5.
「遅い」
村に出てずいぶん経ったがティアナが戻ってくる気配がなかった。何か事故にでも巻き込まれたのか、それとも獣人だとバレて捕まったのかと気が気でない。そわそわと落ち着かない俺に、もう何杯茶を飲んでるか分からないバートも気にしているようだった。
「迎えに行ってみるか」
「私もお供致します」
別に一人でも平気だったが、もし何かあったらバートがいた方がいいだろうと判断して一緒に村まで行くことにした。こんなのでもバートは俺の右腕。実力は相当なものだ。
戸締りはきちんとして、バートと共に村へと向かう。道中、ティアナとすれ違うかと思ったがそのまま村まで辿り着き、いつもティアナが買い物をする店の主人に『ティアナを見なかったか』と聞いてみると『あぁ、ティアナならずいぶん前に買い物に来たよ』と、店主は首を傾げて答えた。
「どこに行ったか知らないか」
「先生と話して一緒に歩いて行ったよ。たぶん家に行ったんじゃないかな」
何か頼まれごとでもしたのだろうか、と疑問に思う。身体はすっかり良くなった。怪我をする前とほとんど変わらないほど。剣の実力は随分と落ちただろうが、それもまた訓練すれば戻るだろう。それならば何故、あの医者はティアナを家に連れて行ったんだ?
考えごとをしつつも店主に聞いた道順通りに向かうと、そこには質素な家がポツンと建っていた。医者とは思えないような質素な暮らしぶりが見て取れる。それはあくまで王宮付きの医者に比べて、だが。家はところどころ壁が剥がれ落ち、庭の草も鬱蒼と生い茂っている。
「……村の医者というのはこういうものなのか?」
「確かに稼ぎは王都の医者に比べて少ないとは思いますが、ここまでではないかと」
バートも訝しげに目の前の家を見る。どこかおかしい。治療費で十分すぎるほど払ってはいたし、だからといってすぐに家を直すわけでもないだろうが、それにしても嫌な雰囲気がピリピリと肌を突き刺す。戦場でも似たような経験がある。その経験上、いいことは無かったのだが。そして俺は息を少し長めに吐き、目の前のドアを軽く叩いた。
「お、おや、ルーク。どうしたんだい?」
ノックから少し遅れてドアがゆっくりと開かれる。それすらも煩わしかったが、ぐっと堪えて待っていると、なんだか赤みがかった顔をした医者が顔を出した。
「突然すまない。ティアナがまだ帰ってきていないんだが、ここに来ていないかと思って」
「いや、今日は会ってないよ」
「それはおかしいな。村の人間がお前とティアナが一緒に歩いていくのを見ていたようだが?」
「あ、ああ、そうだったね、すまない、最近記憶力が低下していてね。これも歳のせいだろうね」
ベラベラと関係ないことを話す医者に不信感を募らせる。それはバートも同じだったようで、横目で彼を見ると眉をひそめて訝しげに医者を見ていた。医者は医者で呼吸が荒く目も泳ぎ、しきりに両手を擦り合わせている。
「ティアナにルークへの痛み止めを渡してね。それで家に来てもらったんだけどすでに帰ったよ」
「痛み止め? 俺はもうすっかり良くなったんだが。それに余った痛み止めが家にあるぞ」
「そ、そうだったかな?」
明らかに何かを隠そうとしている医者に、俺はもう我慢の限界だった。無理やり家の中に入ろうとすれば、医者がさっと腕を掴んでそれを阻止してきた。
「な、何をするんだね!」
「少し中を確認したいだけだ。別に何かを盗んでいくわけじゃない」
「じいさん、諦めな。この人は頑固なところがあるから」
「はあ!? そもそもアンタは誰だ!」
「まあまあ、それは後にして、と」
俺を掴む医者の手をバートがねじり上げる。それに悲鳴を上げて怯んだ隙に、俺は家の中へと入り込んだ。
「い、今すぐこの家から出ていけ! 不法侵入だぞ!」
「はいはい、ちょっと黙ろうか」
「いでででで!」
繰り広げられる会話を背に部屋の中を確認していく。家自体が大きくないのですぐに見て回れたが、ティアナがどこにもいない。
(いないということはどこかに連れて行かれたか?)
