26.告白
四日目の白鷹との合同練習から帰ってきて夕飯を食べた後、監督から許可をもらって花火をすることになった。合宿最後の夜だ。目いっぱい楽しもう。
監督から花火用のお金を預かり――これは死んでもなくせないからずっと手で握り締めていた――コンビニで花火を調達した後、山中湖の畔へ移動した。
夜の湖は涼しくて最高だ。足元には砂浜が広がっていて、微かだけど波の音も聞こえる。湖の方は真っ暗だけど、それを取り囲むように民家の明かりが差しているからかろうじて手元や足元は見える。でも宿舎の周りよりは全然暗い。東京と比べたらもっての外だ。
「うわー! 星きれー!」
女子たちがキャッキャ騒ぎ出した。でも見上げるとホントにきれいだったから俺もつい見入ってしまった。東京じゃこんなにきれいな星空は見えないもんな。夏の大三角形もハッキリと見える。俺が知っている星はこれくらいだ。星空から少し視線を下ろすと富士山の山小屋の光も見えた。
「じゃあ始めるぞ」
そう言うと男子も女子もワーっと一斉に集まってきて花火を取り合う。取ったら取ったで各々自分の場所を見つけては火を点けて、女子はキャッキャキャッキャ、男子はワイワイと騒いでいる。
「あんまり遠くには行くなよ」
花火を楽しむ前に部員の安全を促す。キャプテンは大変だ。さて、俺もやるか――
「きゃーぷてんっ」
周りの人に聞こえないくらい小さな声で俺を呼ぶのは……
「なんだ久保ちゃんか」
「はい! 久保です」
いかにもかわいらしい女子の後輩って感じの返事だ。
「どうしたの?」
「ちょっとこっち来てください」
手招きされ、誰もいない暗い方へと連れていかれた。
「これくらい離れていればダイジョブかな」
そう呟くと久保ちゃんはお尻を地面へつけないようにその場に屈んだ。仕方ないから俺も一緒に屈む。でもこんなところに呼び出してなんの用だろう?
「とりあえず花火二本持ってきたんでやりましょう。瞬先輩、火ぃ点けてください」
エヘヘ、と笑う久保ちゃん。
「お、おう」
ロウソクへ点ける用に持っていたライターで二本の花火に火を点ける。シュー、と花火は音を立てて勢いよく火花を吹き始めたけど、それには目もくれず久保ちゃんは俺に聞いてくる。
「瞬先輩。愛先輩のことどう思ってますか?」
「へっ?」
不意な質問につい変な声が出てしまった。
「どう思ってるんですか?」
今度はハッキリと、さっきのかわいい笑顔を殺してまで真剣に問い詰めてくる。
「どうって……いいヤツ……かな」
「はぁ」
久保ちゃんはやれやれという仕草を見せる。その手の動きに沿って花火の光も上下する。
「瞬先輩ってホント鈍感ですね」
「ど、鈍感?」
「はい、鈍感です」
ピシャリ、と後輩の女の子に断言されてしまった。
「いいですか。先輩、言わないと気づかなさそうだし、この際だからハッキリ言いますけど、愛先輩は瞬先輩のこと好きですよ」
……ん? えっ? 光野が俺のこと好き? ……好き!?
