2.




ルークと同居するようになって早数日。彼の熱もすっかり下がり、あとは傷が治るのを待つだけとなった。歩行もゆっくりとなら出来るようになったので、時折家の周りを歩いては少しずつその距離を伸ばしているようだった。

食事に関して、金貨を大量に持っている彼が私が食べるような質素な食事は口に合わないかもしれないと思っていたのだが、何も言わずに残さず全部食べてくれるあたり問題はなさそうだ。


「はい、どうぞ」

「あぁ、悪いな」


食後の紅茶をルークの前に置き、自分も椅子に座って飲むことにした。最近になって、ようやく敬語が抜けてきた。それこそ始めは敬語ばかりだったのだが『居心地が悪い』とルークに言われてしまい、そこからなるべく敬語を使うのをやめ、今では普段の口調で会話をしていた。


「前から気になっていたんだが、生活費はどうやって稼いでいるんだ?」


敬語がなくなったおかげか、こうして他愛もない会話が出来るようになったと思う。私は手にしていたカップをテーブルへと置き、ゆっくりと口を開いた。


「……私の両親が事故で亡くなったのはこの前話したよね」

「あぁ」

「その貯えが少し残っているんだけど、なるべくそれは使わずに、庭で育てている薬草を村に下ろして賄っているの」


元々は母の趣味だった薬作り。そのレシピを元にして薬を作ったりするのだが、村に下ろせるほど大層なものではないので、材料となる薬草を売っている。中には希少なものもあるので何とか生活は出来ていた。


「あまり多くはないけれど、私が暮らしていくには十分だから」

「……そうか」


実はルークがここに住むことになった時、あの金貨が入った袋を無理やり押し付けられた。これで生活費の足しにしろ、と。断ってもルークは引かなかったので仕方なく受け取ったが、それは使わずにクローゼットの奥に隠してある。いずれ彼がここを出るときに返すつもりだからだ。

そもそもこの村で金貨を使うには不便だった。銅貨が主流のこの村で金貨は莫大すぎる。包帯だって購入するのに大変だった。とりあえず村唯一の服屋(というよりなんでも売っているので雑貨屋に近いのだが)に行ってあるだけの包帯と彼の服などを購入し、おつりに関しては銀貨が足りないだろうということでルークに言われていた『おつりはいりません』という魔法の言葉を口にした。お店の人には私が金貨を持っているということを少し不審に思っていたが、なんとか誤魔化してそれが本物だと納得してもらい、帰り際には感謝さえされた。


(目立ちたくなかったのに、今回のことで悪目立ちしちゃったな)


しかしこれもルークの包帯を買うためなので仕方がない。心の中で盛大な溜息をつきつつ、またカップを手に取って傾けた。


「さて、そろそろ洗濯でもしようかな」


飲み終えたカップを持ったままイスから立ち上がる。食器類はもう洗ったので、このカップは後で洗おうと考えているとルークも立ち上がった。


「その洗濯とやら、俺に見せてくれ」

「え?」


突然何を言い出すのかと思いきや、洗濯を見せてくれだなんて。不思議そうに彼を見つめると、彼もまた同じような表情で私を見つめてきた。


「なんだ?」

「いや、洗濯を見たいって言うから」

「それが?」

「洗濯なんて別に珍しいものでもないでしょ?」


たまにルークは不思議なことを言う。今みたいに、普通に生活をしていれば行われる家事に興味を持ったり、掃除道具であるほうきとちりとりを見ては驚いたり。どんな生活をしたら日常に行われていることを見ないで生きていけるのか疑問だった。だからと言って彼のことを詮索することはしない。彼が悪い人ではないということがこの数日で分かったからだ。怪我をしているというのに上の棚からお鍋を取ってくれたり、私が作ったアップルパイを唯一おいしいと言ってくれたり。それに何より、一人じゃない生活が久しぶりで、楽しいと感じる自分がいた。だから、彼を信じたいと少なからず思っているのだ。


