25.熊も人間に食われる
合宿三日目。まだ山中湖に朝靄がかかっている時間に吹野崎テニス部一行は合宿所を出発した。目指すは徒歩五分のところにある白鷹高校の合宿地だ。
去年に続き今年も三、四日目と二日間に渡って白鷹と合同練習を行うことになった。さすが監督。伊達に怖い顔してないっていうか顔が広いっていうか。こんなこと言ったらぶっ殺されると思うけど。
去年の合同練習も俺にとってはすごくいい練習になった。やっぱり他の学校のヤツらと打つと、いつも練習している相手とはスピードやパワーが全く違うからいい刺激になる。格上の学校に「いい刺激になる」とか言うのは失礼だから「勉強になる」かな。今年もたくさん勉強させてもらおう。それに新しい友達もできたことだし。元気にしてるかなぁ。
「はーぁ。ねみぃ」
隣でハルが大あくびをかきながら歩いている。
「てかこれ晴れるのか? 全然前見えねぇぞ」
「天気予報だとじきに晴れてくるって言ってたから大丈夫だろ」
さすがは南。チェックが早い。
「ふーん」
自分で聞いておいたくせに、南の言葉を聞いているんだか聞いていないんだか腑抜けた返事だ。
靄のせいか外はすごく寒い。夏でも
そんな眠そうなハルと寒そうな太一を南と二人で笑いながら歩いていたら目的地に着いた。
「おはようございます! 吹野崎高校テニス部です! よろしくお願いします!」
『よろしくお願いします!』
コートの入り口でまず俺があいさつをして部員がそれに続く。白鷹からも靄の中からだけどあいさつが返ってきた。その中の一人が駆け寄ってくる。
「おはようございますぅ、吹野崎さん。ささ、こちらですぅ」
トレードマークの金髪頭と聞き慣れた関西弁に案内される。
「新!」
「おはよう桜庭クン。あぁ瀬尾クンも。会えるの楽しみにしてたでぇ」
俺たちがコートへ入ると白鷹の監督が「集合!」と号令をかけた。地鳴りのような声とともに四方から大勢の部員が集まってくる。
「ほな、積もる話はまた後で」
俺たちの案内が終わると新は集団の方へ戻っていった。
白鷹の集団をざっと見渡した限りでは熊谷の姿が見えなかった。アイツは一際でかいからたとえ靄で視界が悪かったとしてもすぐに発見できるはずなのに、今日はその姿が見えない。サーチライトのように首を回していると同じことを考えていたハルと目が合った。お互い熊谷の姿が見えないと分かると首を傾げた。ハルの言っていたあの噂は本当だったのか。あとで新にでも聞いてみよう。
両校整列しあいさつを交わす。当たり前だけど俺が代表であいさつすることになったからすごく緊張した。前へ出て振り返るとなんだか白鷹の人たちに睨まれているような感じがしたけど、ここで引いたらなんか負けた気がしたからなるべく堂々と話した……つもり。足が震えていたことはバレてないと思うけど。
その後はすぐに練習へ移った。依然として靄は晴れないままだけど、ここでも午前中はトレーニング中心のメニューだったから天気はさほど関係なかった。ただきつい練習には変わりない。
白鷹の監督も俺たち吹野崎生のことを平等に指導してくれるのはありがたいなって思った。でもその分同じように怒号も飛んでくるから怖いのなんの。小田原監督で大分耐性はついているつもりだけど、こっちはこっちで恐ろしい。例えるなら小田原監督は親父のように指導にも勢いがあるけど、白鷹の監督はじいちゃんみたいなガミガミタイプ。実際年齢的にもそれくらいだと思う。去年も見ているはずだけど記憶以上にじいちゃんって感じがした。
トレーニングのメニューもさすが白鷹なだけあっていろんなバリエーションがあった。うちではやったことないメニューもあったから苦しいながらもワクワクしてしまった。しかも去年はなかった新しいメニューもあったりして驚いた。全部は覚えてないけど、シングルスサイドラインの間をダッシュで往復する切り返しのタイミングでスイングをスローモーションで行う、という練習があった。はたから見ると一見なんともない普通のダッシュとフォーム確認の練習のように見えるけど、やってみるとこれが意外ときつかった。なにがきついって、ダッシュした後に急ブレーキをかけるのもそうだけど、その後のスローモーションっていうのが自分が思っている以上にゆーっくりやらないといけなかったり、可動範囲ギリギリまで腰を落とさないといけなかったり、腰のスイングを意識した動きをするから体幹を最大限に使わないといけなかったりで、トレーニングの中で一番体力を削られたといってもいい。