「いやいやいや、嘘だぁ」
「ホントです! 見ていれば分かりますよ。愛先輩、好き好き光線出しまくってますもん。女子でも私の他に気づいている子は何人かいますよ。先輩がそれに気づいていないだけです。それに愛先輩に一番かわいがってもらってるこの久保が言うんです。間違いありません!」
自分の胸を拳でポンと叩いて自信があるように見せつける。でも同時にもう片方の手に持っていた花火が消えて、久保ちゃんの姿も闇に消えた。
「あぁ消えちゃった。……なーんて、ジャジャーン! 実はもう二本予備で持ってきてたんです。久保はできる子なんで」
再び二本の花火へ点火するよう促される。着火すると同時に光野の話に戻された。
「でもほら、愛先輩ってああいう性格じゃないですか。高飛車っていうかツンデレっていうか……男の人にはツンツン? 見た目は超かわいいんですけどね。それが玉に瑕っていうか。だから後輩として心配なんですよぉ。……あぁ、そういうことじゃなくて。だから愛先輩は想いを寄せていても自分からは決して言わないと思うんですよ。だから先輩、ちゃんと責任取ってくださいね」
「いや、いきなり言われても――」
「先輩、男でしょ! 覚悟決めてくださいよ! 大丈夫です。愛先輩のことはこの久保が保証しますから。だって頭よくてかわいいでしょ。それからスポーツだって万能だし――」
ちょっと待って。待って待って。話が先に進みすぎてて頭が追いつかないんだけど。光野が俺のこと好きで、俺が責任を取る? 覚悟を決める? それってつまり……
久保ちゃんが光野のいいところを挙げている横で俺が必死になって頭の整理をしていたら二本目の花火も終わってしまった。
「じゃっ、あとで私がタイミングを見計らって二人きりにさせるので、がんばってくださいね!」
久保ちゃんは両手を胸の前でギュッと握って俺にエールを送った後、スタスタとみんなのところへ戻っていった。俺も少し落ち着いてから戻った。戻ったら戻ったでハルや太一から「なに二人でコソコソやってたんだよ?」「コクられでもしたか?」なんて冷やかされたけど、正直それどころじゃなかった。
光野が俺を好き? いやいや、そんなはずは。でも久保ちゃんはそう言ってたし……
終始そんなことばかり考えていたから花火は全然楽しめなかった。俺がボーっとしている間に残りは線香花火だけになっていた。
「瞬、早くやろうぜ!」
その声にふと我に返り、慌てて線香花火を取り出した。
「2年全員で勝負しよう」
太一が言った。もちろん女子も含めて。みんなに一本ずつ行き渡ったのを確認してから一斉に火を点けた。最初にぼんやりと火の玉ができて、少ししてからパチパチと弾ける。
確かに光野はかわいいし、勉強もできるし、太一は性格悪いって言うけど俺はそんなこと感じたことはない。ツンデレっていうのは分かる気がするけど……
ハッ! 不意に光野と目が合ってしまった。線香花火を見ていたつもりだったけど、いつの間にか無意識のうちに花火の先にいた光野のことを見てしまっていたようだ。慌てて視線を逸らすと火の玉がポトッと落ちてしまった。
は、恥ずかしい。なんで俺は今光野のこと見ていたんだろう。久保ちゃんに変なことを唆されてから頭の中は光野のことでいっぱいだし、視線もなぜか光野のことを追っている気がする。もしかして俺って光野のこと……
「おぉ!」
線香花火競争の方に目を戻すとハルと石川が最後の決戦をしていた。
「ひゅーひゅー! お二人さんお熱いね!」
太一をはじめとした男子勢がこれでもかっていうくらい冷やかしにかかる。
「うっせー。こういう勝負は相手が優里でも俺は勝ちにいくからな」
ハルは照れくさそうに言い返していたけど最後は石川に軍配が上がった。石川も照れくさそうに小さく喜んでいる。
「じゃあ花火はこれで終わり。みんなで片づけを――」
「えー、でもきゃぷてぇーん。悠長なこと言ってるとお風呂の時間終わっちゃいますよぉ」
久保ちゃんがあからさまに俺へ変な視線を送ってくる。確かに交替で風呂に入らないといけない関係上、そろそろ何人かは風呂に入らないと全員が入れなくなってしまう。
「じゃ、じゃあ片づけは俺がしておくよ。南、みんなの引率頼めるか――」
「一人じゃ大変ですよぉ。そうだ! 男子のキャプテンがやるなら女子のキャプテンもやった方がいいと思います!」
「なっ……」
光野も驚いた顔をしている。久保ちゃんめ、やってくれるじゃねぇか。でもここで拒否するのもなんか違う気がするし、まぁ仕方ないか。
「分かった。片づけと落とし物のチェックは俺と光野でやる。あとのみんなは宿に戻り次第順に風呂に入ってくれ。――すまん南、引率頼めるか?」
「任せとけって」