「まぁいっか。じゃあ洗濯物を持ってくる。ルークも持ってきて」

「あぁ」


心なしか嬉しそうに見えるルークを置いて、部屋に置いてある洗濯物入れから自分の下着は入れ物に戻す。今までは脱衣所に洗濯物入れを置いていたのだが、共同生活をする上でさすがに彼の目につくところには置けないので部屋に移動させ、下着に関しては後でこっそり洗って部屋に干すことにした。

彼は今、父と母の部屋を使っていた。なんとなく部屋の物を処分できなくてベッドもそのまま(もちろん布団等は洗濯してある)だったので、すぐに彼が使っても問題はなかった。しかし彼の方が使うのを躊躇っていたので『逆に使ってくれた方が部屋は生き返る』と半ば強引に使わせたのだった。


(もったいなかったし、それに部屋を使った方がお父さんもお母さんも喜びそうだしね)


そこまで量もない洗濯物を抱えて戻ると、すでにルークは洗濯物を持って立っていた。彼の分を合わせてもそこまでの量にならない洗濯物を、引っ張り出した洗濯用の桶に入れてそれごと持ち上げる。


「よい、っしょ」

「俺が持とう」

「あのね、ルークはまだ怪我が完治してないんだよ? それなのに持たせるわけないでしょ」

「いや、しかし……」

「このぐらいは大丈夫。量も多いわけじゃないから重くないし」


ただの口癖みたいなもの、と言えば彼は『そうか』と納得したようだった。しかし桶を持たない代わりにと、ドアノブを回してくれたのは助かった。そんなルークにお礼を言いつつ外へと出る。今日は快晴。雲も一つもない。澄み渡る青空と太陽の光に目を細め、ドカッと桶を置いた。再び部屋の中に戻って洗剤と水をためたボトルを取り、桶に入れていく。

汚れを落とすように、かつ生地を傷めないように気を付けながらゴシゴシと揉み洗いしていると、隣から私の手元に熱い視線が降り注いでいることに気が付いた。


「なるほど、洗濯とはこのようにするんだな」

「……あの、ルーク」

「なんだ」

「あまり見られているとやりづらいんだけど」


ここまで人に見られながら洗濯をするのは初めてなので、なんだかこそばゆくなってくる。そんな私を無視して、ルークはただじっと洗濯物を眺めていた。その横顔はなんだか楽しそうで。これ以上何か言っても無駄だと悟った私は、ひたすらに手を動かした。

何度か水を交換して洗濯物についた泡をきれいに落とし、これまた生地を傷めないように注意しながら絞って水を切る。シワを叩いて伸ばした後、庭にある洗濯用の紐に引っ掛けていった。


「それは分かるぞ。洗濯物を乾かしているんだろ?」

「う、うん。正解」


得意げなルークに苦笑いを浮かべる。乾かす以外に何があるんだろうと思ったが、決して口に出すことはしなかった。

その後もルークは動けるようになったらというもの、私がやること全てに興味津々なようで、さすがに買い物にはついて来れないが、料理を作る私の後ろには彼がいて手元を覗き込んできたり、庭に生えている薬草の種類を尋ねてきたりと、私が何かをする時には近くに彼がいたのだった。

見られるのは落ち着かなかったが、それも最初のうちだけで、数日もそのようにされれば慣れてしまった。彼も日が経つごとに怪我も良くなり(もちろん時折ビル先生に診察をしてもらっていた)動けるようになってきたので、徐々に家事を手伝ってくれるようになった。初めは簡単な家事。床を箒で掃いたり、窓ガラスを拭いたり。無理のない範囲で手伝ってくれていた。


