20.アクシデント
新学期が始まって一ヶ月が経った。1年生もそろそろ学校や部活に慣れてきた頃だろう。テニス部の1年たちも部活に来る時や帰る時にはまとまって楽しそうに話している。1年同士仲よくなったみたいで先輩としては安堵の気持ちだ。
月末からは都大会――まずは個人戦――が始まることもあり、テニス部の練習は2、3年を中心に試合を想定したゲーム形式の練習が多くなってきた。オーダー発表を控える中、みんなレギュラーを勝ち取るために気合いが入っている。もちろん俺もだ。
これは部の決まりというか小田原監督の意向だけど、1年は都大会に出られない。早くに選手登録すれば出ることは可能みたいだけど、一年間かけてつくってきたチームの雰囲気を壊したくないという監督の想いがあるらしい。あの堂上ですら去年出させてもらえなかったくらいだからな。この掟は絶対なんだろう。
「ナイッショー! ナイッショー!」
いつも通りまずは球出しからのアップだ。これは1年も含めて全員でやる。
最近になって気づいたけど、テニスも結構声を出すスポーツなんだよな。誰かが打つ度にさっきみたいに「ナイッショー!」ってみんなで声をかけ合うからすぐに場が温まる。みんなの声が合わさると地響きみたいな、なにか怪物の鳴き声みたいになるから、テニス部のところだけ異様な雰囲気を醸し出している。野球部の声出しにだって負けてない。しかも監督が次々とボールを出してくるから声もやむことはない。俺も毎日喉が渇れそうになるまで叫んでいる。けどみんなで声を出すのは楽しいから全然苦には感じない。
「桜庭! もっと速くボールの後ろに入れ!」
「はい!」
監督の怒号も健在だ。1年は少し、いや、大分ビビってるな。でもこれがうちの監督のスタイルだから慣れるしかない。
「うぉりゃぁああ! しゃぁああ!」
「力任せに振るんじゃねぇ! 土門!」
コイツだけは微塵も監督に怯まないな。相変わらず。
一通りアップのメニューが終わると早速ゲーム形式の練習に移る。この時期だけ1年は退屈だろうけどそこは耐えるしかない。俺たちもそうだったし、みんなが通る道だ。
「次、堀内と桜庭。入れ」
『はい!』
練習ではいろんな人とペアを組まされて試合をする。ペアの相性っていうのはやっぱり大事で、「あっ、この人とやりやすい」って思うこともあったり逆もある。その感覚はそのままスコアにも表れるもので、やりやすいなって感じた人とはやっぱり多くのポイントが取れているんだよな。やりやすいっていうのは互いのプレースタイルや性格によっても変化するからこれといって確定要素はないけど、逆にそれがおもしろい。だから普段あまり話さない人でも「おっ、いいかも」って思う時があったりする。
「今日は桜庭とだな。よろしく」
「はい! よろしくお願いします!」
堀内先輩とは去年の私学大会で一度だけペアを組んだことがある。ベスト8をかけた試合当日にハルが福岡へ行っていた、あの日だ。俺はハルの代理でレギュラーに選ばれ、堀内先輩とダブルスの試合に出場した。あの時は即席ペアだったこともあって試合はダメダメだったし、堀内先輩の足もたくさん引っ張ってしまった。でもあれから先輩とはゲーム形式の練習や練習試合の時にペアを組む回数が増えた。試合ではいつも俺のことを引っ張ってくれるから今では「やりやすいな」って感じる先輩の一人だ。
「桜庭、お前また上手くなったな。この前負けちまったのも今では頷ける気がするよ」
一試合終わると先輩は俺にそう言った。もちろん試合には勝った。
堀内先輩とは先日の春合宿で行われた定例戦のシングルスで対戦したんだけど、実はその時、俺の調子がすこぶるよかったこともあって俺は先輩に勝利を収めることができた。去年、一番最初の定例戦で対戦した時は負けてしまったから、約一年越しのリベンジを果たしたことになる。まぁでも、ゲームとかでよく見るパラメータが現実にもあれば、俺よりも堀内先輩の方が全体的に数値が高いと思う。だからこの前勝てたのは偶然だって思っている。
「ホントですか? でもこの前の試合はホントにまぐれですよ」
「謙遜すんなって」
