初恋柘榴

カム菜

初恋柘榴

――主任、この人魚刑ってなんですか。受刑者の数が何年もずっと更新されて無いようですが。

――あぁ?……あぁ、それはいいんだよ。ちゃんと更新されてるけど数が変わってないだけだ。まぁ、俺たちが生きてる間には増えも減りもしない、ただ形式上記録してるだけの"数字"なんだから気にすんな。



「ねぇ、雪(そそぐ)君は日本の人魚の伝説って知ってる?」


騒がしい学食の中でも不思議とよく通る美しい声で、唐突にそう尋ねてきた女性は芥さん、同じ大学に通う同期だ。美しいのはその声だけでなく、すらりと伸びた手足、よく手入れされた長い黒髪、大きな目、そして夏らしい開放的な服装によって強調されている大きな……いややめよう。

とにかく魅力的な女性である彼女と平々凡々な僕は、不釣り合いながらも入学説明会の時に席が近かった、という理由でぼんやりと付き合いを続けていた。


「雪くん?聞いてる?」

「あぁ、うん、ごめん。えっと人魚の伝説?そもそも人魚って日本にもいたんだってレベルで知らないよ。そもそもなんで急に?」

「いやぁ、さっき講義で聞いてねぇ。やっぱ知らないかぁうんうん。それがさ、結構怖くて面白い話だったから雪くんにも教えてあげようと思って」


そういう彼女の目は輝いていた。芥さんは意外と妖怪とかオカルトの話を好むので、こういった話に付き合わされるのは一度や二度ではなかった。これは長くなるなと思い、軽く覚悟を決める。


「面白い、ねぇ……どんな話だったの?」

「それがね、人魚の肉を……というか日本の伝承の方では血を飲むんだけど、そこはまぁよくて、人魚を摂取すると不老不死になるっていうのは西洋の伝承と同じなんだけど、日本ではその性質を刑罰に使っていたんだって」

「性質?」

「だから不老不死!不老不死にすることが刑罰だったの。それも、とびっきり重い罪のね!」

「不老不死?よく昔話でそれを求めて血肉の争いが起るってイメージだけど……それが刑罰…わかった。死なないようにして激しい拷問をするとかか?」

「ちがうよー!雪くん、怖いこと考えるね。そうじゃなくて」


ただ、生かすの。いつまでもいつまでもずぅぅぅっと。


一瞬、そう答えた彼女の顔はいやに真剣だった。周りの喧騒が遠くに聞こえる。クーラーから出る生ぬるい風が体にまとわりついて不気味に思えた。


「……それは、罰になるのか?」

「なるんじゃない?いつまでもいつまでもずーっと、周りは変わってくのに自分だけ置いてけぼりで生きていかなきゃいけない。……一応、水銀の血っていう特異体質の人の血を飲めば死ねるらしいけど、基本は不老不死にしてほったらかしだから、はてしなーくずっと生きていかなきゃいけないの。正しく今を生きている人にうまく溶け込みながらね。怖くない?」

「うーーん、想像もつかないな。俺は普通に痛めつけられる方がよっぽど罰になる気がする。……周りに溶け込みながら、かぁ。なら芥さんとかもありえるかもね。名前も清子って古風だし」

「えーっ、それって私が罪人っていうことー?!」


彼女が言葉を続けている間に予鈴がなる。俺は彼女に簡単に謝罪し、別れを告げて急いで次の講義にむかった。結局、貴重な休み時間はよくわからないオカルト話に消えてしまったわけだ。あんな話を"面白い"なんて、芥さんもすこし変わってるんだな。と思いながら自転車を漕ぐ。うちの大学は割と広いので、もたもたしていると遅刻してしまうだろう。


それから何日がすぎて学生の特権、夏休みに突入し、俺は実家に帰省していた。それでも、いまだに人魚の話が頭にこびりついている自分がいる。……あれは、ただの与太話だ。あんな他愛のない世間話にいつまでも気を取られているなんておかしなことだ。それは分かっている。けど、何か引っかかる。