この練習みたいに初めてやるメニューなんかが多くて、少しやっただけで全身の筋肉が鍛えられた感じだ。こんな風に毎日いろんなメニューをこなしているんだなと思うと白鷹の強さが垣間見れた気がする。でもうちだって毎日きついきつい練習をこなしているんだから負けてないって思う。実際全員が白鷹のメニューにだって着いていけたんだし。
トレーニングを終えてからは残った時間に軽くストローク練習をして午前の練習は終わった。この頃にはもう靄も晴れていてギラギラの太陽が顔を覗かせていた。
今年もお昼は白鷹側でお弁当を用意してくれていて、コートの外の至るところで両校の部員が混ざりながら一緒に食べている。一年越しに再会したこともあって、「久しぶり」とか「この一年どうだった?」みたいな会話が方々から聞こえてくる。かくいう俺も――
「おーい! 桜庭クーン、瀬尾クーン! 一緒に食べようやー」
探していたヤツが向こうから来てくれた。目立った金髪頭が弁当持って一目散にこっちへ駆けてくる。
「お待たせして悪いなぁ。いやぁ監督が人遣い荒くてさぁ、弁当運べ言うねん。そしたらなぁ――」
着いて早々よくしゃべるヤツだ。俺たちに有無も言わせない弾丸トーク。でもしゃべりながら割り箸はしっかり割ってご飯を食べる準備は怠らない。
「――ほな、いただきますぅ」
一人で手を合わせて早速食べ始める。俺たちは食わずに待ってたっていうのに。ホント嵐みたいなヤツだ。
「キミらも早く食べやぁ」
終いには急かされる始末。まぁいいヤツだってことは分かってるんだけどね。
「せやせや。キミらんとこの監督はホンマ怖いけどいい指導しはるなぁ。さすが昔うちの監督やってはっただけのことはあるなぁ」
監督を評価するなんて何様だよお前は――って、昔うちの監督やってただと!?
「うちって、白鷹のこと?」
「せやで」
新は弁当食いながらもごもご答える。
「なんや知らんかったんか? まぁ俺も最近OBの人から聞いたんやけどな。なんでも暴力事件を起こして辞めはったらしい」
「暴力事件?」
俺たちを驚かせたかったのか新は神妙な面持ちで静かに言った。頬にご飯粒ついてるけど。
監督が暴力事件……。強面だからそういうことがあったって言われるとなぜか納得はできちゃうけど、でもこの一年間で監督が俺たちに暴力を振るったことなんて一度もないし、ずっと一緒にいたから分かるけど監督はそんなことするような人じゃない。新の話は本当なのか?
「どんな事件か聞きたいか?」
うん、と頷くと、分かった、と新も頷いた。
「十年くらい昔のことなんやけどな、ジジイが定年迎える時に後継に選んだのが小田原さんやったんや。『若いのによくやるヤツがいる』ってジジイは先輩たちに言ってたらしい」
「白鷹の監督って結構年いってんだな」
ハルが驚く。
「せやろ。もうジジイやねん。せやからジジイって呼んどるんやけどな。――それで、当時もうちは強かったらしいんやけど全国へはあと一歩ってところやった。それを全国常連校に引き上げたのが小田原さんなんやて」
「へぇ! 監督すげぇ! 白鷹の監督だったことにも驚いたけど、その白鷹を全国常連に育て上げていたなんて」
「俺もそれ聞いた時は驚いたでぇ。『ジジイやなかったんかぁ!』ってな。それでうちの監督に就任した小田原さんはぎょーさん改革をしたっちゅう話や。今では残っとるものも少ないけど、その一つが大会前のレギュラー決定トーナメントや。これはうちの根幹、実力主義を表す代名詞みたいなもんや。今の白鷹に流れる実力主義の考え方は小田原さんがつくったと言うても過言やない」