先輩は嫌味なくいつも俺を褒めてくれる。嬉しいけど、でもやっぱり自分ではまだまだだなって思う。今の試合も俺のミスを先輩が何度もカバーしてくれたから勝てたわけだし、この前の試合だって俺の調子がよかったから偶然決まったショットも多くあったわけで、普段の俺だったらそんなに上手く決められていなかったと思う。だから今度は自分でもまぐれだって感じないくらいの試合をして勝ちたいな。
「よしっ、じゃあ二試合目といくか! 次の相手は誰だ?」
「俺たちですよ」
ラケットで肩をポンポンと叩きながら山之辺が近づいてきた。「自信たっぷり」という言葉をそのまま表したような態度だ。その横には山之辺とは対照的に肩を丸めた川口が立っている。
「おっ、ナンバー2ペアとの試合か。桜庭、がんばろうぜ」
「はい!」
堀内先輩が言うように、山之辺と川口のペアは今やうちのナンバー2ペアだ。ペアの相性もかなりいいみたいで連携も蜜に取れている。ダブルスとしてでき上がっている数少ないペアの一つだ。このペアを崩すことは監督もしないだろう。ちなみにナンバー1ペアは言わずもがなキャプテンとハルだ。
「ザ・ベスト・オブ・1セットマッチ。堀内・桜庭ペア、サービスプレイ」
堀内先輩のサーブで試合が始まった。スピードはないけどセンターのコースギリギリを突くナイスサーブだ。と思ったらいきなり山之辺がフォアで回り込むようにしてラケットを高くセットした。
――強烈なリターン。
ブゥン、と今まで聞いたこともないようなうねり音をあげながらボールは俺の横を通過していった。速すぎて前衛の俺は目で追うことさえできなかった。
「ア、アウト」
主審のコール。振り返ると堀内先輩も一歩も動けなかったというようにその場で固まっていた。あぶねぇ。一瞬ヒヤッとしたのは先輩も同じだったみたい。
「ナイッサーです、先輩」
「まさか初っ端からぶっ叩いてくるなんて。立ち上がり狙われてんな。注意しよう」
「はい」
続く川口のリターンは山之辺のそれと比べると強烈でもなんでもなく、スピードもそれほどなかった。でも打ち返してくるコースはすごくよくて、前衛の俺が絶妙に届かないところへ返してくる。ポーチに出たいけど出られないっていう前衛泣かせのボールだ。ラリーでも川口はしぶとくつなげてくるから中々切り崩せない。そうこうしていると先に山之辺にポーチを決められてしまった。
「15―15」
そして山之辺サイドではまた強烈なリターンが打ち込まれてきた。今度はベースラインの内側ギリギリに決まり、先輩もかろじて反応はしたものの打球はネットに吸い込まれた。
「15―30」
山之辺の打球は少し粗いけど、決まると脅威以外のなにものでもない。渾身のリターンが決まると山之辺は誇らしげにこっちを見てきた。悔しいけどあのリターンが入ってきたら手をつけられない。川口は川口で慎重に、でも堅実なボールで打ち返してくるからこっちも中々つけ入る隙がない。これは困った。山之辺が攻撃を、川口が守備をそれぞれ分担しているからペアとしてのバランスもいい。さすがナンバー2ペアといったところか。
でもその後の試合展開は意外な形となった。ナンバー2ペアに一方的な展開を許すかに思われたけど、山之辺がミスを連発。自慢の豪速球は今日は調子が悪いのかアウトにアウトを重ねていく。山之辺の不調に引っ張られるように川口の方も次第に積極性を欠いていき、コースも球威も甘くなった川口のショットを見逃さずにポーチへ出てポイントを稼いでいく。
おそらく川口のプレーは山之辺の調子に左右されてしまうのかもしれない。山之辺の調子がよくて豪速球がバンバン決まれば川口も安心して打っていける。でもそれがポイントにつながらないと今度はツケとして回ってくる。山之辺サイドでポイントできないと、ゲームを取るためには川口サイドでポイントを積み重ねていかなければならない。ミスをしてはいけないという気持ちが見えないプレッシャーとなってどこかプレーを消極的にさせる。そうなればあとはこっちのペースだ。相手が消極的に守りへ入るのならばこっちは積極性に攻めていけばいい。試合っていうのは大概攻めている方に流れが来るものだ。