「……うむ。傷も大分癒えてきたし、これなら長時間歩いても問題なさそうじゃな」


そして今日はビル先生が家まで往診に来てくれる日。私は三角巾で頭を隠し、先生の診断にほっと息を吐き出した。


「じゃあもう歩き回ってもいいんだな」

「あぁ、かまわんよ」

「良かった。じゃねえとこいつがいちいちうるさかったからな」

「わ、私はルークの怪我を心配して……」

「あー、はいはい」


面倒くさいと言わんばかりに顔を顰めたルークに舌を突き出してやる。そんな私達を先生は微笑みながら見ていた。


「そういえば最近、先生の患者さんが増えたとお聞きしましたが」

「そうなんじゃよ」


先日村に行った時に野菜売りのおじさんがその話題を口にしていたのを思い出す。どうやら先生は、ルークからもらったお金で以前よりも薬を多く仕入れることが出来たようで、それをあてにした村の外の人がわざわざやって来ているようだった。先生は困ったように笑い『患者が増えたのはいいことなのか、悪いことなのか』とぽつり呟いた。


「患者が増えるというのはそれだけ病気の人間がいるってことだしな。しかし減ったら減ったで食い扶持がなくなる。医者ってのも大変だな」

「はは、まぁね」


確かに、今までを考えると先生の収入はとてもじゃないが多いとは思えなかった。村の人達は医者にかかるというよりも薬草でなんでも治そうとする傾向がある。もちろんそのおかげで私は生活費が賄えているのだが、先生にとって私は邪魔な商売敵だろう。それなのに先生は嫌な顔一つもせず私の家に来てルークを診てくれたし、こうして何度も往診に来てくれる。心の優しい、素敵なお医者様なのだと心の中で感心した。


「さて、次はティアナかな」

「え? 私ですか?」


まさかこちらに来るとは思わなかったので、ぱちくりと目を瞬いてしまう。しかし先生は『ついでだよ』とにっこり微笑んでいた。


「先生もそう言ってんだから診てもらえばいいじゃねーか」

「でも……」

「なに、診療代ならいらんよ。十分すぎる程頂いてるからね」


先生の視線がちらりとルークを捉える。それにつられて私も彼の方を見ると、ルークは小さく頷いていた。


「……では、お願いします」


せっかくのお申し出に甘んじようと、頭を下げてルークと交代するように椅子に座った。先生はじっと私を見つめ、両手を目の下に添えて診察していく。この金糸雀色についてバレたらどうしようかと一瞬考えたが、今まで何度も顔を合わせていて何も言われなかったのだから大丈夫だと思い直す。その間も先生は私の目を診たり首筋に手を当てて何かを確認したり。専門の知識がないので分からないが診察をしてくれた。


「うむ、少し貧血の症状が出てるかな。自覚症状などはあるかい?」

「いえ、特には」


先生の言う“貧血”の症状を自覚したことは今までなかった。立ちくらみがあるわけでもないし、めまいもふらつきも特にはない。しかし先生が言うのだからそうなのだろう。


「環境が少し変わってストレスもあるのかもしれないね。ルーク、ティアナの手伝いをきちんとするんだよ」

「あぁ、分かった」

「ティアナもあまり頑張りすぎないように。ルークという男手が増えたんだから、今日から色々と手伝ってもらいなさい」


茶目っ気たっぷりに微笑む先生に一瞬だけ言葉を詰まらせる。特段頑張りすぎていることはないのだが、先生の言う通りにすることにしよう。ルークも心なしか手伝いたそうにしているし。


「じゃあまずは村に行こうぜ!」

「え?」

「リハビリのために歩かないとな? 先生?」

「あぁ、そうだね」


キラキラと瞳を輝かせるルークは“リハビリのため”というよりも“村に行きたい”とい思いが透けて見えた。まぁここに缶詰めになっているよりも外に出た方が気分的にもいいだろうしと、私達は必要な物(食材や日用品など)の買い物を含めて出かけることにした。