白鷹が大会前にレギュラーを決めるための部内戦をやっていることは去年新から聞いた。実力主義だから強ければ1年生でも最初の大会からレギュラーになれる。去年の熊谷のように。
「そして小田原さんが白鷹の監督になって何年か経った時に事件は起きた。しかも自分が導入した大会前のトーナメントが原因でな。……その年、中学でも騒がれていたちょっとしたルーキーが入ってきたんや。ところがどっこい、周りから持ち上げられていたことで調子に乗っとったんか、ソイツの性格があまりええもんやなくてな。『先輩たちみんな弱いっすねぇ』なんて平気で言いよったらしい。確かに力はあったから実力主義の白鷹ではソイツが正義やった。ソイツより弱い先輩たちはなにも言い返せなかったそうや。案の定、大会のレギュラーもソイツが勝ち取った。ダブルスの方でやけどな。初めはそれでもよかったそうや。大会も順当に勝ち上がってあと一勝で全国に手が届くところまで行ったそうやから。このまま全国まで行けるんならと先輩たちは我慢した。でも次の試合でチームは惨敗。シングルスもダブルスも一本も取れなかったそうや。そしたらソイツはあろうことか自分らのダブルスの試合の負けた原因も全部ペアに押しつけて、『先輩が足引っ張ったから負けたんだ。先輩が弱いから』って言ったそうや。小田原さんはそれに激怒して――」
新はなにも言わずに平手でビンタする仕草を取った。
小田原監督にそんな過去が……。今まで全然知らなかった。先輩たちは知っていたんだろうか。
そういえば以前、吹野崎ではどんなに上手い1年が入ってきたとしても、チームの雰囲気を崩さないようにとの監督の意向で最初の都大会には決して出さないと聞いたことあった。きっとこのことが関係していたんだな。
「俺はこの件、小田原さんは全く間違ってないと思うで。ソイツが腐ってたんや。先輩曰く、その事件以前に小田原さんが手を上げたことなんて一度もなかったみたいやし」
俺も今の話を聞く限りでは監督は悪くないと思う。確かに手を上げてしまったことはよくなかったかもしれないけど、監督が本当に俺たちのことを想ってくれていることは俺たちが一番よく分かっている。今でも監督が俺たちに手を上げたことなんて一度だってない。毎日怒鳴られてはいるけど。
「ただこれが問題にならへんはずがなくてな。先輩たちも必死に小田原さんを擁護したみたいやけどダメやったそうや。小田原さんは責任を感じて自ら辞めはった。その後は次の監督を見つけるまでならってことでジジイが再び監督を引き受けたみたいやで。せやけどそれから六年近く経ってる今でも監督はジジイのまま。俺、ジジイはほとぼりが冷めるまで待ってるんやないかと思うんや。また小田原さんに白鷹の監督やってもらうために」
監督が白鷹に、か。もしそうなったら吹野崎はどうなってしまうんだろう。
「ふーん」
一緒に話を聞いていたハルが感慨深げな相づちを打った。バカなハルでもこんな話を聞いたら少しは考えることもあるよな。
「まっ、俺も監督は悪くないと思うぜ。その時の監督は災難だったなって思うけど」
ハルは口の中のものをお茶で流し込んでから言った。
「監督が暴力を振ろうがなかろうが、俺は小田原監督に着いていくって決めてるけどな。初めて会ったあの日から」
「うん、俺も」
ハルが自信満々に言うもんだから俺もつい乗ってしまった。でもハルの言う通り過去の監督なんて俺たちには関係ない。俺たちの前にいる監督は今の監督だから。そして俺たちがこれまで見てきた監督は真正面から部員たちにぶつかってくれて、練習はきついしいつも怒鳴られるけど心の底から信頼できる人だと思っている。
「相当小田原さんのこと信頼してるんやなぁ。キミらが羨ましいで」
「なに言ってんだよ。お前だって監督のことジジイなんて呼んで仲いいじゃねぇか」
新は「せやろぉ」と嬉しそうに笑った。
「ハル先輩、渉先輩のこと聞いてくださいよ」
そう小声で囁いたのは俺とハルの後ろに隠れるようにしてずっと座っていた土門だった。憧れの先輩のことだ、気になるんだろう。それに熊谷のことを聞きたいのは俺たちも一緒だ。あの噂は本当なのだろうか?
