1-2 木彫りの天使像

「アッシュ、側面にまわれ!」


 見慣れぬ甲冑姿に意識奪われることなくユシンが剣を振り上げるが、両腕はその勢いに乗って上方に飛んでいく。両腕は既にバーンに切り離されていた。血と共に放物線を描いた剣は薄暗い陽差しを一度だけ反射させ、森の何処かへ消えた。右前腕甲ヴァンブレイスから伸びたブレードは、速さ故にアッシュもユシンも振るわれたことに気づかなかった。


「どんくせえなあ、おい」


「うわああっ! ――ッ! ――ァ」


 絶叫すら地に落ちる上半身からであった。ユシン自身でさえ鎖帷子ごと胴体を両断されたとは認識できないままの絶命。アッシュの二十三年来の友人は、あまりにも呆気なく斃れた。


「ユシン! うおおおおっ!」


 半ば錯乱しかけたが、アッシュは込みあげてくる感情を自制心で押さえつけ、剣で斬りかかる。剣身はバーンの胴体を両断したかに思えた。だが、すり抜けたかのようにまるで手ごたえがない。斬り返そうと手首を捻った時、アッシュは手の内が軽いことに気づく。


「どうした。探し物はこれか?」


 剣の半ばから先は嘲笑を浮かべるバーンの掌中にあった。切断面は炉から取りだした直後のように、赤白色に歪んでいる。驚愕に見開いた視線の先で、剣身はどろりと融けて地面に粘着質の線を引く。


「武の国ラガリアもこの程度か。強者がいるかと期待したが、あてが外れたな」


「よくもユシンを!」


 武器を失っても闘志の衰えないアッシュは渾身の力で相手の顔面を殴りつける。だが、バーンが顔をずらしたため、頬あての鋭利に尖った部分が、アッシュの拳を引き裂く。


「ぐっ……!」


「残念だったなあ。テメエの血も俺の甲冑に吸わせてやるよ」


(さっさと撤退していれば、ユシンは死なずに済んだ! 俺のせいだ!)


 アッシュは傷の痛みと火傷痕の熱が混ざった拳を強固に握りしめ、嗤笑で撓んだバーンの顔面目掛けて振るう。


「うおおおおおおっ!」


 バーンが顔をずらすため、アッシュの拳は生身の部分を捉えることができない。拳が裂け、血は飛び散り、アッシュが腕を引く度に黄砂に赤い弧が浮かんだ。


「なんの芸当もない豚かよ。死――」


 挑発の瞬間、アッシュは矢手の親指をバーンの口腔に突っ込み、冑の頬当てを掴む。


「地獄でユシンに侘びろ!」


 眼球を抉り取るために弓手を伸ばす。だが――。


「ぐあああっ!」


「なんだお前、楽しませてくれるじゃないか?」


 バーンはアッシュの親指を噛み千切り、仰け反って左手を回避した。親指を噛み砕いて吐き捨てると、舌なめずり。赤い甲もまた血を舐めたように濡れ輝いた。


「少しは遊べたぜ、豚鬼。じゃあな!」


 負傷した親指を押さえる姿勢をとるアッシュは、振り下ろされるブレードを防げない。血を吸った大地にブレードの影が落ち、首が胴から離れようとする。しかし、大地はこれ以上の血を求めてはいなかった。


「そこまでだ。バーン」


 新たに現れた人物が、バーンのブレードを自身のブレードで止める。サファイアのような光沢を放つ青い甲冑を着た銃士の名はグラト・ラーダ。冷徹な眼差しと、すっとした鼻筋の下で、普段から不機嫌そうに口を曲げる男は、今はその口をよりいっそう曲げて、眼前の光景に不快感を示した。


 凱汪銃士隊カイヴァーン・スキユトーレ十一番隊の副隊長を努めるグラトは瞳の温度を下げ、同十番隊の副隊長を睨む。並の兵士であれば肝を冷やして震え上がるだろうが、バーンは意に介さない。グラトにとって業腹なことに、彼の装着型魔銃は色を除けば、最もいけすかない相手と外観と能力に共通点が多い。二人とも副隊長を務めることもあり、他者からは何かと比較される。


