19.新入生

 始業式の翌日には入学式があった。その日から一週間は部活の見学期間が設けられているのもあり、後輩たちが何人も練習を見に来ていた。先輩として恥ずかしいプレーを見せるわけにはいかない、と思うと自然と緊張感が生まれる。そうだよな。俺ももう〝先輩〟なんだよな。後輩の前では先輩が率先して動いて、口だけじゃなくて態度でも示していかないといけないんだよな。

 先輩になるってこういうことなのかな。不動先輩や金子先輩も俺たちが入ってきた時にはそう思っていたのかな。俺からしたら先輩たちはいるだけで威厳があるっていうか、かっこいいっていうか、憧れの存在だった。俺もそんな先輩になれたらいいなって思うけど、多分なれないだろうな。自信ない。

「ハル先輩!」

 見学に来ていた新入生の集団の方から甲高い声が聞こえた。でも声のした方向を見ても、誰もハルのことなんて呼んでいないという風にみんな仲よくしゃべっている。――いや、よく見ると群衆の上に手のひらが一つ、こちらに向かって振られている。背が小さいのか、俺たちからは群衆の上にちょこんと出た手のひらしか見ることができない。手のひらの主は体を潰されながらも群衆の間をやっと抜け出ると、「はぁ、はぁ」とプールで潜水でもしていたかのように苦しそうに呼吸を整えている。そして俺たちの方を再び見て、「ハル先輩!」とまた甲高い声で叫んだ。

「よぉ! 土門じゃないか!」

 ハルの知り合いみたいだ。でも当のハルは喜ぶというよりも驚いたという表情を浮かべている。土門は飼い主に駆け寄ってくる犬みたいに嬉しそうにハルの元へ走ってきた。俺も背は高い方じゃないけど、この土門って子は俺やハルよりも一回り小さい。

「ハル先輩、やっと見つけました!」

「土門、なんでお前がここにいるんだよ?」

「なんでって言われても、先輩が来いよって言ってくれたんじゃないですか!」

「そりゃ去年スクールに遊びに行った時には言ったけどよ、まさかホントに来るとは思わないだろ」

「俺は本気でしたよ。だから来ちゃいました」

 そう言って笑う土門の顔は、幼い頃にスキー場で見たダイヤモンドダストのようにキラキラしたものだった。心なしかハルと似てるなって思ってしまった。

「来ちゃいましたって、お前ならうちじゃなくてもっと強い学校に行けただろ。それこそ白鷹とか」

「はい!」

 土門は迷わず言いきった。

「でも先輩のことを追いかけてきたんですよ。高校でも先輩と一緒にテニスしたかったから」

 土門はまたキラキラとした笑顔を見せた。ハルは「そっか」と言って、短髪で少しくせっけのある土門の頭をわしゃわしゃと撫でた。なんかハル、嬉しそうだ。慕われているんだな。わしゃわしゃされている土門も「エヘヘ」と嬉しそうに笑っている。

「でもよくうちに入れたな。お前、俺よりバカだから吹野崎なんて絶対来れないと思ってたよ」

「そうなんですよぉ。ここ地味に偏差値高かったんで、俺すっげぇ勉強がんばったんですよ! 去年ハル先輩が受かったって聞いた時は、『えっ! あのハル先輩が!?』って目ん玉飛び出そうになりましたけどね」

「まぁな。俺は天才だから」

 一時は定期テストでビリ争いしてたヤツがなに言ってんだよ、と言うように俺は後輩の前でエッヘンと偉そうに胸を張るハルに向かって睨みを利かせた。ハルは俺の視線に気づいたのか、数々の恥ずかしいエピソードを言われまいと自ら話題を変えてきた。

「あっ、そうだ! 紹介するよ、瞬」

 でも目がちょっと泳いでるな。まぁここは先輩としての威厳を優先させて黙っておいてあげよう。

「中学の時、俺と同じスクールの後輩だった土門だ」

「こんにちは、瞬先輩」

 まだこっちの自己紹介もしてないのにいきなり名前で呼ばれたもんだからドキッとしてしまった。さっきハルが一瞬だけ俺の名前を口にしたからそれを聞いていたんだろうけど、よく聞き逃さなかったな。

