第2話 スターマン:デヴィッド・ボウイ
そのあと、便箋や封筒が売っているファンシーショップに行き、そこでギザギザハートのお揃いのペンダントを見つけた。これは僕の誕生日に、ケイがプレゼントしてくれたものだ。
「これ…」とケイがペンダントを手に取る。
「なんだか、懐かしいというか不思議な気分になるね」そう言って、彼女はじっと手に取ったペンダントを見ていた。
「ねえ、これ…」そういうと、僕の顔をじっと見た。
「これは特別なものだから、さっそく過去を取り戻していいよね」と言って、ペンダントを手にした。
「これ、今日買っちゃうよ」そう言うと、ペンダントを手にしてレジに向かって行った。
ケイの後ろ姿を見ながら、この世界で起きていることを振り返ってみる。たった半年で、こんなにも多くの出来事が起こるなんて、一体何が原因だと言うのだろう。散々考えてきたことだけど、結局結論は出ない。しかし確かにいま、時間は動いていて、新しい歴史を作っているということは事実だ。何が原因なのかなんて、どうでもいいことなのかも知れない。原因がわかっても何かが解決するわけではないのだ、ただ時の流れに身を任せて、自分自身の意思で歴史を変えていくしかないのだと思った。
ケイがニコニコした顔で戻ってきて「買っちゃった」と、この半年間でなんども見せてくれた最高の笑顔を僕にくれた。そういえば、この笑顔は今日は全く見ていなかったことに気がついた。
上大岡デパートの最上階の階段は、すこしくつろげるスペースがあり、いくつかのベンチが並んでいた。僕たちはそこに座り、ケイはファンシーショップの紙袋からペンダントを取り出した。
「付けてあげる」と両腕を僕の首の後ろに回して、ペンダントを着けてくれた。両手を回す時に、ケイの髪の毛がすぐそばにあり、相変わらずいい匂いがしたが、数日前のケイの匂いとは違っていたことに気が付く。以前はもっと「女っぽい」というか、言い方を変えると「雌っぽくて脂っぽい」匂いがしていたような気がする。
それは、僕と付き合ってから半年の間にキスを覚えたばかりか、処女を無くし、毎日一緒にいたからなのだろう。心の中は熟女のケイだけど、肉体は、男を知らない15歳の女子中学生なのだと思った。
「うふ、似合うわ、カンジ」と僕を見て微笑んだ。
「俺も付けてあげるよ」と、もうひとつのペンダントを受け取り、ケイの首に腕を回した。目の前にケイの額があったので、そのままキスをしそうになったが、ちょっと考えることがあって、そのままペンダントのチェーンを結んだ。
「ケイも似合うよ」と胸に光るペンダントを見て言った。記憶の中ではたった1日なのに随分久しぶりに見た気がした。
「セーターの上からだから、ダサいけどねー」とケイは笑った。たしかにその通りで、僕はおかんの手編みのセーターを着ていた。
「さっきチェーンを結ぶときに、おまえのおでこにキスしそうになったよ」
「あら、してくれたら、よかったのに」
「ダメだよ!」
「え!どうしたの?」
「あのさ、僕らの心の中には、半年前からの記憶がびっしり詰まっているけど、今のこの体は年前の中学生のままなんだよ」
「あ!本当ね」
「つまり、僕たちの肉体は、まだファーストキスをしていないし、手も握ったことがないんだ」
「うふふ、もう手は握っちゃったけどねー、でも確かにそうね」
「ということは、つまり、おまえはファーストキスどころか、まだ処女のままなんだぜ」
「きゃーー」
「な、すごいだろ」
「ということは、あたし人生で3回も処女喪失できるのねー、きゃー」
「おまえ、何言ってんの?」と僕たちは笑った。
急に、大きな音でビートルズの「レッド・イット・ビー」が流れた。音の方に目をやると、大学生っぽい男がジュークボックスを操作していた。その奥にはカップのジュースの販売機が2つ並んでいた。
「ジュークボックスか…いいな」
「懐かしいわね」
「なんか、飲み物買ってくるよ、なにがいい」
「あればコーヒー、なければコーラで」
「らじゃ」と言って販売機の方に向かった。ひとつは冷たいコーラの販売機で、もうひとつはコーヒーの販売機。どっちも50円だった。
コーヒーを2つ手にして、ジュークボックスを覗いてみた。懐かしい1973年のポップスがたくさんある。僕はさらにポケットから50円玉を出して、デヴィッドボウイの「スターマン」を選んだ。