山之辺の調子に左右される川口の性格は普段の二人を見ていてもなんとなく想像がつく。同じ中学出身ということもあって二人は一緒にいることが多いけど、大体は山之辺に主導権があって川口はそれに従うように後ろを歩いていることが多い。それを見越してかは分からないけど、実は堀内先輩からは試合前、まずは山之辺を崩しにいくぞと言われていた。「つけ入る隙があるとすれば山之辺の方だ。アイツのプレーにはムラがある。だから上手くいけばアイツにミスを
それに俺の粘りのロブも効いてるって先輩は言ってくれた。山之辺の豪速球に対応するのはそれなりに難しいけど、準備を早くすれば対処できる範囲も広くなる。それに春合宿でやった振り回しに比べれば山之辺のボールなんて追いつけない球じゃない。振り回しはもうなんていうか、控えめに言っても地獄だった。最初は余裕で打ち返せてはいたけど中盤から急に足が鉛のように重くなってきて、それでもボールは次から次へと出てくるから足は止められない。走っては打ち、走っては打ちをひたすら繰り返し、休む暇なんてこれっぽっちもない。肺も目いっぱい使って呼吸をしていたけど、最後の方は限界だったのか血の味もしてきた。
まぁ振り回しは思い出しただけで吐き気が襲ってくるくらい苦しい経験だったからそれは置いといて、試合が進むにつれて山之辺の豪速球にだんだん目が慣れてきたことも俺の粘りに拍車をかけた。はたから見ればなんでわざわざロブで返しているんだろうって思うかもしれないけど、俺にはまだ山之辺の豪速球をまともに打ち返せるだけのパワーと技術がない。普通に打ち返そうとしたらパワーに負けて多分前衛の川口に捕まる。だから俺にできる最善策はなんだろうと考えた結果、ロブでなら川口に捕まらず返せるだろうっていう結論に至った。俺もできることなら山之辺やハルみたいな速いラリーをしたいんだけどね。そっちの方がかっこいいし。でも先輩が「それでいい」って言ってくれたから今はこれでいいんだって思える。先輩の一言ってとても安心できるし、頼りがいがあるんだよな。それに、途中隣のコートへ転がっていったボールを取りにいった時、「ロブ、めっちゃいいよ」ってハルもそう言ってくれた。ハルに褒めてもらったこともめっちゃ嬉しくて、自信を持ってラケットを振っていくことができた。
今、試合のペースは完全に俺たちの方にある。でも山之辺たちも地力を見せ始めるようにじりじりと追い上げてくる。俺のロブも毎回深くに決まるわけじゃないから、浅くなった時はそれを見逃さずに川口がしっかりとスマッシュを決めてくる。だからいくら流れがこっちにあるっていっても全然気は抜けない。
試合はそのままタイブレークへと突入した。もうここまで来たらどっちに勝利が転んでもおかしくはない。でもここまで来たんだから最後は勝ちきって終わりたい。アイツらに勝てるチャンスなんて今後も巡ってくるとは限らないからな。先輩とも「絶対勝とう!」とハイタッチを交わした。
タイブレークに入ってもやることは変わらない。俺は粘ってロブを打ち続ける。今はこれしかできないから。対する山之辺は自慢の豪速球のなりを潜めている。というより打つのをためらっていると言った方が正しいかもしれない。
山之辺は今、きっと大きなプレッシャーを感じているに違いない。言うなれば俺たちは〝格下〟だ。勝って当然の相手。でも今は逆に窮地に追い込まれている。しかも自分の得意としている強打は今日、調子が悪い。タイブレークは7ポイントを先に取った方が勝つ。だからこれまでより1ポイント1ポイントがより重くのしかかってくる。ここで強打をして万が一にもミスをしてしまったら勝利から大きく遠ざかることになる。自分の放つ一球一球が試合の結果を左右する。そんな重たいプレッシャーが山之辺の思考をより消極的にさせ、最大の武器の行使をためらわせているんだ。
でもこっちからすれば強打をしてこない山之辺なんて牙の抜けたライオン並みの怖さしかない。俺たちは勢いそのまま一気呵成に攻め込んだ。ポイントもジリジリと差が広がっていく。差が開いて焦ったのか山之辺は途中から自分のスタイルを復活させて攻めてきた。が、時既に遅し。
「ゲームセット、ウォンバイ堀内・桜庭ペア。ゲームスカウント7―6」
……やった。やったぞ。勝ったんだ!
