3.
ルークと一緒に住み始めてひと月程が経った。初めの頃は家事に興味を持ったルークが私の行動をじっと見ていることが多かったが、今ではすっかりお手伝いをしてくれるようになった。
洗濯で汚れを落とすことに夢中になって着ている服が泡だらけになってしまったり、剣と包丁は同じようなものだと言いながらゆっくりとじゃがいもの皮むきをしていたり。なんだかんだ楽しそうなルークを見るのが私の日課にもなってきた。
「すっかり包丁の扱いも上手くなったよね」
「言っただろ、剣と包丁は同じようなものだって」
「う、うん」
私は剣を扱ったことがないのでどういうものか分からないけれど、ルークが至極真面目な顔でそう言うのだからそうなのかもしれない。私をからかうために冗談で言ってるのかもしれないけれど。
ルークが切ってくれた野菜を鍋に放り込んでぐつぐつと煮立てる。味を調えて簡単な野菜スープを作り、買ってきたバゲットを並べれば食事の準備はオッケーだ。
「なぁ、ティアナ。今日は天気もいいし、外で食べないか?」
「え?」
予想外の提案に目をぱちくりと瞬かせる。確かに今日は天気がいい。気温も低くはないし、外で食べるには絶好の天気だろう。
「外で食ってみたいんだ」
その口ぶりから、彼は外で食事をしたことがないようだった。それならば、と頷いてみせる。
「あ、でもテーブルセットとかないけど」
「いいよ別に。地面に布でも敷いて座れば」
「なるほど」
確か少し大きめの布があったはずだ。ルークにバゲットに切り込みを入れるのをお願いして、私は自室に戻って布を探す。手芸用にと、いつか取っておいた布を棚から取り出して広げて確認すること数回、チェック柄の布を見つけた。この大きさなら2人で座っても余裕だろう。キッチンへと戻ると、バゲットを切り終えたルークが茶器を準備していたのが目に入った。どこに何があるのか完璧に把握している彼を見ていると、なんだか妙な気分になる。もちろんそれは嫌な気分ではなくて、なんというか、不思議な気分。
「茶葉はどこだったか」
「え? あ、こっちの棚にあるよ」
振り返ったルークと視線がぶつかって一瞬言葉が詰まってしまった。しかしすぐに我に返って茶葉がしまってある棚へと近づく。
「アールグレイとダージリン、どっちにする?」
ルークが来てから茶葉の種類が増えた。少し前までは湿気てしまうのでそこまで買い揃えていなかったのだが、単純に人数が増えたので今までの量だとすぐに足りなくなっていた。
「あー、じゃあダージリン」
「はーい」
少し上の棚に置いてある、茶葉が入った容器に手を伸ばす。ひやりとした容器の冷たさを感じながらそれを手に取って、私はルークに手渡した。彼は『悪いな』と一言口にして、トレーに並べたティーセットの隣に茶葉の容器を置いた。
私は以前ルークに買ってもらった帽子を念のため被り、見つけた布を持って彼と共に外へ出る。太陽がキラキラと輝き、気温も申し分ない。庭の方へと回って、芝生(先日ルークがきれいに整えてくれたところ)の上に布を敷く。そしてそこにトレーを置き、茶器を並べるのをルークに任せて、私は家の中へと戻って切り込みの入ったバゲットに洗った野菜やハムを詰め込んでいく。簡単なバゲットサンドの出来上がりだ。後はそれとスープを運べばランチの準備は完了。彼の隣に座り、バゲットサンドを手渡した。彼はじっとそれを見た後、大きく口を開けてかぶりつく。特に何も言わないのはいつものことだが、表情で何となくわかるようになってきていた。
(気に入ってくれたみたい)
ほっと胸を撫で下ろしつつ、自分もバゲットサンドを口に運んだ。生憎トマトを切らしていたため少し物足りない気がするが、その代わりハムを多めに入れてみたので、これはこれで美味しいと思う。もぐもぐと口を動かしながら、風に揺れる草木を眺める。ゆっくりと時間が流れているような気がして、とても心地よかった。
「……外で食べるのと、家の中で食べるのとでは随分と違うものだな」
あまりにも小さい声音だったので聞き逃しそうになったが、かろうじて耳に届いたその言葉に視線を向けてみる。
「そっか、ルークは外で食べたことがないんだっけ」
「あぁ」