「そうだったな」
ハルは土門に頷き、新に向き直る。
「そういえば、熊谷のヤツはどうした?」
新の顔が急に真剣になった。
「そのことについても話そうと思ってたんや。……クマさんは、アイツはテニス部をやめたよ」
「やめた!?」
誰よりも驚いた声を出したのは土門だった。無理もない。白鷹と合同練習をするって聞いた時から熊谷に会えることを楽しみにしていたんだから。
「なんでですか?」
「一言で言えば『負けたから』やの」
「部内戦でか?」
おう、と新は頷いた。
「負けたって、そりゃ誰だって勝ち続けることは不可能ですよ! 負けることだってあります! その程度のことで……」
珍しく土門が語気を荒げた。
「まぁまぁ少し落ち着いてや。えーっと……」
「土門です」
「あぁ土門クンか。よろしゅう」
新がなだめるように言った。
「確かに誰にだって負けることはある。負けたらそこからがんばって練習して、次勝てばええ。クマさんだって最初はそうしてきた。……ただ、もう立ち上がれないほどにクマさんはボロボロなんや」
悲痛な声で話す新にさすがの土門も冷静になる。
「なにがあったの?」
優しく尋ねると新は俯き加減で話し始めた。
「キミらも知ってる通り、クマさんは1年の時から白鷹のレギュラーとして都大会、そして全国大会を戦ったほどに強かった。その後も将来の白鷹を背負っていくエースとして周りからの期待も厚かった」
新は熊谷の武勇伝を自分のことのように嬉しそうに話している。そんな新を見ていると熊谷がテニス部をやめたなんて想像もつかない。
「でも去年の秋くらいやった。部内戦をやった時、クマさんはなんてことない同じ1年に負けたんや。誰にだって負けることはあるから最初は誰も気にせんかった。でも次の部内戦でも、その次でも、クマさんは同じ相手に負け続けた。不思議に思った先輩がソイツに理由を聞くと、クマさんのプレースタイルには〝欠陥〟があるって言うんや」
「欠陥?」
俺が問いかけると新が答える前にハルが答えた。
「長期戦に弱いことか?」
「その通りや」
新が頷く。
「クマさんには体格に恵まれた人並みならぬパワーがある。今まではそいつを使えばどんな相手でもなぎ倒してこられた。せやけどあの試合……」
「あの試合?」
「去年の都大会での、キミらとの試合や」
俺たちとの試合。確かその時S1で熊谷と当たったのは……
「キミらの主将さん。あぁ失礼、今じゃ元々主将さんやな。あの人はしつこいくらい粘り強かったでぇ。執念のバケモノや。あの年の予選でクマさんが黒星を喫したのはあの試合だけや」
「不動先輩との試合がなにか関係あるの?」
「関係あるもなにも大ありや! あの試合でクマさんの弱点が露見されたんやからな」
弱点か。確かに俺がこれまで見た試合の中では最長の試合だったけど。
「長期戦が苦手って、体力がないから?」
「もちろんそれもある」
俺が問いかけるとハルが答えた。
「でもそれ以上にメンタル面の問題が大きい。長期戦を制するには相手よりもメンタルが強くないとダメだ。それは冷静な心であったり、試合に対する大局的な視点であったり様々だ。ただ熊谷の場合、ある一つのことが原因で長期戦にはめっぽう弱いんだ」
「ある一つのこと?」
うん、とハルが頷く。
「それはアイツが〝短気な性格〟をしているということ。普段はおおらかなくせしてテニスになると途端に短気になるんだ。ほら、不動先輩との試合の時だってラケットを地面に叩きつけた時があったろ? 自分の思い通りにいかないとああやって感情を抑えられなくなるんだ」
せやせや、と新も同意する。
「『都大会でラケットを投げてしまった時は気持ちが切れていた』ってクマさんは言うてた。それに短気な性格がテニスに影響するのはそれだけやない。一番大きく影響してくるのは〝ポイントの取り方〟や」
そうだ、と今度はハルが新に同意した。
「さっき新が言ったように、これまでの熊谷は自分のパワーを惜しげもなく使って立ちはだかる敵を力でねじ伏せてきた。もちろん恵まれた体格があったからこそできたことだけど、逆を言えばそのせいでアイツはパワーに頼るプレースタイルになってしまった」
「パワープレーヤーっちゅうのは強烈な一発を打つことができるから強引にポイントを取りにいくことだってできる。せやから大概のパワープレーヤーはラリーなんて時間のかかることはせずに強打で押していってポイントを取りにいこうとする。短期決戦向きってわけやな」
「でもそこに不動先輩が現れた」
「お宅の元々主将さん、クマさんとはテニスに対する考え方もプレースタイルも真逆の人や。パワーで劣る分、粘ってチャンスを伺う。前半はパワーで押されようとも後半に粘り勝ちする。そういうプレースタイルや」