隣では堀内先輩が腹の前で両手をグーにしながら喜びを噛み締めていた。上下に動かす拳と連動して手に持っているラケットも上下に揺れる。気づいたら俺もいつの間にか両手に力がこもっていた。グリップに手の痕が残るくらい。
隣のコートを見ると、ゲーム間の休憩で水分補給をしていたハルと目が合った。ハルは右手に持ったラケットを俺の方に向けてニコッと笑った。俺もそれに応えようと右手に持っていたラケットを突き出して笑い返した。
コート中央に四人が集まって握手を交わす。負けて落ち込んではいるけど、表情には出さずしっかりと目を見て握手をしてくれた川口。それとは対照的に、悔しさを露わにするように一切顔も上げず、握手をしてすぐに姿を消した山之辺。プレーもそうだけど性格もホントに真逆な二人だと思う。そして最後に堀内先輩と熱い握手を交わした。握手だけじゃ興奮が収まらなかったのか先輩は肩を組んできた。
「やったな、桜庭!」
先輩、ホントに嬉しそうだ。もちろん俺も嬉しい。堀内先輩とじゃなきゃ山之辺たちには勝てなかった。
「先輩のお陰です。先輩がリードしてくれたから俺は迷わずプレーできました」
「なに言ってんだよ。お前のその迷いのないプレーが勝利を手繰り寄せたんだ。よくつないだな。いいロブだったぞ」
その言葉が嬉しくて俺は頷いた。言葉にはできなかった。
コートを出ようとした時、入れ替わりでコートへ入ってきた太一と南に声をかけられた。
「瞬、すげぇじゃん! 山之辺たちを倒すなんて」
「ありがとう」
「山之辺のヤツ、最近調子乗ってたからなぁ。どうにかして一発鼻の骨へし折ってやろうと思ってたけど、瞬が倒してくれてスッキリしたよ。俺もがんばらないとな」
そう言うと二人は『よし!』と気合いを入れて試合へ向かった。俺は「がんばってね」と二人に告げてからコートを出た。
「正直、今日の結果はできすぎだ」
コートから出ると先輩は俺に語りかけるように言った。
「アイツらは強い。本来は十回やったら九回は負けるような相手だ」
急に先輩が真剣な表情を浮かべたもんだから勝利の余韻から一気に現実に引き戻された。ただ先輩の言う通り、確かに今日はできすぎだ。自分でも今までで一番いいプレーができた実感がある。でも次も同じことが同じようにできるとは限らない。今日の山之辺みたいに崩れることだってあるかもしれない。
「俺、もっと練習がんばります。それで、次も勝ちます。絶対に」
今日の勝利はまぐれかもしれない。でも次の勝利は確かなものにするんだ。
「おう。がんばろうな、お互い」
はい! という返事は十数メートル先から走って近づいてくる後輩の声にかき消されてしまった。
「――んぱぁーい! 瞬せんぱぁーい!」
ちっこくてくせっ毛のある、もう馴染みの後輩が駆け寄ってきた。
「瞬先輩すごい試合でしたね! 粘って粘って、つないでつないで、あんな戦い方、俺初めて見ました! すごかったです!」
そうだよ。俺はお前みたいに上手くないからあんな戦い方しかできないんだよ。悪いか? 嫌味か? って思ったけど、そうだった。コイツは嫌味なんて言うようなヤツじゃない。土門の純粋でキラキラした目を見たらそんな感情なんて一切持っていないことはすぐに分かった。珍しいものを見て心の底から驚いたっていう顔をしている。攻撃的なテニスをする土門にとって、守りながら戦う俺のテニスが単純に珍しいものに映ったんだろう。
「見てくれていたんだな」
もちろん! と笑顔で見上げてくる土門がかわいかったから頭をポンポンと叩いてしまった。まだハルのようにわしゃわしゃする勇気はない。
「ハル先輩たちの方も優勢ですよ」
土門に促されて見た先では、高く上がったロブをハルが後方に跳びながらスマッシュで決めていた。はあぁ、すげぇなぁ。かっこいいなぁ。
すると周囲がいきなりざわつき始めた。隣の土門も信じられないというように口元を抑え、驚きの表情を浮かべている。土門だけじゃない。堀内先輩も、今から試合を始めようとしていた太一や南も、目を見開いて同じ方向を向いている。俺はみんなの視線の先を追った。その先では……さっき豪快にスマッシュを決めていたハルが地面にうずくまって倒れていた。ペアのキャプテンや相手をしていた先輩たち、監督までもが慌ててハルの元に集まっていく。
「ハル!」
「ハル先輩っ!」
土門と俺も持っていたラケットを投げ捨てて急いでハルの元へ駆け寄った。他のコートで試合をしていた人たちもなにごとかと試合を中断して集まってくる。フェンスの中にいた人も外にいた人も、いつの間にか全員がハルの周りを取り囲んでいた。
