3-5 マレン姉弟の監視

 白百合城から一キロメートル南に離れた丘でイナグレス・マレンは伏せ、魔銃のスコープで尖塔を観測していた。姉が見張りを交代をしようとしたちょうどその時、彼の魔銃スコープに五つ映る熱源反応の内、最も大きいものが横向きになった。アッシュがボーガに肩関節を外され、足首を破壊された時のことだ。


「姉さん。キーシュらしき熱源が倒れた……」


「分かったわ」


 エナクレスは、数メートル後方の木にもたれて星を眺める男の元へ向かう。


「バーン様、キーシュが倒れました」


「……用済みになって処分されたのか?」


 監視には参加していないバーンは葡萄酒を手にして、夜間に姉弟の様子を確認しに来た。バーンは丘の頂上に移動し目を凝らすが、月明かりの下では森の輪郭が薄らと判別出来る程度だ。


「三日も北方将軍の城を偵察したかと思えば……。あいつは何がしたいんだ。銃士隊や四輝将の能力を調査して敵国に情報を流そうとして、失敗したのか?」


 隊長の疑問に答えを持たないエナクレスはイナグレスの隣に伏せ、並んで天守を監視した。偵察に秀でた姉弟だが、得られる情報には限界がある。本来なら魔力感知に長けた姉エナクレスが、キーシュが絶命する瞬間の魔力消失に気づけるはずだった。彼女のスコープには人間の魔力が、夜の灯のようにハッキリと映る。だが今は、キーシュの直ぐ傍にシルフィアがいるため魔力感知は不可能。シルフィアの魔力が恒星の如く巨大すぎて、灯の存在を見えなくしているのだ。魔銃のスコープが白一色に染まり情報を得られなくなるなど、過去に一度もない。シルフィアは、睡眠時には小さくなるとはいえ、日中は常に魔銃解放状態の隊長格に匹敵する魔力を放出し続けているのだ。


(こんな魔力量、有り得ない。私の能力が未熟だから誤認しているとしか……)


「俺と四輝将軍、どっちが上か一度でいいから殺しあってみてえなあ」


「それは……」


 エナクレスは不可能という言葉を呑みこんだ。必ずしも魔力量の差が戦闘力の差とは言えないが、シルフィアの魔力は常軌を逸している。副隊長一名で手におえる相手ではない。隊長格を三、いや、四人は揃えないと勝負にすらならない。異常事態を認められず、エナクレスはこのことをバーンに報告していない。口にすれば、目を疑われるだろう。


(アレは普通じゃない。私の目が曇っていると信じたい)


 エナクレスは難しいと承知しつつも、僅かな変化を見逃さないように観測を続けた。シルフィアの魔力を観測すると、太陽を直視したかのように目がくらむ。魔力による観測が困難なため、頼りは弟イナグレスの温度感知だ。

 天守の最上階にある部屋には熱源が五つ。成人らしき熱源が四つと、小動物のような熱源が一つ。そのうち最大の熱源が横に倒れ伏している。イナグレスは熱源の変化を観測した。死亡したのであれば徐々に体温が低下していくはずだ。


(なんだ? アレは猫か何かか? 最も小さい熱源がバルコニーに移動した)


 僅かな思考が手遅れに繋がる。その場にいた銃士で反応できたのは、副隊長バーンのみ。落ちた針に反射する月明かりほどのささやかな予兆を感じ、バーンは左腋の魔銃に触れ、抜き放つ間すら惜しんで能力を発動する。


「魔銃装着!」


 ルビー色の甲冑を纏いながらバーンはイナグレスを蹴り飛ばし、身を入れ替える。直後、神速で飛来したシルフィアの足をブレードで防ぐ。勢いを殺しきれずに、バーンはブレードにシルフィアを乗せたまま地面を削りながら後方へと滑る。


「うっ、おおおっ!」


「あら。反応できたの?」


 シルフィアはブレードの上からバーンを見下ろし、乱れた銀髪に手櫛を入れて背中へと流す。月明かりを透かした銀髪が幕となり、バーンの視界から星を隠した。


「この距離を一瞬で?! 貴様がシルフィアか!」


 マレン姉弟は混乱に陥った。魔銃の異能を使って監視していたにも拘わらず、彼女等はシルフィアがいつの間に魔銃を解放したのか、まるで分からなかった。速度から判断する限り、間違いなく装着型の魔銃のはずだが、全身を白い衣装で覆うばかりで、甲冑が認められない。

 バーンは姉弟に比べれば僅かに平静を保てたが、やはり、シルフィアの襲撃は完全に想定外。


(ありえない! 窓から見える方向にパドル・ボワの起動型魔銃を囮として配置しておいた。バドルの使い魔は人型だ。一キロメートルの遠距離からなら人と誤認するはず。何故、シルフィアは壁越しに監視していた俺達に気づく!)


 バーン達は狙撃手のキーシュに感づかれないよう、細心の注意を払っていた。距離を開け、さらに室内は壁越しに観測した。マレン姉弟だからこその、長距離からの偵察だ。

 気配を窺っていたからバーンはシルフィアの攻撃に反応できたが、今と同じ速度で近距離から攻撃を仕掛けられたら数手で凌ぎきれなくなる。バーンの決断は一瞬だった。


「俺ごと撃て!」


 バーンはブレードを降ろし、宙に浮いたシルフィアの胴体に抱きついた。装着型のバーンといえど展開型魔銃の射撃を近距離から喰らえば無事では済まないが、シルフィアに距離を取らせるわけにはいかない。他に選べる手段はなかった。しかし。夜闇に白蝶が舞ったように見えた。それは、シルフィアの腰で結ばれた大きなリボンが描く残像。


「覗きの次は、私の体に触れるつもり? 随分と、不愉快なゴミね」


 バーンの右腕の肘から先が消えている。噴き出した血が地に落ちるのよりも早く、シルフィアが二丁のライフルを手にして十メートル先に立つ。ライフルはマレン姉弟から強奪したものだ。

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