2-8 十三番隊の宴会 2
「乾~杯~」
屋敷の主の隣という貴賓席についたアイリは、当然、ノイエッテのグラスにあてて音を鳴らす。ノイエッテ私邸だけの文化だが、グラスを触れあわせる行為は、宴会の後に寝所に招くことを意味する。それを知る侍女達は貴賓に視線を向け、その表情から、アイリがノイエッテからこの屋敷での暗黙の了解を知らされていないことを知り、安堵した。十三番隊はある意味では凱汪銃士隊で最も団結が強く、隊長と部下との間に垣根がない隊といえた。
さて、侍女達の視線に気付かないアイリは、自身の目の前にある皿を見て困惑した。薄くて白い磁器の皿はいかにも貴族の財を窺わせるのだが、その上に載っているものが理解不能である。ボートの形に折りたたまれたナプキン。アイリはボートもナプキンも知らない。
(布、だよね? なんでお皿に布が載っているの? もしかしてシート状のパスタ? 食べれるの、これ? 私、あっちの方がいい)
テーブルの最も遠い位置に座る侍女の皿にはスライスされた
(ああ、お金持ちは本当に豚を丸焼きにするんだ……)
アイリの生まれ育った村では豚を解体して家々に配るので、丸焼きは見たことがない。皇都では、豚の丸焼きは専門の料理人が朝から準備し、大量の木を燃やして焼く。手間とお金のかかる料理だと、そこまではアイリも二年間で学んだ。貴族の生活に片脚を踏み入れた彼女が未だに知り得ないのは、豚の隣のクジャクだ。毛をむしって焼いたクジャクに、再び毛を添えて生きているかのように飾り立ててある。どうやって食べれば良いのか知識がない。毛をとって、持参したナイフで切り取ればよいのだが、アイリはそもそもナイフを持参していない。
寒冷地出身のアイリは、テーブルいっぱいに並べられた料理の中から悠長に肉を切り分けて食べるような食文化を知らない。祖国でそんなことをしていたら、料理が冷めてしまう。仮にアイリがクジャクの腹を割いていたら、中から現れる珠玉に仰天していただろう。貴族が財を見せつけるための趣向だ。
「遠慮しないで~。食べて、食べて~」
隊長はそう言うが、アイリは遠慮しているわけではない。食べ方が分からないのだ。豚を丸かじりするわけにはいかないし、クジャクはもっての他だし、レモンの皮を半月状に切って油で揚げたものを組み合わせた塔など、食べていい物なのか、聞くのすら億劫だ。
(お水にバラの花びらなんて浮かべるんだ……)
とりあえず葡萄酒を薄めようとアイリがボウルに手を伸ばしたとき、ノイエッテがそのボウルで指を洗った。
(て、手を洗う水なんだ! なんで薔薇が浮いているの?! 高いんだよね?!)
手洗い用の水を用意する文化は富裕層を中心に広まりつつあるが、高級品であるバラの花を浮かべるのは一部の大貴族だけだ。アイリはチラリとノイエッテに視線を送る。ノイエッテはアイリの反応を楽しんで、にこにこと笑っている。田舎者の作法をからかっているのではなく、逆であった。いずれ貴族の宴会に参加する時に備えての秘密特訓として、ノイエッテはアイリを招待したのだ。
「これからは女も男の世界に乗りこんでいくんだから~。貴族の作法、覚えていこうね~」
「はい」
作法に戸惑いはしたものの料理はどれも美味しかった。豚やクジャクはアイリの左前にいた侍女が切り分けてくれた。アイリは恐縮したが、料理の
「えっと……。洗って返却しろってことですか?」
「ん~。フォークとスプーンはお土産だから、持って帰るんだよ」
「冗談、ですよね?」
「冗談じゃないよ~。唾液がついたものは悪い魔術に使われちゃうから、持って帰るの」
「ゲルダリア家だけの風習じゃないですよね?」
「本当だよ~。お祝いの席は、持って帰ってもらいたいものを主催者が用意しておくの」
「で、では、頂いていきますけど、これ、銀製品ですよね……。お礼に返せるようなものなんてないんですけど」
「一緒に食事をしてくれたことが、十分、お礼だよ~」
「それだと何か申し訳ない気が」
「じゃあ泊まっていって」
ノイエッテの瞳が怪しい色を帯びたことに気付いたアイリは、背筋を伸ばして笑顔で一礼。乾杯した者同士が同じベッドで一夜をともにするという屋敷内の暗黙の了解を知らないアイリだが、ノイエッテ達がそういう関係であること自体は察している。
「本日はお招き頂き、ありがとうございました。私、自宅にいなければならないので」
希少な回復能力をもつアイリは、有事に所在不明にならないよう、原則として夜間は自宅待機が義務づけられている。それに、他にも自宅にいなければならい理由があるのだ。
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