俺が集団の輪の淵に着いた時には中心で倒れているハルの横に監督が寄り添って、「どこをやった?」と問いかけていた。ハルはしきりに右足を押さえている。
「足、ひねったみたいです」
みんなに心配をかけまいとハルは笑ってみせたけど、その顔は完全に痛みを隠しきれずに少し歪んでいた。
「お前らは試合を再開しろ。瀬尾は俺と金子で保健室へ運ぶ」
監督が指示を出すと集まっていた輪も方々へと散っていった。ハルは監督とキャプテンに支えられながら片足で立ちあがり、二人の肩を借りて保健室へと歩いていった。その背中は今まで見たことないほどに小さく、悲しみを帯びていた。
どうするんだよ、都大会。
ハルのケガから二日後、いつもより早めに練習が切り上げられると部員全員が監督に集められた。どうやら都大会団体戦のオーダーが発表されるようだ。大会までは既に二週間を切っている。
大方の予想だとS1に堂上、S2に遠坂先輩、ダブルスにキャプテンとハルのペアが選ばれるはず
ハルの代わりに誰がメンバーに選ばれるのか。
うちのダブルスは正直キャプテンとハルのペアが圧倒的に強く、その二人以外の誰かが出るなんて考えられなかった。でもここに来て急遽出場枠が一つ空いたことによって全員の目が残る一枠に注がれた。
誰だってメンバーに選ばれて試合に出たいに決まっている。特に3年生にとっては最後の大会だ。三年間の努力が報われる最後のチャンス。
――選ばれたい。
そう思う3年生たちの気持ちがどこか雰囲気をピリつかせている気がする。
「あーあ、なぁんで今この時期にケガしちゃうかな、俺」
ここに一人だけ、この場の雰囲気を微塵も感じ取れないヤツがいた。少しはみんなの気持ちも汲んでやれよ、って思ったけど別に今に始まったことじゃないし、ケガをしていてもハルはハルらしいっていうか。
ハルは右足にギプスをして、松葉杖をつきながら俺の隣に立っている。見た目は重症患者みたいだけどケガの状況はそんなにひどくなかったらしく、数週間ほどで完治するみたい。ギリギリ大会に間に合うか間に合わないかの期間だけど、ここで無理をしてケガを長引かせるわけにはいかないと監督がハルに「NO」をつきつけたらしい。ハルのことだから「無理してでも出る」って言い張るかとも思ったけど、そこは素直に受け入れたみたい。それは監督が怖いからっていうことじゃなくて、「もし試合中に痛みがぶり返してきてプレーに影響が出たら、チームの足を引っ張ることになってしまう。そんなことになるくらいなら、ケガもしていなくて100パーセントの力を出せる誰かに任せた方がチームにとって最善だ」って思ったからなんだと話してくれた。珍しく真面目に話すハルに最初は驚いたけど、テニスのこととなると途端に人が変わったように真剣な目をするヤツだってことを思い出した。でも同時に、その表情の奥はどれだけ悔しさに溢れていることだろうとも思った。ハルは全然悔しそうな顔を見せないけど、死ぬほど悔しい思いをしているに違いない。俺には分かる。
「だから俺の挑戦はまた来年だな。その時は
一緒に、っていうのがなにを指しているのか分からなかったけど、ハルが二コッて笑ったから俺は「うん」って頷いた。
「今から都大会団体戦のオーダーを発表する。だがその前に、3年生の諸君。これまで俺の練習によく着いてきてくれた。今のチームを引っ張ってきたのは紛れもなくお前たち3年生だ。本当にありがとう」
去年同様、監督は深々と頭を下げて3年生たちに感謝を伝える。
「選ばれた者たちは選ばれなかった者たちの分まで最後まで戦い抜くこと。そして、たとえ選ばれなかったとしても、選ばれた者たちのことを最後まで応援してほしい」
『はい!』
3年生たちが声を揃えて監督に答える。
「では発表する」
全員の視線が一気に監督の方へと向いた。
「まずは女子から。S1、馬淵――」
さすが馬淵先輩。去年も2年生エースとして出場していたけど、今年は風格も威厳も増して完全にチームの柱となっている。女子とは別々のチームになるけど、がんばってほしい。
「――ダブルス、木村・安西ペア」
女子の列の奥では光野と石川が悔しそうに肩を落とす姿が見えた。都大会ではダブルスは1ペアしか出場を許されない。私学大会ではD2に選ばれた二人でも今回の出場は叶わなかった。それほど都大会のメンバーに選ばれるって狭き門なんだよな。
「続いて男子。S1、堂上。S2、遠坂――」
みんな一斉に固唾を飲む。それもそのはず。次のダブルスがハルの欠場によって空いた一枠だからだ。全員の鼓動の高鳴りが空気をも振動させて全身に伝わってくる。
「――ダブルス、金子・桜庭ペア」
……えっ? 今呼ばれたのって、もしかして俺の名前? 聞いてはいたけど信じられないっていうか、ホントに俺?