心臓がうるさく脈打つ。もしどこかに連れて行かれたとするならば早く探し出さないと、と考える俺の視界の隅を、見覚えのある帽子が捉えた。
「この帽子は……」
バートが家に訪ねてきた時にティアナがかぶっていた帽子だ。これがここにあるということは、医者はティアナの耳を見たはずだ。
そして視線の先にあるもう一つのドア。それに近づくと医者の声音が明らかに変わった。
「そ、そこには何もない! ただの寝室だ!」
ドアノブを回してみるが鍵がかけられているらしく開かない。
「ティアナ」
声を声をかけてみる。するとドアの向こうで微かに音がした。
「……っ!」
ドアに数回、思いっきり体当たりをすれば鍵のかかったそれが音を立てて開いた。
「ティアナ!」
後ろ手に縛られ、太ももと足首にも縄が食い込んでいる。そしてその口には布で塞がられており、くぐもった声を発していた彼女がいた。
失っていた意識が浮上する。ぼーっとする頭に届いてくる、何やら騒がしい声。誰かと誰かが言い争っているのだろうか。未だにはっきりしない意識の中で考えつつ、身体を動かそうとしてみるが思うように動かない。おかしい、と視線をなんとか動かすと体が縛られている。『え?』と声を出したはずなのにくぐもった声しか出てこない。そこでようやく、自分が縛られ、口を布のようなもので塞がれていることに気が付いた。
そうだ、医者に自分が獣人族だとバレたんだった。
仲良くしてくれていたはずの先生、しかし彼はそうではなかった。両親に聞いていたはずの“人間”そのものだったのだ。ルークが違う反応を示していたからすっかり忘れていた。自分は獣人族で、普通の人間ではないということを。
(……ルークとの生活で嗅覚も鈍ってしまったのかな)
おそらく医者に渡されたお茶の中には睡眠薬が入っていた。普段なら気付いたかもしれないのに、私は気付かなかった。それが鈍った証拠だろう。
薬が抜けきっていないのか、感覚がいつもと違う。だからきっと勘違いをしているのだ。ルークがここにいるわけなどないのに。それなのに、なんだか彼がいるような気がして『ティアナ』という声までもが聞こえてきた。
(……っ、ルーク!)
私は懸命に足を動かして壁にぶつけてみる。布でかき消されてしまうが、必死に声も上げてみる。
「んー!」
だんっ、と何度目か足をぶつけた瞬間にドアが音を立てて開き、『ティアナ!』という声が鮮明に聞こえてきた。
幻覚でも幻聴でもなく、本物の彼が私を抱き寄せる。
「大丈夫か!?」
口を覆う布、手足を縛られていた紐が解かれ、心配そうに彼が覗き込んできた。
「だ、いじょう、ぶ」
うまく舌が回らない。しかしなんとか声を絞り出してルークに身体を預けた。
「……バート、ティアナを見つけた」
ルークは私を左手で抱きかかえながら、解いてくれた紐をバートさんに向かって放り投げた。
「そいつを縛り上げろ」
「はい」
「……っ、やめろ! 離せ!」
バートさんと先生の姿は見えなかったが、どうやら暴れている医者を押さえつけているらしい。徐々に戻ってくる身体の感覚に、ゆっくりと息を吐き出した。
「お前、そうか、獣人を独り占めする気だな! そうだよな、そいつがいれば莫大な金が手に入るもんな! 獣人は高く売れる。ましてやそいつは上玉だ。下手すりゃ一生遊んで暮らせる金が……」
「それ以上喋るなよ、下衆が」
初めて聞くルークの地を這うような声に驚く。今まで一緒にいた中でそのような声を聞いたのは初めてだったからだ。
「人身売買が重罪ってのは知ってるよな」
「人身? そいつは人でもなんでもないだろ」
「ティアナは人間だ」
私を抱く彼の手の力が込められる。息をするのも苦しいほど、強く。
「お前のような奴がいるから、ティアナや他の獣人族は隠れて暮らしてるんだろうが」
「ルーク……」
彼は深く息を吸い込み、そしてゆっくりと息を吐きだした。まるで怒りを隠すように。
「バート、そいつを城に連れていけ」
「はっ」
「そいつの罪は俺が許さない」
「……っ、お前に何の権限があって私を城に連れて行く気だ!?」