ふわり、彼の髪が揺れる。キラキラと、太陽の光を受けた髪は、あの日とはまた違う輝きをしていた。ルークがここまで元気になってくれて本当に良かったと改めて思う。あの怪我がここまで回復したのも、彼の生命力とビル先生のおかげだ。
(そういえば、ルークっていつまでここにいるんだろう)
なんとなく避けていた話題が、ふと浮かんだ。どうしてなんとなく避けていたのか、そしてそれを今口にすることを躊躇っているのも分からない。なんとなく、そう思った方がしっくりくるのだ。
考え事をしながら、もぐもぐと必死に口を動かす私に視線を向けたルークが、ぷっと小さく吹き出した。
「え、何?」
「お、お前、口元にパン屑付いてるぞ」
「うそ!?」
肩を揺らして懸命に笑いを堪えようとするルークを見ながら、私は慌てて口元をナプキンで拭う。パン屑を付けたまま食べていた私が余程面白かったのか、取った後も彼はずっと笑っていた。
「何もそこまで笑うことないじゃない!」
「一口かじった後からずっと付けてんだから、そりゃ笑うだろ」
「そんな前から付けてたの!? 言ってよ!!」
「自分で気付くかなって……ふふっ」
「もう! いい加減笑うのやめて!」
一向に落ち着かないルークに頬が膨らんでしまう。それでも彼は笑うのをやめないし、何よりそんなに笑う彼は初めて見たものだから、だんだんとこちらまでおかしくなってきてしまった。
「ちょ、ふふっ、笑うのやめてってば」
「お前も笑ってんだろ」
「だって」
目線が合えばまたお互いに吹き出す。何がこんなにおかしいのか自分でも分からなかったが、私達はひとしきり笑った後、ようやく落ち着いたのだった。
「ねぇ、ルーク」
「ん?」
「また、こうやって外で食べようか」
咄嗟に口をついて出たのは、未来の約束。いつまで彼がここにいるのか分からない。明日には出て行ってしまうかもしれないし、明後日かもしれない。けれど彼は、私の言葉の本当の意味なんて知らないまま、少しだけ恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに『あぁ』と小さく頷いたのだった。
「あれ、もうないなぁ」
棚に置いてある、母お手製の万能塗り薬。ルークの応急処置としても使ったのだが、中を見てみるとすっかり減っていた。どうやらあの時たくさん使ってそのままにしていたらしい。このままではすぐなくなると思った私は、この薬の作り方が書いてあるメモを引き出しから取り出した。
「なんだこれ」
それを横から盗み見るルーク。あまりの近さに一瞬心臓が跳ねたが、悟られないように平常心を保ったまま口を開いた。
「これ、お母さんが残してくれた薬の作り方メモ。ほら、包丁で指を切った時に塗ったりしたでしょ?」
「あぁ、あれか」
「もうなくなるから作ろうと思うんだけど……今日って満月だっけ?」
「そうだけど、それがどうした?」
「必要な材料が満月の日じゃないと取れなくて」
母のメモを見せながらそこを指さす。
「“月光草”って知ってる?」
「月の光を吸い込む草、だろ?」
「そう。でもただの月の光じゃダメ。満月じゃないと」
満月には不思議な力があるのだと、母はいつも楽しそうに話してくれていた。その不思議な力がなんなのか詳しくは知らないけど、母が言うのだから本当なのだろう。
メモを元の場所に戻し、以前ルークが買ってくれた帽子を被る。月光草を入れる用のカゴときれいな布を持てば準備は万端だ。
「今から行くのか?」
「うん」
「こんな暗い中を一人で?」
「だって夜じゃないとダメだから」
「そうじゃなくて……」
呆れたように深く息を吐き出したルークに首を捻る。頻繁でこそないものの、今までも一人で月光草を摘みにいっていた。だから道に迷うこともないのだが、彼は一体何が気がかりなんだろう。
「俺も行く」
「え、大丈夫だよ。それに少し歩くし」
「いいから、俺も行くって」
ちょっと待ってろ、と彼が部屋に行き、帽子を被って戻って来る。その腰にはいつの間に買って来たのか短剣が刺さっていた。なんで短剣? と聞けば、何があるか分からないだろ、と言われた。
(野犬とか? 大丈夫だと思うんだけどなぁ)