「以上が団体戦のオーダーだ。選ばれた者たちには今から振り回しを受けてもらう。チームのために戦う覚悟を俺に見せてほしい」
『はい!』
監督はボールかごを引いてコート中央へ向かっていく。が――
「ちょっと待ってください!」
異議を申し立てるように一つの手が挙がった。山之辺だった。
「こんなオーダー、納得できません」
やめろって、と隣の川口が制止しようとしているけど山之辺は構わず続ける。
「なぜ最後のメンバーがアイツなんですか!」
山之辺は怒りとも焦りとも取れる表情で俺を指差してきた。
「現時点で一番勝てると思ったメンバーを選んだ。それだけだ」
監督は静かに答えた。
「勝てる? 経験も実績もないヤツが勝てるわけないじゃないですか!」
「勝利に経験も実績も関係ない。必要なのは今の実力だ」
「実力って言うなら、瀬尾の次に選ばれるのはナンバー2ペアの俺か川口のはずでしょう?」
「いつお前たちがうちのナンバー2になったんだ?」
いや、と山之辺は少し動揺したのか顔を俯かせた。他のみんなも誰一人としてその場を動かず、一言も発しない。二人の論戦をただ静かに見守ることしかできなかった。
「それに俺は金子と瀬尾がナンバー1だとも思ってはいない。練習の成果をしっかりと発揮できている者を毎回選んでいる。それが結果として選抜戦では金子と瀬尾を、そして今回金子と桜庭を選んだ最大の理由だ」
「それでもテニスを始めてたかだか一年のヤツが試合で戦えるなんて思えません! 実際この前の試合でも俺のボールに着いてこれずにロブしか打てなかったじゃねぇか!」
山之辺はわざわざ俺の方を振り返って吐き捨てるように言った。悔しいけど、俺はぐうの音も出なかった。山之辺が言ったことは本当のことで、俺は山之辺の力あるボールをロブでしか返せなかった。
俺がなにも言い返せず頭を垂れていると、隣でハルが「ムカついた」と呟いたのが聞こえた。
「でもそのロブにお前は負けたんだ。お前に瞬を悪く言う資格はない!」
「なんだと! ……そうか。お前ら仲いいもんな。そうやって友達を守った気になってヒーロー気取りか?」
「そんなんじゃ――」
「いい加減にしろ!」
キャプテンの怒声で二人の言い争いは早々に終わった。
「それから山之辺。お前は言いすぎだ。桜庭に謝れ」
フンッ、と山之辺は謝る気なんか微塵もないというようにそっぽを向いた。はぁ、とキャプテンが深いため息をつく。まぁ俺はいいんだけどね。山之辺の気持ちも分からないことはないし、まだ自分でも「本当に俺でいいのか?」って思ってるくらいだから。
「山之辺」
監督独特の静かで、でも威圧的な低い声が響いた。
「どうやらお前は自分がメンバーに選ばれるべきだと勘違いをしているようだからハッキリと言っておく。お前は桜庭より弱い」
唐突に突きつけられた言葉に山之辺は動揺を隠しきれず目を泳がせる。
「俺はずっと前から、その強打ばかりする自己満プレーはやめて、ラリーをつないでポイントを取るテニスに変えろとお前に散々言ってきた。お前のプレーは調子がよい時こそポイントを取れるが、それ以外はミスが多くポイントを相手に与えすぎている。調子のよし悪しによって結果が変わるヤツを選ぶのは、チームにとって大きなリスクがある。お前はその強打でかっこよく取ったポイントに酔っているようだが、自己陶酔に陥っている者ほど本番では力を発揮することはできない。俺はそういう人間を何人も見てきた」
低く、でも確かに体の奥に響いてくる声で監督は淡々と説いていく。
