3-10 バーンの治療

「はーい。アイリさんの登場よ~。下がって、下がって~」


 応急処置に当たる隊員の表情が疲労と焦燥に染まっていたので、アイリは敬愛する隊長の口調を真似し、殊更声を明るくする。ベッドの上には、右腕の肘から先を失った十二番隊副隊長と、目を包帯で覆った隊士。隊長格を負傷させるのなら、戦闘の相手は隊長格以上のはず。夜中にいったい何があったのか疑問に思うが、追及はしない。

 負傷者の枕元には、皮ごと絞った林檎果汁の入ったグラスがある。赤い物は血の代用になると信じられているので、何杯か飲んだのだろう。もちろん、体内で林檎が血に変わるわけではないが、出血と移動による脱水症状に対しては効果があった。


「重傷って聞いたから慌てて来たけど、大したことなくて安心したわ」


 怪我人は見るからに顔色が悪く呼吸も乱れているが、不安にさせる必要はないから、アイリは笑う。


「腕は何処?」


「捨ててきた。俺よりイナグレスを先に……頼む……」


「バーンが私に『頼む』だなんて、相当参っているようね」


 アイリは軽口を叩きながら魔銃を太もものホルスターから取りだし構える。


「魔銃起動――。仕事よ。『灰色の天使アンヘル・デ・アツシユ』達」


 射出された魔力の奔流が小柄な天使に変貌する。連続発砲し、二体の天使が出現した。天使は浮き上がり、手にした玩具のような銃でイナグレスの目元を撃つ。すると、呻いていたイナグレスが大人しくなっていく。


「視力の回復は直ぐには無理。何回か治療を繰り返すわ」


 もう一体の天使はバーンの傷口を撃つ。止血のために焼いてあったヶ所の皮膚組織が泡立つようにして再生していく。


「腕の再生は、明日以降容体を見ながらやるわ。普通なら一、二カ月。バーンなら二週間もあれば元通りになるかな? イナグレスの視力は時間がかかるかもしれないけど……。とりあえず、二人とも後は安静にしてくださいね」


 全力を出せば回復を早めることも可能だが、そうすると魔力を使い果たしたアイリが不測の事態に対処できなくなる怖れがある。他に重傷者が出た場合にも困るため、回復能力者は常に余力を残す。


「ああ、助かった……」


 アイリはバーンの謝意を聞いて、驚きの声をあげそうになった。バーン程の実力者が負傷したことよりも意外だ。てっきり「お前の魔力が尽きるまで全力で治療しろ」と脅されるかと思っていたのだ。アイリが疲労困憊に陥って数日間魔銃を使えなくなることと引き換えに全力を出せば、今すぐにでもバーンの腕を再生することは可能だ。魔銃の能力に関する情報は隊内で共有されているため、バーンも当然、知っている。

 ペールランド出身のアイリは、皇国生まれ(ロアヴィアン)至上主義のバーンにとっては差別対象に含まれる。いくら同格の副隊長とはいえ、バーンは彼女を格下に見ている。謝意を口にするのは、あまりにも予想外であった。アイリは応急処置に当たっていた十二番隊の銃士に耳打ちする。


「精神がかなり参ってる。自暴自棄にならないか見ておいて。食事には、薬だと説明して苺を出して」


 苺を勧めるのは林檎と同じように、赤色だから血の代用になると信じられているためだ。ちょうど収穫期なので、林檎より遥かに入手しやすい。地になる苺を貴族たるバーンは普段なら口にしないだろうが、薬としてなら食べるだろう。


「了解しました」


「ああ、あと、彼、プライドが高いから。あまり怪我人扱いはしないで」


 アイリは、若い男性銃士が挙動不審な態度で視線を逸らすから、慌てて耳元から顔を離す。


「ご、ごめんなさい」


「い、いえ……。すみません」


 男性銃士は吐息で耳元をくすぐられたから照れていたのだが、アイリは自分の寝癖や寝ぼけ顔等、変なところを見せてしまったのではないかと恥じ入る。それに、隊舎まで疾走して、さらに魔銃を使ったため、息は切れているし軽く汗ばんでいる。アイリは、失態をしたと思い、そわそわと早口で退席する。


「じゃ、じゃあ、バーン副隊長。明日、というか今日ね。後で容体を診に来るから。大人しくしていてくださいね」


 入り口の見張りに手を振りアイリは隊舎を後にする。


(帰ってもぐっすり眠る時間はないし、あーもう、変な時間に起きちゃった……)


 皇都中央の巨岩を見上げる。先端が明るくなっているので、朝といえば朝だ。アイリからは見えなくても、地平の彼方ではそろそろ太陽が顔を出そうとしている。けれど街が明るくなるには、まだ数刻かかる。アイリは胸元に夜風を送り体を冷ましながら、石を蹴って歩きだす。

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