今までもそのような足音を聞いたりだとか、気配を感じたりだとかなかった。だから大丈夫だと思うのだが、ルークにとって『今日は何かあるかもしれないだろ』とのことだ。
「じゃ、じゃあ、お願いします」
「おう」
ランプを持ったルークに続いて私も家を出る。もちろん施錠はしっかりと。
村へ向かう道とは反対の、およそ道とは断定出来ないような(獣道といった方が近いかもしれない)足場のあまり良くない道を歩いていく。ランプの光のおかげで明るく照らされているので怖くない。それに隣にはルークがいるので、もっと怖くない。鼻歌だって歌ってしまいそうなぐらいだった。
「ティアナ……よくこんな暗いところを一人で行けてたな」
「え? 暗い?」
「十分暗いだろ。それに女が一人で夜道を出歩くもんじゃないって教わらなかったのかよ」
ランプの光でぼんやりと、彼の呆れ顔が見えた。何か口にしようかと思ったけど出てきたのは言葉ではない音だけで。それにルークには口で勝てないことが分かっているので、私は大人しく頭を軽く下げて『気を付けます』と呟いた。
「おい、足元に注意しろよ」
「大丈夫だよ。今まで何度も歩いて……」
と、右足を踏み出した瞬間。ごろっとした、丸みのある少し大きな石を踏んづけてしまった私は『えっ』と驚きの声を上げながらゆっくりと体が後ろに傾いていった。やばい、と思いながらもこの後の痛い未来を想像する私だったが、放り投げていた腕が勢いよく引かれた。
「あっぶねーな」
どうやら私の腕を引っ張ったのはルークのようで、おかげで体を地面に打ち付けることはなかった。なかったのだが、目の前にあるあまりにも端正な顔立ちの彼に呼吸が止まってしまった。
「だから注意しろって言ったろ。話聞いてたか?」
目と鼻の先にあるルークの顔。こんなに近くで彼の顔を見るのは初めてで、その衝撃のせいで彼が何を言っているのか分からなかった。
「ん? おい、ティアナ」
「……あ」
軽く揺さぶられ、意識が戻ってくる。その瞬間、今のこの状況に心臓がうるさくなりはじめた。
「ご、ごめん!」
距離をとろうと後ろに足を出したが、腕を掴まれているので下がることが出来ない。その間も心臓はうるさくて、ついには顔に熱が集まってきた。
「怪我は? 足は捻ってないか?」
「う、うん。大丈夫、です」
今が暗くて本当に良かったと心から思う。じゃないとこの真っ赤な顔がルークに見られていたかもしれない。
「それならいいんだけどよ。頼むからこんな所で怪我だけはするな。お前の体重じゃ運んで帰れない」
「はい、気を付けま……ちょっと待って、それって私が重いって言ってる?」
「あ、バレたか」
意地悪そうに笑った彼が手を離す。ようやく自由になったのだが、先程のように距離をとろうとはもう思わなかった。それから私達は道を歩き続け、ようやく開けた場所に出た。今までは鬱蒼としていたのだが、そこだけは違う。月の光がキラキラと差し込み、それを浴びた月光草がゆらゆらと風に揺れている。目的の場所だった。
「これは……」
「すごいでしょ。たぶん国中を探してもここだけなんじゃないかな。こんなに月光草が群生してる所は」
ゆっくりと足を踏み入れて月光草の側へしゃがみ込み、指先で優しく触れてその冷たさを感じる。
「少しだけ摘ませてね」
薬を作るのに必要な分だけ。昔、母から言われたことを忠実に守る。そうしないと希少な月光草がなくなってしまうから。持ってきたカゴの中から布を取り出してそれに包む。そしてカゴへ仕舞って、そのまま満月を見上げた。
(そういえばこうしてお父さんとお母さんと見上げてたっけ)
月が欲しいとせがむ私に、父と母は笑って宥めてくれていた。思わず口元が緩んでしまう私の隣にルークが並んで立つ。満月から彼へと視線を動かすと、視線が絡まった。
「……次摘む時も必ず俺を連れて行けよ」
「そんなに気に入ってくれたの?」
「ちが……あぁ、そういうことにしてくれ」
ふいっとルークの視線が満月へと移動する。私も彼と同じように目を動かして、暫くの間満月を見上げていたのだった。
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