「それに、お前には『無理だ』と思った瞬間、ボールを追うことを諦めてしまう癖がある。どんなに追い込まれようと必死に走り続け、手を伸ばし、返し続けている桜庭の方がより多くポイントを取ることができるし、相手にプレッシャーも与えていける。諦めたら決してポイントなんて取れない。俺たちはトーナメントで上を目指しているんだ。そのためには格上の相手に勝っていかなければならない。格上の相手に勝つにはまずこちらがミスなく一本でも多くつないで、相手にプレッシャーを与えていく必要がある。格下の俺たちからミスをしたり、目の前のポイントを追わずに諦めていては格上の相手になんぞ到底敵わない。つまり、今のお前のテニスでは格上には絶対に勝てない。そんなヤツはいくら上手かろうが上を目指すこのチームには必要ない。お前自身が考え方を変えない限り、俺はお前を団体戦のメンバーに選ぶことは今後一切ない。反論があればまだ聞くぞ」
山之辺は黙り込んでしまった。無理もない。ここまでコテンパンに言いくるめられたら返す言葉なんてない。少しかわいそうとさえ思ってしまう。
「メンバーに選ばれた者は一人ずつコートに入れ」
監督の一声で全員我に返ったように動き出した。突っ立ったまま固まっている山之辺は川口に優しく肩を叩かれながら慰められている。
コートでは女子から振り回しが始まった。みんなで声を出して振り回しを受けているメンバーにエールを送る。
「ハル」
「なに?」
「さっきはありがとう」
「あぁ、いいっていいって。アイツが間違ってんだから」
ハルがあごで山之辺を指した。山之辺は川口につき添われながらみんなの輪から少し外れたところにいた。
山之辺の性格はともかく、アイツが自分のプレーにこだわりを持っていることには俺自身共感できるところもあるんだよな。俺も自分が正しいと思っていた時期があったから。
「それより瞬、まずは目の前の地獄をしっかり耐え抜いてこいよ。次、お前の番だぜ」
「そうだった。がんばってくるよ」
中央の2番コート。俺は監督が立っている側とは反対側のベースライン上に立った。
「いくぞ!」
「お願いします!」
監督の怒号とともに地獄の振り回しが始まった。監督の元にはボールかごが二つ。かごの中に入っているボールの数は全部で二百球以上。これを全て返さないと振り回しは終わらない。
「もっと速く走れ!」
「はい!」
早くも二、三十球で足に乳酸が溜まっていく。練習終わりだからっていうのは言い訳にならない。
「どうした! お前のチームに対する気持ちはそんなもんか! そんなんじゃレギュラーメンバーなんて到底務まらないぞ!」
次第に監督が出すボールのペースも速くなっていく。俺は打ったらすぐに走って次のボールを追い、ギリギリのところで追い着いてなんとか返す。そしてすぐにまた次のボールを追う。
そうだ。監督も言っていたじゃないか。選ばれた者は選ばれなかった者の分まで戦えって。俺は選ばれたんだ。俺が選ばれたってことは選ばれなかった先輩たちがいるってことだ。堀内先輩、野村先輩、井上先輩、岡田先輩、山田先輩。
「桜庭ぁー!」
「ファイトー!」
「まだまだいけるぞー! がんばれー!」
先輩たちが俺に声援を送ってくれている。その声は確かに聞こえている。
正直俺だって選ばれた理由は分からない。山之辺にはああ言われたけど、本当だったら3年生たちも山之辺と同じことを俺に言いたいに決まっている。でも先輩たちはなにも言わずに、今だって俺に声をかけ続けてくれている。そんな先輩たちに不甲斐ない姿は絶対に見せられない。
――やばいっ!