「こんにちは。桜庭瞬です。これからよろしくね、土門くん」

「土門でいいですよ。こちらこそ、よろしくお願いします」

 土門は深々と丁寧に頭を下げた後、真っ直ぐ俺の目を見てきた。その瞳には一切の曇りがなく、澄み渡った冬の夜空を彷彿とさせた。これから始まる高校生活に対してか、それともまたハルとテニスができることに対してかは分からないけど、希望に輝いている、そんな目をしていた。それからキラキラと笑った顔を俺にも見せてくれた。俺はそこで初めて土門のキラキラした笑顔の正体がその目にあるんだと分かった。

 人懐っこいヤツだな。ハルがかわいがるのも分かる気がする。俺も思わず頭をわしゃわしゃ撫でてしまうところだった。

「土門はな、こう見えてもテニス上手いんだぜ」

「やめてくださいよ先輩。恥ずかしいじゃないですか」

 土門は照れ笑いを浮かべている。

「いいだろ、ホントのことなんだから。シングルスじゃ俺はお前に全く歯が立たないよ。まっ、ダブルスじゃ負ける気はしないけどな」

「そりゃハル先輩はダブルス上手いですから敵いっこないですよ」

「エッヘン」

 うわぁ、ハルったらまた後輩使って鼻高々になってるよ。土門も先輩を持ち上げるの上手いなぁ、っていうか元々こういう性格なんだろうな。生まれながらの後輩気質っていうか。きっと中学の時もハルとこんな感じだったんだろうな。それにしてもよく見るとコイツ……

「土門」

「はい!」

 俺の声を十倍の大きさにして返してきた。びっくりしたけど、まぁ元気があってよろしい。

「見学に来た新入生たちはみんな制服を着てるけど、なんでお前だけ体操着なんだ?」

「そんなの決まってるじゃないですか。練習するためですよ」

 当たり前のように言いきったな。

「でも今日は一応部活見学ってことになってるはずだけど」

「知ってます。でも見学するくらいなら練習したいじゃないですか。どうせ入部するんですし。だから着替えてきました」

「着替えてきたって、お前なぁ」

 エヘヘと笑う土門にハルが呆れたって顔をする。いつもならハルの方がいろいろやらかして先生や先輩たちに同じ顔をされるのに、今はハル自身がそんな顔をしているもんだから変で変で仕方がない。ひょっとして土門ってハル以上にお茶目なヤツ?

「ダメでした?」

 当の本人は一切悪びれもせずニコニコしている。

「はぁ。相変わらずしょうがないヤツだな。分かったよ。俺から監督に頼んでみるよ」

 へぇ、ハルも先輩らしいこと言うんだな。意外な一面を見たり。

「その代わり、お前は黙っておけよ。俺が全部説明するから。いきなりお前が出しゃばったらみんな不審がるかもしれねぇからな。俺の後輩だって言えば大丈夫だろう」

「ありがとうございます、ハル先輩!」

「かっこいいぞ、ハル先輩・・!」

 土門の真似をして先輩呼ばわりしてみたら、ハルは「お、おうよ」と恥ずかしさを隠すように口をすぼめてみせた。

「でもお前、スクールの時は真っ先に熊谷のヤツを指名して練習してもらってたじゃん。なんでアイツのところに行かなかったんだよ」

 うーん、と土門は考え込む。首を左右に揺らしながら必死な顔で答えを探しているけど中々見つからないようだ。

「なんでですかねぇ。確かに渉先輩のところに行った方が練習になったかもしれないですね。強豪校だし。でもなんつーか、ハル先輩と一緒の方が楽しくテニスできるかもって思ったんですよね」