「瞬、お前も見てたと思うけど、不動先輩は熊谷の球に必死に食らいついて、その全てを返していただろう? 実はあれ、先輩はただ相手コートに返しているだけじゃなくて、深さを出したり、コースを変えたり、タイミングをずらしたりして、押されている中でも熊谷のことを揺さぶっていたんだ」
「テニスは一度だって同じボールは来うへんから、その都度攻め方や球種を変えていかなあかん。せやけどクマさんはあのスタイルや。深さもコースもタイミングも違うボールを全部同じように力でねじ伏せにいこうとした。体勢が整っていない状態で決めにいっても当然ミスにつながるだけや。ミスが重なれば短気なクマさんはイライラしてきて、更にムキになってまた一発で決めにいこうとするけどミスをしてしまう。負の連鎖や」
「普通は相手に粘られたらこっちも粘ってチャンスを待つのが定石だ。でもその短気な性格と相まって、パワーに自信があった熊谷はどうしても待つんじゃなくてねじ伏せにいこうとしてしまった。性格とプレースタイルは少なからず相関するものだからな。短気なヤツほど早くポイントを決めにいきたがる。小さい時はそれで充分通じていたからな。自分の中ではそれが勝利の方程式なんだ」
「せやけど元々主将さんはパワーで劣る分、頭を使い、体力を使い、粘ってボールを返し続けた。クマさんからすれば自分が決めにいったボールを全部返されるんやからイライラするのも当然。そこでクマさんも粘ることを考えていれば結果は違ったかもしれへん。でも今までパワーで押し勝ってきた自信が足を引っ張り、あの試合でもパワーに頼ってしもうた。長期戦でパワー押ししていけば体力だって早う削れていくし集中力もなくなっていく。結果としてそれがクマさん自身の自滅につながることとも知らずにな」
確かにあの試合を思い返してみると、最初はウィナーをバンバン決めていた熊谷も試合が進むにつれてネットやアウトのミスが増えていた。あれは無理やりポイントを決めにいったことによるミスだったんだ。そして不動先輩はそれを狙っていた。俺からしたら、熊谷のあんな豪快なプレーを見せられたら弱点なんてないように見えたけどな。でもどんな人にも弱点は必ずあるってことか。
「熊谷は短気な性格ゆえに長期戦になった時のメンタルを持ち合わせていないんだ。それをすぐに見極めて長期戦へもつれ込ませたのはさすが不動先輩といったところだな」
「クマさんも不運としか言いようがないでぇ。天敵ともいえる人間に当たってしもうたんやからな。しかもクマさんにパワーで劣るヤツにとってはこれ以上ないお手本になる戦い方や。クマさんの弱点に気づいたその1年は元々主将さんと同じ戦い方をしてクマさんに勝ったんや。せやけど相当練習はしたと思うでぇ。あれは真似しようとしても簡単にできる戦い方やないからな」
「熊谷のヤツ、中学の時から全然成長していないな」
まったく、とハルは呆れるように鼻で笑った。
「でもその人に負けたからテニス部をやめたんですか? そんなやわな人じゃないですよ、渉さんは」
「もちろんや。そんなことでクマさんはやめたりはせん。ただテニス部をやめることになった発端になったことは間違いない」
俺やハルよりも土門が一番心配そうな顔を見せている。いつもニコニコ笑っている土門がこんな顔を見せるなんて、なんだかかわいそうに思えてくる。
「白鷹のレギュラー争いはそこら辺の高校とはえらい違う。人数も多くて全員が強者。常に目ぇギラギラさせながら捨て身で獲物を捕まえに来る。時には群れを形成して最強の一匹を襲うことだってある」
まるで獣のような例えだけど、きっと的を得ているのだろう。今朝のあいさつの時に感じた睨まれているような視線は獣のそれだったと言っても過言じゃない。
「クマさんは入部した当初から周囲の熱い視線を集めてたおったし、初っ端の都大会も先輩たちを抑えてレギュラーの座を勝ち取ったからな。部員の間じゃ狙われる的やったんや。そんな時、その1年が立て続けにクマさんに勝ったもんやから、先輩たちも寄ってたかってソイツに『どうやって勝ったのか教えろ』って詰め寄りはって。ほんで弱点を聞いたら揃いも揃ってソイツの真似しよったんや。あれは異様な光景やったでぇ。クマさんと戦うヤツらがみんな同じ戦法を使うんやからな。クマさんも途中からは誰と戦ってんのか分からんかっただろうよ」