ザザー。
足が絡まって倒れてしまった。顔や腕にコートの砂がベッタリとつく。
「どうした! もう終わりか!」
意識も朦朧としてきて監督の怒号もどこか遠くに聞こえる。でも――
「しゅーん!」
「瞬せんぱぁーい!」
「桜庭くんファイトー!」
周りからの声が俺を奮い立たせ、俺に力をくれる。
「まだまだぁー! 来ぉーい!」
「いくぞー!」
そこからはあまり記憶がなく、もはや気力で返していた。ただひたすらにボールを追っては打ち、また追っては打ちの繰り返し。でも不思議とみんなの声だけは聞こえていた。そのお陰で俺はなんとか全てのボールを打ち返すことができた。
「あ、ありがとう……ございました」
「ナイスファイトだ、桜庭。お前の気持ちは伝わった。よし、次!」
それから残るメンバーの振り回しも終わり――声援を送りたい気持ちは山々だったけど、俺は立っているだけで精いっぱいだった――その日は解散した。
お、終わったー。なんとか振り回しを耐え抜いたぞ。もうヘトヘトだ。一歩も動けねぇ。
でも俺の状態なんて関係なく、視界の端から「しゅーん!」と大きな影が飛びついてきた。
「うわっ! なんだよ、太一か」
いきなり飛びつかれたもんだから膝から崩れ落ちそうになったけど、そこは太一が支えてくれた。
「ゴメンゴメン。――団体戦のメンバーに選ばれるなんてすげぇじゃん!」
やったな! と笑う太一は俺のことなのに自分のことのように喜んでいる。俺はメンバーに選ばれたことよりもそっちの方が嬉しかった。
「先越されちゃったなぁ。俺もがんばらなきゃな」
太一とは同期で唯一テニスを高校から始めた盟友みたいなもので、互いに意識し合って切磋琢磨してきた仲でもある。先を越されて悔しい気持ちはあるだろうに、俺のメンバー入りを俺以上に喜んでくれるなんて最高の友を持ったと思う。
「おめでとう、瞬。がんばれよ!」
南も近づいてきて声をかけてくれた。
「ありがとう」
その後も光野や石川からも祝福の言葉をかけられた。こんな一遍にみんなから「おめでとう」なんて言われたことがなかったから正直照れた。でも――
「なんだよ、そんな浮かない顔して」
ハルに問いかけられる。
「いや……なんていうか、不安でさ。本当に俺でいいのかなって」
「大丈夫だよ! 瞬ならできるさ」
ハルはニコッと笑った。
「ふんっ、気楽なもんだな!」
俺が頭の後ろをかいていたら、少し遠くの方からぶっきらぼうに言われる声がした。声の主は太一たちをかき分けて俺の目の前まで来た。
「なんだよ山之辺。まだなんかあんのか?」
ハルが喧嘩腰でものを言う。山之辺はハルに一瞥すると再び俺に視線を戻し睨んできた。
「認めない……俺はお前を認めないからな」
山之辺はそう呟くと、俺の横を通って校舎の中へと姿を消した。一緒にいた川口は「待ってよ、亮」と後を追いかけるも、一度立ち止まって俺の前に来た。
「お、おめでとう。俺は瞬が選ばれたのは当然だって思ってるよ。だから俺たちの分までがんばってね」
そう言い残すと川口は再び山之辺を追いかけていった。
「気にすんなよ。瞬は勝ち取ったんだから」
ハルに言われた。
「そうだぞ。だから自信持って戦おうぜ」
「キャプテン……」
元気出せよ、というように肩をポンッと叩かれた。
「でも俺より先輩たちの方がよかったんじゃ……。最後の大会ですし」
「そんなことはない。俺たち3年の中で、お前が選ばれたことに対して不満を持っているヤツなんて一人もいない。見てみろ」
キャプテンに促されるまま見た先にはメンバーから落選した先輩たちが立っていて、全員が俺の方を向いて頷いてくれた。
「さっきの振り回し感動したぞ! お前になら安心して任せられる」
「俺たちの分までがんばってくれ!」
堀内先輩……。野村先輩……。
「桜庭。お前が一番、誰よりも努力したってことだ。みんなそのことを認めている」
認めてくれた。その言葉が今の俺にとってどれだけ嬉しく、心の支えになる言葉か。
「ただ、選ばれなかったヤツらの、コイツらの気持ちだけは決して忘れないでくれ」
キャプテンの言葉に俺はもう一度先輩たちの姿を目に焼きつけた。俺はこの人たちの想いも乗せて戦うんだ。いや、戦わなきゃいけない。不安がっている暇なんてこれっぽっちもないぞ。
「はい! 俺、精いっぱいがんばります!」
先輩たちのお陰で「本当に俺でいいのか?」っていう不安は完全に払拭された。やってやるぞ! 都大会!
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