整理して対策を考えることは、いつの時代も楽しい。さっそく、これからの時代の変化を書いていこうと思ったとき、「カンジ、ご飯やでー」とオカンの呼ぶ声が聞こえた。


テーブルに着くと、サザエさんが終わってマジンガーZをやっていた。

「どう、勉強ははかどっている?」

「おう、まかせといてくれ、いい高校にいけるよう頑張るわさ」

「できれば、公立にいってくれよな」と親父が言う。

それなのに、僕は大阪で一番授業料の高い私立高校に行ったことを思い出すと、本当に申し訳ない気分になった。


相変わらず、オカンのめしはうまい。またこれからもオカン飯が食えると思うと、本当に嬉しい気持ちになるし、前回以上に親孝行できる息子になろうと思う。さて、そろそろ引っ越しは本当にないのか聞いてみないといけない。


「あのさ、この社宅でどこか引っ越す家ってあるの?」

ここの社宅は小さな団地のような仕様になっていて4世帯が暮らしている。

「どうしたの急に?」とオカン。

「いや、年末って会社の転勤とかあるんじゃないの」

「年末で、この社宅からは誰も移動しないなー」と親父。

その言葉を聞いて「やったー!」と小躍りしそうになった。ケイの仮説は当たっていたのだ。僕は来年も横浜に住み、高校をこの土地で受験することができるのだ。

「だから、あんたも、勉強頑張って、いい高校行きなさいよ」と言われて素直に「はい!」と言ったので、オカンも親父も目を丸くした。

「お兄ちゃん、本当に高校に行けるのかしら」と妹が言う。つかさずオカンが

「あんたたちも、高校受験で苦労しないように、今のうちから勉強しなさいよ」と逆にとばっちりを浴びていた。


そのやりとりを聞いて、ちょっと考えることがあり、口を開いた。

「あのさ、眞次も公美子も、おれが勉強見てやろうか?」

そう言うと、さらにオカンは目を丸くして「どうしたのよ、あんた」とびっくりした。「でも、今は弟や妹のことより、自分の勉強を頑張りなさいよー」と言われ、とりあえず「はーい」と返事をしておいた。


部屋に戻り、さっきの会話を思い出した。僕には弟も妹もいるがほんとんど面倒を見たことがない。それどころかいつも兄貴風を吹かせて、いじめてばかりいたような気がする。それが故に弟は萎縮してしまい、小学校の頃から学校の成績が悪く、さらに当時では珍しい「いじめ」にも合っていたのではないかと思う。それも全て僕が弟に対する接し方の問題があったのではないかと思う。


せっかく横浜でじっくり自分の人生を再構築できる機会なのだから、ここで弟や妹にも謝罪がしたい。ここから人生をやり直すため、僕はもっと面倒見のいい兄貴になろうと決めた。

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