こういう時、南は本当に役に立つ。いや、こういう時だけじゃなくていつも助けてもらっているな。頼れる副キャプテンだ。
「よーし、行くぞぉ」
南の号令に従い部員たちは列になって歩き出した。久保ちゃんだけは相変わらず俺にエールのポーズを送ってくる。はぁ……
「先輩、俺も手伝いましょうか?」
そう声をかけてくれたのは土門だった。でも後ろから久保ちゃんが猛ダッシュで近づいてきて――
「バカッ! 少しは空気読みなさいよ!」
と土門の首根っこを掴んで連れていってしまった。俺はみんなの姿が小さくなったところで光野に声をかけた。
「じゃあ、やろっか」
「う、うん」
スマホの灯りで辺りを照らしながら花火のゴミや落とし物がないか探していく。意識的に光野の方を見ないようにするけど、そっちに神経がいってしまって片づけに集中できない。なんか変に緊張しているし、心臓の鼓動は早くなるし……
そういえばこの前の部活終わりに部室の鍵を閉めて帰ろうとした時、部室の裏側で誰かが一人で静かに泣いている声がしたけど、あれは多分光野の声だったと思う。次の日、石川に最近の光野の様子をそれとなく聞いてみたけど、キャプテンになってからチームメイトとあまり上手くいっていないようなことを言っていた。確かに女子と練習がかぶる月曜日に光野と他の女子たちが揉めているところは何度か目にしたことがあったけど、大丈夫かな。少なくとも今の光野からは不安な表情や雰囲気は感じられない。人には見せないようにしているんだろうな。
「こっちは終わったわよ。そっちは?」
「こっちも終わったかな」
いくつか拾った花火のゴミをバケツに入れる。落とし物はなかったけど、あまりよく見てなかったから誰かがなにかを落としていたらゴメンって感じ。
「じゃあ行くか」
そう言って置いてあったバケツを持とうとした時、不意に光野の手と触れ合った。
「ゴ、ゴメン」
「……うん」
反射的に二人とも手を引いて視線を逸らす。
「お、俺が持っていくよ。男だし」
「あ、ありがとう」
ぎこちなく砂浜を二人で歩いていく。
「な、なぁ光野」
ん? と首を傾げられる。
「最近、大丈夫か?」
我ながらすごく漠然とした問いかけになってしまったけど、頭のキレる光野は俺の意図を汲み取ってくれたらしく少し表情を曇らせる。
「……あまりチームメイトと上手くいってないんだ」
意外だった。大丈夫よ、といつもの上から目線な返事が返って来るかと思ったけど、まさか本音が返ってこようとは。
「私としてはもっとみんなで声を出せばチームを盛り上げられるかなって思って、『もっと声出そうよ』って言ったんだけど、『もう出してる』って反発されたり、他にもいろいろあって……。自分の想いを伝えるのって難しいね」
「そうだね。俺も上手くチームを引っ張れてんのかなって毎日不安だし、なによりあの一件以来、山之辺とは一言も話せていないし。話しかけようとはしてんだけど、全然上手くいってない」
「そっか」
やるせなく見上げた空にはまだまだ星が輝いていて、「お前の悩みなんてちっぽけだぞ」って言われている気がした。俺にとっては一大事なんだけどな。
「桜庭くんにも同じような悩みがあるって分かったら少し安心したわ。キャプテンに悩みはつきものよね」
「そうだね。先輩たちってやっぱりすごかったんだな」
「そうね」
そこからは二人とも無言になった。無言になったらなったでさっき久保ちゃんに言われたことを思い出してしまい、光野と二人きりという状況を変に意識しては一人で勝手に心拍数が上がっていく。
なんだろう。さっきまではなにも感じていなかったはずなのに今はすごく……胸が苦しい。意識しないと呼吸もできない。会話をしようと思っても言葉が出てこない。あれっ? 俺ってこんな感じだったっけ?
砂浜を抜け路地へ入ると街灯も出てきて幾分か明るくなった。そのままお互い無言で歩いていると目の前をひらひらするものが横切った。
「あっ、蝶々」
立ち止まって光野が見つめる先には黄色い蝶が一羽、夜空を舞っていた。
「珍しい」
そう言って光野が手を伸ばすと黄色い蝶はゆっくりと降りてきて、光野の伸ばした手にひらりと止まった。
純粋にその光景が美しいと思った。細くて長い白い手に止まる蝶。それを微笑みながら見つめる可憐な女の子。街灯に照らされながら二人の周りだけが白く輝いて見えた。
数秒すると蝶はまたひらひらとどこかへ飛んでいってしまった。俺は蝶が見えなくなった後もその方向をずっと見ていた。
「今の見てた?」
嬉しそうに言う光野の声でふと我に返った。と同時に、なぜ今光野と二人きりでいるのか、その意味を考えた。
光野は俺のことが好き。それはすごく嬉しい。じゃあ俺はどうなんだ? 光野のこと、どう思っているんだ?