「先生、今日はありがとうござしました」

「いやいや。次は1週間後にでも来ようかね」

「はい、お願いします」

「じゃあな、先生」


ひらひらと手を振るルークの隣で頭を下げ、先生を見送る。その背中が見えなくなったところで、私は部屋に戻って三角巾を外した。


「すげぇボサボサ」

「ちょっ! 触らないでよ!」


不意に触れてきたルークの手から体を引いて逃げる。耳を他人に触られることに慣れていないので変な感じがするのだ。


「ブラッシングしてやろうか?」

「結構です!」


にやにやと笑うルークを睨みつけながら耳の毛並みを整える。最近、やたらと私をからかうようになってきたルーク。ブラッシングしてやろうか、とか、散歩に行くのか、とか。私をペットか何かと勘違いしているのかと怒ったこともあるが、彼はおかしそうに笑うだけだった。


(いつか必ず仕返ししてやる!)


未だに笑っているルークから顔を背け、部屋に戻ってフード付きのコートと少しの銀貨と銅貨の入った袋を手にし、そしてそのまま家から出ようとすると『おいていくな』と不満げに眉根を寄せたルークがすぐそばまで寄ってくる。


「ルーク、これから村に向かうけど、絶対私のそばから離れないでよね」

「なんでだよ」

「なんでも!」


変に悪目立ちをしてほしくないから、という言葉は飲み込んで、私達は肩を並べて村へと買い物に出掛けたのだった。











「へぇ……」


村に着くなり、ルークはぽつりと呟いた。家からそこまで離れていない距離にあるムルナ村。王都からは離れた所に位置し、木彫りの皿が工芸品として有名で、それを求めて昔は人が多く訪れていたが、近年では王都で流行している陶器で出来た皿のおかげでムルナ村から人が減っていた。けれど閑散としているわけではなく、それなりに活気はある。もちろん王都に比べれば全然だが。


「じゃあまずは野菜を……」

「よし、服屋に行くぞ」

「え、ちょっ……!」


今晩の食材を求めに来たはずなのに、やはりというかなんというか、彼は私の腕を強引に引っ張って歩き出す。男の人に力で勝てるはずもなく、私はずるずると引きずられているのだが、彼は服屋の場所を知っているはずがなかった。


「分かった、分かったから! 引っ張らないで!」

「お、悪い」


相変わらず反省している様子の無い彼にぶつくさ文句を言いながらコートの乱れを治す。万が一ここでフードがずれてしまったら大変なのに、彼はまるで分かっていない。


「服屋はこっち」


一歩前へ足を踏み出し、ルークが付いてきているか時折確認しながら歩みを進める。彼は物珍しそうにきょろきょろと辺りを見渡していたので、声をかけることはしなかった。


「はい、服屋さん」

「ここか」


村唯一の服屋は、流行り物の服が置いてあるわけではなく、少し流行が遅れたものを売っているようで、かといって値段が特段安いというわけでもない、普通の服屋さん。中には帽子や眼鏡など、小物(そこには包帯も含まれる)も売っていた。

ルークは外観をじっと見た後、そのまま中へと入っていく。私はその後ろをついていき、彼と一緒に洋服を見て回る。


「お、これいいな」


そう言ってルークが手にしたのは銀縁眼鏡と帽子だった。確かその帽子は“ハンチング帽”というやつだ。


「あれ? 服じゃないの?」

「服は、まぁ、後でだな。とりあえず今はこれが欲しい」


手にしていた銀縁眼鏡とハンチング帽を試着するルーク。そこで私は改めて、彼の顔の良さを思い知った。その姿が普通に似合うからだ。かといって素直に口にするのも憚られるので『変装?』と口にすれば『お前はおしゃれも分からねーのか』と軽く頭を小突かれてしまった。