じたばたと尚も暴れる医者に、バートさんが呆れたように息を吐いた。
「お前、まだ分からないのか? この方が誰なのか、一度は見たことがあるはずだが」
バートさんのその言葉に、医者が何かに気が付いたのか、みるみる顔が青白くなっていく。私はバートさんが追った言葉が分からなくて、腕の中からルークを見上げていた。
「ルーカス・クライン・レイノルズ。この国の、王太子殿下だ」
え、と小さく漏れたはずの言葉はただの息となった。それほど衝撃だったのだ。まさか、彼が、この国の王太子殿下だなんて。
「では“ルーカス様”、また後程」
「ああ」
バートさんの気配が消え、ルークと私は部屋に取り残された。
「ルーク……?」
果たしてその名で呼んでいいものか迷ったが、彼は安心したように息を吐き出した。
「ティアナ、怪我は」
「大丈夫……」
「いや、手首が赤くなっているな。とりあえず家に帰ろう」
「あの、ルーク」
「詳しいことは、帰ったら話すから」
いつの間にかルークが持っていた私の帽子を被らされた。そして体を反転させたルークが私の腕を引き、彼の背中に身体を乗せる格好になってしまった。一瞬何が起こったか分からなかったが、ふわりと体が浮いたと同時に理解した私が慌てて上体を起こそうとした。
「じ、自分で歩けるから!」
「だめだ。薬でも盛られたんだろ? 大人しく俺に運ばれろ」
有無を言わさないその言葉に押し黙ってしまう。反論しようにもまだ力が入らないのは事実だったからだ。せめて村人に顔が見られないようにと、隠すように彼の背中に額を押し付ける。そんな私の様子が。おかしかったのかルークが笑う気配がしたが、私は聞こえないふりをしてぎゅっと目を閉じたのだった。
「ほら」そう言って渡されたのは、淹れたての紅茶だった。鮮やかな赤に浮かぶレモンをスプーンでつつき、そして口を付けた。
「ルークの淹れる紅茶は美味しいね」
「お前に淹れ方を教わったからな」
気恥ずかしそうにもごもごと口を動かす彼はいつもの彼で。なんだか酷く安心した。
「……ありがとう、ルーク」
「ん?」
「私を助けてくれて」
あのままだったら私は知らない誰かに売られていただろうし、その売られた先で何をされるか分からなかった。それだけではない。彼は私を“人間”だと言ってくれた。それがとても嬉しかった。
「お前が無事で、本当に良かった」
ルークが真っすぐ私を見つめてくる。自分も同じように見つめ返すが、すぐに視線を逸らした。なんだか彼の目を見ていられないのだ。気恥ずかしいというか、落ち着かないというか。
「それにしても、ルークが王太子殿下だって気付かなかった」
誤魔化すように話題を変えると、ルークは一瞬にして表情を変えた。
「黙っていてすまなかった」
「ルークが謝ることなんて一つもないよ。それに私だって、外に目を向けなくちゃいけないって分かっていたのに内側に籠ってばかりだったから気付かなかった」
「それはお前が悪いわけではないだろう。環境がそうさせてしまったんだ」
あくまで私のせいじゃないと言うルークに曖昧に笑ってみせる。
「……今日はいろいろなことがあって疲れただろう。ゆっくり休め」
彼の武骨な手が、私の頭を優しく撫でる。なんとなく、不安が過る。このままルークと会えなくなるような、そんな不安。しかし自分のわがままで彼を困らせるわけにはいかない、と頭を縦に振った。
「うん、そうするね」
「俺は少し夜風に当たってくる」
「……風邪、引かないでね」
「……ああ」
「おやすみ、ルーク」
「おやすみ、ティアナ」
離れた熱に胸が締め付けられるが、それに気づかないフリをして私はベッドに潜り込んだ。肉体的な疲れと精神的な疲れが一気に押し寄せてきたのか、私はすぐさま眠りに落ちていったのだった。明日、ルークに改めてお礼をしよう。おいしいものをいっぱい作って、彼がおいしいと言ってくれたアップルパイも。そんなことを考えながら……。
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