去年は一年間同じクラスだったこともあって光野とはよく話もしていた。その時は特別な感情なんてなかったと思う。でもクラスが別々になってからはぱったりと話すこともなくなって、なんだか寂しい気持ちはあった。クラスが別々になった女子は他にもいたけど、寂しい気持ちを抱いたのは光野だけだった。ひょっとしてこれって俺も光野のことが好きってことなのか? 正直自分でもそれは分からない。でも胸の奥がギューッて締めつけられているのも事実だ。これが好きっていうことならきっとそうなのかもしれない。
ただ今は俺自身テニスに集中したいっていう気持ちが一番強い。全国を目指すチームのキャプテンとして、なによりハルのペアとして、まだまだやるべきことが山ほどある。だから今はなんというか……時期じゃない。でもせっかく久保ちゃんが気持ちを伝える機会をつくってくれたんだ。久保ちゃんの言う通り覚悟は決めよう!
「み、光野!」
「は、はい!」
俺は光野の方を向いた。光野も俺に振り返ってきた。
ただ覚悟を決めたはいいけど、なんて言ったらいいのか分からなくなってしまった。どうしよう。頭は真っ白。でもこのまま無言じゃ変だし……。ええい! とにかく自分の気持ちをぶつけるんだ! それで出てきた言葉が俺の本心だ!
「あのさ。えーっと……待っててほしい。……いや、その、光野のことはす……好きだけど……でも今はなんていうか、テニスに集中したくて。だからそれ以外のことは――」
「分かった。待ってる」
言葉が定まらずあたふたしてしまったけど、光野はちゃんと答えてくれた。光野の一言を聞いただけで俺はなんか安心したっていうか、心臓の鼓動が一気に収まった。
「あ、ありがとう」
俺たちは再び歩き始めたけどお互い無言には変わりなかった。それでも気持ちはスッキリした。帰ったらまず久保ちゃんにお礼を言わないとな。
部屋に戻ると三人がトランプをして遊んでいた。三人ともさっきの服装のままだ。
「おっ、帰ってきた帰ってきた。風呂行こうぜ」
「まだ入ってなかったの?」
「うん。瞬のこと待ってた。一人じゃ寂しいかなって思って」
「寂しいって、子供じゃないんだから」
でも嬉しかった。すぐに準備をして四人で風呂に向かった。
「もうみんな入ったかな?」
「川口たちが先入って、その次に1年たちも入ってたぞ。そろそろ出るんじゃないか」
脱衣所に着くとまだ数人の脱いだ服がカゴの中にあった。俺たちも空いているカゴに脱いだ服を入れていく。俺がシャツを脱いだ段階でハルはもうスッポンポンになっていて、「やっほーい」と風呂場へ陽気に駆けていく。ハルのヤツ、いつでも元気いっぱいだな。
ハルに急かされたのか俺もいつもより早く脱いで風呂場へと向かうと、入れ違い様に風呂場を後にする1年とすれ違った。
「キャプテン、お先にいただきました」
「おう」
俺たち以外にはもう誰もいなかった。ハルが一番奥のイスに座っていたから俺はその手前隣に座った。続いて太一、南と座って仲よく四人一列だ。
ハルはもう頭を洗い始めていて、洗い方が激しいから泡がしきりに飛んでくる。
「そういや瞬、帰ってくるの少し遅かったけど光野となんかあったのか?」
「二人きりだったしな」
ニシシ、と太一と南にからかわれる。ハルは頭を洗うのに必死だ。
「い、いや! なにもないよ!」
「なにそんな動揺してんだよ。少しからかっただけじゃん。……もしかしてホントになにかあったのか? あったんだな!?」
どうやら俺は嘘をつくのが下手らしい。二人も執拗に迫ってくる。仕方ない、ここは正直に……
「み、光野に……こ、コクった」
「……(キョトン)」
「あっ、でも正確にはコクったんじゃなくて待っててもらう約束を――」
『えぇーー!!』
やばい、二人とも絶対勘違いしている。変な言い方しちまった……
「コクったんかよ!」
「やばいよやばいよ!」
そんなこと言いながら太一と南はお互いにシャワーをかけ合ってワーキャーワーキャー。なんでお前らが盛り上がるんだよ。うぅ、俺の顔にも水がかかってるっつーの。反対側からも大きな泡がベチャリ。こりゃダメだ。俺も体を洗い始めるか。
ハルが先に洗い終わって湯船にダイブする。すげぇ水しぶきが上がった。俺も早いとこ洗い終えて浸かりにいこう。コイツらの横はもう嫌だ。まだシャワーをかけ合いながらワーキャーしてるし。
さっさと体を洗い終えてハルの元に急いだ。
「はぁあ。気持ちいぃ」
合宿の疲れが一気に吹っ飛びそうだ。
