1-10 アッシュはかつての恋人の今に戸惑う

「アイリ……?」


「年下でも私は上官です。女相手に無理だとしても、作戦行動中は敬意を払いなさい」


「生きていたのか……」


「……えっとぉ、死ぬ要因がないんですけど? じゃなくて、どうしてバルヴォワを殺したの! 確かに、あのままじゃバーンの攻撃に巻き込まれて負傷者が大勢出たかもしれないけど。足を撃つとか、爪を破壊するとか!」


 男にもまったく怯まずに声を張り上げる様は、アッシュの記憶と何も変わらない。新しい体の記憶ではない。アッシュ自身が覚えているのだ。二年前に生き別れて以来だから、今は十八歳だろう。でも、二年前と変わらず、目の前で口を尖らせている。不機嫌なときに見せる可愛らしい癖だ。『口がアヒルみたいになっているぞ』とからかうと顔を真っ赤にしていた。アッシュは抱きしめたい衝動に駆られたが堪える。今のアッシュの体は、キーシュのものだ。


「失礼致しました。気が動転していました」


 アッシュは適当な言葉で場をうやむやにするしかない。自分に不思議な能力が備わったこととやアイリが生きていたことは事実として認識できるが、心と記憶の整理が追いつかない。


(なんなんだ。いったいどこからが夢なんだ。くそっ。全部夢であってほしい。けどアイリ、君が生きていたことだけは現実であってほしい!)


「何か言いたそうね? まあ、いいわ。キーシュは後。バーン!」


 一歩ごとに大きく肩を怒らせながらアイリはバーンの方へと歩いていく。グラトと共にこの場を離れていた彼女は、騒動に気づき止めるために戻ってきたのだが、間に合わなかった。アッシュは暫くアイリを追い、立ち止まった。戦い、いや一方的な虐殺は既に終わっている。

 アッシュの百メートル先でアイリがバーンの鼻先に指を突きつけ「捕虜を殺すな」「勝手なことをするな」とまくし立てている。言葉づかいから、副隊長であるバーンへの敬意があまり感じられない。その答えはキーシュの記憶にあった。現在の彼女は凱汪銃士隊十三番隊の副隊長。バーンとは同格だ。アッシュはその光景を見て、眩暈がした。


「アイリ……。そいつは、ユシンを殺したんだぞ……。俺達と一緒に山で迷子になって泣いて、一緒に祭りに行って笑って……。いつも一緒だったユシンを!」


 行き場のない様々な感情がアッシュの中で暴れ狂う。アイリとの再会を喜べば良いのか、友人の仇と会話していることに怒るべきなのかすら分からない。


(くそっ。優先すべきは復讐だ。バーン・ゴズルを殺す。今、撃つか? 駄目だ。アイリを巻き込む恐れがあるし、当たるとは限らない。今はまだ……。だが、いずれこの場にいる全員。いや、アイリ以外だ。ロアヴィエの軍人は全員、殺してやる。俺は、力を手に入れた!)


 副隊長達の話は終わった。赤い甲の副隊長は数名を引き連れて何処かへと去る。アイリは広場に残り、バーンの姿が見えなくなるまで睨み続けた。


「ああ、もう、バーンの馬鹿! 生存者は……。いないわよね……。ねえ! 生きている人がいたら返事しなさい。治療するわ!」


 呼びかけに応じる声はない。二百名の捕虜は全員が殺されていた。原形を留めている者の方が少ない。捕虜の死に憤りを感じているアイリの様子を見て、アッシュは僅かに安堵した。少なくとも、虐殺を楽しんでいた連中とは違う。何か事情があるに違いない。


「アイリ副隊長……」


「何? キーシュ、貴方も帰って休んでいいわよ。昼から働きづめでしょ」


「あ……。アイリ副隊長は?」


「私達の不手際で殺してしまったのよ。このまま野ざらしにはできない」


 沈痛な面持ちでアイリは太ももに巻いたホルスターから魔銃を取りだして構える。女性銃士の軍服は男性のそれと同様だが、右足だけは生地がなく肌が剥きだしになっている。膂力で劣る女性は常に魔銃を肌に触れさせておき身体能力強化を維持する必要があるためだ。

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