3-4 三度目の死
「俺はシルフィアの体を奪いに来た」
言葉に物騒なものを感じたのか、ボーガがしゃがみ、アッシュの左目にナイフを突きつける。いつでも拷問を再開できると脅迫し、主の命令を待つ。
「世の中には幼い体に興味を持つ者が随分と多いようね。でも残念。私の心を射止めたいのなら、もう少し情熱的な言葉を送ってくれないかしら」
「俺はキーシュではない。キーシュに頭を撃ち抜かれて、この体になった」
「どういうことかしら?」
「そのままの意味だ。俺は死ねば自分の意識を他人に移す」
「ふぅん……。つまり殺さないでくれという命乞いね。貴方が犬になったら飼ってあげるわ。ボーガ」
「は」
そう。このままでは犬の餌だから、アッシュは賭にでる。瞼を固く閉じ、声をはる。
「俺は、最後に目があった相手の体を奪う。シルフィア、お前の姿は、しっかりと目に焼きついているぞ。たとえ野犬にこの身を喰われようとも、俺はお前の体を奪う。俺は死の瞬間まで、お前の姿を一瞬たりとも忘れない」
シルフィアの表情に変化があったのを、正面にいたボーガのみが気付く。初老の従者は一切態度に出さないが、初めて見る主の顔色に驚いた。このとき、アッシュとシルフィアの運命が大きく変わったのだが、ボーガ・ルドフェルの心の内にも激動たる変化があった。だが、余人の知るところではない。
「素敵な愛の告白ね。貴方のこと好きになってしまうわ。ボーガ。日を改めてもらいなさい」
「……かしこまりました」
(くそっ! 今殺されなければ意味がない。どうすればいい!)
アッシュはボーガの肩に担がれた。すると、事態を静観していた若い男、グラハム・ルドフェルが動く。目元まで伸びた髪の奥で、神経質そうな瞳が輝いた。
「こいつの言葉が真実である可能性がゼロではありません。ですから――」
グラハムはアッシュの瞼をこじ開け、眼球を覗きこむ。
「貴様がその目に焼きつけるのはシルフィア様ではない。この僕だ。お祖父様、ナイフをお貸しください」
ボーガは僅かに躊躇するが孫にナイフを差しだす。もし先程シルフィアの表情の変化を見ていなければ、ボーガは孫を無視しただろう。ボーガはアッシュの言葉を信じた。いや、真実であることを期待した。この夜、青い月の下で様々な邂逅が果たされるが、最も重要な決断をし未来を大きく変えたのはボーガだ。彼は孫との決別を予期した上で、ナイフを握る手から力を抜いた。グラハムは半ば奪うようにして祖父からナイフを受けとると、アッシュの首に突き刺す。すぐに抜き、角度を変えて再び刺す。
「貴様はここで死に、その言葉は嘘だと証明される」
「ぐっ……」
アッシュは笑いがこぼれそうになるが堪える。シルフィアの体は奪えなかったが、これで、グラハム・ルドフェルの肉体へと意識が移るはずだ。死を実感しながら薄れゆく意識でアッシュは不意に、何故、殺されるのかが気になった。
(この男が俺の言葉を信じていないのなら、俺を殺す理由はない。逆に信じたのなら、犬の餌にすればいいのに何故、俺を殺す……?)
グラハムとシルフィアは互いに殺意を抱きつつも、その感情に従って行動できない関係であったとアッシュが知るのはもう少し先だ。アッシュの意識はグラハムの体へと移り、記憶を継承した。しかし、過去の出来事は記憶として有しても、思い出そうとしなければそれを知ることはない。
「やはりでまかせでした」
アッシュは目元まで伸びた髪の奥にある瞳で、数瞬前まで己が使っていた体の首からナイフを抜く。キーシュの服でナイフの血を拭きとりボーガに返す。ボーガはアッシュを一瞥すると、部屋を出る。
「待ちなさい」
シルフィアがボーガを呼び止めて部屋を出る。直ぐに戻ってくるが、手にしていた木彫りの天使像がなくなっていた。
(木彫りの天使をどうした。死体の袋に戻したのか? まさか、ボーガに捨てるように指示したわけじゃないよな)
アッシュは木彫りの天使像の行方が気になるが、確認するわけにはいかない。
「掃除しておきなさい。血の匂いを残さないで」
「かしこまりました」
シルフィアは頭を下げるグラハムと侍女に背を向け、バルコニーに近づく。
「次は覗き見している方ね。ちょうど三人揃ったわね。ああ、今日は楽しいことが立て続けに起きるわ」
バルコニーに出て青い月明かりを浴びるシルフィアは、銀砂を散りばめた花弁のように透き通っていた。バルコニーは狭い城塞都市内で土地を有効活用する目的で生みだされた建築構造だ。建物の上層階から床を迫り出させることにより、床面積を増やす。そのため、城百合城のように十分な広さの土地では設ける必要はない。皇都では富裕層が財力を誇示する目的で建物を豪奢に飾り立てる材料として造ることもあるが、白百合城の場合はやはり事情が異なる。貴人を幽閉する目的で建てられた白百合城のバルコニーは、手摺りが低く、直ぐ下は石畳みの通路になっている。つまり、世を儚んだ貴人が身を投げるために用意された舞台である。
そのような曰くを知らないシルフィアが、手摺りから身を乗りだす。ただ、小さな身体は過去に数名の命を奪った地面に落ちることはなかった。
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