帽子を少し斜めにしてかぶり、眼鏡を軽く押し上げる姿に(これがおしゃれなのか)と心の中で感心することにした。


「ほら、お前にはこれだな」

「うわっ!」


突然投げ渡された帽子を慌てて受け取る。視線を落とすと、ベージュ色をしたハンチング帽(確かキャスケットという種類だったような気がする)がそこにあった。

何が何だか分からずに首を捻っていると頭上から小さく笑う声が降ってきた。


「お前にはそれが似合うんじゃねーの?」

「え……?」

「帽子だったらそれを着なくても済むだろーが」


それとは恐らくコートのこと。ようやく私はルークの言葉の意味を理解した。


「いや、でも、無駄遣いはしないって決めてるから……」

「俺が買ってやるっての」

「えっ!?」


驚いた勢いで顔を上げたせいでフードが危うく外れるところだったので空いている手で押さえつけた。


「だめだよそんなの! 第一ルークは金貨しか持ってないじゃない!」

「ビル先生に頼んでどうにか銀貨にしてもらったんだよ。これだったらいくら主流が銅貨とはいえ、普通に買い物ぐらい出来るだろ?」


いつの間に先生に頼んでいたのか、ルークは恐らく銀貨が大量に入った袋を私に見せる。確かに銀貨ならば金貨に比べて買い物はしやすいだろうが、だからといって買ってもらうわけにはいかない。私は何度も首を振って帽子を戻そうとするが、ルークによって阻まれてしまう。


「何にも出来ない俺からのせめてもの礼だと思ってくれ」

「でも」

「いいから。あんまりしつこいようだと大声でお前のことを……」

「わー! 分かった! 分かりました! だからそれだけはやめて!」


慌てて彼の口を塞いで、ぶんぶんと首を振る。これはもう諦めるしかなさそうだ。渋々と彼が選んでくれた帽子を渡して頭を下げる。


「ありがとう、ルーク」

「だからそれは礼だって言ったろ?」


こつん、と彼の人差し指が私の頭を小突く。先程とは違って随分優しいその手つきに、何故だか心臓が一瞬跳ねたのだが、これはきっと貧血の症状なのかもしれないと考えを改める。

そんな私達のやり取りを見ていたらしいお店のおばさんが、にっこりと、怖いほどの満面の笑みを浮かべた。


「ティアナの恋人かい?」

「…………はい?」


あまり村に来ない私の名前をおばさんが知っているのは、私が村で話せる数少ない人の中の1人だからだ。それだけじゃなくて、この前包帯とルークの服を買いに来たのもこのお店で、私が金貨を持っていることで不審に思われたりしたので変に悪目立ちしたからだろう。


(というか今はそんなことを考えている場合じゃない、今おばさんはなんて言った!?)


彼女の先程の言葉を思い出し、先程よりも激しく首を振る羽目になった。


「ち、違います……! 彼は私の恋人ではなくてただの同居人で……!」

「おや、ティアナがこんなにはっきり喋るなんて珍しいね」

「いや、あの……」


体の熱が顔に集まってくるのを感じる。フードをかぶっていて良かった。赤い顔をまじまじと見られる心配もないだろうから。

しかし彼女の思い違いは止まることを知らない。『どこで知り合ったんだい?』とか『いつから付き合っているんだい?』とか。否定しようとしても矢継ぎ早に質問攻めに遭ってしまい、助けを求めようとルークの方へと視線を向けた。


「何笑ってんの!?」

「いや、別に?」


なんて言うものの、彼は笑いが堪えきれなくなって吹き出した。誰も助けてくれないこの状況に、どうしようかと項垂れる私に、ようやく落ち着いたルークが助けてくれた。


「すみません、奥様。実は彼女の言う通り、僕はただの同居人なんですよ」

「え……」


ルークがまさかこんな丁寧な話し方をするだなんて思ってもみなくて、私はただあんぐりと口を開けていた。


「おや、そうなのかい?」

「はい。怪我をして倒れていた僕を助けてくれたのがティアナなんです」


普段と180度違う話し方に寒気すらしてしまう。先程のやり取りを見ていたはずのおばさんは何の疑問も思わないようで、口に手を当てて楽しそうに会話をしていた。


(え、これ本当にルーク?)