「気持ちいいよな」
二コッて笑われた。太一と南はやっと体を洗い始めたようだ。
「今年の合宿ももう終わりだね」
「だなぁ。長いようでやってみると案外早かったな」
「うんうん。……それにしても熊谷の件には驚いたよ。ハルもそうだろ?」
「まぁなぁ」
そこまで驚いているようには見えなかった。
「遅かれ早かれこういうことになるんじゃないかとは思っていたけどね」
そっか。ハルと熊谷は中学の頃からのつき合いだから思う節もあったわけか。
「まぁこれからだろ、アイツも」
「戻ってくると思う?」
「もちろん!」
ハルは自信たっぷりに断言した。
「それに強くなってな。もしかしたら俺たちの最大の壁として立ちはだかるかもしれないな」
またニコッと笑った。
最大の壁か。もしそうなったら手強そうだけど、でも戻ってきてほしいな。
「ひゃほーい」
体を洗い終えた二人が飛び込んできて盛大に水しぶきを食らった。
「おいハル聞いたか? 瞬のヤロウ、光野にコクったんだって!」
「だからコクったんじゃなくて……もう!」
ハルにも「おめでとう」なんて言われたからそれには一応「ありがとう」って返したけど、別につき合ったわけじゃないし、待っててもらうって約束をしただけなんだからね。って言ってもどうせ聞いてもらえないんだろうけど。
「そういえばさ、みんなはなんでテニス始めたの?」
太一や南と一緒にはしゃいでいたハルだったけど、急に冷静な顔になったと思いきや話題を変えてきた。てっきり「光野のどこが好きなんだよ」とか聞かれるんだろうなって思ってたから考えていたんだけど……いや、別に考えないと出てこないとかそういうことじゃなくて、光野のことは自然と好きになっていたんだと思う、多分。自分でも気づいてなかったくらいだから。
ハルの質問のお陰で俺が光野にコクった――厳密には違うけど――話はもう浴槽の底に沈んだみたいで、二人は新しい話題について真剣に考えている顔になった。
最初に答えたのは南だった。
「うーん、テニスやり始めたのなんてとっくの昔だからなぁ……」
「南がテニス始めたのって小1だっけ?」
「そう。今年でかれこれ十年目よ」
実は2年の中で南はテニス歴が二番目に長い。一番目は堂上だ。なんてったって三歳からラケットを握っていたみたいだからな。堂上曰く、おもちゃよりもラケットの方が持った時にしっくりきたんだと。三歳児にしっくりきたなんて感覚あるのかよって思ったけど、それだけ小さい頃からやっていればあれだけ強いのも頷ける。でもテニスの強い弱いは決して経験年数に比例しないってハルが前に言っていた。
「だから気づいたら始めてたって感じだよ。なんかおもしろそうだなって思ったんだろうな、きっと」
「俺もそんな感じだった!」
と南に同意したのはハルだった。
「小学校の友達が元々やってて、その話聞いてたら楽しそうだなって思って気づいたら始めてた」
いかにもハルらしい理由だな。もちろんポジティブっていうか好奇心旺盛っていう意味で。バカっぽいとかはこれっぽっちも思っていない。これっぽっちも。
「小さい頃からやってるヤツなんてみんなこんな感じだよな。だから尚更高校から始めた二人の理由が気になるな。二人はそもそも別のスポーツやってたんだろ?」
うん、と太一とともに頷いた。
「俺は中学まで水泳やってて、とにかく陸上のスポーツがやってみたかったんだ。野球とかサッカーでもよかったんだけど、最近の日本人テニスプレーヤーの活躍もあってテレビでテニスの試合を見ることが多くてさ。それで楽しそうだなって」
「やっぱり楽しそうだったからなんだな」
「当たり前だろ。じゃなきゃやってねぇよ。瞬は?」
みんなテニスが楽しそうだったから始めたんだな。そりゃそうだよな。でも俺は……
「俺はみんなとは少し違うかな」
「どう違うんだよ?」
「一言で言うのは難しいけど、強いて言うなら、周りに迷惑をかけずにできそうだったから、かな」
そうだ。俺がテニスに興味を持ったきっかけは個人競技だったからだ。楽しそうだったからじゃない。偶然にもそれはハルとアキくんの試合を見ていて思ったことだったんだけど。
ふと我に返るとこの場の空気が重たくなっているのを感じた。三人が「えっ?」っていう表情で俺を見ている。確かにいきなりあんなこと言われたら驚くのも無理はないよな。でも別に俺だって空気を重くしたいわけじゃなかったから、「もちろん今は楽しいよ!」って誤魔化してはみたものの、三人の視線が俺の過去に疑問を抱いていることに変わりはなかった。