ベンチに戻って、ケイにコーヒーを渡すと「何をリクエストしたの?」と聞かれたので「なんだと思う?」と言うと、彼女は「レッド・ツェッペリン!」と笑った。
僕たちはぼんやりと、ベンチに座りビートルズの曲に耳を傾け、その曲が終わるとアコースティックギターのイントロが流れてきた。
「あ、デヴィットボウイかー、そんな気もしたのよね」…とケイは僕を見て微笑んだ。 中学生の時に、ラジオでかかった曲をカセットに録音して必死になって、カタカナで歌詞を写したボウイの曲。四十六年前に聞いた曲を、再び四十六年前の世界で聞くのは、なんだか不思議な気分だった。
「なんだか、この曲聞くと不思議な気持ちになるよ」
「どうして?」
「47年後の俺も、いつもこの曲を聴いていたんだ、そしていま俺は47年前の世界にいる。そしてこの曲から受け取る印象は、昔も今も同じでさ、なんだかこういう曲こそがタイムマシーンのような気がするよ」
「なんだかわかるわ。カンジってロマンチストなのね」
「よせよ、恥ずかしい」
「なによ、褒めているのよ。あたしカンジのそんなとこが大好き」
なんだか、褒められたことは照れ臭かったけど、悪い気はしなかった。というよりも、大好きな彼女に言われたことが、とても幸せな気持ちになれた。
いつの間にか、ケイは首を傾げて僕の方の上に頭を置いた。そしてずっとスターマンを聴いていた。曲が終わっても、僕にもたれかかったままのケイは、こう言った。
「ねえ、カンジ…」
「ん? なに?」
「キスして」
「え、ここで?」
「うん。キスしたい」
ふたつ隣のベンチには、さっきジュークボックスをかけた大学生が文庫本を読んでいたが、僕は右手をケイの首の後ろに回し、側頭部に手を当て、こっちを向かせ、そのまま彼女の唇に自分の唇を重ねた。
京浜デパートを出ると、陽が陰り始めていた。この世界に来て2回目の初日だった僕たちは、遅くまで遊ばないで家に戻って、これからの準備をすることにしたのだ。まだ唇にはケイの柔らかな感触が残っている。
上大岡駅を上がれば、そのまま僕の家なので「ここでいいわ」とケイは言ったけど「家まで送るよ」と一緒に歩き始めた。
「あー、はらへったなー、昼飯食ってこなかったからなー」
「そうなんだ、寝坊しちゃったのね」
「何か食べにいきたいけど、金もクレジットカードもないしなあー」
「うふふ」…とケイは可笑しそうに笑った。そして僕の方を見て、こう言った。
「カンジ、あたし決めたわよ!」
「え、な、なに?どうしたの」
「あたし…あたしたち絶対に幸せになる!」
「お、おう、そうだな。そうだよな」
なんだか急に雰囲気が変わり、強い口調でケイは話し続ける。
「ぜったいに幸せになってやるんだから!」
「どうしたんだよ、急に」
「あのね、わたしたちが幸せになるには、何が必要だと思う?」
「そりゃ、まずは勉強して一緒の高校に行くことだろ」
「もちろんそう。それは最低限やらなくちゃいけないことだけど。もっと大きな意味で何が必要だと思う?」
「うーん」…とケイが何が言いたいのかわからないので、考えあぐねていると。
「お金よ!」
「え、カネ?」
「そう、お金を手にすることなのよ」
「なんか、おまえすごいこと言うなあ」
「この先一緒の高校に行って、同じ大学に行って社会人になって、それまでずっと一緒だったとして、わたしたちに必要なのは絶対にお金なのよ。この世界に来るまでに、お金さえあれば幸せになれる…って思ったことない?」
「た、確かにそうだ。金なんかなくたって幸せになれるというのは嘘だと思う」
「嘘ではないかもしれない。貧乏でも好きな人と一緒なら、それはそれで幸福だわ。でもお金があればもっと幸せになれると思うの」
確かにその通りだ、元の世界で僕は愛するレイコと一緒で幸せだったが、それでも金があればもっと快適だったと思うし、いらぬ苦労をすることはなかった。もっと言えば、レイコに出会うまでの人生もカネが幸福か不幸かを大きく左右した。
「だから、決めたのよ。せっかく2回目の人生がスタートするのだから、今度こそは幸せになりたいって」
「よくわかる。お金がなくても幸せだ…なんて負け犬の遠吠えだと思う」
「だから、カンジ、わたしたちはお金儲けしましょう」