まさか一瞬の隙に誰かと入れ替わってしまったのだろうかと疑ってかかるが、どこからどう見てもルークだし、そもそも一瞬で入れ替わるなんて魔法でも使わなければ無理な話だ。


「なんだい、私はてっきりティアナに恋人が出来たのかと思ったよ」


バシバシとルークの腕を叩くおばさまに、彼は痛がる素振りすら見せずにただ微笑んでいた。それから一言二言と会話をして服屋さんを後にすることにした私達。ようやくおばさんの追求から逃れられ、ほっと息を吐き出すと彼もまた息を吐き出した。


「元気のあるばあさんだったな」


先程叩かれた場所をさすりながら、ルークはいつもの口調に戻っていた。


「……私の時とはずいぶん話し方が違ったみたいだけれど」

「レディーには優しくしろって昔から教わっていたからな」


どうやら私は彼の言う“レディー”とは違うようだ。別に女性扱いをされたいわけではないけれど、なんだか腑に落ちなくて頬を膨らませたくなった。


「今度こそ野菜を買うんだからね!」

「あぁ、分かってるよ」


ルークよりも一歩前へ踏み出して、私は食材を買い込むためにずんずんと足を動かしたのだった。











「ありがとうございました」

「はいよ。またな、ティアナ」


おじさんからたくさんの野菜が入った紙袋を渡され、よいっしょっと抱え直す。いつもは自分しかいないが、今日は人手があると思い、ついつい買い込んでしまったのだ。こんなに買ったのは初めてで、紙袋の重さに少し顔を歪める。だからといって完治していないルークに持ってもらうわけにはいかず、ふらふらとはしていたがなんとか足を動かしていた。


「だから俺が持つって」

「だ、大丈夫! これぐらい私が……っとと」


思わずよろけてしまうのをなんとか踏みとどまり、もう一度紙袋を抱え直したところで、ルークがわざとらしく息を吐き出した。


「はぁ……ほら、貸せ」

「わっ!」


両手にずっしりと感じていた重みは彼の言葉と共に消え去った。慌てて奪い返そうとするも上手く躱されてしまい、代わりにルークが持っていた小さめの紙袋を押し付けられてしまった。


「ティアナはそれを持ってろ」

「でも」

「怪我ならもう大丈夫だって言ってるだろ。それに俺が持った方が落とさないで済みそうだしな」


確かに、私は両手でやっと持っている状態であったのに対し、ルークは片手で軽々と紙袋を持っている。彼の言う通り私が持つよりもルークが持った方がいいのは明白だった。


「……お願いします」

「あぁ」


大人しく諦めることにした私は、手元にある小さい紙袋の中身に視線を落とした。その中には赤いリンゴが数個だけ入っており、アップルパイが食べたいというルークの注文が入った。まさかそこまで気に入ってくれたとは思わなくて、実はものすごくうれしいのだ。

何せ今まで作っても小さめのアップルパイを一人で食べていたし、買い物だって一人だった。だから一緒に食事をするのも、こうやって出かけるのも、本当に久しぶりだった。


「……誰かと買い物をしたのは、初めてだ」


家までの元来た道を戻っている最中、ぽつりと隣から聞こえてきた言葉。それはどういう意味なのか、と尋ねようとしてやめる。


(人には聞かれたくないことの一つや二つあるもんね)


もちろん、私だってそれはある。だからルークに聞くことだってしなかった。それに彼も聞いてほしくない雰囲気を身に纏っているのだから、詮索するのはやめよう。


「帰ったら早速アップルパイを作りたいんだけど、ルークも手伝ってくれる?」

「あぁ、いいぜ」


少しだけ、足取りが軽くなった気がした。

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