そういえば去年の秋頃にラケットショップで偶然熊谷に遭遇したことがあったけど、ラケットを替えてみようとかいろいろ悩んでいた感じだったな。その時は俺もあまり本気にはしていなかったけど、周りが全部敵だらけなら悩むのも当然だ。同じ部活の仲間なのにうちと白鷹とではこうも違うのか。レギュラー争いのためとはいえ、そこまでして仲間をコテンパンにして楽しいのか? そもそも仲間だなんて思ってもいないんじゃ……
「初めはクマさんといえど数人にしか負けておらんかった。せやけど対熊谷同盟の連中ら――ほぼ俺以外のヤツらやな――は毎試合後に反省会やら作戦会議やらしよって、少しずつやけどクマさんの牙城を崩していったんや。クマさんは部内で黒星が増えていって、対外戦では勝てるけど部内戦では勝てへん状態が続いた。せやけど部内で勝てへんかったらレギュラーにはなれへん。俺は試合中イライラしとるクマさんを何度も見た。そして覚悟を決めて臨んだ今年の都大会レギュラー決定トーナメントもあえなく敗退。負け続けて自分のテニスが信じられなくなった言うてやめてしもうたんや」
じゃあやっぱり熊谷が都大会に出ていなかったっていうあの噂は本当だったんだ。
土門がグッと拳を握るのが横目に見えた。悔しかろう。先輩の敵討ちでもしてやりたい。そんな目をしている。
「うちは実力主義である以上、下剋上はよくあることや。せやけどクマさんの件に関してだけは完全に一対その他の勢力図で多勢に無勢の状態やったんや」
熊谷に同情するように新は白鷹の内情を事細かに話してくれた。
「ふーん。でもさ――」
「分かっとる。瀬尾クンの言いたいことはよう分かる」
弁当を食い終わって一息ついたハルがなにか言おうとしていたけど新がそれを遮った。新の弁当はまだご飯一口しか手がつけられていない。
「勝負の世界や。相手がどんな手を使ってこようが勝てへんかったクマさんが悪い。それに負け続けたからって自分のプレースタイルを理由にテニス部をやめるなんてのは俺は言い訳やと思うとる!」
さっきの同情していた口調とは対照的に今度は怒りを露わにする新。でも相反するどちらの感情も新の本当の気持ちだっていうのは分かる。
「ただクマさんがまたここでテニスをするには、プレースタイルとか、考え方とか、いろいろ変えていかなあかん。小さい頃からの考え方を変えるっちゅうのは並大抵のことやないことは俺もよう分かっとる。今までの自分を否定するところから始めなあかんからな。でもクマさんにはそれを受け入れて戻ってきてほしいと思うとる。いや、絶対戻ってきてもらう。それが白鷹のためやと思うとるから」
白鷹は今年の都大会で全国を逃したと聞いた。きっと新は白鷹が再び全国へ舞い戻るには熊谷の力が必要だと思っているんだろう。
「それにや、つらい時にクマさんの隣で寄り添ってあげられへんかった俺も悪いと思うとんねん。一番の友達やのに……。せやから冬眠している
そう言うと新は満面の笑みを浮かべた。やるべきことは分かっているというように。
「そっか。熊谷の隣にも熊谷自身のことを熱く想ってくれている仲間がいてよかった」
ハルもニコッと笑った。土門も笑いはしなかったけど安堵の表情を見せた。無論俺も安心した。熊谷が本当に戻ってくるかは分からないし心配なことには変わりないけど、新の言葉を聞いたらコイツに任しておけば大丈夫だって思えた。
「集合!」
午後練の開始を告げる号令がかかった。
「アカン! 俺全然食うとらん! 午後練ガス欠してまうがな!」
俺たち吹野崎の三人はとっくに食い終っていたけど、新の弁当はほぼ手がつけられていなかった。無理もないか。ずっとしゃべっていたもんな。
うおー! と言いながら新は弁当を高速でかき込んでいく。口をリスみたいにパンパンにさせてとりあえずは完食したけど、午後練の最中に何度も吐きそうになっていた。それを見て俺とハルはゲラゲラ笑った。
合同練習の二日間を通して練習試合も少しやった。俺とハルのペアは四戦やって二勝二敗。白鷹の人はみんな強くてなんとか五分まで持っていけたって感じだったけど、やっぱり負けた試合は悔しい。俺があんなミスさえしなければ、って思うシーンは数えきれないほどあった。それに、まだまだハルに頼りっぱなしのところもあって申し訳ないって思う。ハルは「次、強くなればいい」って言ってくれたけど。早く俺も一人前になって、本当の意味でのダブルス、やりたいな。
今年の白鷹との合同練習も俺にとってはまたとない修業の場となった。最後に再びあいさつをし――睨まれるような視線は変わらなかったけど新だけはその中で笑ってくれていた――白鷹高校の合宿地を後にした。
熊谷、戻ってくるといいな。
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