 そう言うと土門はまたキラキラと輝いた笑顔を見せた。

「ふーん。まぁそう言ってくれるのは嬉しいけど、俺と一緒だとそんなに楽しいのか?」

「楽しいですよ! すっごく!」

 すっごく、の部分で土門は両手を広げて楽しいの大きさを体全体で表現した。ハルは「そっか」とまた土門の頭をわしゃわしゃ撫でた。

「それに先輩、堂上さんもいるって言ってたじゃないですか! それ聞いたら行くしかないですよ!」

 堂上さんどこだろー、と土門は小さい体を精いっぱい高くして辺りを見回し始めた。でも堂上の姿はない。というのもアイツは今頃職員室にいるからだ。新学期始まって早々、ホームルーム中の居眠りがひどいという理由で本田先生に呼び出しを食らっている。ホームルーム中も先生に何度も注意されていたけど一向に直す気配がなかったからな。そりゃ呼び出しも食らうわ。自分を曲げない精神を持っているって意味じゃすごいヤツだけど。

「そういえばお前、ずっと堂上のこと憧れてたもんな」

 はい! と土門は目をキラキラさせて大きく頷いた。

「同じ試合会場だったら必ず堂上さんの試合は見てました。違う会場でも時間があれば見に行ったりもしてました。だってあの人のテニスかっこいいんですもん。ズドンって打ったと思ったらスパッて緩急つけるし、それでもって最後はギュンって捻じ伏せて――」

 ズドンとかスパッとかギュンとか、土門がなにを言ってるのかさっぱり分からなかったけど、堂上のフォームを真似しながら熱く語っているくらいだから相当堂上のテニスが好きなんだなってことは伝わってきた。はたから見れば一人で踊っているようにしか見えないけど。

 でも堂上ってやっぱりすごいヤツなんだな。名前が売れているのがなによりの証拠だ。

「渉先輩はズドン、ズドンって大砲みたいに速くて重い球を軸に試合を組み立ててますけど、俺にはそんな力ないです。でも堂上さんはズドンって球以外にもスパッていう球だったりギュンっていう球も打ってて、一目見ただけで俺の理想のプレースタイルだって思えたんです」

 またズドンとかスパッとか、あとは……ギュンだっけ?

「確かにアイツと試合する時はいつもスパッて球にタイミングずらされて、最後はギュンって球にやられるんだよな」

 ハルにはなぜか土門語通じてるし。やっぱりこの二人、似た者同士かも。

「だからあの人と練習できるなんて夢みたいです! あとあと――」

 まだなにかあるのか。随分おしゃべりなヤツだな、と思っていたら、キキーとフェンスの扉が開いて監督が入ってきた。

『こんちはー!』

 一斉にコートの四方八方からあいさつの声が飛び交う。もちろん俺も大声で叫んだ。先輩たちから教わった習慣だけど、なにも知らない新入生たちは驚きのあまり硬直してしまっている。俺も去年初めて聞いた時は先輩たちがみんな一斉に叫び出すもんだから、なにごとかと腰を抜かしそうになったことを覚えている。ただ土門だけは例外だった。

「あれが小田原さんですか?」

 そうだよ、と答える前にキャプテンの「集合!」という声がかかってしまい、答えるタイミングを失ってしまった。でもこの風景を見ていればあれが監督だってことは一目で分かるだろう。

 俺たちはいつものようにダッシュで監督の前に並んだ。いつもと違うのは一人だけ知らないヤツが紛れ込んでいること。でも当の本人はなに食わぬ顔で列の最後尾にいる俺とハルの後ろに並んでいる。というか俺たちがそうさせた。仕方なく。これなら背の低い土門を監督から隠すことができる。「お前は誰だ?」っていきなり監督に突っ込まれても困るし。

 でもそんな俺たちの心配をよそに土門がなにか呟いた。

「やっぱりあれが先輩の言っていた小田原さんって人みたいですね。俺もあの人の元でテニスしてみたいなって思ってたんですよね」

 俺たちに言ったのか独り言だったのかは分からなかったけど、後ろを振り返ったら土門は監督の方を見てニヤッと笑っていた。



 1年生で土門だけが練習に参加した日から一週間後。今日はテニス部へ入部が決まった1年生全員を含めた最初の練習だ。

「新入生の皆さん、入学おめでとうございます。そして、テニス部へ入部いただきありがとうございます」

 1年生の集団を前に男女キャプテンがそれぞれ部の説明をしていく。ここではテニス部の紹介や目標などをキャプテンが1年生へ話していく。男子の目標はもちろん全国だ。去年、新チームが始動した当初こそみんなの意識はそれほど高いものではなかったけど、今ではすっかり全員に全国を目指す意識が定着している。とても高い目標ではあると思うけど、1年生のみんなにも一緒に目指してもらいたいと思う。