だから俺は仕方なく話すことにした。中学の頃はサッカーをやっていて、本気で全国大会を目指していたこと。でも最後の大会でプレッシャーに負けて、俺のせいで試合に負けてしまったこと。その時の赤井の言葉と〝あの目〟は今でも覚えていること。それからはサッカーが怖くなってしまったこと。受験勉強もせずに途方に暮れていたこと。そんな時、偶然ハルがテニスをしていたところを見かけたこと。そこでテニスに少し興味を持ち始めたこと。高校に入学したら偶然ハルと再会して、それでテニス部に入ったこと。
三人は驚いたって顔をしながらも真剣に俺の話を聞いてくれた。まさかこんなところで自分の過去の話をすることになるなんて思ってもみなかったけど、この三人になら打ち明けてもいいと思えた。恥ずかしかったけど。
「でもよぉ、一番努力していたのは明らかに瞬だろ。努力もしないヤツが文句言ってんじゃねぇよ」
ムカつくなソイツ、と太一が怒りを露わにする。太一は他人が経験した嬉しいことや悲しいことを、いつも自分のことのように喜んだり悲しんだりしてくれる。俺は太一のそんなところが好きだ。
「ありがとう太一。でも俺が悪いんだ。俺が点を決められなかったから――」
「瞬は悪くねぇよ!」
「俺もそう思う。努力してたヤツが責められるなんておかしい。ハルもそう思うだろ?」
おう、と水面を見て少し考えるそぶりを見せる。
「サッカーのことはよく分からないけど」
ハルは一拍おいてから顔を上げた。
「ダブルスはかけ算だって思うんだ。お互いがんばればがんばるほどそのペアは強くなる。瞬の努力をマイナスになんて俺がさせない」
しっかりと、真っすぐ俺の目を見て言ってくるもんだから、俺もハルから目を離さなかった。ハルの発する言葉にはいつも力があって、俺を支えてくれる。普段はあんなヤツだけどテニスに関しては一番頼りにしている。
「ありがとう。俺、がんばるよ。がんばるから」
「おう!」
ハルはニコッと笑った。
気づいたら南が茹でダコのように顔を真っ赤にしてボーっとしていたから、これはやばいってなってみんなで慌てて風呂を出た。幸いなんともなく、少し外に出て涼んだら元に戻った。
「トランプの続きしようぜ」
太一の提案で部屋に戻った。明日に響かない程度に合宿最後の夜を四人で楽しんだ。
翌日の合宿最終日。いつも通り午前中は走り込みだ。練習前、もう最終日かと思うと少し寂しさを感じたけど、いざ練習が始まってみるとやっぱり死ぬほどきつかったから早く終わってほしいと願わざるにはいられなかった。
午前練が終わって食堂に向かっている途中、光野と目があった時は少し気恥ずかしかった。幸いそのシーンはお互い誰にも見られず、冷やかしには遭わなかった。
午後の練習もいつも通り基礎練をみっちりとやった。この五日間、体力づくりと基礎練をこれでもかというほどやったかいがあって、フォームもしなやかでかつ力強いものに生まれ変わった気がする。ボールに体重を乗せる感覚も掴んできたし、スピンだって今まで以上にかかるようになったのがその証拠だ。あとは試合で活かせればと思うんだけど、試合になると途端に慌ててしまって上手くできないことが多くなってしまう。でもこればかりは俺自身でどうにかしていくしかない。臆せず挑戦していくだけだ。
練習が終わって最後のあいさつをした時、監督の後ろの富士山が夕日に赤く染まっていてとてもきれいだった。その景色を見ていたら、去年の合宿でハルに言われた『ダブルスのその先の景色』のことをふと思い出した。帰りのバスでハルと隣になったからそのことについて聞いてみたけど、「まだ全然見れねぇよ。俺もまだまだだな」って言われた。俺は「そっか」としか答えてあげられなかったけど、ハルがまだまだっていうなら俺はもっとまだまだだ。
学校に着いた頃にはもう夜になっていた。上を見上げても昨日のような星空どころか星は一つとして見えず、月だけが一人寂しく輝いていた。やっぱり東京じゃ星は見えないよな。
東京の夜も半袖一枚じゃ少し寒さを感じるようになっていた。ジャージのファスナーを上げて家路に就く。キャリーバッグのローラーがコンクリートにゴロゴロ転がる音がなんだか心地よかった。
夏が終わっていく。
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