「ここに来るまでに幾つもの死体を見かけたぞ。生かして捕虜にする作戦を忘れたのか?」


「予想外の抵抗があったんでね。不可抗力ってやつだ」


「予想外の抵抗……か」


 グラトは一度だけバーンの頬宛てとアッシュの拳で視線を往復させ、顔をしかめる。そして、両腕を失くした死体の上半身を無言で見つめた。


「バーン……。戦場で遊ぶといつか命取りになるぞ」


「望むところだ。命の危機を覚えるだけの敵と遭遇してみたいものだぜ」


 小さく舌打ちをするとグラトはバーンとの対話を諦め、アッシュに降参を促す。


「貴様には捕虜になってもらう。逃走も抵抗も不可能だ」


「ぐっ……」


 怒りが体内で荒れ狂うアッシュは目の前の男共々、バーンを殴り飛ばしたい。だが、無駄死にはできない。生きてさえいれば復讐の機会は訪れる。ラガリアの土にこれ以上自分達の血を与える必要はない。そう、強く念じてアッシュは血まみれの拳を握りしめる。


「抵抗はしない。だが、そこの亡骸を弔わせてくれ。物心がついた頃からの友人なんだ」


「ああ? 捕虜風情が何をふざけ――」


「構わん。好きにしろ。だが、時間は取らせるな」


 バーンが反発するが、グラトが遮る。皇国の目的からすれば、敵兵士からの反感は可能な限り抑えたいところであった。特に、部隊が壊走した後も仲間が撤退する時間を稼ぐために持ち場を護り続けるような優秀な兵士からは。十一番副隊長は同じ副隊長の立場でありながら任務を軽んじる男に罵声を浴びせたい気分ではあったが、目の前でうなだれる敗残兵を慮った。

 敗残兵は友人の瞼を閉じると、体を一カ所に集めた。そして、友人の懐から木彫りの天使像を取りだし形見にした。ユシンが訓練の合間に彫った物だ。二人の故郷ペールランドには、相手の幸福を祈り、天使を象った木彫り人形を贈る風習がある。アッシュも同じ像を彫っている。


「ユシン……。これは貰っていくぞ」


 お互いに故郷を失い身寄りのない身だから、送る相手など限られている。アッシュは自分の腰紐に吊り下げてあった革袋に像を入れると、代わりに自分が彫った像を、冷たくなり始めた手に握らせた。


(お前の手に残った熱は俺が貰っていくぞ……!)


 復讐を誓う男は親指から流れる血を使って友人の額にハルカ村ユシンと記す。後は野犬や小鬼ゴブリンよりも先に心ある者が見つけて弔ってくれると祈るしかない。


「行くぞ。仇討ちなどと無駄なことは考えるなよ」


「ああ……」


「信じてはくれないだろうが、我々はお前の友人を殺すつもりはなかった。……ついてこい」


 歩きだした男の言葉に含まれた苦渋と誠実さに心許すことなくアッシュは青い甲冑の背中を追う。すると突然、背後が明るくなる。反射的に振り返り、叫ぶ。


「ユシン!」


 猛々しい炎が友人の体を包み揺れる。頭部に突き刺さったバーンのブレードも、炎で輪郭を歪めていた。眼前の光景は瞬時にアッシュの哀傷をこそぎ落とした。


「貴様あっ! ぐっ!」


 激情に身を任せてアッシュはバーンに飛びかかろうとするが、首筋をグラトに殴られて意識を失った。


「バーン! 貴様はこの男の意図すら汲めんのか!」


「甘いことを言うなよ。暗号で俺達の情報を仲間に流そうとしたのかもしれないだろ?」


「ラガリア王国の部隊は壊滅している。付近に敵はいない」


「油断は禁物だぜ。くくくっ」


 こうして、アッシュはロアヴィエ皇国凱汪銃士隊の捕虜となった。

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