 1年生たちはキャプテンの話を真剣に聞いている。その中にはしっかりと土門の姿も見える。やっぱり周りの男子と比べるとその背はうんと小さい。

 ざっと見渡す限り1年生の数は男女合わせて十五人ほど。俺たち2年や3年と変わらない人数だ。

「――もう少ししたら都大会が始まります。去年、私たち男子テニス部はベスト8を目指して大会に臨みましたが、結果は惜しくもベスト16に終わってしまいました」

 白鷹をあと一歩のところまで追い詰めたけど、惜しくも1―2で負けてしまった。どっちが勝ってもおかしくない試合だっただけに今でもあの悔しさは覚えている。白鷹はそのまま勝ち続け、全国でもベスト8という成績を残した。

「今年の目標は去年の雪辱を果たすことはもちろんのこと、その先の全国です。もちろん生半可な気持ちで言っているわけではありませんし、練習も皆さんの想像以上にきついと思います。でも、一緒にがんばっていきましょう!」

『はい!』

「では続いて女子――」

 女子キャプテンの馬淵先輩が金子先輩とバトンタッチをして女子の紹介を始める。その後ろでは女子部員たちがビシッと整列しており、光野や石川も堂々と胸を張って立っている。そうだよな。先輩としてかっこ悪い姿なんて見せられないよな。もう遅いと思ったけど二人を見習って俺も背筋を伸ばした。

「これで男女テニス部の説明を終わりますが――」

 キキー、とタイミングよくフェンスの扉が開き、全身黒ジャージに身を包んだ監督がコートに入ってきた。監督の姿を見るやいなや1年たちに戦慄が走るのを俺は感じた。分かるなぁ。俺も去年そうだったし。

 監督が1年の前に立って話し始める。腹の奥底にまで響いてくる低い声に1年たちは更に怯えた様子を見せていた。

 そこからは去年と同様、1年が自らの目標を監督に伝える――言わされる――ことになり、俺たち上級生は監督の後ろからその光景を眺めていた。レギュラーになる、試合で活躍する、チームの勝利に貢献する等々、監督の威圧感に必死に耐えながらみんな言葉を発していく。でもその中で一人だけ――

「全国へ行きたいです」

 監督をじっと見据えたまま真剣なまなざしで土門が言い放った。やっぱりコイツ、ハルと似ている。ハルの方を見るとこっちも土門をじっと見つめながら真剣な顔をしていた。



「瞬先輩、ラリーしましょぉよぉ」

 休憩時間に目をキラキラさせながら土門が言ってきた。そんな目で言われたら「嫌だ」なんて言えねぇよ。まぁ俺もお前と打ちたいって思ってたからちょうどいいや。

 でも練習の最後にやったラインタッチが終わる頃には、さっきまでキラキラと潤ませていた瞳はどこへやらと行ってしまっていた。他の1年と一緒にコートへ倒れながら「こんなことになるなら休憩中に先輩と打たなきゃよかったです」なんて言ってたけど、後悔先に立たずとはまさにこのことだ。俺たちもきついことに変わりはないけど、もう1年みたいにコートに倒れ込むほどじゃなくなった。一年間ほぼ毎日死に物狂いでやってきたお陰で限界ラインが少しずつ引き上げられてきたからな。

 土門とは先週――入学式の後、土門だけが練習に参加した日――も少し打つ機会があった。1年は部活の見学期間中だったけど、さっきみたいなキラキラした目で「練習したいです」って言われたら俺たちも先輩としてなんとかしてあげたい気持ちになった。やる気があるのはいいことだし、そもそも1年が練習に参加しちゃいけないなんてルールも聞かされてなかったし。

 ただあの日、整列の時点で俺たちの後ろに並ばせたところまではよかったんだけど、土門のヤツ、「小田原監督!」って自分から手を挙げて勝手に自己紹介を始めやがった。ハルは小声で「この、バカ」って舌打ちしていた。混乱させないようにハルが説明するって手はずだったからな。