「雪ー?なにをぼーっとしとるん?」

「母さん。ちょっと考え事してただけだよ」

「あんた馬鹿なんだから、考え事なんかしても休んでるみたいなもんだろ?そんなことより掃除手伝いんさい」

「失礼だな?!まだ単位落としてないのに!……あれ、その手にもってるものって」

「あぁー!あんたの小さい頃のアルバムだよ。懐かしいでしょう。ほら、これとか覚えてる?あんたが猿山の猿に追いかけられてるときの写真」

「どうせならもっといい思い出の写真みせてよ……」


あんたねー!こういうのこそあとあといい思い出にーなんていう母の言葉に生返事しつつ、こんなの見てるから掃除が終わらないのでは?という言葉は飲み込む。

パラパラとページをめくっていると、ある写真が目についた。


その写真は幼い頃の自分の隣に20歳前後くらいの美しい女性が座っている写真だった。今の今まで忘れていたが、自分の初恋のひとだ。はじめて見た時から、目が離せなくてドキドキする人だった。近所にすんでいて、仲良くしてもらってたけど急に引っ越すことになって、泣きながらおねがいして撮ってもらった写真だ。その時はたしか、絶対に忘れないから、迎えにいくからと約束していた気がするが、子供にとって魅力的なものなんていくらでもあって、そのなかに埋もれて忘れ去られていたようだ。


いや、今そんなことはどうでもいい。問題なのは、写真に映る女性はどう見ても今の芥清子の容姿と何一つの違いがないということだ。


今までかいていた汗とはあきらかにちがう汗が体を伝うのを感じる。あれから何年経っている?そんなに容姿が変わらないということがあるのか?あるいは、ただの他人の空似なのか?……初恋の、彼女の、名前は、本名は覚えてないが、周りからはキヨちゃん、とよばれていた。本名が清子、ということも十分にありえる。よく似た容姿の(おそらく)同じ名前の女性とたまたま出会う?そんな偶然ありえるのか?……それは、偶然たりえるのか?まさか、罪人というのは彼女自身の実体験だったのか……?


「……馬鹿らしい」


俺は振り切るようにそう呟くと、アルバムを見て思い出話を続ける母親に声をかけて片付けの続きを手伝うことにした。不老不死なんてありえるはずもないし、仮に芥さんが人魚の血を飲んだ罪人だったとして、俺には何の関係もない。いい歳してオカルティックな話に、すこしテンションがあがってしまっただけだ。




あの後、夏休み遊ぼうよという芥さんからの連絡をなんとなく躱し続けて長い長い夏休みが終わってしまった。芥さんが不老不死の罪人だ、などという馬鹿馬鹿しい妄想を信じたわけではないが、一度感じてしまった薄寒さは拭えなかったため、なんとなく距離をおくようにしていた。元々彼女は平々凡々な僕なんかとは不釣り合いだったし、ちょうどよかった。

……いや、これは言い訳だ。今更彼女にどう声を掛ければいいのかわからないだけだ。彼女にしてみたら理由もわからず、急に友人から距離を置かれてている訳だし、どうにかしなくてはとは思うのだが、"あなたの話した怖い話を間に受けて距離を置いてました。"をうまく伝える方法が思いつかないのだ。

そうしてもんもんとしていると、芥さんの方から声をかけてくれた。


「雪くん!」

「わっびっくりした!……芥さん、久しぶり」

「久しぶりー。じゃなくて、ひどいよもー!夏休み連絡してって言ったのに!……まぁいいや、ちょっとお願いしたいことがあってね?」


芥さんは変わらない様子だった。俺の存在は数いる友人の一人ってところだったのかな、と筋違いな感想を抱きかける。お願い事。どうも、帰省したときに自室の本棚をやっぱりこっちにもってこようという話になったのだけれど、思ってたより重くて動かすのが大変だから手伝って欲しいとのことだった。これまでの負い目もあって、俺は快く了承した。


芥さんの部屋は女子らしい部屋、とはお世辞にもいえなかった。かなりコンパクトにまとめられていて、いつでも引っ越しができるくらいに片付いていた。そして軽く作業をこなして、まぁ、男手がいるのは分かるけど、話がしたかったって言う方がメインなんだろうか。なんて思う。そんな予想通り、作業が終わると彼女はご飯を作っていったから食べ行かないかと声をかけてくれた。


「雪くん、今日はありがとね」

「いや、これくらいの作業ならどうってことないよ。困ったことがあったらいつでも呼んで」


スープをのむ。ほっとする味だ。力がぬける。


「……それは、これからも仲良くしてくれるっていう意味?」

「……え」

「雪くん、私のことずっと避けてたよね……?」


声は静かだが、無表情なのがおそろしい。食べていた手が止まる。頭がなにかふらふらする。


「それは……」

「いいの。私が変な話、しちゃったからだよね?でもこれからは一緒にいてくれるんでしょ?」


発言が歪曲されて、いる、きがする。でもそれ、をしてきでき、ない。とても、ね、むい。


「……も、だい……っしょ」


こえが、とおい。いしきが、くらく、くらくなって――




「あ、雪くんおきた?頭痛かったりしない?大丈夫?」

次に目が覚めたとき、最悪の事態になっていた。俺は椅子に縄で拘束されていて、解けそうにもない。目の前の彼女は包丁を構えていて、いかにも正気でない顔つきをしていた。おまけに頭が痛い。ガンガンする。


