1-7 アッシュは己の死体を見下ろす

 間近にあるというのに、アッシュはその男の正体を判別するために、前のめりに凝視しなければならなかった。


「えっ?」


 足下で木に抱きつくように倒れている男の背中は血が流れ続けており、肌着の赤色が面積を広げていく。恐る恐るその男の肩を掴み、体の向きを変える。死相で歪んでいるが己自身を見間違えるはずもない。アッシュが目の当たりにする死体、それは間違いなくアッシュだった。


「この死体は俺? 俺は死んで精霊になったのか?」


 己の体を確かめると、両手足で黒鉄色の甲が鈍い光沢を放つ。右前腕甲の爪からは、血がしたたり落ちている。甲のない胴体には、皇国の銃士が着るのと同じ暗青色の隊服が見える。


「いつの間に俺は敵の服に着替えた……? 俺はここにいる。なら、倒れているのは誰だ」


 震えた声は谺することなく、森の奥深くへとか細く消えた。周囲は捕虜が次々と殺されていく喧噪の渦中にあり、広場の端に立つアッシュの戸惑いは誰にも届かない。


「これは俺なのか……」


 死体を探るためには手甲が煩わしいと思うと、甲は輝く粒子となり宙に溶けて消えた。不思議な現象だが気にかける余裕はない。アッシュは死体の右手を取り、親指の欠損と掌の火傷を確認する。懐を漁ると羊の皮で作った荷袋が有り、中にユシンの形見である木彫りの人形や火打ち石が入っていた。


「間違いない。他人の空似なんかじゃない。この死体は、俺だ……」


「おい、どうしたバルヴォワ。何を呆けている」


「……え?」


 死体に気を取られていたアッシュは、背後から近寄ってくる者に気づけなかった。


「捕虜が金目の物でも隠し持っていたか?」


「いや……」


 アッシュは混乱を押し殺すのに全精神力を使わなければならなかった。皇国の銃士が気安い態度で話しかけてくる。バルヴォワとは何者だと脳裏に疑念が過ったと同時に、答えが浮かび上がった。バルヴォワは二十三歳の男。ロアヴィエ皇国凱汪銃士隊の十二番隊に所属する。自分自身のことだ。魔銃の甲は両手足のみに出現し、頭部や胴体は不可視の魔力場で覆われる。魔力場に物理的に締め付けられているわけでもあるまいが、魔銃を装着すると髪が後方に撫でつけられる。そのことを仲間からいつもからかわれている。


(俺がバルヴォワ? 違う。俺はペールランド出身のアッシュだ。いったい何が起きた)


 アッシュは木彫りの人形を荷袋にしまい、何気ない仕草を装って自らの腰のベルトに引っかけた。それから、当たり前のように軍服の左ポケットに煙草があることを知っていたので、取りだし、横に立つ銃士ドミルに渡す。


「なんでもない。粗方片付いたようだし一服しようと思ってな……。お前もどうだ」


「お。悪いな。貰っておくぜ」


「ああ」


「しかし、どうした。眉間に皺を寄せて。そんなに不愉快なことでもあったか?」


「ああ」


 たばこを持った右手に相手の視線を引いてからアッシュはドミルの腹に左腕の爪を刺す。三本の巨大な爪はドミルの体を容易く貫通した。己の意識が皇国の銃士に移った混乱の中にあっても、アッシュは己の成すべきことを忘れなかった。拳を左右に捻ってドミルの内臓を掻き回してから爪を抜く。

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