 土門は自分がハルの後輩であることや堂上に憧れていること、シングルスが得意なことなど、その場で言わなくてもいいことまでペラペラペラペラしゃべっていた。その都度ハルの口からはため息が漏れていた。最後に「練習に参加させてください! お願いします!」と頭を下げていたけど、監督は意外と快諾していた。快諾といっても「分かった」と顔色一つ変えずにただ頷いただけだったけど。土門も自分から願い出るところは潔くて、そこは好感が持てた。先輩たちも「元気いいな」って言ってたし。幸い何事もなかったからよかったけど、ハルは終始不安そうにしていた。

 それでラリー練習の時に土門と対峙したんだけど、ボールが速い速い。2、3年の誰よりも速いんじゃないかと思うほどだった。その小さい体のどこにそんなパワーがあるんだよって思ったけど、よく見ると体全体を一つのコマみたいにして、ビュン! って鋭く回転させていた。なるほど、全身を使ってパワーやスピードを出す打ち方は参考になるな。さすが熊谷といつも打ち合っていただけのことはある。アイツと打ち合うにはパワーもスピードも両方必要だから、土門は小さい体で対抗するためにこの打ち方を編み出したんだろう。

 太一とも「土門上手いよなぁ」って話していたんだけど、南だけは浮かない顔をしていた。というより土門を見る南の目つきに今まで見たこともないような憎悪の気配を感じた。俺にはその理由に全く見当がつかない。

「ねぇ太一。南のヤツなんか雰囲気怖くない?」

 南がいない時に太一に聞いてみた。

「まぁ最大のライバルができちまったからな」

「ライバル?」

「あぁ。今のうちのシングルスを実力順でいうと、堂上、遠坂先輩、南って続くだろ。もうすぐ始まる都大会団体戦のシングルスのメンバーは枠が二つしかないから、おそらく堂上と遠坂先輩の二人が選ばれることになるだろうけど――」

 なるほど、なんとなく話の結末が見えてきたぞ。

「3年生が引退した後、シングルスの枠が一つ空くことになる。このまま順調にいけば南がその残り一枠に入る、はずだった」

「けどここにきて予期せぬ対抗馬が現れた。しかもソイツはめっちゃ上手いし、シングルスが得意だって自分から豪語までしていた」

「そういうことだ」

 てっきり俺は上手いヤツが入ってくれば俺たちの練習にもなるしいいことだって思っていたけど、同時にライバルになることだって十分あり得るのか。それで南はいち早く敵対心を燃やして土門を睨みつけていたってわけか。

 確かにレギュラー争いっていうのは部員全員をシビアにさせる。サッカーをやっていた時もそうだった。大会前はチームの雰囲気が嫌でもピリついていた。それが自然だったけど、長らくそんな環境にいなかったせいで俺も少し鈍くなってしまっていた。

 でもライバルっていうのは自分を強くしてくれる最大の友でもある。いい関係を築くことができればいい刺激も与えてくれるだろうし、大切にするべき存在だと思う。せめて普通にいる時くらいは話したり、ましてやかわいい後輩なんだから面倒くらいは見てあげてもいいのにって思うけど、帰り道が一緒だから俺が土門と一緒にいると「じゃあな」と南はそそくさと帰ってしまった。

「俺、嫌われてるんですかね?」

 心配そうに言ってくる土門。

「そんなことないよ。アイツも初めて後輩を持って緊張してるんだよ。いつもはいいヤツなんだ」

 さすがにかわいそうだなって思ったから慰めた。

 そう、南はいつもいいヤツだ。俺やハルに勉強を教えてくれるし、テニスだって俺の疑問にいつも優しく答えてくれる。だからアイツがこんなにも他人を煙たがるなんて正直驚いた。でも南の肩を持ちすぎるのも土門に不安を与えてしまうかもしれないと思い、「そのうちきっと仲よくなれるよ」と俺の希望も込めて言った。土門も「はい!」と頷いてくれた。