すごく明確に、ブレずに人生の目標をはっきり口に出したと感心した。考えてみれば見た目は中学生だけど、中身は倍以上も人生を経験している中年女性なのだから当然かもしれない。そしてその決意を僕に打ち明けてくれたことが嬉しかった。
「正直に言うね、あたし大きな苦労はしたことがないけど、それでもこれまでの人生で悔いていることがふたつあるの」
「それって、何?」
「ひとつは、ちゃんと勉強しなかったこと。いい学校に行けなかったハンデは大きいと思うの。そしてお金を稼げなかったこと。あの時お金があれば解決していたことがたくさんあるもん。お金がないばかりに悲しい思いを結構してきたの」
「あ、それ、まったく僕と同じだよ」
「でしょ。昨晩、カンジの話を聞いてて、そう思ったの。幸いわたしたちには、まだ時間がある。だから最初の課題は、いい学校に行けばクリアできるかもしれない。もうひとつのお金のことは、今のうちから。それを達成するための準備をしなくてはならないと思うの」
「確かに、まだ僕たちには、たっぷり時間があるもんな」
そう口にして、これから先の残りの中学生活と、さらにその先の生活のことを考えるとワクワクしてきた。前回は「未来を知っていること」を隠して、その能力を使わないようにしてきたけど、今は、ケイと一緒にふたりで生きて行けるのだ。
「ねえ、こんな話をする女って嫌い?」
「何言ってるんだよ、頼もしいよ。大好きさ」
「あたしね、カンジも知っていると思うけど、学校では目立たないように生きてきたのね。それは身長が大きいから普通にしてても目立つのが嫌だったの。そのまま大きくなって、その習慣が付いて、引っ込み思案な正確になっちゃったの」
「ふーん、確かに」
「でも、その先、大学や社会人になって引っ込み思案な性格で、たくさん嫌な思いをしたんだ。そして何度か爆発もしたわ」…とケイが笑った。
「だから、ここからの人生は遠慮しない。自分のやりたいように頑張ってみたいの」
「いいね、僕も同じことを思っているよ」
「ね。ふたりで幸せになろうね」とケイは腕を組んだまま、頭を傾げてきた。
そろそろ、ケイの家が近づいてきて、ふたりは自然に像さん公園に足を運んだ。
初めて僕たちが一緒に帰った日に立ち寄った、思い出の像さん公園。たった半年前のことなのに、ものすごく懐かしい気がする。それよりも、昨晩から1日しか経っていないのだが、すべてが遠い昔のような気になってくる。
ケイは僕の右に座って、僕の両手を包み込むようにして寄り添っている。
「なんかさ、僕たち昨晩逢ったとこなのに、ずいぶん昔のような気がしない?」
「うん、あたしも同じことを考えていたよ」
「時間の流れって、物質的な24時間じゃなくて、もっと別な時間が流れているような気がするな…」
「あ、また、かっこいいこと言ってる。素敵…」
「あはは、僕たちが47年も過去に来たことも、最初は驚いたけど、半年前のことも47年前のことも、昨日のことも、すべてが今よりも過去って意味では同じってことだと思ったよ」
「うん、確かにそうね」
「ねえ、カンジ…」
「なんだい」
「明日から、あたしたち一緒に勉強しない?」
「え、どこで、前みたいに俺んちとか?」
「ううん、学校で…。あたしいいこと思いついたの」
「え。なになに」
「図書室よ。あそこは放課後も下校時間までは空いているのよ。あたし図書委員だったから知ってるんだ」
「あ、いーね、それ」
「うん、そこで勉強しながら、わたしたちの未来の計画を立てていこうよ」
「いーね。いーね、それ。俺たちだけの秘密を形にしていけるんだ」
「うん、あたしたちが幸せになるには、自分で考えて行動しなくちゃならないでしょ」
「すげーな。ケイ。おまえ、本当にしっかりした女だなー」
「あはは、こういう時、女は火事場の馬鹿力的な能力が出ちゃうのかもー」
そう言うと、体をひねって僕に両手をあげて抱きつき、いきなりキスをしてきた。それも結構激しいディープキスを。
「あーん。カンジ、好き。好き。好き!」となんどもキスをする。
そして、抱きついたまま耳元で囁いた。
「ねえ、ずっとずっと好きでいられる?」
「もちろんさ、ケイは?」
「当たり前じゃない。もう死ぬまで好きでいる自信があるもん」
そう言って、また激しいキスを求めて、舌をからませてきた。
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