「……ッ」

「あぁ、ごめんね?乱暴にしちゃったから痛かったかな?……さて、と。なにから話そうか。ずっと会えなかったから、話したことはたくさんあるけど、やっぱり今なんでこうなってるかが気になるよね?」

「あたり、前……ッ!なんでこんなことを……」


頭の中がかき回される。ぐらぐらと痛みが走る。


「あれ、本当に頭痛がしてる感じ?そんな副作用ないはずなんだけどなぁ……量を間違えちゃったかな?ごめんね?薬なんかで苦しめたくはなかったんだけど……まぁしょうがないか。えーと、私が愛する君にこんなことをしてるのは、そう、愛しているからです!」

「ご飯食べてた時にも話したけど、前に人魚の話をしたの覚えてるかな?覚えてるよね?あの時から私のこと避けてたもんね?あの時は寂しくて寂しくて寂しくて寂しくてしかたなかったよ。雪くんが勘付いてた通り、あの話は伝承でもなんでもなく私の実体験。私はね、昔、雪くんが生まれる前なんかよりもずうっと昔にね、すっごく好きな人がいたの。でもその人は私と結婚の約束をしてたのに浮気をして……その人と、結婚しようとしたの」


そういって彼女は悲しげに俯く。この異常な状況下でなければ慰めなければと思うくらい、彼女は自分の身に起きた悲劇を疑っていなかった。……違う。と頭の中で声がする。


「私、すごく悲しくて悲しくて……っ!………だから、殺したの。その人も、浮気相手も。汚らわしい雌猫に触った皮膚を生きたまま剥がして、消毒するために火にかけて殺したの。……それだけよ?それだけなのに死刑すら生ぬるいって。何年でも生きて贖罪を続けろって人魚刑なんかにっ……!!!!」

「……それからの人生は孤独だったわ。私の体は老いることはないから、それがバレないように各地を転々として……!自分の知ってる風景が無くなってくのを、自分がいた痕跡がただただ消えてくのを眺めているしかできなくて……!……でも、その中で君と出会えた」


一転して、媚びを売るような、甘ったるい声で彼女は言った。ズキズキと頭の声がこだまする。それとはちがう理解不能なものに対する頭痛もしてきた。


「……なんで俺、なんだ……?」

「わからないわ。でもあなたは私の運命の人よ。はじめて出会った時からそう感じたの。雪くんもきっとそうだったんでしょ?あのときかけてくれた言葉、嬉しかった……あ、再開した時覚えてなかったのは気にして無いよ。私の見た目は変わらないからわからないのも無理はないからね」


突如、ゆらり、と彼女が近づいてくる。


「あのね、雪くん。私、ずっと後悔してることがあって……私、好な人と浮気相手を一緒に殺しちゃったでしょ?そして、私は死ねずにずっと一人きり……それってあの雌猫にあの人を取られちゃったみたいだなって」

「だから、雪くん。君は誰にも渡さない。食べるの。死ねない私とずっっっとひとつになっていっしょにいるの」


目眩がする。ぐらぐらと怒りが湧いてきて頭の中がぐちゃぐちゃで割れそうに痛い。


「ふざ、けるな……こんなことが、許されるはずがない……!」

「許されないって誰に?私はずうっと罪人だからもう手遅れだよ。……じゃあ、もういいかな?」


刃が迫る。身動きの取れない体では、なにもできない。切りつけた首筋から血が流れていく。彼女がそれにむしゃぶりつこうとする。頭が痛い。違う。こいつは間違っている。俺はこいつに恋なんてしてなかった。こいつは、こいつははじめから……


「……う、あぁぁ?!」


こいつは、はじめから俺の仇だ。そうだ!おれは、おれの愛する人はこいつに殺された!だから、俺は!水銀の血の体を手に入れて転生したんだ!!俺たちが生きられなかった生をこいつが生きるなんて!到底許せない!!


「……!!……!、!!」


芥がのたうち回ってなにかを喚いている。俺の首の血も依然とまることはなく、意識が遠のいていく。もうなにを言っているのかも分からないが、せいぜい恨言を言っていろ!その命乞いはだれにも届かない!!


俺はやり切った思いで瞳をとじた。

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初恋柘榴 カム菜 @kamodaikon

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