「じゃあそろそろ帰るか」

「ハル先輩は待たなくていいんですか?」

「あぁ、アイツはなんか先生に連れていかれたよ。先帰っていいってさ」

 練習後だっていうのにハルはまた大島先生――ハルの言うキーキーうるさいおばちゃん先生――になにやら呼び出されていた。どうせ授業中に寝てるとか、宿題忘れたとか、遅刻したとか、そこら辺の説教だろう。いつものことだ。ここはハルの尊厳を守るためにも土門の前では黙っておいてやろう。

 下駄箱で革靴を取り出し、トントンとつま先を地面に叩いて踵まで履かせる。少し離れたところにある1年の下駄箱から土門が走ってきて、二人で校門を出た。

 学校前の道は今年も両脇から満遍なく桜が散りばめられていてサクラカーペットと化している。見上げた桜の木々もまだまだピンク色の占める割合の方が茶色に勝っている。夜は街灯に照らされているから見た感じはピンクっていうよりも白に近いかな。道に散りばめられている桜も街灯の光を反射させてその色を変えている。これはこれで幻想的な光景だ。

「ホントにキレイですよね、桜」

「そうだろ。これを見れるのは吹野崎生の特権ってやつだな」

 遠くの空にはちょうど月も見えてきて、桜とのコントラストに映える。今夜は三日月だ。

「なぁ土門」

「なんですか!?」

 練習の疲れなんてもう吹き飛んだ、と言わんばかりの爽やかな返事だ。いいねぇ、若さを感じるよ。一つしか年違わないけど。

「なんでハルのところに来ようと思ったの?」

「先週言ったじゃないですか。ハル先輩といれば楽しくテニスができると思ったからですよ」

「それだけ?」

「はい」

「ホントにそれだけ?」

「だからそれだけですって」

「ふぅーん」

 他人にそこまで言わせるなんて、もしかしてハルってカリスマ?

「……なんか変ですか?」

「いやいや。ハルと仲いいんだなって思って」

「仲いいですよ! すっごく!」

 すっごく、ねぇ。俺が中学の頃は後輩と話したことなんてなかったな。練習とか試合で「もっとこういうパスくれ」とかはあったけど、それは話したうちに入らないよな。後輩と仲よくなるってどんな感じなのか正直想像もつかない。まぁでも先輩にハルがいたら楽しいだろうなっていう気持ちはなんとなく分かる。

「中学の頃のハルはどんなヤツだったの?」

「どんなヤツだったって、もうホントあのままですよ。あっ、そうそう。ハル先輩とは中学校も同じだったんですけど――」

 土門は「思い出した!」というように手をポンと叩いて、おもむろに昔のエピソードを話し始めた。

「俺が中学1年の頃、ちょうど入学式で初めて登校した日のことなんですけど、ハル先輩ったら遅刻して焦っていたのか俺たちのクラスに『遅れてすいません!』って謝りながら入ってきたんですよ。で、顔を上げたら知ってる人が誰もいないもんだからそこでやっと気づいたらしく、『あっ、俺2年になったんだ』って言ってスタスタ行っちゃって。その後学年指導の先生に廊下で怒られてましたけど」

 土門は当時の光景を思い出したのかクスクスと笑っていた。確かにそのままっていうか、全く変わっていない気がする。まぁハルらしいけど。

「今思えばあれが最初の出会いでしたね」

「それが最初の出会いって、ハルの印象最悪だな」

「確かに最初はびっくりしましたけど、ハル先輩ってすごくおっちょこちょいなんですよね。そのくせ後輩の前では変にかっこつけるからそれがおもしろくって」

「そうなんだよ。アイツすっごくおっちょこちょいなんだよ――」

 って、あれ? バレてないか? ハルが気づいていないだけで土門はとっくにハルの性格に気づいていたんだ。まぁ考えてみればスケスケだよな。あれだけの存在感だし、気づかないわけがない。それを知らずに後輩の前で先輩ぶるハルって……

「じゃあ俺こっちなんで」

 いつのまにかサクラカーペットは終わっていて、突き当たりのT字路に差しかかっていた。ここで俺は右へ行き、土門は左へ行く。

「おう。また明日な」

「はい!」

 最後まで元気のいいヤツだ。

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