第二章 騎士闡明

2-1 内通者警戒指令

 皇歴五百年三月二十三日。ロアヴィエ皇国の銃士隊がラガリア王国に向けて出撃する前日のことだ。騎馬や歩兵から成る通常軍は既に出陣しているが、魔銃使いのみによって構成される凱汪銃士隊カイヴァーン・スキユトーレは機動力が高いため、まだ皇都にあった。銃士隊は全員が騎馬に乗り、事前に出陣した輜重部隊が進路上に配置した馬に乗り換えながら移動する。金属甲冑を纏わない銃士隊は身体が軽く、通常軍の騎馬を移動速度で上回る。一方、騎士の装備は鎖帷子チェインメイルだけで20キログラムに達し、甲や脚当てを含めれば40キログラムを超え、槍や盾により100キログラムに至ることもある。もちろん、騎士は移動時から全ての武具を身に着けるわけではなく従者が持ち運ぶのだが、つまりそれは、通常軍の移動速度は数十キログラムの荷物を持った歩兵の速さに制限されることを意味する。そして、従者の体力のおよぶ距離が、移動距離になる。通常軍は一ヶ月前に出陣しているが、凱汪銃士隊は開戦の一週間前に出陣すれば良い。

 凱汪銃士隊十一番隊に所属するキーシュと、同ドミルは、皇都ロアヴィクラートの銃士隊十一番隊隊舎にある同隊副隊長グラト・ラーダの執務室に呼びだされた。野盗のような風体のドミルは勧められもしないのに壁際の棚から菓子を探し当て口にする、楽器奏者のような見た目のキーシュはグラトの執務机の前で直立不動の姿勢を取る。


「要警戒対象……ですか」


 出撃の前日に呼びだされるのだから、何か特別な任務だろうと覚悟はしていたが、キーシュは僅かに眉を顰めた。

 グラトは冷徹な眼差しと、すっとした鼻筋の下で口を曲げているが、キーシュの態度に不機嫌になったわけではない。普段から彼はそういう表情で顔を飾る。


「彼等はペールランドの出身だ。二年前の戦争以降に入隊した。敵と内通している可能性は捨てきれないし、心変わりもありうる」


「ガゴズやバルヴォワの人となりは知りませんが……。まさか、アイリ副隊長が?」


「仲間と信じるのなら、彼等の無実を証明してみせろ」


「……了解しました」


「あくまでも可能性の話だ。設立から日の浅い十二や十三にはペールランド出身の者が多い。警戒するに越したことはない」


 凱汪銃士隊は創立時に十隊で構成され、二年後に十一から十三を増設したという経緯がある。新設された三隊は戦力拡充のため、積極的に被征服国民や外国人を登用している。


「俺はキーシュのお守りか。了解したぜ副隊長。ところで、この菓子、もうないんですか?」


「ドミル。俺はお前の手腕は評価している。だが、そういうところは改めろ」


「おっと、失礼。お菓子が俺に食べてくれと囁くもんで、つい」


 こうして内通者を警戒する任務に、生真面目なキーシュと不真面目なドミルが就いた。対照的な二人だが、上官からは馬が合うと思われているらしく、組むことが多い。生真面目なキーシュは命令に従い、進軍の際は要警戒対象はもちろん、そうでない者達の態度にも常日頃と違う点がないか気を配った。彼等は馬を乗り換えて進軍するため、日中は食事と休憩以外では常に馬上にあった。体力が尽きることはないが、尻を痛めるし、誰もが暇をもてあそんだ。宿場となる村や町に到着すれば、若く体力旺盛な銃士達は多くが酒場に行きカードやダイスの賭博に興じたり、娼館に向かったりした。


(なるほど。グラト様が俺達を組ませた理由が分かった。日中は俺が、夜中はドミルが警戒すればいい。それに、グラト様のことだ。俺達以外にも同じ任務を与えているだろう)


 酒と女に酔ったドミルがどれほど任務に忠実だったかは不明だが、少なくともキーシュは十分に周囲を観察した。移動中には不審な様子は何もなかった。

 黄砂が中天の陽差しを遮る大地で、ラガリア王国との戦闘が始まったとき、キーシュやアイリは後方にいた。従来どおりであれば展開型魔銃の大火力を前面に投射した後、起動型の使い魔を突入させる。装着型は、無防備になる起動型魔銃使いの護衛にあたる。だが、今回の侵攻は敵兵士を捕虜にするという目的もあるため、展開型による掃討は実施せず、装着型が敵陣へと切り込む手筈になった。


(後方陣地にいる限り、アイリ副隊長は敵国との内通は不可能だ。異国出身とはいえ副隊長という立場を手にし、さらに市民階級を与えられて十分な報酬も出るんだ。裏切る理由がない。……敵との内通を警戒すべきは、前線に出ているバルヴォワか?)


「ふぅ、特に問題ないようだな、キーシュ」


 思案に顔を曇らせるキーシュの元へ、ドミルが生あくびをしながらやってきた。顎には出征してから一週間分の無精髭が伸びている。楽器演奏者のような見た目の生真面目な銃士は、盗賊のような風体の不真面目な相棒を注意することにした。


「おい、気味の悪い天気のせいで薄暗いが、夢魔が出歩くにはまだ早いぞ」


「昨晩立ち寄った街でいいところを見つけてな。朝までたっぷり搾り取られていたんだよ。おかげで眠いったらありゃしねえ。帰りにお前も連れていってやるよ」


「そんなことに使う金があったら、弟達に新しい服や靴でも買ってやるさ」


「ちっ。真面目だねえ。せっかく銃士隊に入れたんだから楽しもうぜ。おい、知ってるか。魔銃を持つと、ここの感度も強化されるんだぜ」


 下卑た笑みを浮かべながらドミルが股間の前で指を銃の形にするのを見て、キーシュは額に手を当てて黄色い空を見上げた。


「……全く、グラト副隊長は何故いつもドミルと俺を組ませる……」


「俺達がお互いに足りないものを補いあえる最高の相棒だからだ。気楽に行こうぜ」


 ドミルはキーシュの肩を抱き、二本の指を口元に運び「煙草をくれ」と仕草で訴えた。事前の会話と行動のせいで、キーシュにはそれが卑猥なジェスチャーのように感じられたから、ドミルを無視した。こうしてドミルは、人生最後の煙草を吸う機会を失った。

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